縄文時代には、アニミズムの原型が既にあったらしい
俺達は、幾つかの集落と接触しながら、ある方向へと足を進めていた。
山を越え、海沿いの道を辿って行き、『対岸』が見える地までたどり着く。
後に関門海峡と呼ばれるようになるこの場所は、俺の幾つかの記憶──生前と、旧石器時代と──のいずれとも違っていた。
海峡の幅が幾分広い。
恐らく縄文海進による海面上昇の影響なのだろう。
それでも、俺はある目的のためにこの海を渡る。
ダンジョン機能で確認はできるのだが、やはりかつてコアがあった場所を、この目で見たい。そう思ってしまったのだ。
「ワタシ達が出会った場所ですものね」
「……ああ。他にも調べたいことがあるからな」
俺のアバターは、海峡の双方にある集落を見た。
交易と言う概念がある以上、本州と九州を結ぶここは、人が集まる要所になる。
関門海峡は幅が狭いものの、海流は速い。
泳いで渡ろうとするなら、魔力で強化しても流されてしまうだろう。
元より魔力は海水に弱い以上、泳ぐより船を利用などする方がマシだ。
俺達は地元の民に交易品を渡し、船を借りて海を渡った。
九州の内陸部に当たる火山帯が視界に入ると、そこはかつてとはすっかり様変わりしていた。
遠方の空は依然として薄く煙を帯び、所々で灰が舞っている。
かなりの標高を誇っていた、古の阿蘇にあった溶岩ドームは消え、広大なカルデラが広がって、一部では湿地帯が広がっていた。
「帰って来たのね、ワタシ達」
「そうだな。随分と様変わりしてしまったが」
ハルカと共に、今は消え去った豊かなかつての山野を思い浮かべた。
雲の上まで顔をのぞかせていた巨大な山が、噴火で跡形もなくなる。
その恐ろしさに、気が遠くなる想いだった。
(大本のコアは、完全復旧済。周辺のコア群も稼働しているが……処理が足らないな)
噴火に巻き込まれた大本のコアは、吹き飛ばされた先の山中で既にダンジョンを形成していた。
もっとも、最近機能回復したばかりなので、俺達が目覚めたダンジョンと比べるまでも無く、階層は浅い。
辛うじて二階層目を形成したばかりだった。
ダンジョンとしての機能から見れば、ここはまだ地脈の活性が高く、魔力の供給が途切れない場所だ。
大本のコアだけはあり、これから魔力を吸い上げれば一気に機能を拡張していけるだろうが、地下のエネルギーと比べ明らかに処理能力が足りていない。
ただ、何とか制御することで、かつての破局噴火程ではない、頻繁な小規模噴火と言う形で、そのエネルギーを逃がせてはいた。
「火山の近くまで来ると、やっぱり気配が違うな。魔力の振幅が大きい」
「この辺りまだ熱いわ。地面の下で何かがうごめいている感じがするの」
「そういえば、生前に阿蘇のある場所は『火の国』と呼ばれていたと聞いたことがあるな」
「あれをみれば、そう名付けたくなるのもわかるの」
小規模な噴火から溶岩が流れ出る。
その熱で荒れ地に僅かに生えていた草木が燃え、炎となる。
まさしく『火の国』と呼ばれるにふさわしい光景だった。
そんな土地でも、人々は逞しく生活していた。
流石に多くは無いものの、幾つかの住居がダンジョン傍に形成されている。
俺達は、その一つを目指すことにした。
遠目からでも、独特な縄文土器を持った人々や住居、集落を囲む柵などが見える。
更にその付近の森で、何やら人々が集まって騒がしくしている場所があった。
狩りの只中か――そう思った瞬間、それは森の木々の合間から姿を見せた。
「何だと!?」
「なに、あの大きさ!?」
流石の俺やハルカも、驚きに目を見張る。
森の木々の合間から、巨大なクマの頭部が見えるのだ。
巨大さから遠近感が狂うも、凡その目測でそのクマの頭は地上10m程の位置にある。
恐らく、これも魔力の影響の一つなのだろう。
「グオオオオオオオ!!!」
そのクマは、大きく腕を振るい、森の木々をなぎ倒した。
更には一旦四つ足になり、腕を振り回して地面を引き裂く。数人の狩人が、巻き上げられた土砂に吹き飛ばされる光景が遠目からも見えた。
対抗しようとしているのか、数人の狩人が必死でそれを押さえようと、槍や斧、弓矢等で攻撃を続けている。
狩人たちも魔力を宿して人の限度を超える跳躍や回避を見せていたが、相手があまりに大きい。
振るう牙と爪は木々を簡単になぎ倒すほどの勢いを持ち、一撃でも受ければ魔力で強化された体でも重傷は必至だろう。
「ぬあああああッ!!!」
「いけ!」「助ける!!」
狩人の一人が咆哮を上げ、石槍を数人で協力して突き立てる。
魔力で強化された筋肉が悲鳴を上げるように震える。
「グガァ!!」
「ギャァッ!?」
だがクマの一撃で何人かが吹き飛び、地面に叩きつけられて動かない。
血と肉、そして魔力が混ざり合い、現場は阿鼻叫喚だ。
「アナタ、助けますか?」
「……ここで何か動けば、俺達は深く関わる事になるだろう。それは極力避けたくはある。だが見殺しにするのもな……」
俺は息を呑み、状況を見定める。
援護は可能だ。だが直接武力介入すれば、その後の深入りは不可避だ。
ダンジョンコアとしての力は、この時代であればまさに神に等しいだろう。
安易にそんな力で、今を生きる彼等に干渉してよいものか?
そんな迷いが、俺を躊躇させる。
何よりあの光景も、『魔力がある世界』としてのごく自然な光景ではないかと言う想いもあった。
そんな時、状況を覆すかのように空気が変わった。
狩人達の後方。戦況を見据えながら、なにやら祈りを捧げていたらしき老人が、一際鋭い声を張り上げたのだ。
「炎よ! 火の意思よ!!」
老人は祭司らしく、手に石棒を持ち、羽根や焼けた獣毛のような飾りを身体の彼方此方に付けていた。
彼の手のひらから、ゆらゆらと赤い光の粒子が立ち上がる。
「……なんだ、あれは?」
「生きている、火?」
それらは次第に大きく膨らみ、やがて一体の精霊の姿を取った。
人の身の丈を優に超える炎の巨人――いや、純然たる炎の化身が、吼えるクマへと駆け寄っていく。
精霊は唸るように姿を震わせ、獣の毛皮に触れるや否や炎が纏い、瞬時に皮と肉を焼き尽くしていった。
クマは苦悶の咆哮を上げ、やがて巨大な轟音と共に力を失い、焼け落ちた。
その周囲にいた狩人たちは息を呑み、何人かは涙を流していた。
「……魔術か、精霊使役か。これはちょっと想像していていなかったな……」
「アナタ、凄いわ!? 炎が、あんな風に! あれはなんなのかしら!?」
「ちょっと待ってくれ、ハルカ。解析してみる」
ダンジョンの機能が、目の前の精霊を、つぶさに解析していく。
そこには、驚くべき結果が示されていた。
「自然現象と魔力が結びついた意志なき力の塊、まさしく精霊だな」
俺は今まで、魔力が動植物に及ぼす影響はある程度理解していた。
ただ、自然現象にはその思考の外にあったのだ。
だが、考えてみれば不思議ではない。
魔力による自然への干渉は、既に俺自身も行って来た。
大地のエネルギーを使っての、ダンジョン作成や拡張。これらは、大地と言う自然に魔力で干渉しているのも同然だ。
つまり、魔力は生き物以外にも影響を及ぼすのだと。
「今更だが、魔力って万能すぎないか……?」
「本当にそうね! ……もしかして、私達もあんなことできるようになるのかしら?」
「多分、出来るはずだ」
俺は冷静さを取り戻しつつも、胸の内に高揚を感じていた。
魔力の影響が生物の身体を強化するだけでなく、魔力を媒介にして“意思なき存在”を呼び出し、使役する――それが実働している証拠を目の当たりにしたのだ。
しかもこの炎の精霊は、火山活動の活発な九州の地脈と共鳴しているように見える。
火と魔力が強く結びついた土地ならではの現象だ。
そこまで考えて、俺はもっとあの祭司について調べたくなった。
祭司の術式の構造、精霊と魔力の結びつきを。
ただ、直接聞くのはどう考えても悪手だろう。
俺は、狩人達に何か命じる祭司の老人を見る。
「あの様子、多分集落の長に近い立場があるみたいだな。よそ者が簡単に近寄れるとも思えない」
「あら……いろいろ聞かせて欲しいのに、残念」
「何、手はある。まずは交易の民として集落に入って、情報を集めるところから始めよう」
老人や狩人達が引き上げていくのを見ながら、俺とハルカも一旦距離を取る。
そして数日の間をあけて、俺たちは用意しておいた交易民の装いに身を整え、偽装した荷物を担いで集落へと入っていった。
偽装は上手くいき、住民たちは我々を珍しい交易の民として迎え入れてくれた。
焚き火の暖かさの中で、俺はあえて目立たない位置に座り、物珍しさに寄ってくる住人と取引する。
ハルカも女としての振る舞いをして、集落の女性陣と打ち解けていった。
住人らとの会話の合間に、俺達は意思を通わせ、情報を整理する。
その結果、分かった事がある
(流石に、普段の狩りにあんな力は使わないらしいな)
(狩りをしたのに、毛皮が焼けていたら、勿体ないものね)
通常の狩りであれば、魔力で心身を強化した狩人達で十分なのだろう。
だが、あの多くの獲物を喰い巨大化したクマは、祭司のいない集落を襲い壊滅させ、あまつさえダンジョンの前に陣取り出てくるモンスターを悉く喰いつくした化け物クマであったらしい。
いつしか、魔石さえも食べるようになり、急速に魔力を増大させたことで巨大化。ダンジョンからのモンスターの供給では足らなくなり、辺りを荒らすようになったのだとか。
そこで、切り札として力を振るったのが、あの老人だ。
集落の住人は、彼を『火守りの翁』と呼んだ。恐らく、個人名ではなく祭司としての名なのだろう。
同時に老人は長く生きた経験から、集落の事柄を取りまとめているらしい。
(彼は村の責任者でもあるのか……)
(お父さんとお母さんがやっていたことね)
狩りの時期や、植物を採集する時期の決定を含め、まさしく原始的な『長』だ。
ハルカは、生前集団のリーダーや取りまとめをしていた彼女の両親を思いだしているが、役目としては更に一歩踏み出していると言っていいだろう。
その祭司としての能力は高く、火にまつわる事はかなり正確に察知できるらしい。
付近の火山の噴気口の予兆を察知するというのだから、おそらく地下の溶岩の気配まで精霊を通じて読み取っている。
(祭司の役割と、集落をまとめる役目が一体化しているようだな。特にこの付近は火山が活発だ。火に関する知識に長ける祭司は尊重されるだろう)
(……それは、他の集落でも同じなのかしら?)
(どうだろうな? 今まで見て来た集落では、祭司が居ないか、あんな精霊を使う様子も無かったから、何とも言えない)
聞き取りの中で分かったことがいくつかある。第一に、精霊信仰はこの地で非常に濃密だということ。
彼らは山や川、風、火といった自然現象にそれぞれ名称を与え、そこに意志が宿ると信じている。
第二に、その信仰は単なる象徴ではない。
魔力が豊かに満ちるこの地では、精霊と交信し、物理的に影響を及ぼすことが「できる」らしいということ。
第三に、火の精霊は特に強力で、火山帯の魔力と相性が良いため、クマのような巨大獣すら焼き払えるほどの力を発揮する。
(なるほど……アニミズムの原型は、魔力が強く作用する地域では、文字通り“現実”と化すのか。そうなると、この列島では信仰が技術や権力へ直結する可能性が高くなるな)
今後神道の成立や、仏教の伝来が起きたとして、それらが実際にかつ明確に『力』を行使可能だとした場合、俺の知る歴史とはかけ離れていくのだろうか。
俺には予想もつかなかった。
その夜、祭祀の広場に残された焚き火の灰が冷めかける時間に、俺はそっと祭司の竪穴住居の近くまで行ってみた。
ダンジョンに最も近い場所にあり、トーテムを示すらしい無数の装飾に彩られ、一種独特なふんいきを漂わせている。
ただ、これ以上近づけば気取られる、そんな気配があった。
仕方なく俺は寝床に戻り、コア側へと意識を移す。
ダンジョン機能で、老人をもっと観察するためだ。
竪穴住居の中、老人はひとり石の前に座り、炎の残滓を宿すその石を撫でていた。
俺はその石を解析する。
(火山弾、それもこの集落に代々伝えられ、祈りを捧げられてきたもの、か……)
老人の術式は単純に見えて、実に洗練されていた。
手に持つ護符や石棒の配置、口に含む乾草の種類、指先の微かな動きが精霊の出現に寄与しているようだ。
最も興味深いのは、老人が単に魔力を放出するのではなく、地脈の魔力と“共鳴”させている点だ。
火山の地脈が発する低周波の揺らぎを読み取り、そこに自分の術式の位相を合わせることで、精霊の実体化が可能になるらしい。
(あの技術は……ダンジョンの精製とは別系統だ。だが根本は同じく魔力の共振だな。このまま発展すれば、魔術師的な存在が社会的に多く生まれそうだな)
神道系の禰宜、仏教の法師、陰陽術師など、信仰や技術に基づいた魔術的な技術体系が、この先発展していくことになりそうだ。
それ以前に、戦士や兵士に類する存在──武士等も、魔力が無い他国と一線を画することになりかねない。
(そうなると、この列島の人々は未来でかなり強力な集団になり得るな……良くも悪くも)
ただ、現状では口伝と経験則、そして強力な地脈が合って成立している技術の様だ。
つまり、再現性は低い――だが、同じように地脈と共振する者がいれば、精霊使役の再現は可能だろう。
情報を整理し、俺は一つの確信を得た。
魔力の濃さと地形の特殊性が重なれば、やがて人々は精霊と称される存在を安定的に呼び出し、これを政治的・軍事的に利用できるようになる。
九州はその最たる例だ。
火山の恩恵は大きく、同時に恐ろしい。
火の精霊を掌握できる者が現れれば、小規模な部族間抗争は容易に決着し、地域の勢力図が塗り替えられていくだろう。
そんな未来を予想しながら、俺は再びアバターへ意識を移す。
この集落で調べるべき事はもう、十分だろう。
翌朝俺とハルカは、この集落を旅立つことにした。
翌朝、住人に手を振られながら、旅路を進む俺に、ハルカが問いかけてくる。
「アナタ、これから何処に行くの?」
「そうだな……長い旅路になるが、北に行こう」
「北に? そこに何があるの?」
「多分、この世界にもある筈なんだ。この時代最大級の集落が」
俺達が目指すのは、次の目的地、遥かな北の地。
生前の記憶に残るこの時代の大規模集落の存在を確かめるために。
魔力の流れと風向きを読み、北東へ歩を進める。
「行こうか、ハルカ」
「ええ、アナタとならどこまでも」
焼け残る灰と、まだ温い大地を背に、俺たちは新たな時代の足音を追って歩き出した。




