奉公先は
「三吉、居るかい? ちょっとこっちに来て手伝っておくれ」
「ほら、呼ばれているぞ。 早く行かないと、亥乃さんにどやされるぞ」
「亥乃さんは女中頭の体面があるから、頭からどやしはしないだろう。
まあ、頭からどやされる方が怖くはないけどな。
とにかく、早く行け」
「呼ばれているのはオイラじゃねえ。
オイラは三吉じゃなくて三吉だ。 だから呼ばれているのはオイラじゃねえ。
亥乃さんはオイラの名前をちゃんと知っているはずだから、オイラを呼んだ訳じゃねえ」
この年の正月明けに新しく奉公に入ってきたこの三吉は、とても真面目で素直な子なので、普通だったら一番の年少でもあるので、俺たち奉公人の中では苛められてしまうような子だ。
しかしそうはなっていないのは、もちろん一番はこの家ではそういった弱い者を甚振るような事は決して許されない行為だからである。
そんなことをして、この家の主人である御代様にバレたら、この家の奉公人を辞めさせられてしまう。 この家の奉公を務め上げず、途中で辞めさせられるなんてことになれば、家からも追い出され、この生まれ育った地に居られなくなるばかりでなく、御代様の息の掛かったところでは働くことは出来ず、知らない遠い地に流れて行って生きて行かねばならなくなる。
そんな危険があることなんて、出来る訳が無い。
それにこの一番年下の同僚は、俺たち年上の者たちが一目置く頑固なところもある。
自分の名前は「みきち」であって、「さんきち」ではないとそこは頑なで、漢字で書けば同じことで、今は自分の名を書くときはきちんと漢字で書きもするのだが、決して適当に周りの者に合わす事はないのだ。
最初は俺たち男の奉公人の間でも、ちょっとそれが揶揄いの種になったのだけど、俺たちの中ではすぐに飽きて終わってしまったが、年下でまだまだ子どもである三吉は、女中たちの絶好の揶揄い対象になっているのだ。
女中頭の亥乃さんからして、こうして三吉を揶揄うのだから、歯止めがきかない。
御代様も、この状況には気がついているのだが、揶揄っているだけで苛めている訳ではなく、女中たちも三吉を揶揄った後では、まだ発育盛りの三吉に残り物を食べさせたり、料理途中の味見をさせたりと、特別に可愛がってもいるので、何も言わずに好きにさせている。
「まあ亥乃さんも良い歳をして大人気ないよな。 自分だって馬さんと言われたら、烈火の如く怒るんだから、名前を違って言われる腹立たしさは解っているだろうに」
亥乃さんは亥年の生まれなので「亥乃」と名付けられたというが、顔がとても長く、一言で言えば馬面なので、
「もし生まれ年が午年ならば、午の付いた名だったのだろうが、その方が似合っていただろうなあ」
と、陰では馬さんと呼ばれている。
おっちょこちょいが、その陰での名前を本人の前で口にした時は、それこそ本当に烈火の如く怒ったのだ。
「おい、そりゃ禁句だ。
まあ三吉、亥乃さんに悪気はねえ、単にお前をちょっと揶揄っているだけだ。
行かねえとうるさいから行って、
『今、男衆の中には三吉という名前の者は居ないので、替わりにオイラが来ました』
とでも言ってやれ」
そう言うと、仕方なしに三吉は仏頂面をしながらも、呼ばれた勝手の方へと向かって行った。 きっと、味噌か醤油の樽を運ぶのでも手伝わされるのだろう。 それでもなければ、何か三吉に食べさせてやろうと思ってでもいるのかも知れない。
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御代様はこの辺りの大地主だ。
今自分たちが奉公で暮らしているこの邸から見える田畑そして山は、そのほとんど全てが御代様の家の身代だ。
御代様の家の身代になっていない所も、分家にした家の持ち物だったり、代々続く子飼いの家の持ち物だったりするので、実質的には御代様の管理下にあるような物だ。
御代様はその広大な土地を多くの小作たちを使って管理しているのだが、奉公人として来ているのは自分も含めて、その小作の家の子が多い。
御代様が実質的に支配している土地はそれだけに限らない。
この邸からは見えない場所には、御代様の土地の大きさと比べると吹けば飛ぶ様な規模ではあるが、独立して田畑を耕したり、山林を利用して別の収入の道で生きている家もある。
しかしそれらの家も陰日向で御代様の世話にはなっていて、現実的には御代様の保護下にあると言って良い。
それもまあ当然のことで、それらの家の多くが御代様の小作の家から分家した家で、その土地の開拓には代々の御代様の家の人が関わっているのがほとんどだからだ。
御代様がこの土地で、それだけ大きな土地などの財と権力を持っているのは、もちろん御代様の家が長く続くこの辺りの名家であるからだが、それだけでは無い。
でもまずはどれだけ名家であるかだが、それを端的に示しているのが、先代様はこの地の殿様の子であったことからも伺い知れるだろう。
今では時代が違ってしまい、この地を治める殿様という存在は無くなってしまったが、それでも殿様の血筋というのは今でもかなりの尊敬をそれだけでも集める。
そして跡取りの問題が生じた時に、まだ殿様が治めていた時代に自分の息子をその跡取りとするだけの名家であったということなのだ。
ただし、先代様の父君であらせられる時の殿様は、かなりの好き者で、とても多くの子を持たれて有名であった。
つまり大きな声では言えないが、殿様の子ではあっても、なかなか身の振り方に困る人が多かったのだ。
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話が横道に外れてしまうのだが、先代様がこちらに婿として参られた時のことは、もう何十年も前のことになるが、この地ではつい先日のことのように知られている。
あの当時、この家は絶えそうになっていて、この家を誰が継ぐかが問題になっていた。
分家は何家もあり、どこが本家を継ぐのだろうかと、殿様の家ではあるまいにとは思うのだが跡継ぎ問題でこの地は揺れていたのだ。
本家にはその当時、病弱で床から出ることがほとんど出来ない娘しか残っていなかった。
娘は病のために嫁に行くことが出来ず、その当時としてはもう薹が立った年齢となっていたのだが、逆にその年齢まで嫁に行っていなかったので、本家がまだ絶えていなかったのである。
しかしその娘の命も風前の灯火と思われていて、分家間の本家争奪の争いが起きていたのである。
そんな時に全く不意に、その娘が時の殿様の庶子を婿に迎えるということが決まったのだ。
分家間の争いは、それによってピタリと収まった。
殿様の子、若様の一人が婿として入り本家を継ぐという事に、誰も文句をつけられる訳がなかったからだ。
病弱で床に付いたままで、何も出来ないと思われていた娘は、周りの油断を突いて、それだけのことを知られずに画策していたのだ。
そして床から出ることが無かったと言うその娘は、婿の立場を慮っての三日に亘る婚礼の酒宴を、先代様の隣の座を外すことなく、立派に勤めたのだ。
この地の者でも、この本家の娘を実際に見たことがある者は少なくて、この酒宴の時に初めて見たという者が多かったという。
その先代様の奥方となった娘は、三日に亘る宴の後、先代様との初夜を過ごし、翌朝先代様に辞儀を正して挨拶すると、そのまま意識を失い、その三日後には亡くなってしまった。
先代様に家を継いでもらう事に、気力も体力もギリギリまで使い果たしてしまっただろう。
先代様は、ほんの数日だけ夫婦となった奥方の葬儀を済ませ、その四十九日が過ぎると、婚礼の酒宴の時に奥方の脇にずっと侍っていた分家の娘を、後妻とした。 この後妻が御代様の母上である。
これは当初から予定していたことらしく、どうやらこの分家の娘を後妻に選んだのは、亡くなった奥方だったらしい。
家としては、先代様が婚礼の宴を行った時点で、先代様を主人として続くことが決定したのだが、奥方様は自分がすぐに死ぬことを最初から考慮して、家の血も残すために分家の中から自分で選んだらしい。
こうして御代様の家は存亡の危機を乗り越えて、家として名も血もきちんと受け継がれる事になったのだ。
ちなみにこの順番はとても重要で、先代様は先に本家の娘と婚姻して本家を継いでいるので、御代様の母の分家の娘は、本家の当主が分家の娘を嫁に迎えた事になるのだ。
その順番は逆はもちろん、同時に本家の娘と分家の娘を娶っても、問題になるのだという。 そのあたりの感覚は、もう今となっては想像するしかないのだけど。
殿様の若様が本家を継いだからといっても、そんな若様が田畑の仕事など出来るはずもない、知っている訳がない。
分家の者たちは最初、そんな風に表面上はともかく、実際のことは自分たちで握れると考えて、裏ではまだ争っていたらしい。
ところが現実は甘く無かった。
本家を継いだ先代様は、その年の秋の収穫時にはもう、本家の人間が次々と死に絶えて、甘くなっていた管理体制を引き締めて、特に分家を狙いうちにして不正を正したのだ。
そして不正を理由に、それまで分家に託していた土地を次々と取り上げて、分家の力を削いで行った。
土地を取り上げるということは、そこを耕作する小作も本家が管理する事になるので、分家の力は尚更弱くなっていく。 それまで自分の命に従っていた者たちが、どんどんと少なるなるので、実際以上に心理的には削られている感じがする。
またそれだけでなく、本家が衰退していたことで吸った甘い蜜で、放蕩していた分家の当主を次々と隠居させて、その首を差し替えた。
そうして先代様は、あっという間にこの地の実権を分家から取り戻して、本家の力を揺るぎないものとした。
という訳で先代様が当主となって、面白くないのは、後妻となった娘を出した以外の、今まで甘い汁を吸っていた分家たちであったのだけど、その陰の画策は途中からは何とか締め付けを緩められないかに主眼は移って行ってしまったらしい。
そして考えたのは、父親の血を引いているだろうからと、色仕掛けだ。
盛ん過ぎて子が多過ぎて、家臣が困っていた殿様の子どもなのだから、同じように女を当てがえば、そちらに気を取られて、物事が疎かになる、少なくとも緩むのではと考えたのだ。
ところが先代様は、それは完全に予想していたらしく、その罠に全く引っかかることは無かった。 その為に、先代様の妻妾は亡くなった本家の先妻と、御代様の母の後妻の二人、実質的には後妻一人で、妾の類を持つことは無かった。
そして分家は一家を除き、没落の憂き目を見ることとなった。
この地が、富も力も御代様の家に集中しているのは、少し前の時代に起きたこんな事情からでもある。
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先代様の代に御代様の家が大きな力を持ったもう一つの理由は、先代様が小作たちをより公平に扱っただけでなく、農法の指導だとかを自ら陣頭に立って、熱心に行ったからでもある。
本家が隆盛であった頃には、新たな田を作ったりの大がかりなこともしていたので、本家の人たちも現場で汗を小作と一緒に流していたらしい。
しかし本家の人が絶えて行って、分家の者たちが実権を握るようになると、その者たちは田畑に顔を見せることも無くなっていった。
そこに先代様は自らも田畑に出て、色々と小作に声を掛けたのだ。
先代様は若様とはいっても、母親の身分は低く、自らの身の振り方を物心が付いた時から考えざる得ない立場であったようだ。
兄弟ではかなり下の生まれだったので、自分にはもう良い家臣の家の跡取りが斡旋されることもないと覚悟していたらしい。
それならばと、武士よりは百姓の道を目指す方が良いのではと考えて、自分からそっち方面の知識を覚えていたようだ。
まあ時代からして新田開発なんかが盛んになり、そちらで才を見せて出世する者が出たりしていたからでもあるのだろう。
先代様は自分が努力して身につけたことを、上手く生かすことが出来た、幸運な例なのかも知れない。
そしてそれは、この地に暮らしていた者たちにとっては、旧来の決まり切ったことを盲目的に繰り返す日常とは違った、目新しい変化を感じさせるモノだった。
分家の堕落や権力争いは、それでも小作などにとっては何十年かに一度は繰り返されてきた事で、よくある事と醒めていたのだが、先代様のすることはそれまでとは違い、彼らにとっては新しい事で、興奮を持って迎えられたのだ。
その流れの一環として、自分たちはこの邸で奉公人となっているのだ。




