峯の坂のおん爺
「ほら、お前たち、お前たちのところのお爺が畑から戻って来たよ。 もうお前たちも自分の家に戻りな。
お爺の次に風呂にすぐに入らないと、晩飯を食いっぱぐれてしまうよ」
「ええっ、まだここに居ても良いだろ。 まだ明るいし、もう少し遊んでいたい」
「晩飯はここで食わせてくれよ。 俺たちガキが一人二人混ざったって、作る量はそんなに変わらないじゃんか」
「なんで集落の中に家がある他所の子に飯を食わさなければいけないんだ。 ウチにはそんな余計な食い物はないよ」
「嘘だぁ。 夜、集まってくる人の為に、鍋一杯に芋を煮て、囲炉裏に吊るしたりしているのを俺は知っているぞ。
それから比べたら、俺たちガキ二人が食べる分なんて、高が知れている」
「俺はその芋でもいい」
「あれはお前らの様なガキの為の物じゃない。 全く口ばっかり達者になって。
お前らの分はお前らの母ちゃんがちゃんと作っている。 それをしっかりと食え。 そして夜はちゃんと寝ろ。
ウチに夜集まる者たちに混ざるのは、お前らはまだ10年は早い」
峯の坂のおん爺の孫にあたる子ども二人は、お母さんによって、おん爺が畑から戻って来るとウチから追い出された。
「それじゃあ、たまきさん、儂らもここらでお暇しよう。
ガキ二人じゃねえが、儂らも晩飯を食いっぱぐれないように家に戻らないとな。
話は、たまきさんから伝えといてくれ。 今日は棟梁は遅くなる様だな」
「はいよ、亭主には伝えておくよ。
村の事だ、戻って来て後でそっちに話に行くかもしれないが」
「ああ、今日はそんなに早寝をする気もないから、それで構わんよ」
「戻る時に、前の隠居家にも顔を出していってくださいよ」
「ああ勿論だ。 番匠様には挨拶しとかんとな」
口役になっている御前の家のおじさんは、お母さんにそう言うと、母屋の前側に建てられている隠居家に顔を出してから、自分の家に戻った様だ。
自分の家に戻るといっても、そんな大した道のりではない。 たかだか2軒先の家だ。
この辺りは山間部で平地が少ない。 その少ない平地の部分に家を建てているので、各家が密集して建てられているから、本当にすぐ近くだ。
それだから畑仕事を終えた峯の坂のおん爺が通るのを見かけたといって、日暮れが近く暗くなるからと、慌てて戻る必要はないのだが、そこはもう習慣になっている。
最近はやっと各家に時計がある様になったのだが、日常生活がとても規則的で正確に毎日同じことをして過ごす峯の坂のおん爺の行動は、この集落では完全に時計代わり、そして暦代わりにまでなっているのだ。
何故暦代わりにまでなっているかというと、おん爺のすることは週の日ごとに内容が変わり、おん爺のすることで曜日が分かるからだ。
「今日はそういえば三味の日か、まああの変な声で謡を唸られるよりはずっと良い日だ」
暦の代わりにはなっても、おん爺のやる事を迷惑だと思っている人も多い。
この集落は山の斜面に作られてた集落だから、平地が少ないのではあるが、かといって畑をするのに石垣を積んで段を作らなければならない程ではない。 普通に斜面が畑となっている。 まあ鍬を入れて畑を起こす時には、常に土を山側に盛るのを心掛ける程度の事だ。
水を張る田んぼは、畑の様に簡単ではなく、当然ながら水平な土地が必要となる。
この辺りは水も豊富なので、水を引くのに然程困難はないのだが、水平な土地得るのは適地は少なく、整地も大変だ。
こちらはしっかりと段としなければならない訳で、この集落近辺では斜面に広がる畑と、それに比べると狭い段々の田んぼという風景となる。
それでも周りの他の集落と比べると、この集落の立地は恵まれていて、土地の斜度が低い所が多いから田の数も多くきちんと米が得られる。 もっと斜度が高く田を作るための労力が掛かったり、使える上手い水源が確保できない土地にある集落では、ほんの少し前までは米の飯はなかなか食べられなかったのだ。
こんな風に書いていると、この集落はとても山深い閉ざされた場所にある様な印象を受けてしまうかもしれないけど、実際はそんなことはない。
場所としては主要街道からほぼ谷一つ隔てただけの場所だし、この集落を通る道も昔からの道なのである。
集落の中で本家とされているのは「御前」の家と呼ばれる家なのだが、その家は身分のある人の宿泊のために、本玄関と脇玄関があり、上の間、下の間、隠しの間、そして茶室まである屋敷となっていて、馬小屋も大きかった。 いわゆる主要街道の本陣にあった建物と同じ作りになっていた訳だ。
ちなみにその家に住んでいる者たちは、そういった部屋は全く使ってなくて、付随する様に作られた狭い部屋でほとんどの生活をしていた。
きっとその昔は脇本陣のような感じに使われていた建物なのだろう。 そこの蔵には朱塗りの食器や、槍・刀・甲冑などの武具も揃っていたと言うし、近くの山中では後に大量の土器や折敷が捨てられた跡が見つかった。 きっとかなり高貴な人が酒宴をした名残りだろうとのことだ。
まあこの集落は、そういった場所にある集落だ。
おん爺が住む家は、この集落の一番外れの、峯山と呼ばれる山へと向かう坂道の入り口に近い場所にあったので、その家の屋号が「峯の坂」となり、峯の坂のおん爺と呼ばれることとなった。
私の家は集落の中ではその反対の一端となる場所の家で、集落の1番の外れとなる薬師如来様の御堂の隣となるので「堂の前」という屋号になっている。
集落の中ではその屋号が苗字みたいなモノで、誰かのことを指すには、その屋号と名前が使われるのが普通だ。 私たちの兄弟姉妹なら、堂の前の誰々と呼ばれ、「御前」の家の子なら御前の誰々と呼ばれる訳だ。
峯の坂のおん爺も同じで、峯の坂の家に住む爺様だから峯の坂のおん爺なのだが、峯の坂のおん爺の場合は峯の坂が省略されて、単におん爺とだけで話がされることも多い。
集落の中では屋号と名前で呼ばれることが多いとはいえ、当然そこには例外もある。
ウチの父は棟梁だし、爺様は誰からも番匠様以外で呼ばれることはない。
峯の坂のおん爺もそういった例外の一人で、他の家にももちろん爺様がいる家もあり、そういった爺様は普通に「どこどこのお爺」または「どこどこの何々爺」と呼ばれているのだが、「おん爺」とは呼ばれない。 「おん爺」と呼ばれるのは、峯の坂のおん爺だけなのだ。
だから集落の者は誰でも「お爺」と聞くと、どこのお爺だろうと考えるのだが、「おん爺」と聞くと、峯の坂のおん爺以外を想定することはないのだ。
峯の坂の子どもたちは、おん爺のことを嫌っている。
それはちょっとだけど解る様な気がする。
峯の坂のおん爺は、とにかく毎日のすることがしっかりと決まっていて正確過ぎるのだ。
それは私も正しいと思うのだけど、その正しい生活を自分だけではなく家族にもさせようとするから、まあ家族にもさせようとするのはとうの昔に諦めたらしいけど、それでも自分はその自分で決めた正しい生活を頑として続けるから、その家族となると、とにかく息苦しく感じてしまうのだろう。
今日だって峯の坂の子どもたちは、おん爺が風呂から出たら入れ替わりに風呂に大急ぎで入って、するとすぐに夕食となるだろう。
おん爺は食事の作法にも厳しくて、我が家とは違っていて、きちんとそれぞれの膳に分けられた食事を取るのだという。
「別にお代わりできないとか、食事中に喋っちゃいけないとか、お爺もそんなことは言わないぞ」
「お兄は、こないだ食べている時に喋って、お爺に凄く怒られていたじゃん」
「あれは、俺が口の中に物が入ったままで喋ったからで、あれは俺が悪かった。 お爺が悪い訳じゃないし、食事中に話をしたのを怒った訳じゃない。
そう、お爺が正しいことを言っているのは俺も理解はしているんだよ。
毎日の食材に感謝の気持ちを持って、きちんと残さず食べなさいと言うのも解る。
でもさ、家の食事できちんと正座しなくても良いじゃん。 芋に箸突き刺しても良いじゃん」
まあ確かに、家での食事にそこまで作法に拘らなくても良いような気もしないではないんだよ。 気持ちは解る。
私の家なんて、大皿や一つの鍋をみんなでつつく形だから、そんなこと言ってたら何も食べられない。
そもそも峯の坂の家とは人数が違う。
私たち子どもだけでも9人もいるし、それに父さんの弟子たちも何人もいる。 それだけの人数が一度に食べるから、凄い量になるし、一人ごとの膳になんてしていたら手間がかかって仕方ない。
ウチは、爺様もお母さんも武家の出だから、本来は礼儀作法には厳しいはずで、確かに他の家と比べると色々と厳しいところも多いのだけど、食事時に限れば、人数が多すぎて礼儀作法にかまっていたら、食事なんてどれだけ手間隙が掛かるかわからない。
だから食事時は、作法に拘ってなんていられなくて、大騒ぎでみんなで食べることになる。
畑仕事も大工仕事も体を使う仕事としては変わらないのではないかと思うのだが、父さんの弟子たちは量も食べるし、落ち着いて食べるなんて雰囲気は全くない。
でもそんな食事風景に、峯の坂の子たちは憧れる様なのだ。
私の家は、夜になると集落の若者たちが集まってくる。
一つには私の家は姉妹が多いので、それでやって来る。 こっちはまだ年若の男たちだ。
そして適齢期になっていたり、なろうとする女の子たちもやって来る。 こっちは父さんの弟子狙いだ。
小さな集落の中で、そこ生まれの異性と出会える機会は少ない。 父さんの弟子たちは他所から弟子入りしてきた者がほとんどだし、父さんの弟子をきちんと務めれば、しっかりと手に職をつけた男となる訳で、集落の女の子にしてみたら良い物件に思えるからだろう。
私たちから見ると、ヘマをして父さんに怒られてばかりの頼りない存在なんだけどね。
女の子までが夜にウチに来ても家の人に怒られないのは、ウチで遊んでいる分には、お父さんやお母さんの目があるから安心していられるかららしい。
それにお父さんはそうやって若い子が集まるのを嫌がらない。
それだけじゃなくて、集まった者たちが夜食に食べられるように、囲炉裏に掛けられる一番大きな鍋で芋を煮させたりする。
芋に限る訳ではないが、そんなただ集まってきた若者たちに、何かを食べさせるなんてことをするのは、とても珍しい家だということを私は大きくなってから知った。 その時にはそれが普通だったので、そんなモノだと思っていた。
今になって考えると、家族以外の者に毎夜の様に食べ物を振る舞えたのは、我が家が農家だけではなく、お父さんが大工の棟梁として稼いでいたので、周りと比べればいくらか収入が良かったからなのだろう。
まあそれでもそんなことをするのは、単純にお父さんが若者が集まることを嫌っていなかった、いやもっと積極的に考えて好きだったからなのだろう。
峯の坂の子が、夕方に自分の家に戻るのを嫌がり、我が家の食事に混ぜてくれと言ったのは、まあ一番大きな理由はおん爺と一緒の食事の堅苦しさを嫌ってのことなのだろう。
でも、夜の大鍋の芋だけでも良いと言ったり、その芋を食べたそうにするのは、その作法に縛られない無礼講のような食事に混ざりたいからだけでもないのだと思う。
夜に集まる若者たちは、自分たちよりはちょっと年上の人たちが多いので、その年上の集団に対する憧れというか、自分たちもその年上の集団の仲間に入りたいという、ちょっとだけ背伸びした気持ちがあるからなんだろう。
実際の場を目にする私にすると、ただ単にくだらないことばかり話して、笑ったりキャーキャーと騒いで、時々騒ぎ過ぎてお母さんに怒られているだけなのだけどね。
「でもよう、今日はお爺は三味の日だろ。 ここにも聞こえてくるだろ。
ここだと聞こえてくる位のことだろうけど、家の中でだとするとどうよ、結構うるさいんだぜ」
まあそれは解る気がする。
「それが気になるなら、逆にお爺にその三味線を教えてもらって、一緒にやれば良いんじゃない」
「バカ、そんなことしたら、お爺の三味の時間は毎回一緒に三味をしなければならなくなるんだぞ。
そりゃお爺はなんだかんだ言っても三味は上手いし、祭りやら何やら、その三味線を弾いたりしてて、周りからも後継者を作れと言われていたりするらしい。
俺もそんな風に周りから頼りにされることに憧れない訳じゃないけど、だからと言って、お爺が三味をする時に毎回一緒させられるのは嫌だ。
そりゃ自分が気が進まない時は休ませてくれるなら、お爺に三味を教わっても良いかなと思わないでもないけど、お爺に教わるとなれば絶対に毎回になるんだぜ。
どんなことがあろうとも、絶対に毎回、決まっている時に決まっている様にそれをしなくちゃならなくなるんだ。
俺はそんな大変なこと、絶対にしたくないんだ。
そういうお爺を、こっちは今、見ているだけでも大変なんだ。 それに自分が加わるなんて、自分から死ぬかもしれない負け戦に加わるようなもんだよ」
三味線を教わる程度のことで何を大袈裟なと私は笑ってしまった。
お父さんの弟子たちは、毎日毎日怒られながら仕事をしている。
それに比べたら、峯の坂のお爺が三味線の練習をするのは週に2度、それも宵の口のちょっとした時間だけだ。
そのくらいの練習の時間が耐えられないで、一体何が出来るというのよ、と私は思った。




