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想いはいつまで憶えられているのだろう?  作者: 並矢美樹
パンドラの箱の底には
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懸念

 省と登貴が、登貴の実家の居候を脱却して、新たな家に移ったのは、当初の予定とは全く違う形であった。

 最初に登貴の実家に2人して転がりこんだ時には、ほんの束の間の腰掛けの時間で、その登貴の実家だけでなく省の実家もある、この村内に適当な土地を得て、登貴の父である繁信かその弟子の手が空いた時に、小さな家を建ててもらって住むつもりだった。 ところがそれからすぐに省の長兄であり、繁信の親友でもあった賢嗣が急死して、それどころではなくなってしまった。 省がその対処に追われただけでなく、繁信の精神的な落ち込みも激しかったからである。

 それにそもそもにおいて、火災で登貴の実家だけでなく村落一つ丸々焼けてしまった直後にもなってしまったので、繁信にしても娘の夫婦のために家を建ててやっている余裕もなかったのだ。 そうして居候生活が長くなっていたのだが、そうこうしているうちに、邦仁が生まれたのだ。


 邦仁が病身であったことで、新たな家を持つことは棚上げになっていたのだが、その邦仁の病院通いのために、急遽、それまで暮らしていた生まれ育った村ではなく、もう少し地の利が良い町に移住することになったのだ。

 登貴の実家の重信の家は、都内の大病院に邦仁を診てもらいに連れて行くには、少し交通の便が悪かったからである。 それだけでは無い。 今までは邦仁が急に容態を悪くしても父である省の応急処置と、それから甥である祐嗣のいる病院に連れて行くことで事無きを得ていた。 しかしそれは父である省が、すぐ近くの学校に勤めていたからでもある。 教員がずっと同じ学校に勤めていて良い訳が無い。 勤務地の移動が省にあれば、何かあれば対応の遅れから邦仁の命が損なわれる危険は大きく増してしまうのだ。

 ちなみにこの時点では登貴もまだ教師を辞めていない。 省と同じ、最も近くの学校に勤めていた。 勤務時間には、祖母であるたまきが邦仁の面倒を見ていたが、少し調子が悪いと登貴が仕事を休むこともしばしばであった。 そこに無理があったのも、移住を決める一因であった。


 町に借家を借りて新たな生活が始まったが、何よりも経済的な理由もあり、登貴が完全に仕事を辞めるという訳にはいかなかった。 しかし、教師として常に教壇に立つことには無理があったので、誰かしらが休んだ時には代わりに教壇に立ち、事務職も兼務するという中途半端な立場で学校の職を得た。 借りた借家はその学校に近い場だったのだが、省の方の職場は今度は同じという訳にはいかず、別の学校となって離れてしまった。 とはいってもこの時はまだ自転車で通える距離の学校だった。

 重い障害を持つ子を、この時代に預かる所がある訳もなく、2人が仕事に出る時に邦仁を世話するために、当初はたまきが娘夫婦を手伝うために同居した。


 この借家で暮らす間に、その近くに土地を買い、省は家を建てた。

 家を建てたのは、残念ながら繁信やその弟子ではない。 このほんの少し後には、自動車が一般化したのだが、まだその前だったので移動の問題から、たった一軒の民家のために繁信たちが出てくることは出来なかったからだ。


 蛇足だが、この時建てられた家は、その後数年毎に改築が繰り返されることになるのだが、その改築は全て繁信の手によることとなり、最初に建てられた部分にもかなりの手を入れられることになった。

 この家が建てられた当時は、まだやっと日本の経済が上向いただけの時なので、物資というレベルで粗悪だったこともあるのだろう。 でも、繁信の目からは、きっと耐え難い仕事に見えた部分も多かったのだろう。


 家が出来上がると、たまきは自分の家に戻り、代わりに今度は省の母親であるあいが同居することになった。 もう多くの弟子たちも家に居るということではなくなっていた繁信の家だが、それでも流石にたまきが孫の邦仁のために、省と登貴の夫婦と同居しているという訳にもいかなかったからだ。 それに比べて、省の母親であるあいは、亡夫の家ではあるが今は娘夫婦の家となっている家に住むのも、息子夫婦の家に住むのも、どちらでも構わない立場だった。

 実際のことを言えば、あいにとっては息子夫婦との同居に変わることは、渡に舟だった。 娘の夫は、元の自分の立場を強く意識してか、義母となったあいを軽んじることなどなかったが、そんなこともあって妻である省の姉の考の立場が強くなり、母親のあいと対立することが家庭内で多くなってしまったのだ。 長兄の賢嗣が生きている時には、それが重石となっていて、自分の思うままに振る舞えなかったが、その重石が無くなったので、それまでの鬱憤が出たという感じだ。

 登貴とあいは、嫁と姑として上手くいかなかった間柄だが、それでもどちらにとっても必要があって、同居生活が始まったのであった。


 同居生活が始まると、すぐにあいは自分の考えの甘さに突き当たることになった。 考えていた以上に、障害を持つ孫の邦仁の世話は骨の折れる難しい仕事だったのだ。

 あいは、「身体を動かすことがあまり出来ない子」というだけしか考えていなくて、実際に世話をしてみて初めて、障害を持った幼児の世話をするということが、どれほどこんなんで疲れる仕事であるかを知ったのだった。 それまでは孫の邦仁に会うことはあっても、自分で世話をしたことはなかったので、軽く考えてしまっていたのだ。 省の姉の考が、子どもの頃は弱く、寝ていることの方が多い生活をしていたので、同じようなものなのだろうと何の根拠もなく思い込んでしまっていたからだった。


 結果としては、ほんの少し、何かしら普段と違うことを邦仁が見せたり、機嫌が悪い様子を見せると、あいはすぐに登貴を呼び寄せることになった。 私にはどう対処して良いかも分からない、と。


 登貴としては、この事態はあまりに予想外で、大きな病院に通院に連れて行ったりすることも多いので、普通の教員として学校に勤めることはせず、変則的な勤めとしてもらったはずなのに、予想を超えて職場に迷惑をかけることになってしまったからだ。

 いくら何でもこれでは無理だと、登貴は学校という職場から去ることにした。 表面的な理由としては、「次の子を産むために」ということであったのだが、まだ退職した時点では妊娠もしていなかった。


 その後、登貴は本当に妊娠し、一年間を空けるだけで二人の子を産んだ。 長男と次男の間は7歳の歳の差があるが、次男と長女の間はたったの2歳だ。


 新たに子どもを持つことに関して、省は躊躇いを持っていたようだ。 新たに産まれた子に重荷を最初から背負わせることになるのではないか、と危惧したのだ。

 登貴は違う。 登貴は別の子どもが欲しかった。 登貴は兄弟であれば、障害者の兄の面倒をちゃんとみてくれるだろう、と考えたのだ。 自分の母親も障害を持つ孫の世話をしていると疲れ切ってしまうし、夫の母親は役に立たない。 でも兄弟なら、産まれた時から一緒に育てば、面倒をみることが出来るだろう、と。


 省にとっての、次の子どもを持つことの免罪符は、「長男邦仁はとても20歳を迎えることは出来ないだろう」という、医師たちの予想だった。 実際のところ、省自身もこの時まで邦仁が生きていることが出来たのは奇跡だと思っていた。 自分が医学的な処置が出来たから辛うじて生き長らえた場面も幾度もあったのだ。 自分が離れている時間も増えた今、そんな奇跡が長く続くとも思えなかったのだ。

 もう一つ、母親のあいからの圧力もあった。 「跡取り息子を作らねば、家が絶える」という圧力だ。


 「いやいや、家はもう立派に祐嗣が継いでいるだろう。 長男の息子が継いでいるのだから、家が絶えるという心配はないだろう」


 「賢嗣さんが立派な跡取りであったことは、私も認めるけど、その長男の母親を私は認めない。 だから祐嗣さんが家の跡をとったということにはならない。 もちろん次男の母親も認めない」


 「いやいや、それはないだろう。 それに英雄兄のところにも男の子は居る」


 「あのガキはダメだ。 あれはきっと面汚しになる。

  だからとにかく、男の子を作らないといけない」


 もうこうなると理屈ではない。 それでも言い続けられると、かなりの圧力にはなってしまう。 まだ家がとか、跡取りがとかということが、普通に言われる時代だったのだ。 いや、時代はもう変わってきていたのだろうけど、少なくともあいはそういう時代の意識で生きていたのだ。 敢えてあいの実の娘の姉考の息子のことには触れなかったのは、あいの価値観では娘の息子は家の跡取りと呼ばれる候補に入らないだろうからだ。


 そんな時代がかった、省の中でもくだらないと思う考えも、次の子を作ることに関しての、一つの理由というか、免罪符のような感じにはなっていた。 母もそれ程望むのだから、という気持ちだ。 そんなことも思わないと、省は次の子どもということを考えられなかったのだ。 それでも一番の免罪符は、邦仁は20歳までは生きれないだろうという、医師たちの予想だった。 それなら次の子への影響も、ずっと続く訳じゃない、と。


 次の子は、あいが望んだ男の子だったこともあり、あいはその子を溺愛することになった。 その溺愛には、もう一つの意味があった。 次男の方の面倒はなるべく祖母である自分がみるから、その代わり障害のある長男の世話はなるべく全て母親の登貴に任せるということだ。 事実、その次男である私が覚えている限りでも、祖母のあいは兄邦仁の世話となると、母登貴がその場を離れていても、些細なことでも母登貴を呼んで世話をさせていた。


 省が子作りでもっと迷ったのが、3人目の子どもということだった。 登貴は3人目の子をとても欲しがった、それもできれば女の子が欲しかった。 その理由は、本人がはっきりと明言したことはない。 単純にもう1人欲しかったのか、自分と同性の子も欲しかったのか、次男をあいに奪られるような形になっていたので、自分の手で育てる健常な子が欲しかったのか、長男邦仁の世話をさせるのに女の子も欲しいと思ったのか。 きっと登貴自身もそれらの事を、みんな幾らかづつ思ってはいたのだろうけど、はっきりとこれと思っていた訳ではないだろう。 渾然一体として漠然とした思いだけど、共通している部分として、もう1人、出来たら女の子が欲しいだったのだろう。

 省が深く懸念したのは、登貴が渾然一体とした漠然とした思いの中に存在するその考えを、無意識に認識することを避けた事柄だった。 それは2人になることによって、互いの存在が何かの時に互いを縛り合う枷になる可能性についてだった。 20歳まで生きないという予想が事実なら、それはあまり問題にならないかも知れないが、それでも異なる僅かな可能性を考えると、それは考えたくない可能性だった。 省は第3子を持つことは良いこととは思えなくて抵抗したが、結局妻の登貴に押し切られてしまった。


 こうして省と登貴の夫婦は、重度障害者である長男に加えて、7歳違いの弟と、9歳違いの妹という3人の子を持つことになった。 夫である省はともかく、妻の登貴は、まだこの頃は、他の夫婦や家庭と同じ風でありたいという望みもあったのかも知れない。


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