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想いはいつまで憶えられているのだろう?  作者: 並矢美樹
戦争、それは破壊
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壊れていく世界3

 棟梁こと繁信は、ある程度の年齢になっても弟子たちに仕事を任せて自分は楽をするという性格ではなかった。 誰よりも動き、重い柱や梁を担ぐ。 それが出来て当然で、上に立つ者の当たり前の姿だと考えていた。 だからこそ、仕事も一番休むことがない。

 そんな繁信なのだが、2-3年に1度、どうしようもなく仕事を休む時があった。 繁信には喘息の持病があり、そのくらいの頻度で賢嗣の病院に入院しなければならない程に重症化してしまうのだ。


 「繁よ、少し久しぶりの入院だな。 戦中戦後で色々とあったから、その間は喘息も出る余裕がなかったのかな」


 繁信の半分横たわっているベッドの脇に来て、賢嗣はそんなからかいの言葉を言った。

 普段なら軽く笑って、そんな言葉に応える繁信だが、自分が完全に横になることも出来ずに、背に別の布団を積んで寄り掛かる様にして半身を起こして、気道が狭くならない様にして、幾らかでも呼吸が楽に行える様にしている身では、そんな余裕はない。


 「賢さん、いくらか生活が落ち着いたから、それで喘息が出たという訳じゃないだろ。 偶々だ」


 「そうだな、正の湯治に付き添って、温泉に浸かったりしたのも良い影響が出たのかも知れないな。 温泉の湯気は喘息に効くらしいからな」


 「それだって、好きで行った訳じゃない。 必要があったからだ」


 繁の奴は、喘息で病室に縛り付けられて機嫌が悪いな。 賢嗣はそんなことを思ったが、自分は少し上機嫌だ。


 「それにしても先生は肥えたままだな。 少しはどうにかしようといないのか。 医者の不養生だろう」


 「こりゃ堪らん。 たまきまで参戦して、2人して俺を十字砲火してくるのか」


 「先生、向こうで患者がもう待ってます。 早くそっちに向かってください」


 油を売っていた賢さんを、看護婦が迎えに来た。 賢さんはしょうがないなと、少し名残惜しそうな雰囲気で、部屋を出て行った。 看護婦はそれにそのまま付いて行くのかと思ったら、部屋に少し残って言った。


 「先生もあんな風に、上機嫌で減らず口を叩いて会話を楽しんだりすることもあるのですね。 やはり棟梁さんたちは特別なのでしょう。

  最近は、祐嗣さんも学校で家には居ませんから、医者としての言葉を発する以外は、ほぼ何も話すこともないという日々が続いているんです。 棟梁さん、お忙しいとは思いますが、調子が悪い時だけじゃなく、顔を見せてあげてください」


 それだけ言うと看護婦も軽くお辞儀をして部屋を出て行った。


 「心配している感じだな。 確かに先生は単純に太っているというだけじゃなく、顔色もあまり良くなかったな」


 看護婦だけでなく、たまきもそんな風に言った。

 繁信もそれは感じていた。 体調も良くない感じだし、自分たちの前では以前と同じ調子だけど、もしかすると普段はずっと重苦しい雰囲気なのかも知れない。 そんな噂も聞くんだよな。



 復員してきた正夫は、湯治を終えて、身体の調子も少しづつ戻って来ると、最初は家の畑を手伝い、それもこなせる様になると父親の繁信の本業である大工の仕事も手伝うようになった。

 正夫は少年兵として軍人になったので、番匠様と言われた祖父の期待とは違って、本格的に大工の修行をしたことはなかった。 それでも生来の器用さか、幼い頃から父親や、もう晩年とはいえ祖父の仕事を見ていたからか、手伝い始めるとすぐにどんどん仕事を覚え、すぐに他の父の弟子と遜色ない仕事が出来るようになった。

 棟梁の長男で、亡き番匠様の孫とはいえ、普通ならあり得ないことなのだが、父親の繁信が喘息で入院すると、その時の仕事の指揮を他の弟子の誰かではなく、仕事を始めて一年経つか経たないかの正夫が執ることとなった。


 「いくら何でも、それはないだろう」


 そう言って、その役は出来ないという正夫に、他の弟子たちは言った。


 「そんなこと言ったって、俺たちは正夫さんに向かって『何かをしろ』なんて風に言うことはできない。 となれば、正夫さんがその役をするしかないだろう。

  それに正夫さんは部下を使うことに慣れているのだから、その方が良いに決まっている」


 戦争が終わり軍が解体されても、元の軍の階級は物をいう。 兵からの叩き上げとしては、とても高い階級にあった正夫は、それだけで特に男社会では一目も二目も置かれてしまうのだ。

 このことは正夫にとって良いこととは限らない。



 賢嗣と繁信の間では、こうした間に少し関係に変化が訪れそうな予感がしていた。

 賢嗣の弟の省と、繁信の娘の登貴が、小学校の教員仲間という関係から、恋愛関係へと発展したのだ。


 「繁のところの娘なら、省にとっても悪い話じゃないだろう」


 「良いのか、賢さん。 ウチは元々家臣の家柄だぞ」


 「どれだけ昔の事だ。 もう時代が変わってからどれだけ経っていると思うんだ。

  それに俺の様に変な女に引っかかるより、どれだけ安心していられるか。

  英雄も同じことを言っている。 あいつも良い女房じゃないからな。 俺の様にどうしようもないという女じゃないが、元看護婦の女はいつまでも看護婦時代のままで、良い女房にはならないな。 勧めた俺が間違っていた。 英雄には悪いことをした」


 「賢さんは、最初に郁さんという大当たりを引いているじゃないか。 最初が良過ぎた。 こんなことを言っても仕方ないが、郁さんに子どもが出来ていたらと、俺も考えずにはいられないよ。 ま、子どもは2人ともそれぞれ頑張っているじゃないか」


 賢嗣にとっては、省と登貴のことは、少し気分を上向きにさせる出来事であったようで、久しぶりに明るい顔を見せていたのだが、とうとう不摂生のツケが牙を剥いてしまった。 賢嗣は倒れると、息子の祐嗣が学んでいる東京の医大から、急報を受けて駆けつけるのを待てずに、そのまま亡くなってしまった。

 困ったのは病院をどうするかだった。

 ダム建設の前にその立地を変更した賢嗣の病院は、それ以前よりもより広範囲の人に医療を提供していて、往診こそ昔のようにすることはなくなっていたのだが、それまでよりも多くの人を診ていたのだ。 場所を移動してからは、ダム工事の関係者を診察することも多かったので、診察費などはさすがに普通に徴収する様にはなっていたが。 もっとも農地改革でそれ以前の経済的な基盤を全て無くしていたので、とても村で開業した時の様にある時払い、または賢嗣の家で負担するというようなことは出来なくなっていたのだが。


 本来の予定では、この頃にはもう省が医師として病院の仕事をしているはずだったのだが、戦争の影響で別の道に進まざる得なくなり、息子の祐嗣はまだ医大生だった。

 病院の閉鎖は地域への影響が大き過ぎるので、仕方なく人を雇って病院を続けることになった。

 これらの手配は、全て英雄が行ったが、この時、賢嗣の妻だった祐嗣の母は文句を言うばかりで何の役にも立たなかった。 この時だけでも、もう少し周りのことを考えて動くことが出来ていたら、疎まれてばかりいた人生に変化が生まれたかも知れないのに。



 賢嗣の死は、もちろん繁信にも大きな影響を与えた。

 繁信は年齢は幾つか上だけど、賢嗣のことを一番の友人だと思っていたし、賢嗣にとっての自分もそうであったと考えていた。 だが、何だか繁信は賢嗣をその死によって失った喪失感は、それだけでは言い表せないような気持ちがした。


 「そうか、これが仕える主を失った喪失感なのか」


 繁信はそんな時代外れのことを考えてしまう程の思いに沈んでいた。 しかし考えてみれば賢嗣は、ただ単に父の実家が仕えていた殿様の血筋を引くというだけのことで、父からして賢嗣の家に仕えていたという訳ではない。 だから、それも何だか違っている。

 とにかく、そんなことを考えてしまうほど、繁信にとっても賢嗣の死は大きな出来事であったのだ。


 大東亜戦争が始まってから、この時に至るまで、あまりに次々と繁信にとって大きな出来事が発生した。

 戦争で大変だったのは誰もが同じだと思うが、そこからダム建設によってのその前後の仕事、正夫の復員とその立ち直りの心配が何とか目処がついたと思ったら、賢嗣の死ということになった。

 気持ちが何だか沈んでしまうのを繁信は抑え切れずにいた。


 そんな繁信の元に、新たに発足した国の組織である文化庁から、非公式であるがある打診が届いた。 戦争や、その後の混乱で失くなってしまったり、傷んでしまった建築物の、復元や修復に当たる大工の集団の棟梁として働いてはくれないか、という依頼である。

 古の昔なら、父国太郎がそう尊称され、自らも誇るように名乗った国番匠が請われる仕事だ。


 父の国太郎が幕末の動乱の後、生き残って残りの人生全てをかけて成し遂げたかったのが、自分が生き残ったことに意味があったのだと証明するための、未来に残るような建築だ。 その思いは、それに向けての努力はしっかりと積み重ね、大工の腕だけでなく必要になるであろう名声も得たのだが、時代が悪くて自分で果たすことはできず、息子である繁信に受け継がれることになった。

 最後に、「これで全て良し」と言って死んだ親父は、きっと自分が果たせなかった思いをしっかりと息子である自分に継いでもらうことが出来たと思っていたのだろう。 そうであって欲しい。 繁信はそんな風に思っていた。

 

 文化庁の打診を、繁信は震えるような気持ちで受けた。

 「親父はもしかすると『正夫の時代にならねば果たせない思いかも知れない』と言っていたが、自分の時代にその思いを果たせる機会が巡ってきた」

 そんな喜びと、畏れが身を満たしたのだ。

 繁信は当然の事として、万難を排してもその依頼に応じるつもりだった。


 ところが、その返答をするために、仕事の都合などを調整していた時に、全く考えていなかった事態が起こってしまった。

 繁信の暮らす家の隣家から火災が発生し、山の中の狭い平地に密集して建てられていたその部落の家屋は瞬く間に全焼してしまい、灰だけしか残らないという壊滅的な災害となってしまったのだ。


 「家なんて、どうでもいい。

  掘立て小屋くらいの物なら、あんたが居なくても、誰でも建てられる。

  ここに構わずに、あんたは要請を受けて、仕事に行ってくれ」


 たまきは繁信にそう言った。 義父の国太郎の思いも知っているたまきは、こんな事で親子の数十年に亘る思いを遂げる機会を、他者のふざけた行いの結果として、失うなんてことには耐えられなかったのだ。

 火事の原因は、隣家の子どもの火遊びだったのだ。


 繁信は泣く泣くこの要請を断った。

 もちろん家族が住む家もない、家財もない、着る物もない、というような状況で、それを捨て置いて自分だけ離れた地に仕事に行けない、ということもあったのだろう。

 しかし、繁信がたまきに言ったのは、全く別の理由だった。


 「棟梁として行く者が、ノコギリ一つ、カンナ一つ持たないで、仕事には行けない」


 その火事は、繁信が長年愛用してきた大工道具も、国太郎から受け継いだ大工道具も、一切を巻き込んでしまっていたのだった。

 そしてその時代、たとえ金銭を出しても、良い道具が簡単に手に入るほど、まだ世の中は復興していなかったのだ。 要請を受けて、仕事に向かおうと思っても、自分が使う道具を手に入れることが難しかったのだ。


 繁信は心の中はともかくとして、淡々とそう言ったのだが、その言葉を聞いたたまきは号泣した。


 「あの馬鹿ども、一生許さんぞ。 この恨み、死んでも忘れるものか」


 そう言ったたまきは本気だった。 火遊びで火事を起こしてしまった子どもとその親が、どれほど謝ろうと、繁信は仕方のないことと簡単に許したが、たまきは決して許すことはなかった。 その子どもの家の者とは、それ以降決して口をきかなかった。 それは見かねた周りの者や、繁信がどう取りなそうとしても変わらなかった。


 この火事の後、部落の復興の工事が終わると、正夫は大工の仕事から急に手を引いた。


 「親父、俺は親父や爺様の様な、国番匠と称されて、お上からの依頼を受けられる大工には到底なれない。

  兵隊になってしまったから、学校に通っていないので、親父の様な資格は取れないし、30を越える歳になるまでちゃんと大工の仕事をしてこなかったから、親父や爺様の様に木の個性を見分けられない。

  こんな俺では、国番匠どころか一人前の大工に。もなれない。

  だから俺は大工はやめる」


 正夫は復員してきて、たった数年の間に、前からいた弟子たちにも一目置かれる、大工の技術を身につけた。 人を使うことは、規律に厳し過ぎる軍隊時代の癖が時折出てしまうことがあるが、使うことに慣れている面も見せる。 こちらは続けていけば、軍で部隊を率いて来た時の厳しさが出ることは無くなって行くだろう、と繁信は思っていた。


 しかし、確かに正夫が自ら指摘する二点は、どうしようもない。

 まず正夫は公式な学歴は、義務教育しか受けていないことになる。 資格を得るにはもっと上の学歴を取らねばならないのだが、正夫の場合は飛行機の整備兵であったが為、一部の知識は軽く大卒の知識を上回るという歪さが、逆に邪魔をした。

 それ以上の問題は、木に対する感性だ。

 これは繁信自身も、なかなか父親の国太郎に追いつけず苦労した事柄だ。 その国太郎も苦労したのだ。


 「資格はともかく、確かにそっちは、もう正夫では無理だろう」


 繁信も、そう判断せざる得ないことだった。 その感性を身につけるには、ひたすら沢山の木を、生えている姿も含めて、見ることしか身につけることは出来ないのだ。 今の正夫の歳からそれを始めて、身に付いた時にはもう棟梁として一線で活躍出来る年齢を超えてしまうのではないかと思うのだ。 遅過ぎるのだ。


 もちろん今のまま続けていれば、近い将来に正夫は大工の中で1人の棟梁として認められるようになるだろう。

 だが決して正夫は国番匠と呼ばれるような棟梁にはなれない。 親父どころか、正夫は自分を超えることも出来ないだろう、と冷静に考えれば解る。

 それは正夫本人も理解している。

 そして正夫が大工になるということは、自分がここで果たせなかった思いを受け継がねばならないということであることも、深く理解している。

 果たす機会が得られなかった祖父の思い、果たせる機会を得たと思ったのに、他者の愚かな行為によって果たせなかった自分の忸怩たる思い、大工になれば、それらを受け継いで行かねばならないのだ。 そしてそれは自分には果たせない思いだと理解出来ている。


 繁信は「無理だ」と判断して、大工をやめるという決断を下した正夫に、意見を翻させることはとても出来ないと思った。


 「正夫が義務教育を終えた時、どんなに無理をしても即座に上の学校に進学させるべきだった」


 昔の迷った判断を、繁信は深く後悔した。


 「それに、少年兵になると正夫が決断した時に、正夫の大工として進める人生は終わっていたのだ。 今になって決まったことではない。

  親父の『これで全て良し』という言葉は、思いも託したという言葉ではなくて、もしかしたら諦めの言葉だったのかも知れない」


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