壊れていく世界2
省は家に戻って、これからのことをどうしようかと考え、一応師範学校を出たという経歴があるので、教師になることにした。
一時期言われた言葉だが、「でもしか教師」というやつだ。 教師にでもなるか、教師にしかなれないという、教育者としての理想とはかけ離れた、単純に日々の生活費を得る職業として選んだだけというものだ。
省は教師になるのに、とりあえず実家を離れることが出来ないので、近場で働けることから小学校の教師を選んだ。
少し後に省は小学校の教師を選んだことを後悔することになる。
教師になること自体は、その時にはまだまだ人材が不足していたので、難しいことを言われることもなく簡単になれたのだが、後になってからその資格を簡単に審査されることとなったのだ。
師範学校というのは、教育者を養成する意味もある学校だった訳で、そこをまがりなりにも卒業している省は、教師としての資格が問題になるはずは無いのだが、一つ落とし穴があった。 小学校の教師は全科目を授業する必要があったのだが、省は音楽が出来なかったのである。
もっと具体的に言えば、子どもに歌を歌わせるのに伴奏として弾かねばならない楽器を、省は全く触ったこともなかったのだ。
村において、自分の父親もだが、祖父も文化事業には力を入れていて、様々なことをしていたのに、省自身は甘やかされていたせいか、全く自分で楽器の練習をしたりということはなかったのだ。
音楽に限らず、省はそれまで芸術に関することに全く興味を持たなかったのだ。
中学校の教師を選んでいたのなら、全教科ということでは無いので問題にはならなかったのだが、小学校なのでそこが問題となった。
仕方なしに、急遽オルガンで2-3曲だけ簡単な曲を弾けるようになること、伴奏として和音を鳴らすことを練習した。 名目だけみたいな審査に受かれば、というより審査をする人の前で楽器を鳴らせば、要は済むのだ。
まあそれさえ省にとっては四苦八苦の事柄で、その練習を小学校の同僚となっていた登貴にみてもらうことで、後の結婚へと繋がった。
そんな頼り無いデモシカ教師だった省だが、教師という仕事は天職だった。
教師としては、芸術科目が全く出来ず、体育も自分が運動音痴で声を掛けるだけ。 そして何よりも字が下手過ぎて、黒板に書いたことが読めないことがあるという致命的な欠陥を持っていた省だが、子どもたちの注意を引き付けるというか、集中させることに関して、天賦の才を持っていたのだ。
芸術科目は他の人に任せる。 体育は自分で手本を見せたりはせずに掛け声だけ。 黒板への板書は、字の上手な子に書かせる。
そんな一見では頼りなさ過ぎる教師だったのだが、子どもたちを従わせる、子どもたちに授業内容を理解させる、という2点においては他の追随を許さない実力を発揮したのだ。
何とか教師という職業を得て、日々の糊口を凌げる算段がついたと思った省であったが、そんな時に姉の考がやらかした。
ダムの建設現場は終戦を迎えて、労働者が大きく様変わりした。
欧米人の捕虜の人たちは当然だが、それまで働いていた朝鮮人労働者や中国人労働者も多くが自分たちの国に戻り、その減った労働力を、復員してきたり、空襲で私財を失ったりした人たちが補うことになったのだ。
空襲で家を失って、一家揃って労働者として流れて来た者たちは、子どもたちも連れて来ているので、村の学校では元からいる子たちの中に、その新しくやって来た子たちを馴染ませるのが問題になったりしていた。
それでもそういう家族一緒の労働者たちは、家族もいるので無茶をしたり荒れたりすることはない。
問題は復員してきて仕事にあぶれたり、気持ちが荒れていてただ単に食のためだけにやって来たりしている元兵士だった。
彼らの中には、やっとの思いで日本に戻ったら、家族が全滅していたなんて人もいる。 戻ったら、妻はとうに再婚していて、自分の帰る場所がなかったなんて人もいる。
自暴自棄になり、自分の命さえ軽視しているような人も少なくなかったのだ。
中には学歴もあり、時代が少し違っていたら、どれほど評価されたであろうかというような元復員兵士の労働者もいたりする。
もう少し薹が立った年齢になっていた考は、そんな一人と知り合い夢中になってしまったのだ。
十分にインテリなのに、退廃的なムードというよりは破滅的な言動をする男は、一面凄く魅力的だったのだ。
いくら魅力的であったとしても、破滅的な人生をそのままに送っている男が、女にとって理想的な男であるはずがない。
その男は、仕事仲間との喧嘩を繰り返すと、不意にその地から姿を消した。
自分からどこかに立ち去って行ったのか、それとも誰かに連れ去られのか、最悪は喧嘩の末にどこかで野垂れ死にした可能性もある。 そんな時代だった。
考にとっては、予想出来る事ではあるが、最悪の結果だけが残された。 その男の子を孕ってしまっていたのだ。
流石にこの件に関しては、兄二人が激怒した。
「考、お前は何を考えて生きているんだ。
身体が弱く、家で床に臥している時間も長かったから、身体の調子が良い時はなるべく自由にさせてあげたいと思っていたが、お前のしたかったことは、こんな事なのか」
「あいさん、あなたも娘のことを何故しっかりと監督していないのか。
考が歳の割には、家に篭っている時間が長く世間慣れしてないことなんて、解っていたことだろう。 母親として、そこは注意していてしかるべきだろう。
あなたが親父の後妻となり、最後まで看取ってくれたことは感謝しているが、それとこれは別問題だ。 今回、考がしでかしたことは、我が家に泥を塗りたくる行為だ」
考とその母であるあいは、板の間に正座して手をついて頭を下げて、完全に平伏する姿でその言葉を聞いているが、当然ながら青い顔をして顔を上げることも出来ない。
「考、あいさん、これからどうするかの考えは何かあるのか?」
当事者の考に何か考があるはずがない。 ここで今後についての考えなり計画なりがあるようなら、元からこんな騒ぎは起こしてないだろう。
母親のあいにも何も妙案はない。 自分には結婚する前に東京で女給として働いていた経験しかなく、村に来てからは何かきちんと仕事をしたとは自分でも思っていなかった。 いや村で村長の妻としての仕事は出来ず、子どもが弱かったことを良い隠れ蓑にして、本当に家事と子どもの世話しかして来なかったのだ。 子どもの世話がある程度終わったときには、もう夫であった歌吉が老齢となり、今度はその世話をすれば良いだけになった。 それが任された仕事でもあったのだが、今となっては何も出来ない。
省の立場は微妙だった。
兄二人とは母が違うが、省は問題を起こした姉と両親とも同じ姉弟だ。
それ以前に歳も違う。 普段は兄と弟の立場とはいっても、親子ほど歳が違い。 実際には兄二人に育ててもらったようなものだ。
何か口を出せるものではない。
「仕方がない。 とりあえず考は夫を持て。 生まれる子供に父親が無くては可哀想だからな」
考の夫になったのは、家で使用人になっていた男だった。
兄二人は、その男に拒否する自由を与えて、「考の夫にならないか?」と話を持ちかけたのだけど、その男からすれば拒否権なんてない命令と受け取ったのだと思う。 まだそんな感じだったのだ。
考には、当然ながら拒否権はない。 拒否するなら家を出て行って、自分で何処かで生きていかねばならない。 そんなことが出来る訳が無い。
使用人の男は考と夫婦となったが、あまりその生活が変わった訳ではない。
部屋が使用人部屋から夫婦の部屋へと変わり、考への呼び掛けの言葉が、「お嬢様」から「考」と名前呼びに変わっただけのことだ。 それも自分からという訳でなく、ケジメだからと周りから強制されてのことだ。
後の生活はそれまでの使用人であった時と変わらない。
困ったことに、考のその男に対する態度も変わらなかった。 それまでと同じような使用人に対する態度だった。
しばらくして、考は子を産んだ。 男の子だった。
しかし父親とされた元使用人の男が、その子に対して愛情を持てたかというと、それは無理な話だった。
その子が自分の子どもではないことは、暗黙の了解で周りの者みんなが知っていることであったので、その子と一緒にいると、周りの目が男には辛かった。
自然とその子と一緒にいる時間は少なくなった。 よってその子も父親とされた男には懐かない。 悪循環しか生まれない。
省はそんな姉の子を不憫に思い、可愛がってしまい、その子に懐かれるのだが、それもまた悪循環の一部にしかならない。
考の起したこの騒ぎは、一応表面上は収まったが、家の村での地位というか、権勢を完全に失わせることとなった。
一つには兄二人が、実家からこれ以降完全に手を引いてしまい、直接的に関わりを持たなくなったことがある。
村に戦時中までは残されていた療養所も無くなり、長兄の賢嗣は完全にダムによって出来た湖と駅に近い病院の方に集中することになった。 一つには両方を掛け持ちできる程の体力はもう賢嗣にはなかったのだ。
次兄の英雄も、村長となる予定が崩れると、自分の生活を維持することから始めねばならなくなり、実家のことにかまける余裕はなかった。
「先生は戦争から帰って来たら、ちゃんと先生として子どもたちに教えてくれる、立派な先生らしいけど、実の姉がアレだからな」
省はそんな陰口を言われているのは承知していたが、それを気にするのは負けだと思っていた。 そして自分が考の子を可愛がる姿を周りに見せることが、義兄となった男にとってより一層村での生活を息苦しく感じさせることになることに全く気付きもしなかった。
自分では、可哀想な甥っ子を可愛がるという良いことをしているだけのつもりで、その影響なんて全く頭に浮かんでも来なかったのだ。
結局のところ省は、我儘に育った歳の離れた末っ子のままで、自分勝手に動くだけだったのだ。
兄二人は、考の夫となった男の立場を慮って、極力家との関わりを絶っているのだが、それが省には解らない。 省自身は、兄二人が実家との関わりを避けているのは、やはり母親が違うからなのだろうと、単純に少し寂しく思っていただけだった。
そして村は新しい時代になって、どんどん変わっていく。
農地改革によって、それまでの小作が自分の土地として田畑を耕し、それぞれの才覚で収入を得ていく。
最初、小作たちは大喜びであったが、世の中はそんな甘いものではない。
それまでは死んだ歌吉の家が計画して、問題がなるべく出ないように植え付けていた作物を、それぞれの家が、何が儲かりそうかという視点だけで勝手に植えるようになると、途端に上手くいった所と、上手く行かなかったところで、大きな格差が出た。
そこには天候といった問題もあれば、作物のダブ付きや逆に不足などという問題もすぐに出た。
もちろん儲かって喜んだ家もあるが、全体としては経済力は右肩下がりとなった。
それに各家の労働力の差が、直接的に出た。
戦争で働き手を失っていた家などは、土地が自分の物となっても、そこから利益を生じさせることさえ難しかったのだ。
村の村長も、選挙から賢嗣と英雄たちが手を完全に引くことになって、それまでと違って、まあ出来レースでは無くなって自由になった訳だが、時代の空気に染まってだろうか、利権を狙っての立候補が相次いだ。
時勢に乗って利を得た者が権力を得ようとするのは当然なのだが、そういった者たちがより一層の利益を求めて、権力を得ようとした訳だ。
選挙権の拡大もあり、耳障りの良いことを言う人が、その地位を得ることになるのだが、することは公共事業という名を借りた、自分たちへの利益誘導がほとんどで、村をどうして行くかという本当のビジョンを持っての事ではない。
それは争いを生むし、人が変わればすることも変わるで、一貫した計画にもならず、結局それまでの人間関係も含めて村を荒らすことになった。
そんな村の状況を、省は苦々しく思うというより憤りを持って見ていたが、兄二人はもう関心を示さなかった。
「親父まで、先祖代々が営々とこの地の民を導いて来たのに、今、少しくらい社会が変わってしまったからといって、それを投げ出してしまって良いのか」
省はそんな風に考えたし、道徳感を忘れて己の利のみを追求しているかのような、その時の村長をはじめとする役場の者たちを嫌悪した。 そしてまた、そういう人を選ぶという選択をした村人たちを、どう考えて良いか分からなかった。
「俺たちが愚かだと思う事でも、自分たちが選んだことであるならば、その結果を自分たちで受け止めなくてはならない。
それが民主主義の基本であることは、省だって知っているだろ。 今の状況は仕方のないことだ。
省は物心ついた時がもう戦争に向かっていた時代だから、今の民主主義と言われる政治体制がアメリカから押し付けられたようなモノに感じているかもしれないが、万民の意見の下に政治を進めるというのは、明治の最初から掲げられている姿勢だ。 まだまだその意味がしっかりと民衆に伝わりきっていないから、少しづつ政治体制を進めていくはずだったのに、戦争とそれに続く敗戦で一気に変革することになった。 このくらいの問題が出るのは当然のことだ。
つまりはまだ教育がしっかりと出来ていないということさ。 それはお前の今している分野だろ」
内務省の官僚をしていた兄の英雄にそう諭された省だが、だからと言って、自分たちが村から手を引いて良いという事ではない、と思った。
だが現実的には、省が思うような形で村に関わることはもう無理だったのだ。 省はまだ現実が見えていなかったのだ。




