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想いはいつまで憶えられているのだろう?  作者: 並矢美樹
戦争、それは破壊
33/42

それぞれの戦争 その3

  村は一番近い駅から、川を渡るために谷を降り、また登らねばならない。 そこからも多少の登り降りはあるが、村までは基本登りの道が続き、最後にまた小さい川を、今度の川は小さいので降らなくても橋が掛かっているのだが、橋を渡っていくらか坂道を登ると、村に到着する。

 このように書くと遠い道のりのような感じがするが、普通に歩いて昔の一時、今の時間で2時間は掛からない。 急いで走ったり馬を使ったりすれば、1時間なんて掛からないので、そんなに離れている訳ではない。


 その村に入るための最後の坂の頂で、そこからはほんの僅かだけど村の主要部分が下に見えるからか、1人の男が道端に座って、村の方向を眺めていた。

 男の格好はみすぼらしく、また道を行き交う人の方を見向きもしないので、その男を見掛けた者たちは不審に思いながらも、その脇を足早に通って行った。


 あまり長くその場に留まっているのを不審がって、1人の男がその男に声を掛けてみることを試みた。


 「おい、お前さん、そんな所にずっと座り込んで、一体何をされている?」


 座り込んでいる男は、自分に向けて発しられた声から顔を背けた。

 声を掛けた男は、自分の声の掛け方が少し高圧的に感じられたのだろうかと、内心少し焦ったのだが、顔を背けられたことを除けば、その男から何ら敵対心のようなものを感じなかったので、少し冷静にその男を観察した。

 みすぼらしい格好だが、よく見るとその男が着ているのは、ボロボロになっているが軍服の様だ。


 「もしかして、やっと復員して気なさったのか?」


 あの天皇陛下のお言葉の放送があって、戦争が終わってから、もう既に2年以上の月日が経っている。

 敗戦というショックもあったが、それよりも、やっと戦争が終わったという気持ちの方が強かった。

 戦争が終わった直後の、何だか気が抜けたような、ほんの一瞬の空白のような時が終わると、そこからは目まぐるしく社会は変わっているようだが、村の暮らしがそんなに変わる訳がない。 戦争前の以前に戻っただけだ。 そんな風に感じる時も多い。


 だが、こうして時に残酷なまでに、戦争という時を過ごしてきた重みを感じさせられることがある。

 村から出征して行った兵士たちが、こうして時折、ボツボツと復員して来た。

 戦争が終わって一年か一年半は、次々と復員して来て、皆、無事を喜んだ。

 しかし、それを過ぎて帰って来ない者は、戦死の公報が入ってない者も、その家族にはだんだん諦めの気配が漂っていた。

 それでも時折、遅れて復員して来る者がある。 それにしても、もうほとんど戻って来る者はいなくなっている。

 そんな中、もう本当に久しぶりに、戻って来た男なのだろう。 きっと、やっとの思いで村に辿り着いたのだろう。


 顔を背けた男は誰なのだろう?

 村とはいえ、全ての人の顔を知っているという程、人口が少ない訳ではない。 それでもこの坂に佇んでいるということは、家はこの辺りにあるのだろう。 それなら知っている男かも知れない。

 そう思って背けた顔を良く見ると、その顔には鼻が無かった。 正確には鼻がない訳ではなく、目と目の間の鼻梁が無くて、そこが平になっているので、一瞬鼻がない様に見えたのだと分かった。

 村の過去の知り合いに、そんな顔の男はいない。 きっと戦場で顔に傷を負ったのだろう、と想像した。 

 鼻がある顔を想像すると、一人の男が思い浮かんできた。

 私は顔を背け、何も言わない男に向かって、もう一度声を掛けた。


 「あんた、もしかして正夫さんか」


 道脇に腰を下ろして佇んでいて、顔を背けた男は、ほんのいくらかこちらを見て、わずかに頷いた。


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 加藤建夫戦隊長が飛行第64戦隊の指揮を執っていた時期は、その戦隊が通称加藤隼戦闘隊と言われているにも関わらず、意外に短い。

 加藤隊長は開戦翌年の5月末には戦死してしまったからである。


 「弾がマ弾でなくとも、せめて隼が本当の隼だったなら、加藤隊長が撃墜されることなど無かったのに」


 というのが、正夫の口癖だった。


 隼はゼロ戦とは違い、武装が加藤隊長機でさえ12.7mm機関砲2門で、ゼロ戦の20mmg機関砲ほどの威力がない。 初期は加藤機以外は片方は7.7mmの機関銃でしかなかった。

 それ以前の戦闘機同士の空戦ならば、それでも用は足りたのかも知れないが、爆撃機といった大型機との戦闘となると、明らかに威力不足だった。

 それを補うためには、より近接して攻撃するしかなかった。


 隼こと一式戦闘機、試作名称キ43を制式採用することに、飛行第64戦隊隊長になる以前、陸軍航空本部部員時代の加藤建夫は反対している。 試作機のキ43が、期待された性能を満たしていなかったからだ。

 反対は加藤だけにとどまらず過半を占めることとなり、採用はとりあえず見合わされ、エンジンの改装に始まる大幅な改良が施された上で、改めて採用されるかがテストされることとなった。

 ところが時勢がそれを許さなかった。


 すぐ後に迫った戦争の作戦に対応するために、キ43を半ば長距離飛行に特化させる形で試作機のキ43をほぼそのままの形で制式採用することにしたのだ。 I型と呼ばれるこの機体は、試作機の弱点を抱えたままの、本来なら制式採用されないはずの機体だったのだ。

 加藤建夫隊長が使っていた機体は、そのI型の機体だった。

 ちなみにこの一番初期に、加藤隊長の機体だけ12.7mm機関砲2門の武装だったのは、別に優遇されていた訳ではない。 12.7mm機関砲の信頼性に疑問が持たれていたため、加藤体調が自らそれのみを装備して、それで大丈夫だと実証していたのだ。

 7.7mm機関銃では、威力が低過ぎて役に立たないと、すぐに全機12.7mm機関砲2門に変更することになった。


 I型の隼の弱点はエンジンのパワー不足だけではない。 もっと大きな問題として、翼の強度不足があった。

 その為、急降下時の速度の限界が低く、またそこから反転して上昇する時に負荷がかかり過ぎると翼が折れる可能性があった。


 加藤隊長が爆撃機の迎撃に出て、その固定機銃によって撃墜されることになったのは、加藤隊長自身が制式採用に反対していたI型の隼の弱点のせいだ。

 爆撃機を攻撃するには、爆撃機の機銃を避けるために高速で近付いて爆撃機を攻撃し、即座に離脱する必要がある。

 しかしI型は、急降下して近付く速度を上げる訳にはいかず、攻撃する距離が遠いと威力が足らず、反転離脱する時にはあまり翼に負担をかけない範囲に限られ、なおエンジンの力不足からその動きが少しゆっくりとなってしまう。

 つまり爆撃機を攻撃して離脱する時は、爆撃機の近くで自らの腹を見せている時間が長くなってしまうのだ。

 開戦当初はともかく、半年近く経った頃には、そういったI型の弱点は相手にも知られていたのかも知れない。


 エンジンがより強力な物に換装され、翼の強度不足を改良された、本来ならその改良が終わってから制式採用されるはずだったII型の隼だったら、正夫の言う「本当の隼」だったら、例え爆撃機に近づかなければならないのは同じだったとしても、加藤隊長が爆撃機の機銃によって撃墜されることはなかったと正夫は思っていたのだ。


 ちなみにマ弾というのは空気信菅によって、不発がほぼなく、また当たった瞬間に爆発する炸裂弾のことだ。

 このマ弾の威力はゼロ戦の20mm弾に遜色無く、敵軍では誤認していた様だ。

 20mm弾に比べ、小型・軽量であることは利点ではあるのだけど、その威力は実際には20mm弾より低いし、何より有効射程が軽量であるために短い弱点もある。

 それでも単なる弾よりもマ弾は大きな威力があり、爆撃機などの装甲が優れた敵を攻撃する時は大きな違いを生んだ。


 正夫が加藤建夫隊長を高く評価していた、敬愛していたのには訳がある。

 加藤隊長は、無線の利用に積極的だったのだ。

 正夫が整備士として他の人と違っていたことの一つが、正夫は無線機の整備も出来ることだった。 そのために即座に前線に戻されることなく、立川に止め置かれたと言って良いかも知れない。 正夫たちは、戦闘機が無線機を使用することを想定した訓練を受けていたのだ。


 実際問題として、隼に搭載された無線機は、あまり性能が芳しく無かった。

 技術的に未熟で、エンジンなどから出てしまう電波の遮蔽がされておらず、どうしてもノイズを拾ってしまったり、地上での調整できちんと使えても、温度が低い上空に行くときちんと送受信が出来なかったりということになった。

 上空でその辺は操縦士が調整すれば良いのだが、戦闘のために飛んでいる操縦士は無線機の調整をしようとはなかなかならなかった。


 加藤建夫隊長は、無線機の使用に積極的で、その運用を強力に進めようとしていた。 それだから、加藤隊長に直接鍛えられたパイロットたちは、飛び立つとすぐに無線機の調整をして無線が活用出来るようにと心掛けたのだが、加藤隊長と直接鍛えられたパイロットたちが欠けていくと、次第に活用が難しい無線機はあまり活用されなくなっていってしまったのだ。

 加藤隊長は、撃墜数を競うような個人的な武勲を戒めて、戦隊として作戦行動を完遂することを重視し、一矢乱れぬ戦隊行動を求めた。 無線機による戦隊の各機への指示と報告は、そのための大きな方策でもあった。

 だからこそ、本来なら制式採用されないはずの試作機段階のままの初期の隼を使って、飛行第64戦隊は大きな戦果を挙げ続けることが出来たのだろうと、整備士である正夫は考えていたのだ。


 加藤隊長が壮烈な戦死を遂げてしまうと、飛行第64戦隊の無線機の重視や個人的な撃墜数を競ったりしない姿勢は、どんどん崩れていってしまった気が正夫はした。

 飛行戦隊としては、隼本来の形である改良型のII型に次々と機体が変わったり、マ弾が使用されるようになって、隼は加藤隊長戦死以降も戦果を挙げていたし、終戦間際のもう隼自体が完全に旧式機になってしまった時期においてでさえ、善戦した。

 でもそれは、隼が優秀な機体であった証明にはなるけど、戦争の目的に役に立ったかどうかは判らない、と正夫は思っていた。


 足掛け四年となる正夫の前線暮らしは、もちろん戦闘に明け暮れていただけじゃない。

 時には部下を連れて、休日にハメを外すこともあった。

 実のところ、正夫はこの前線で戦っていた間、戦闘で大きな負傷をすることは無かった。

 正夫が、鼻梁を失うような大怪我をしたのは戦闘によるモノではなく、酔った部下に車を運転させていての交通事故によってのモノだ。 あとほんの少しだけ運が悪かったら、両目を失明しかねない大事故だった。 正夫は病院に2ヶ月も入院するような重症だったのだ。


 怪我だけじゃない、もちろん命の危機に晒されたこともある。

 整備士は自分が整備した飛行機のテスト飛行に、その責任に置いて同乗しなければならない。

 補給物資がしっかりしていた時期は短く、整備するのに部品がないようなことも多々起きた。

 そうするとどうにも求められた時間内に整備出来ないことも起きる。


 「すみません、どうにもなりませんでした。 落ちます」


 仕方なく、テスト飛行に同乗しなければならない整備士は、その機を操縦する操縦士に告げた。


 「分かった。 任せておけ」


 操縦士もその辺の事情はもちろん理解出来ている。 なるべく機体を壊さないように、上手く不時着するのが操縦士の腕なのだ。

 落下傘を付けることが禁止されている整備士は、墜落する飛行機に乗って助かるには、操縦士が上手く不時着してくれる以外の方法が無いのだ。


 正夫が死にかけたのも、それに近い状況だ。

 ある時、重要な連絡文章を大急ぎで運ぶために、テストを経ずに飛ばねばならない事態が起こった。 なお悪いことに、その目的地までのルートは海の上だった。

 正夫は、その機体が目的地まで飛ぶことが出来ず、途中で落ちることが分かっていた。


 「整備が終わりませんでしたので、自分が同乗して、飛んでいる最中も整備を続けることにします」


 操縦士は正夫の言葉を聞いて、事態を正確に把握した。

 操縦席後ろの狭い空間に同乗して、そこで出来る整備などないことは明白だ。 重要な文章を運ぶという重大な使命に、それを果たせない機体しか用意できなかったことに責任を感じて同乗を言い出したのだろう、と。


 当然のことだが、この機は途中で墜落した。 墜落が予想出来たから、正夫はその責任を取る為に、死を覚悟して同乗したのだ。

 操縦士も墜落を予想していたし、天候も味方して、上手く海上に不時着することが出来、機体から逃げ出す時間的余裕もあった。


 「中尉殿、御武運を。

  私は残念ながらカナヅチで泳げないので、逃げようがありません。

  目的地まで行き着けない機体しか用意出来ず、申し訳ありませんでした」


 正夫が操縦士に今生の別れの挨拶をすると、操縦士は言った。


 「馬鹿なこと言ってないで、早く機体から出て来い。 すぐに沈むぞ。

  お前が泳げなくても、俺が引っ張って泳いでやる。 俺は漁師町出身だから、泳ぎも達者なんだ。

  ほら、俺の胴衣を付けろ。 操縦士の胴衣は水に浮くからな。 これを付ければ、お前がカナヅチでも浮いていることはできるだろう」


 会場に墜落したのは、日が落ちる寸前だった。 時間にも恵まれたのだ。 夜の闇の中では、とても上手く海上に不時着なんて出来なかっただろう。


 「中尉殿、もう結構です。 お一人で泳いで行ってください」


 「そんな寝言を言っている暇があるなら、お前も幾らかでも手足をバタバタ動かせ。 それでも少しは進むだろう。

  方向は合っているか?」


 「はい、星の位置から大丈夫だと」


 正夫が置いていくようにと泣いて頼んでも、操縦士だった中尉は引いて泳ぐことを止めなかった。

 結局一晩中海を泳ぎ、明け方近くなって正夫たちは、どこか判らない島の海岸にたどり着いた。 またも幸運にも、そのたどり着いた島は、船が通る小さな航路に面していたようで、日が登ってしばらくすると、2人は船に発見され、船で目的地まで行くことができた。

 2人は船では死んだように横たわっていることしか出来なかったが、正夫は不思議にもあれほど船に弱くてすぐに船酔いを起こしてしまうのに、この時に限っては船酔いを感じることも出来なかった。

 2人は目的地に着くと、最後まで身から話さなかった連絡文章を中尉が受け取る権限がある人に渡すと、即座に病院送りとなった。

 正夫は、少し食事をとり、ベッドで眠り、起きてもう一度、今度は本格的に栄養のある食事をとってもう一度眠ると、次に起きた時には体調が良くなり、実質一日半の入院で済んだ。 ところが自分を引っ張って泳いでくれた操縦士の中尉は、あまりの筋肉の使い過ぎと疲労で、食事を取ることも出来ず、治療を受けたが1週間も入院することになってしまった。

 でも正夫は、この中尉によって死ぬ運命から助けられたのだ。


 その後、正夫がいる飛行場が敵から攻められて、

 「飛び上がれさえすればいい。 動く機はあるか?」

と、混乱の中で言われて、

 「何とか、あの機は動きます」 「感謝するぞ」

と乗り込んだが、出力の上がらないその機は、滑走路から機体が離れ、上昇し始めた時に敵に撃墜され、燃料がある程度多く入っていたこともあるのだろうか、落ちた時には火を吹いてしまった。

 正夫は、「あの機は動く」と言ってしまったのを、深く後悔した。


 もうその頃の正夫たち整備兵は、整備をするにも予備の部品が無くて、墜落した敵味方の機を分解して、そこから部品取りをするのが一番重要な作業になっていた。

 それさえ当然数が限られていて、その辺の木材を自分で削って、部品にするようなこともしていた。

 本来の性能なんて出る訳がない。


 そんなどうしようもない戦場で、客観的にはもう死を待つばかりのような状況の中、正夫はその状況を鑑みる暇もなく、仕事に追われていた。

 何とか一機でも多く飛べるように整備する。 その時の正夫には、もうそれ以外は頭になかったのだ。 いや、それだけを考えることで、現実逃避をしていたのかも知れない。

 でも、そんな日々が長く続く訳はない。 敗戦、そして捕虜という現実がすぐに襲ってきたのだ。


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 僅かに頷いた男が誰だか理解したら、放っておく訳にはいかない。


 「正夫さん、動けるか?」


 「ああ」


 今度は流石に小さな声ながら、ちゃんと返事が返ってきて、正夫さんは立ち上がろうと体を動かしたが、力なくよろめいた。


 「無理するな。 今、人を呼んでやる。 家の者も、すぐに呼んでやるからな」


 正夫さんは、ここまでやっとの思いで帰って来て、ここで気力・体力が尽きたのだろう。 いやそれ以上に、職業軍人であった自分が、戦争に負けて自分だけ故郷に戻って来たことを、どう説明すれば良いのかとか、戻って良いのだろうかなどと考えて、これ以上前に進めなかったのかも知れない。


 結局、正夫さんはそこから自分では歩くことが出来ず、大急ぎでやって来た父親の棟梁やその弟子たちや、部落の人たちに戸板に乗せられて家に戻って行った。


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 正夫は家に戻って、いくらか体を動かせるまでになると、温泉に湯治に行った。

 付き添ったのは、父親である棟梁の繁信、それに母親のたまきの2人だけだった。 他の者は正夫の精神状態が悪くて、とても付き添うことが出来なかったのだ。

 正夫の湯治は、2ヶ月という長期なモノになった。 皮膚病などの外傷は、温泉の効能で、1週間か10日で、嘘のように治ったが、精神はなかなか上を向くことがなかったのだ。


 単純に湯治といっても、物がない時だったので、湯治場で3人がとる食事の材料などは自分たちで持ち込まねばならない。

 その為、家の者が交代で、その温泉まではかなりの距離があったのだが、2-3日に一度荷を運んだ。

 だが正夫は、荷を持ってやって来た家の者に、顔も見せないことが続いた。 やっと顔を見せるようになったのは、湯治を始めて1ヶ月以上が経ってからのことだった。

 それほどまでに、正夫の心の傷は深かったのだ。


 「俺、内地に戻ることがあったら渡そうと思って、ちゃんとみんなに土産を用意していたんだ。

  向こうはさ、こっちでは手に入りにくい物も、意外に簡単に割と安く手に入るからさ。

  でも、日本に戻って来るまでの間に、全部手放しちゃって、何も残ってないんだ」


 「土産なんて何もいらないさ。 正、お前の命があっただけで十分だ」


 結局、正夫が戦地から大事に持ち帰ったのは、そんな戦地でも欠かさず書いていた日記だけだった。


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