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想いはいつまで憶えられているのだろう?  作者: 並矢美樹
馬、駆ける
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震災と挫折

今回、ちょっと短めです。

 息子の健さん夫婦の活躍が目立っているような日々だが、もちろんその父親の歌吉村長も仕事をしてない訳ではない。


 歌吉村長が村長になった時には、まだその村長という立場や行政的な仕組みが、江戸時代から続いてきた名主の集まりというか、この地域の有力者の集まりの代表みたいな感じだった。

 それをほんの数年で歌吉村長は、しっかりとした行政組織として、国などといった上からの命令や要請によって動くだけでなく、きちんと自分たちの地方行政の仕事を自ら進めて行く組織へと改編し、その人材を育ててもいたのだ。


 もちろんその長である歌吉村長は、村の仕事も毎日忙しくこなしている。

 それだけじゃない、地方行政の問題やその改善を図るために組織作られた全国村長会にも大きく関わり、その議長職まで引き受けている。

 その活躍は狭い村に留まってはいなかったのだ。 中央での立身出世を断念して、地元に戻って来たのだが、今では村と東京を行き来する生活をしている。

 まあ、その一つの原因としては、村で2番目の妻を亡くし、すぐ後に3番目の妻となった若い娘も亡くして、数年後には子ども2人が東京の学校に通うようになったこともある。 

 東京に住んでいた時の家は、村の優秀な子を東京の学校に通わせる宿舎のように使われていて、そこに自分の子どもたちも加わる形となったのだ。


 もう一つ、村長が東京に通っていた理由がある。

 村長は村を通る鉄道の敷設を夢見ていて、その実現のために各所に働きかけを行っていたのだ。

 健さんが東京で医学の勉強を始めた頃から、村長よる中央への働きかけは始まり、健さんが医者となって村に戻り、弟の英雄は歌吉村長の後を継ぐように内務省の官僚になった。

 それだけの時間をかけた働きかけは、もう少しで実を結ぶというところまで来ていた。


 ここまで、村長はかなり自分の家の財を使っている。

 関係する有力者を村に招いて宴会を開いて、この地、及び周りの実情を見てもらって、鉄道を引くことの意味の理解を求めたりなんてこともしている。

 時には東京の有名な料理人を村に招いての宴会なども行った。

 これらの必要経費は自分で賄っていたのだ。


 村長の家は、この近辺で最も裕福かもしれないという家だが、自分たちの生活自体は質素な生活をしている。

 広大な土地を小作によって運用していて、その上がりは莫大だと思われるが、食事などは昔は奉公人と同じ物を食べていて、その習慣は村長となっても変わっていない。 得られた財は、自分たちを支えてくれている者に還元していくというのが、村長の家の考え方なのだ。

 だから村長としては、村のために鉄道を誘致するのに、その工作に財を投じるのは当然のことという考えだったのだ。


 ちなみにその財の使い道は、何も鉄道のための工作費に限った訳ではない。

 村の祭りに、それを仕事としている劇団を呼んで上演させたり、歌い手や楽団を呼んだりもした。

 そして村では、先代もだったが芸事などの文化的なことにも力を入れている。

 何人もの優秀な村の子を援助して学校に通わしているのは、東京の学校に行く年齢の子に限らない。 もっと小さな子にも援助して、能力があればなるべく上の学校に行かせるようにしてもいた。


 話は戻るが、そうした村長の努力によって、新たな鉄道が敷設されることは、ほぼ決定というところまで漕ぎ着けて、目端の利く東京の有力者はその鉄道の沿線となる土地を先に買い付けて、別荘を建てたりする者も現れた。

 きっと将来的には、もっと周りの土地を買って、鉄道の敷設によって得られる利益を確保するための布石だろう。


 もう新たな鉄道路線敷設の認可が下りて、その事業が始まろうとするところだった。

 歌吉村長が夢見て、自分の生涯をかけた仕事とした、鉄道の建設が始まろうとする寸前のことだった。

 だが、その歌吉村長の夢は、一瞬にして、実現されない夢に終わる事態となってしまった。


 東京は大地震に襲われてしまい、とてもではないが新たな鉄道を敷設するような余裕は無くなってしまったのだ。

 大正12年9月1日、関東大震災が東京を襲ったのだ。

 東京の街は一瞬にして瓦礫へと変わり、その復興のために多くの計画が頓挫・中止に追い込まれることになったのだ。

 歌吉村長の夢見た鉄道敷設も、そんな中の表面にも出なかった一つに過ぎない。


 この時点で歌吉村長は、56歳。 この時代の平均余命を考えると、歌吉村長が大きな挫折感を味わってしまったのは仕方のないことだろう。

 震災によって、東京の家が失われてしまったこともあり、これ以降、歌吉村長はすぐに村長を辞めるということこそなかったが、中央に何かを働きかけるなどということはなく、村の村長の仕事を淡々とこなすのみになってしまった。


 もう一つ変わったことは、村長が東京によく滞在するようになってから懇意になり、子も持った若い女を、その子どもも含めて村の家に引き取ったことだろう。

 最初は妾とされたが、後に妻に改められた。 つまり4人目の、そして村長最後の妻だ。


 「まあ俺たちのお袋が無くなって少しした頃から、親父には女っ気がなかったからな。

  俺たちが東京に出て、それで親父も足繁く東京に来るようになって、新たな女が出来たのは、喜ばしいことだと思ってはいたよ。

  まあちょっと若いなとは思うけど」


 健さんは、自分の義母ということになる村長の4人目の妻を、そう評していた。

 そう、その新たな村長の妻は、健さんや僕らと年齢がほとんど変わらなかったからだ。


 「まあ、親父の妻はともかく、それが産んだ妹は可愛いさ。

  俺は英雄と2人、男だけだったからな」


 新しい妻が連れてきた子、そして村に来て少しして生まれた子も、どちらも女の子だったのだ。

 歳が離れ過ぎていて、健さんからすれば妹というよりは子どものような年齢だが、それでも可愛いらしかった。


 新たに小さな子どもの父親にもなっていた歌吉村長だが、それによって気力が戻ることはなく、きちんと村長としての仕事はこなしていたが、覇気が失われてしまったのは明らかだった。


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