85 来援
白玉天狐の分身たちに取り囲まれ、絶体絶命の状況と言っても差し支えない。
そんな中、頭上から降り注ぐ間延びした声。
『たぬー、たぬー、田沼意次ー♪』
『その声は!?』
白玉天狐まで反応する。
しかも切迫して。
『そうたぬ、ワシがたぬ賢者こと、賢者ぽんぽこさんたぬ』
『師匠!?』
虚空に浮かぶ、まんまるとした毛玉。
色は茶色。所々黒の交じったまだら模様であるものの、四足で鼻先尖り、犬にも似た様相は間違いない。
アライグマ!
ではなく……。
ハクビシン!
でもなく……。
タヌキ!
畜生類タヌキの姿をした賢者、たぬ賢者!
我が敬愛するたぬ畜生が何故ここへ!?
お久しぶりです。修行を終えて庵から出て以来だから五年ぶりですか!?
お変わりありませんね流石に!?
『たぬキーック!!』
『ぐぼえッ!?』
出会い頭に飛び蹴りを食らった!?
何故いきなり!?
『しばらくぶりたぬなバカ弟子。自分のしでかしたことを自覚しているたぬか!?』
『タヌキご立腹!?』
はい、わかってますよ!
断りなく白玉天狐の封印解いたことにブチキレ憤怒ですね!?
『自分が何をしたかわかったぬか? 相手は世界最悪の凶獣たぬよ? あれを封印するのに神人獣総がかりでどれほど苦労したぬ……!!』
はい、そうですよね……!
そんな危険な天狐を解き放って世界にどんな災いをもたらすか……!?
『もう無様なアイツを見下ろしてプギャーってできなくなるたぬ!』
『それが怒りの理由!?』
ともかくも大変な事態であることは間違いなかろう。
本来、絶対動くことがないたぬ賢者がここまでご足労くださったのだから。
『久しぶりに会うたのに騒がしく、風流を解さぬ獣よ。貴様だけは何千年経とうと獣臭さを抜けきれぬと見える……!』
皮肉を飛ばしながらも充分警戒した口調の白玉天狐。
警戒が向けられるのは言うまでもなく、たぬ賢者。
『……古狸禅明王よ』
『そんな古くせー名を出してくるなたぬ。昔のやんちゃな自分を思い出して恥ずかぴーたぬよ』
白玉天狐とたぬ賢者。
この二大ケダモノは、『ビーストファンタジー』シリーズに並び立つ最強候補。
タヌキとキツネで取り合わせはいいとは思うが、それだけに関連性が取り沙汰されることも多い。
しかし……。
『なんだ今のカッコいいネーミングは!? 俺も初めて聞いたぞ!?』
『既に捨てたお名前たぬ。ワシのように知力が磨かれ侘び寂がわかってくるようになると、変に厳ついネーミングは却ってダサく感じるたぬよ』
なんか言うことがそれっぽい!
などという俺との絡みをほっぽって、たぬ賢者は問題の方へ眼差しを向ける。
復活せし凶獣、白玉天狐へと。
この場へ唐突に現れたたぬ賢者だが、その登場理由が彼女であることは疑いない。
天のキツネが世界を揺るがす災厄だとしたら……。
賢のタヌキは世界を支える礎なのだから。
『久しいたぬなアホキツネ。ワシとしてはあと百年は封じ込めて反省を促したいところだったぬ』
『ほざくなクソタヌキ。わらわはな、貴様が「賢者」と呼ばれるたびに腸が煮えくり返るぞえ……!』
虚空に火花が散り合う。
この二人(二匹?)が知り合い同士だということは知っていたが、ここまで険悪になるとは。
『「賢者」とは、あの方のみに許された称号じゃ! それを貴様ごときが名乗るなど不敬千万、僭称なり! 何がたぬ賢者じゃクソタヌキ!』
『ワシはあの方から直接「賢者」の称号を受け継いだぬ。妬ましいたぬか? あの方が自分の後継者に、お前を選ばなかったことを?』
『ぬがッ!?』
唐突に現れて他人にはわからない会話を始める。
俺、置いてきぼり。
『お前ではなくワシに「賢者」の称号をくれたってのはそういうことたぬ。しかしたぬ。だからと言ってあの方がお前を嫌っていたわけではないたぬ。そのことをどうしてわからんたぬなー?』
『煩い黙れ黙れ! 顔を合わせるたび同じ説教をしおって!』
『何度言ってもお前が行いを改めないからたぬー』
いや、実際のところは、俺も二人の会話の内容を何となくだが捉えてはいる。
詳細は過去編の『ビーストファンタジー6』参照ってヤツだ。
数千年前、賢者に弟子入りした二匹の獣。
キツネとタヌキ。
二匹は獣でありながらも賢者からよく学び、智聖術を極めた。
やがて寿命を迎えた賢者は死に際に、みずからの称号を弟子の一方に引き継がせた。
それがたぬ賢者。
『以来お前はワシのことを一方的に嫌って……、いや違う、元から仲悪かったぬ』
『どうせ選ばれなかったわらわは好きに振舞うのみじゃ! したり顔で口出しなどするな!』
『それで、好き勝手にすることが、あの御方の転生者探したぬか?』
そう指摘された途端、周囲の空気がビリビリと鳴り響いた。
『無限の迷い館』が主の心情に反応している。
『そのようにアホ獣神から唆されて引き起こしたのが、先の動乱たぬな。分身を放ち、人の世を動乱に陥れることで、あの御方のごとき高貴な魂が降臨すると? 乱れた世を導くために?』
『黙れ……!』
『そうしてあの方に再会してどうするつもりだったぬか? あの方の決定に不満を訴え、「賢者」の称号を自分に与えるよう迫るつもりだったのか? 愚かたぬ。そんな醜行を晒した時点で、あの方は絶対お前を賢者には選ばないたぬ』
『黙れええええええッ!!』
白玉天狐の怒りが!?
ラストダンジョン全体を震わせている!?
『御託などたくさんじゃクソタヌキ! この場に来た貴様の目論見はわかっておる! 解き放たれたわらわを再び封じようというのであろう!!』
世界に危機をもたらす大妖狐。
その脅威を抑え込むために?
『先のいくさではライガとクズハを表に立て、黒幕に徹していたお前が。ついに我が前に出てくる覚悟を持ったか。よかろう貴様が「賢者」に相応しからざることを、この手で天下に晒してくれる!』
『盛り上がってるところ申し訳ないたぬが……』
たぬ賢者、あまりにクールに言う。
『ワシはお前と戦いに来たんじゃないたぬよ』
『なぬ?』
『ワシは見届けに来たんたぬ。我がバカ弟子が挑む試練の行方を』
そのバカ弟子って、やっぱり俺のことですかね?
『バカ弟子がお前を解き放った理由は、大体察しがつくたぬ。生死の順を遡るは感心せんたぬが、覚悟があるならやってみるがいいたぬ』
さ、さすがたぬ賢者……。すべてを見抜いている。
『アホキツネ、お前も「賢者」の称号を得られなかったとはいえ、初代賢者の教えを受けた賢獣たぬ。その名に恥じぬ働きぶりを見せてほしいたぬ』
『……それは、そこな小僧を試せということか?』
白玉天狐が戸惑いがちに言う。
『……フッ、フフフフフフフ! よかろうではないか! ならば、この小僧へ全力をもって試練を強いてやる! 小僧! 今こそ確約しようではないか! わらわの試練を乗り越えてみよ! さすればいかなる願いでも叶えようぞ! クズハの十人でも百人でも蘇らせてくれよう!!』
いや、一人いればたくさんなんですが……!?
しかし確約をとることができたのは進歩だ。あとは白玉天狐を倒すのみ!
「師匠……!」
俺は改めてたぬ賢者に視線を送る。
彼女がその気になったのも、たぬ賢者が挑発してその気にさせてくれたお陰だ。
『安心するのは早いたぬ。お前ごときの実力でアホキツネを倒すなど夢物語たぬ』
「そっすね……!?」
『当然ワシは手を貸さないたぬ。人の子が人の力だけで、どこまで無償の善意を示すことができるか。それが試練の肝なのたぬから』
「わかってますよ……!」
元々俺一人の力だけでなんとかするつもりだったのだ。
相変わらず眼前には化身が四人も並んでいて難攻不落だが、何とかやってやらあ!
『はーん、慌てんぼうな弟子たぬねえ。お前に足りないのはそこたぬ』
「はい?」
『すべてを一人で行おうとすることたぬ。個の力などたかが知れたもの。協力し、力を併せて立ち向かうことこそ人間の、あらゆる獣より勝る力だと何故気づかぬたぬか?』
そう言われましても……!?
この場に人間は俺以外にいませんし……!?
『これじゃあ、わざわざ持ってきてやった差し入れも意味ないかもしれないたぬねえ。ま、ここから先はより近しい親類縁者に叱ってもらうたぬ』
「え?」
その時、たぬ賢者の周囲が俄かに輝きだした。
これはまさか……空間転移ゲート?
智聖術と魔法を極めた高位魔術師だけが使える?
しかしゲートを開いて一体誰を召喚するというのか!?




