79 愛を失った男
帝都へと戻った。
引きずって連れ帰ったゼリムガイアとクワッサリィをその辺に投げ置いて、俺は早速最優先目標を進めることにする。
「ワータイガさんはどこにいる?」
「たった今お帰りになられたようですが?」
それは知ってる。
帝城の士官や使用人に尋ねながらワータイガを探索。
「ワータイガさん知りません?」
「今日は見ておらんな」
「チッ、使えねえ」
皇帝にも聞いてみたがご存じなかった。
仕方がないので虱潰しに当たって、やっと見つけた。
「こんなところにいましたか……!?」
ワータイガは帝城の屋根の上にいた。
巨大な帝城の上から、帝都の街並みを一望できた。
それだけでなく、さらに遠くの方に聳え立つ山々も。
「この方角の先に……」
ワータイガの方から喋り出す。
どう切り出したものかと俺がモゴモゴしている隙に。
「……私の暮らした村があった。妻と息子の家族三人。貧しくはあったが充実した日々だった」
「アナタやはり……!?」
記憶が戻っている!?
戦いの途中から様子がおかしいと思ったが……!?
「いつから思い出していたんですか?」
「ついさっきだ。奇しくもセロとの戦いによって、獣魔気が押し埋めていた記憶の数々が掘り起こされた。今はもう自分が何者なのかハッキリ思い出せる。私はライガ……」
そう。
「セロの父、そしてクズハの夫だったライガ……。ワータイガなど仮の名に過ぎない」
「その通りです」
そうなっているという予感があった。
ワータイガが聖獣モードを使えるようになったのも、記憶が戻った何よりの証だろう。
聖獣モードの発現は獣魔気だけでなく、智聖気が必要不可欠。
彼は記憶を取り戻すことで、智聖術使いだった過去の自分を取り戻し、智獣双方を併せ持つ条件が整う。
『ビーストファンタジー4』でも彼の記憶が戻るきっかけは、息子セロとの直接対決だったのだから。
彼のもっとも幸せだった頃を共に過ごしたセロと再会することで刺激を受け、獣魔気による精神支配を脱した。
こちらの世界でも、ワータイガとセロが直接対決すれば同じようになるだろうという予測はあった。
だから不用意に二人を会わせたくなかった。
ゲーム中のようにワータイガの記憶が戻れば、そのあとのイベントも同じようになぞる可能性が高い。
記憶の戻った父親を、セロがその手で殺すというイベントを。
「ジラット、キミはつくづく不可思議な男だ。私が外道に堕ちている間、キミがあの子を保護していたとは……」
「正確には俺じゃないですよ。あの子はたぬ賢者を頼ってやってきた。そこへたまたま俺が弟子入りしてたってだけです」
「賢者殿か……。たしかに人間へ智聖術を授けられるモノと言えば、あの方を置いて他にない」
だからセロの落ち延び直後の正式な保護者はたぬ賢者ということになるが……。
「……アイツは、セロはアナタが死んだものと思い込んでいました。だから一層今日のことがショックのようです」
「仕方ない。私たち一家の住む村が帝国に襲われた時、私は一人最後まで残って食い止め役となった。以後消息不明。死んだと思っても不思議はない」
「しかし死ななかった」
「ああ、一昼夜近く帝国兵と戦い続け、村人のほとんどを無事逃がし終えたと思った。しかし、やはり何人かは逃げ切れずに捕まってな。そんな彼らを人質に投降を迫られた。私は従うしかなかった」
そして捕虜となり帝都へ連行された。
その凄まじき力を帝国のために役立てようと、『虎』のビーストピースを埋め込まれて記憶と心を封印。
強さだけを残した鬼人ワータイガを作り出した。
「ビーストピースの力は強大だ。智聖術を修めた私はその力でもって抵抗しようとしたが、抗いきれなかった。結果、大事な子どもの顔も忘れて手を下そうとは……、父親失格だ」
「だがアナタは自分を取り戻した。しかも戦いの最中に。あの時は俺が割って入ることで強制終了させることができましたが、もっと前にアナタ自身の手で止めることができたんじゃないですか」
「できはしないよ。あそこまでの無様を晒してな……」
「…………」
やはり同じだ。
父と子を巡る悲劇のイベントは、この世界でも着実に進みつつある。
「息子さんに合わせる顔がありませんか?」
「率直に言う。……しかし、その通りだな。私はあの子を五年も放ったらかしにしていた。そして何をやっていたかと言えば侵略国家の手先だ。無様すぎて顔向けできん。……何よりも……」
ワータイガ、いやライガは一瞬言葉に詰まってから。
「私が不甲斐ないばかりにあの子の母親を死なせてしまった。こればかりはどうしようもない。私はもっとも大事なものを守れなかった。私の人生は意味を失ったのだ」
「セロのお母さんは、セロを守るために亡くなったのでしょう? あの人も自分の大事なものを守るために全力を尽くしたんです」
「それでも、私は妻も息子も守り通さなければならなかった。……さっき言ったな、ビーストピースによる精神支配に抗えなかったと。そうではないのかもしれない。私の智聖術の全力をもってすればはねのけられたかもしれない」
しかしそれをしなかった。
ゲームという形でこの世界の過去未来を知る俺にはわかるかもしれない。
彼は耐えられなかったのだ。
愛する女性を失った事実に。
彼にとって妻である女性は世界のすべてだった。
彼女を失うことは世界そのものを失うことに等しい。
それなのに襲い来る災難から愛する人を守れなかった、その喪失感に耐え兼ねて押し潰されそうになった時……。
ビーストピースによる精神支配に身を委ねることは、救いにもなった。
獣魔気に支配されて記憶を失えば、愛する人を失った悲しみも忘れ去ることができる。
だから彼ともあろう強者が、獣魔気の支配を受け入れてしまったのだろう。
「とことん情けない父親だ。私の奥底を知れば、セロは私のことなど尊敬もしてくれなくなるだろう」
「そんなことは……」
「こうして記憶を取り戻しながらも、あの子のように帝国への復讐心など湧いてこない。不思議なことだ。彼女を失った痛みは何より深いはずなのに。彼女を奪った帝国へ報復しようとする気は少しも起こらない」
それは……。
アナタがあまりにも立派な男だからです。
この世界でもっとも完成された人格の持ち主であるから、復讐に意味を見出すことができない。
あまりにも完成されているがゆえに、のたうつほどの悲しみを消化する術がないというのは辛すぎる。
「わかっている……。こうして元の自分を取り戻した今でも、ワータイガとして過ごした五年間は、たしかに記憶に残っている。その記憶を通して理解したのだ。帝国も純粋な邪悪ではない。残忍もあれば慈愛もある。人が備えるべきたくさんのものを当然のように備えた。どこにでもある国の一つなのだと」
純粋悪など、一点の曇りもない完全無欠の正義と同じくらいありえない。
この帝国だって侵略国家ではあるが、その野心には自国の民の安全を欲する動機があるのは疑うまでもない。
人だけでない、すべての生きとし生ける者は、自分の生きる義務を遂行するために他者の生きる権利を害する。
「この国にも当然のように多くの人々が生き、笑って泣いて、生き抜いている。その生活を乱すことはできない。たとえ復讐のためであったとしても」
「ライガさん……」
「帝国は既に大陸統一を果たし、新時代の秩序を整えつつある。世界は安定していく。まして私は、十二使徒ワータイガとして安定秩序の成立に加担した者だ。平和を乱す者は許すわけにはいかない。たとえ血を分けた息子であっても……」
恐ろしい、虎の覚悟が立ち昇る。
たとえ記憶を取り戻し、一人の父、一人の夫に還ったとしても……。
彼の体にはいまだに『虎』のビーストピースが宿っているのだ。
残忍酷薄の獣性が。
「ジラット。……息子はまだ帝国への復讐を諦めていないだろうか?」
「はい、帝国を滅ぼすことだけが今のアイツを支えるすべてです」
「ならば私は息子を止めなくてはならない。……この世界の平和を求める者として。どんな経緯であれ帝国が築き上げた、この安定を揺さぶる者を放置できない」
「戦うつもりですか、息子さんと……?」
既に記憶は戻ったというのに。
指摘すると彼は寂しげな微笑を漏らした。
「私は今でも十二使徒の一人、帝国に属する者だ。帝国を憎むセロが私を殺すことで留飲を下げ、そこで復讐を思いとどまることはないだろうか?」
「セロはもうアナタの正体に気づいています。アイツにとって、どう変わろうとアナタは父親です。そんなアナタが死ねば、帝国への憎しみがますます募るだけです」
「そうか、何事も都合よくはいかないな」
ではどうする?
「ならば私は十二使徒としての責務を遂行するだけだ。帝国の脅威となる者をこの手で滅ぼす。そのあと子殺しの罪は自分の命を持って償おう。……クズハには、妻にはあの世で詫びることにする」
なんという悲壮な覚悟。
その覚悟が『ビーストファンタジー4』でも、あえて息子の手にかかって死ぬという悲劇を実現させてしまった。
彼のみに宿った『虎』の苛烈さだけではない。
彼という男にはもう一つ、抗いがたい業が刻み付けられ宿っている。
ワータイガ=ライガには、『ビーストファンタジー4』の主人公セロの父親である他にもう一つの秘密がある。
この世界から見て前作に当たる。
『ビーストファンタジー3』の主人公ライガ。
その過去が彼の悲壮な覚悟の礎になっている。




