49 国家のもっとも高貴な奴隷
それから数時間ほどして皇帝は目覚めた。
「まだ寝ててください」
俺は枕元で言う。
「日頃のご無理が祟ってだいぶ体力を消費しておられる。結局精神は健康な肉体に支えられるんです。今の半病人状態ではすぐまた獣魔気に飲み込まれますよ」
「お前が助けたというのか……!?」
激情につけこまれて獣魔気の浸食を一気に受けようとしていた皇帝。
あのまま放置していたら精神を狂暴性に支配され、完全な獣に成り果てていたかもしれない。
「皇帝こそもっとも獣魔気の浸食が酷いですね。お年を召されていることもあって、進行がだいぶ進んでいます」
「当然よ、余を誰だと心得る……?」
選抜会があった帝城内の広場より、皇帝の寝所に移動。
お医者さんとか治癒術師を差し置いて俺が枕頭に侍っているのは、俺こそが皇帝の応急処置を担当したからだ。
皇帝は明らかに体内に巣食う獣魔気の暴走から正気を失いかけた。
獣魔気を抑えるのにもっとも有効なのは智聖術。
よってあの中で唯一智聖術の使い手である俺が、皇帝の治療を買って出て今に至る。
「獣神ビーストと直接契約を交わしたのは余ぞ? 他の連中は全員余を介して獣魔気を又貸しされているにすぎん。余こそが獣魔の恩恵を受けるただ一人。その代償も一人余が負うのよ」
「そこまでわかっているなら、やはり愚かとしか言えませんね」
広場でのいざこざを引きずっているわけではないが、普通に口がすぎる俺。
「獣神ビーストは人間を支配したいんですよ。でも自分自身は実体を持たないから、俺たちの世界に直接関与できない。だから人間と契約するんです」
欲深い人間い力を与え、自分の代わりに世界を支配するよう仕向ける。
獣魔の力持つ者が人の頂点に立った時、人は智神ソフィアの手から離れる。
「でも、そうして獣神ビーストに魅入られた者は皆ろくな最期を遂げなかった」
『1』の獣魔王も。
『2』の獣魔司教も。
結局は獣神に利用されるだけ利用された挙句、各作の主人公によって滅ぼされた。
そして獣魔皇帝たる目の前の老人も、ゲーム通りになれば歴代ボスたちとまったく同じ末路をたどる。
「獣魔気で大きな力を得たところで、結局獣神の手駒になり下がるだけのことです。そんな形で国を大きくしたところで何になります?」
「やはり知った風な口を利きおるわ。……グレイリュウガはどうした?」
「ご心配なく、別室で治療を受けていますよ」
元々霊体ネズミどもにはそこまで深く齧らぬよう制御しておいた。
肉を浅く抉っただけだから回復魔法ですぐ全快できるだろう。
「そうか……。しかし、本当にお前は何者じゃ?」
「…………」
「我々のまったく知らぬ術理を持ち、それをもって無敵の強さを誇る。知識も豊富、見識もあって、この皇帝に物申すこともできるほど。正直言って……」
「家臣としては持て余しますか?」
主君を遥かに超える才覚を持った家臣がいる場合、とるべき対応は一つ。
殺すこと。
そうしなければ寝首を掻かれるかもしれないから。
「強さこそが法。そんなものの見方をこの国に馴染ませたのは他ならぬ余じゃ。その余が、より強い者に滅ぼされるなら受け入れねばならんの」
「俺は皇帝になんかなりたくないですね」
「余とてそうじゃ」
え? マジで?
「国家の主など、誰が好き好んでなりたいか。しかしそう思う者ほど国家の主に相応しいという矛盾。呪われた座なのかもしれんのう」
「アナタは望んで皇帝になったわけじゃないと?」
「それどころか、余が玉座に就いた時は皇帝ではなく王であったわ。吹けば飛ぶような弱小国家ののう」
ベヘモット帝国は、そんな小国から始まった。
元々は群雄ひしめく中原の、数十とある諸国家の一つに過ぎなかった。
その中でも弱小。強豪国家に囲まれ、いつ攻め込まれるかと恐れ震える、食われるだけの弱肉でしかない。
それが当時のベヘモット王国だった。
「アナタは、そんな小国の王になった」
「誰もやりたがらんかったからじゃ。いずれ周辺国に併呑されるのは確実。服従の証に王の首を差し出すのはままあることだし、そうならずとも亡国の君主など汚名として刻まれるに決まっておる。貧乏くじでしかない」
それでも、この人が玉座に就いたのは何としてでも自分の国を生き延びさせるためであった。
僅かな望みを懸けて生きようとした。
「そんな折じゃな。ヤツが我が前に現れたのは……」
「獣神ビースト……!」
亡国を憂う君主に、破滅を阻止する力を与えた。
自分との契約を引き換えに。
「その力のおかげでなんとかかんとか戦乱を乗り越えられた。それどころか気づけば周辺各国を切り従えて巨大国家になっておった。王国は帝国に、余は皇帝になっておった」
一度肥大化した国家は、なかなか肥大化を止められない。
以降も新領土を求め戦いを繰り返す。
「もはや帝国は我が意思を離れ、大きくなっていくしかない。あたかも獣が際限なく飢えを満たさんとするかのように」
「そんな状態は長く続きませんよ」
「さもあろう。帝国は今、断崖へ向けて駆けている最中なのかもしれんの。その先に道はないと知っていても止まることはできん。……しかし!」
皇帝はカッと目を見開いた。
その眼光は病床の老人とはとても思えない。
「帝国は終わらぬ、帝国は滅びぬ! 帝国は未来永劫続いていくのだ! それが我が望み! 我が人生のすべてを懸けて成すべきことは、千年国家の礎を完成させること!」
ベッドから身を起こし、足を床に着ける。
「ダメです、まだ寝ていなければ……!」
「わかっておったわ、悪神から力を貰ったところでろくなことはない。いずれ報いを受けるだろうとな。しかしそれでも帝国の存続だけは譲らぬ! 我が身すべてを代償にしてでも帝国だけは後世に受け継がせて見せる!」
凄まじい執念。
「ジラット、答えよ」
「はい?」
「余はあとどれだけもつ? わかっているのだ。この身がもはや、あの悪神より伝わってくる狂気の力に耐えきれぬということは。もう四十年、随分長く我慢できたが、やはり老いはキツいの……!」
「……」
「どうやらお前は、余より数段あの神ずれについて詳しいらしい。そんなお前なら見立てもできよう。余はあとどれくらいの間、自分のままでいられる? 獣魔気の狂暴性に支配されることなく国を治めることができる?」
「もって二、三年かと」
それはゲームのストーリーラインに合致する。
それぐらいの頃、修行を終えたセロが『たぬ賢者』の下から旅立ち、打倒帝国の戦いを始めるのだ。
その敵となるのは、既に獣魔気によって正気のすべてを打ち砕かれた獣魔皇帝ヘロデ……。
「ですが俺が智聖術でもって獣魔気の進行を遅らせることはできます。保証はできかねますが、今の状態のまま天寿を迎えることも可能かと」
「ほう、それはよい。だが、よいのか?」
「はい?」
「お前は余のことを随分嫌っておるようだ。さっきも随分舐めた文句を叩いてくれたではないか」
あッ。
……さすがに忘れてはくれなかったか。
「あの時言ったことを撤回する気はありません」
撤回するくらいなら最初から言わんし。
「今でも俺がもっとも優先するのは家族と友人。彼らが住む故郷としての帝国を、俺は命に代えても守りましょう。アナタが帝国のために善政を敷いてくださるならば、俺は喜んでアナタに屈します」
「逆に暗君となれば余を滅ぼすか?」
「御意」
「よかろう」
皇帝はベッドから降り立ちあがる。
「その程度の烈士でなければ使い甲斐ないわ。甘言よりも諫言を貴ぶのが名君の証か。そういう小煩いヤツは最近とみにいなくなったの」
何やら独り言めいてブツブツ言う。
「では十二使徒ジラットよ。この皇帝ヘロデの生きざまをとくと見届けるがいい。余が真に大国の主に相応しいかどうか。もっとも近くでな。お前をこれより、十二使徒の第一位に任ずる!」
「やですー」
「おい!」
嫌なものは嫌なの。
「恐れながら第一位は、ただ一人、定められた方のための座。そこに俺が割り込むなど、あまりに恐れ多い……」
「ふん……!」
面白くなさそうに鼻を鳴らす皇帝。
「グレイリュウガか。あやつはお前に負けた。順位を譲るのは当然であろう」
「たった一度の失敗ですべてを取り上げるのは可哀想です。あの方はこれから様々なことを学び、将来に備えねばなりません。そのために第一位の座こそもっともよい育成環境かと」
「…………ッ!?」
俺の進言に、皇帝は目を見開き。
「お前? どこまですべてを見通しているのだ? まるですべてを知っているようではないか?」
「すべては知りません、知ってることだけです」
これを機に前々から言ってみたいセリフを言ってみた。
実際、皇帝がここまで悲壮な覚悟をもって帝国を守ろうとしているなんて知らなかった。
皇帝ヘロデは『ビーストファンタジー4』のラスボス。
最終敵のバックストーリーなんてそこまで詳細に語られない。
お陰で今この場で知らされてしまったから、本人の威厳も相まってすっかり飲まれてしまったじゃないか。
正直この人に忠誠を誓ってもいいと思っちゃってる自分が恥ずかしい。
「底知れんヤツめ。そこまで知っているなら試合でも手心を加えてやればよかったではないか?」
「グレイリュウガですか? ダメですよー」
アイツはウチの大事な妹に怪我させようとしたんだからな。
「弟と妹を傷つけようとするヤツは神だってぶっ殺しますよ?」
「覚えておくわ。人食いネズミに逆鱗があることをな」




