48 窮鼠、竜をなぶり殺しにする
『ぐおおおああああああッ!?』
グレイリュウガはもはや、ネズミの群れに埋もれていた。
青白い聖獣気が形を伴って疑似生命化したもの。
霊獣。
そんな霊体ネズミは敵に潰されたり俺自身によって追加されたりで、もう数え切れないぐらいにまで膨れ上がっていた。
何百匹はいるだろうか?
千匹はまだいってないと思う。
それでも人一人覆い尽くすには充分な量で、グレイリュウガは全身霊体ネズミに覆われて露出する隙間もないぐらい。
『ごもおおおおッ!?』
それでもくぐもった悲鳴は聞こえてくる。
二段変身で随分巨体にもなったのに、それが覆い尽くされてるんだから俺の創造した霊獣たち凄い。
ヤツらがグレイリュウガのみを執拗に狙ってくるのは無論俺の指示によってだ。
霊獣はマスターに服従するから、その気になれば圧倒的数をもって街とか軍隊を襲うことだって容易い。
『それがどうしたあああッ!?』
おッ?
グレイリュウガのヤツ全身から獣魔気を噴出させ、その勢いで霊体ネズミたちを吹っ飛ばした。
振り払ったのはいいがまた増殖するぞ?
『すぐまたまとわりつかれて元の木阿弥だな』
『それがどうしたと言っている!? たしかにこの霊獣どもは厄介だ。砕いても復活し尽きることがない! しかし!』
何?
『コイツら自身に何ができるという!? 所詮はネズミだ! 竜の力を得た俺に傷もつけられない! どちらも決め手に欠けた千日手に陥るしかない! しかし!』
だから何?
『この泥仕合を終わらせる方法は我が手にある! 本体であるお前を倒すことだ! さすがに聖獣気の根源たるお前を潰せば、ネズミどもも元を断たれて消えるしかない! そう最初からネズミなどをかまわず本体だけを狙えばよかったのだ!』
うむ、その分析は正しい。
霊体ネズミどもも我が聖獣気から生み出された以上、俺がいなくなるか、俺の意志一つでいつでも消え去る。
……むしろそうでないと無限増殖する霊体ネズミの制御の手立てがないし。
『ただ、お前の分析には一個だけ間違いがある』
『何ッ!?』
『ネズミたちにお前を倒す手段はある』
ほらグレイリュウガさんよ、足元をよくご覧なさい?
早速戻ってきた霊体ネズミの一匹が、キミのふくらはぎを齧っておるではないか?
『愚かな……! ネズミの牙ごときで竜の鱗を破れるわけが……、破れてる!?』
『お前こそネズミの歯を侮りすぎだ』
ネズミの歯は鋭い。
目につくもの何でも齧り、削り、穴を開ける。そうして家屋を荒らされるのもネズミによる立派な被害だ。
『ネズミの仲間には、巨木を齧って伐り倒してしまうヤツもいるそうだ。あるいは全動物の中でもっとも固く鋭い歯を持っているのはネズミかもしれんな?』
そんな恐ろしいネズミの歯を前に……。
ご自慢の竜の鱗はいつまで耐えきれるかな?
『ぐおああああッ!? やめろ! まとわりついてくるなッ! 齧るなッ!?』
既に数十匹の霊体ネズミが再びグレイリュウガにまとわりつき、歯を突き立てていた。
強固な竜の鱗を削り、下の肉を食い破る。
『があああああッ!? バカなッ!? 最高硬度の竜の鱗がネズミごときにッ!? 肉を齧られる!? 体が食い破られるううううッ!?』
『生きながら食われる貴重な体験を楽しんでくれ』
もうネズミは百匹以上グレイリュウガの体に食いつき、数え切れない箇所から血が流れ出す。
再び獣魔気の噴出で振り払うも、あとからすぐに新しい霊体ネズミが駆け上ってきて、破れた傷を律義に齧り掘っていく。
際限がない。
一頭の巨竜が、数百匹のネズミの群れの中に沈もうとしていた。
とりあえず帝国最強を殺すのに千匹はいらなかった。
俺の今の聖獣気キャパシティで万匹増やせるか試したかったのに残念だ。
『うぎゃああああッ!? あッ!? ぐはッ!? あぐおあああああッ!? ああああーーーッ!?』
帝国最強はもう無様に悲鳴を上げることしかできなかった。
やがて悲鳴を上げる元気もなくなったのか、声が聞こえなくなる。
……死んだかな?
「そこまでじゃ!!」
別の方向からしわがれた声が響き渡った。
皇帝だ。
「勝負あった! 直ちに戦いをやめよ! 双方術を止め、戦闘態勢を解け!」
『…………』
「……どうした? 何をしている! 早く術を解除せよ!!」
グレイリュウガはもうピクリとも動く様子がない。
既に立つ力も失って地に伏し、その上を霊体ネズミどもが群がって一山となって蠢いている。
「何故我が命に従わぬ!? 術を解けと言っているのだ! 早くしなければ命に係わるではないか!?」
『何故俺がアナタの命令に従わねばならない?』
「何を……ッ!?」
それは信じがたい言葉であったろう。
帝国最精鋭、十二使徒の一人が皇帝の命令を拒否したのだから。
『言ったはずだ、俺は本当に欲しいものはこの手で奪うと。俺は心底から欲するもの、それは家族の安全、平穏……』
それを脅かしたグレイリュウガは死んだところで何の感慨もない。
俺の妹を苛めた罪は万死に値する。
「きッ、気持ちはわかるがジラ、もう勘弁してやれよ!」
「そうだ、皇帝の命に逆らうなど反逆罪ではないか!」
仲間たちも必死の形相で呼びかけてくる。
さらにもっと直接的な行動もあった。
ワータイガだ。気がつけば俺の目前にいて強烈な蹴りを放ってきた。
俺は難なくそれを受け止めて戦いのかまえを取る。
その間も霊体ネズミ群は倒れた男の上で蠢いている。
「お兄ちゃん! もうやめてー!」
最後に叫んだのは妹セレンだった。
「アタシもう気にしてないよ! だから殺さないで! 怖いお兄ちゃん嫌だよ!」
『…………』
俺は手を横に振った。
それだけで聖獣気は消え去り、その力で形成された霊獣たちも幻のように消え去った。
あとに残ったのは血まみれの男一人。
力尽きてビーストモードも解け、ただの人間の姿に戻っていた。血まみれだが。
「おお……ッ!?」
そんなグレイリュウガの下に皇帝は駆け寄る。全身が震えていた。
「早く! 早く魔術師を! 回復魔法を使える術者を呼べ!」
『あ、俺使えますよー?』
「黙れぃッ!!」
せっかく自己申告したのに。
俺を睨みつける皇帝の眼光は烈火のようだった。
俺もとりあえず聖獣モードを解除。
「……陛下、俺は帝国に忠誠を誓っています。何故かわかりますか?」
一応、説明がいりそうだったので語る。
「俺の生まれた国だからです。そして俺の愛する家族が住む国でもある。俺は故郷を愛し、故郷に服従する。もし我が故国が害されれば、俺は全力をもって敵を殺す」
それが俺の国家に対する忠誠心。
「それは皇帝、アナタだろうと例外じゃない。もしアナタが帝国に対する害になった時はアナタであろうと俺の敵だ。容赦なく滅ぼす」
「何を言ってるんだ!」
と横入りしてきたのは誰だったか。
「皇帝陛下が帝国の敵になるなど、あるわけがない! 皇帝陛下こそが帝国そのものだ! この二つは不可分だ!」
「いや不可分ではない」
その地に住む無辜の人々こそが国家の基盤だ。
王も皇も、究極的には民に奉仕する存在でしかない。
「国主が国家と一体であるには、無制限の努力が必要だ。その努力を怠った時、君主は暗君となり、さらには暴君となる。そんな王は害悪として取り除かれねばならない」
「知った風な口を……!」
言ったのは皇帝その人だった。
声が微かに震えている。
「お前ごとき若造に言われるまでもない。その程度のこと、皇帝たる余が弁えておらぬとでも思ったか……!?」
どんどん声が荒ぶっていく。
「皇帝こそ国にもっとも奉仕する者! 国の奴隷でしかない! その教えを守り、余がどれほど帝国に尽くしてきたかお前ごときにわかるか!? 帝国を守り、繁栄させんため、余がどれほど心を砕き、血を流し、涙を流してきたか! お前ごとき若造にわかるか!? わかるかと聞いておるのじゃあああッ!!」
皇帝の怒号は、老人とは思えないほど苛烈で激しかった。
まるで獣のような雄々しさ。
「陛下、どうかお鎮まりを!」
「興奮されてはお体に障ります!」
周囲の制止も振り切り、俺に掴みかかる。
襟首を締めあげて、凄まじい迫力だった。
「ここまで帝国を大きくするのに、余がどれほど犠牲を差し出してきたか!! このおおおッ! がああああああッ!」
これはマズいと思った。
皇帝の体内で獣魔気が渦巻いている。
このままでは精神を完全に侵食される。
そう予測した俺は迷わず智聖術を発動させた。




