21 暴走貴族
「やはりお前の仕業か?」
魔獣がすべて物言わぬ死骸となったあと、俺は木々の隙間の闇の向こうへ声を放った。
「いるのはわかっている。お貴族様らしく堂々と出てきたらどうだ?」
さっきの<生命探知>で、この辺に潜む生物はすべて洗い出してあるんだ。
悪意ある生命はなおさらな。
しばらく沈黙があったが、やがて落ち葉を踏む音が複数鳴って……。
現れたのは同じ訓練生で貴族生まれのギリーだった。
「……見直したよジラくん。平民のキミがここまでやるなんてね」
「俺は見下げ果てたよ。お前がここまでやるとはな」
魔獣をけしかけたのは、ギリーの仕業だったのだ。
話を整理すると荒唐無稽ではない。
何度も言うが、獣神ビーストと契約した帝国は魔獣を戦力として扱うことができる。
一定の士官以上の責任者が、契約主体者である皇帝から権利を下賜され、魔獣に命令することができるようだ。
「……その杖か? 獣魔の力をビンビン感じる」
ギリーが左手に携えている錫杖のようなもの。
アレが皇帝から魔獣指揮権を委譲された象徴なのだろう。
そういう類のマジックアイテム。
「その通り! この『従魔の指揮杖』は、帝国軍部でも選ばれた者のみに与えられる聖具なのだ! これがあれば魔獣を思い通りに操れる!」
「間違ってもお前が持っていいものじゃないなあ」
「いいや、私にこそ聖具を使う資格がある! 私は帝国貴族の一人なのだから! 私がすべてを率い、すべてに命令する権利がある!」
訓練生の試験すら満足に受けられないヤツがか?
ヤツの姿が見当たらないのは試験開始前から気づいていた。
別に気にする義理もないから放っておいたが、まさかこんなところで待ちかまえていやがったとはな。
「それでどういうつもりだ? 同期が正規兵になれるかどうかのところを邪魔するなど、返答次第じゃただじゃおかんぞ?」
「あんな小物など眼中にないよ、狙いはキミだ。ジラくん」
ほう。
「私の味方になってくれない以上キミは目障りでしかなくてね。早めに潰しておくことに限る、という結論が出た」
「それでこの暴挙か?」
「試験中とはいえ夜の山中。不慮の事故は起こりえる、そこに不幸にも将来有望な平民が死んだ。慢心の上の突発的悲劇だった」
「俺は慢心などしていないが?」
「しているよ。でないと貴族である私の誘いを拒否するなどありえない」
気障ったらしい貴族の表情に、怒りの青筋が浮かぶ。
「お前がどれだけ驕り高ぶっているか、たっぷり思い知らせてから殺してやろう。貴族に逆らった。平民が死ぬ理由には充分だ!」
やる気か。
俺も受けて立つのはやぶさかではないが、その前にバカ御曹司の肩を掴んで引き留める者がいた。
「おやめくださいギリー様……!!」
レイ。
やはり彼も同行していたか。
「今の一事でおわかりになりませんか。彼は、たとえ魔獣をけしかけても容易に討ち取れる男ではありません。『従魔の指揮杖』は、あくまでアナタのお父上に下賜されたもの。勝手に持ち出したと知られれば大問題となります。アナタのお立場は、アナタの想像以上に悪くなっているのですよ!」
「煩い! 私に指図するかレイ!?」
しかしバカ御曹司は、暗君の見本であるかのように聞き入れない。
「あの平民さえ殺せればいいのだ! そうすればこの練兵場での注目は私に集まり、きっと親衛隊再編の候補に選ばれる! 私が帝国軍の頂点に立つには、どうしてもアイツが邪魔なのだ!」
「過ぎたる夢はお捨てなされ!」
レイ、身を切るような決意をもって言う。
その気持ちが声を通して俺にも伝わる。
「ジラ殿がいなくとも、アナタごときが御出世できるほど帝国軍は甘くありません! 彼を除いても、一体どれほどの豪傑猛者が帝国にはいることか! アナタはその誰にも勝てない。お父上の後ろ盾も通じぬ世界なのです! そのことに早くお気づきください!!」
「何いいいッ!?」
歯に衣着せぬ物言いぶりに、バカ御曹司の表情が歪む。
レイとしては最後の諫言として角を落とさず言い放ったのだろう。
その角が彼の心に刺さってくれれば。
しかし諫言しても心を改めないから愚者というのだ。
「この不忠者がぁ! 許さんぞその裏切り! 思い上がった平民共々八つ裂きにしてくれる!」
「ぐあッ!」
御曹司から繰り出される蹴りを、レイは防がずまともに浴びた。
倒れる彼に駆け寄る俺。
「大丈夫かレイ?」
「すまない……、キミに迷惑をかけた、すまない……!」
レイの瞳に涙がにじんでいるのは、痛みなどではなく自分自身への不甲斐なさを憤っているのだろう。
「魔獣をけしかけるため、本家から『従魔の指揮杖』を盗もうとした時点で、殴りつけてでも止めるべきだった。たとえ魔獣が相手でもキミはビクともしないとわかっていたから。それを目の当たりにすればギリー様も恐れて考えを改めると……!」
あー、そういうプランでしたか。
「しかしそんな予測自体が腑抜けた楽観だった。この上は我が命をもって償いにしたい。ジラ、キミは今からでも頂上を目指せ。この場は私が命を引き換えにしてでも食い止める!」
「そうは言うけど……?」
別にもうそんな気を張る必要ありますまい?
御曹司がけしかけた魔獣犬は一匹残らず倒したし。
今更命を危険にさらして対処すべきものが……。
……あ。
「もしかして、まだいる?」
「ああ、リックドックなど比べ物にならないバケモノが、一匹」
すると御曹司、世にも醜い歪な笑みをぴゃんりと浮かべ……。
「もう遅いぞレイ。お前も一緒に、この最強魔獣の餌にしてやる。この最強の、スパイク・ビッグ・フェイスが!」
最強って二回も言った。
それだけ自信があるということか。
闇夜を掻き分け現れる異形は、さっき出てきた魔犬など比べようにもならない怪物だった。
大きい、ネコ科の猛獣だが、とりわけ頭が大きい。
頭だけで俺の身長に匹敵するかもしれない。
その顔に収まった目も異様にデカく、鏡の盾が二つはめ込まれているかのようだ。
それでギョロギョロこちらを眺めてくる。
無言のうちにわかる。
あれは獲物を品定めしている目だ。
あの大顔なら口も同じくらい大きく、俺など容易に丸呑みできよう。
「コイツはやってくれるねえ……」
さすがに、ここでこの魔獣が出てくるとは。
前世で『ビーストファンタジー』シリーズをプレイした俺だから、当然この魔獣も知っている。
スパイク・ビッグ・フェイスは、シリーズ通して大体中盤辺りに出てくる強豪魔獣。
それだけに初期登場のリックドッグとは比べ物にならない。
それだけでなく、あの大顔猫は同時期に出没するザコ敵と比べても強く、そのためエンカウントする時は必ず単体で出てくる縛りまであるのだ。
間違っても正規兵として合格できるか否か? なんて段階で当たれる相手じゃない。
「ぎゃはははははッ!? ビビったろう! それでこそ父上の魔獣舎で一番強いコイツを持ち出してきた甲斐があったというものだ! 驚いてくれたなら用はない、死ねえ!!」
強豪魔獣を従えて、ギリーは既に勝ったつもり。
対してこちらは、レイが悲壮の表情を固めていた。
「見ての通りだ。私もあのクラスの魔獣をいつまで抑えきれるかわからんが、キミだけは生きて死地から逃したい。合図をしたら迷わず駆けだしてくれ……!」
「冗談。こういう時こそ助け合うのが仲間だろう?」
俺はおどけて言った。
「これでも俺たちは同期の訓練生だ。一緒に正規兵になろうじゃないか」
「ジラがいいことを言ったな!!」
ズシン、と地面を揺らし、俺たちの隣に着地する巨体。
それは……。
「ガシ!? なんでここに!?」
「お前が『すぐ来る』と言っときながらグズグズしてるから様子を見にきたんだろ? その甲斐はあったようだな?」
ガシも、バケモノのごとき大顔猫を見上げる。
そして冷や汗を流す。
「並の魔獣じゃないって一目でわかるぜ。このガシ様の助けが要りそうじゃねえか?」
「焼け石に水って言うんだよ。まったくお前は、なんでわざわざ危険な場所に戻ってくるかな?」
まっすぐ他の連中と一緒に進んでいれば、今頃念願の帝国兵になれてたろうに。
「それもいいがよ。……オレのために泣いてくれるような物好きに、何かしてやりてえじゃねえか」
「はあ」
「安心しろ、他の連中は今頃無事頂上にたどり着いてるはずだ。襲われた地点から頂上まで案外近くてな。あとセキのヤツもいるぜ」
言われて振り返ると、たしかにかなり後方で手を振る小男がいる。
「アイツの耳がいいのは知ってるだろうが、実は目もいいし、鼻もいいんだ。アイツに頼ればここからでも迷わず山頂にたどり着ける。さっさとあのバケモノ倒して、四人全員で合格するぜ!」
「しかし、私は……!?」
俺たちと一緒に並びながらレイが俯く。
「いいじゃないか、やろう」
俺と、ガシと、レイと、セキの、この四人で。
この山の一番上を踏んで正規の帝国兵になるために。
まずは目の前にいるバケモノを倒す。




