19 最終試験開始
そして、さらに二日ののち……。
ついに最終試験が始まった。
正確には『訓練期間最終審査』である。
兵役に先立って、元は素人同然の若者たちを使える程度に鍛え上げるための訓練。
それがしっかり既定の水準まで到達しているかを質すための試験。
この試験にパスできれば、晴れて正規のベヘモット帝国軍兵士だ。
しかし勘違いしてはいけない。そもそも兵国兵になるのは頑張った末のご褒美ではなく、義務だ。
帝国男子なら誰でも兵士になる決まりがあって、それゆえの兵役。
試験に落ち『兵士となる資格なし』と烙印を押されたら、帝国民として当たり前の義務を果たせなかったということで、真っ当な帝国民ではなくなってしまう。
国から下される様々な福祉も受けられず、まともな仕事にも就けず、家も買えないし、結婚もできない。
だから帝国に生まれた男はみんな必死で兵士になろうとする。
純粋に兵士になりたいからじゃない。
人並の人生を失いたくないからだ。
そして俺たちも、帝国男子なら誰でも乗り越えねばならない試練の時間となりました。
改めて。
最終試験の開始です!
◆
夜。
最終試験は夜に始まった。
普通なら就寝時間で、まさに寝床に入ろうとしたところを叩き起こされて『なんだ?』という感じだ。
眠りを邪魔されて、ちょっとイラい。
「オラァ! ゴミ虫ども眠そうな顔してないで並べぇ! そんなことで戦場に出たらどうなるぅ? 夜だからって敵は遠慮してくれたりしないぞぉ!!」
敵だって夜は寝たいだろうよ。
いやそうじゃない。
怒鳴り散らしているのはアテコロ教官だった。久々の職場復帰だ。
「さすがに最終試験ともなれば教官が出ないわけにはいかないか」
今まで出てこなかったのも相当問題なんだが……。
しかし嫌な感じだな。
ただでさえ俺含め、錬兵所にいる百人前後の人生が懸かった試験だ。
いかにも邪魔になりそうな人は引っ込んでいてほしかったんだが……。
「いよいよだなジラ……」
夜天の下、のしのしと歩み寄ってくるのは大男ガシ。
彼の巨体は視界の頼りない闇夜でも存在感がある。
「この試験をクリアすれば、いよいよ晴れて帝国兵士だ。オレは必ず合格するつもりでいる。一緒に頑張ろう」
「ああ」
必ず帝国兵士にならねばならないガシの決意は固い。
しかしそう気負う必要はあるまい。ガシ自身、類稀なる巨躯とパワーの持ち主なんだから、帝国兵士に充分な資質を持ち合わせている。
彼が合格できないんなら、ここにいる訓練生の大半も不合格となってしまうだろう。
帝国自身、常に新たな兵の補充を求めているんだから、そこまで鬼畜難易度は用意しておるまい。
ガシに関しては正規兵となることは約束されたようなものだ。
「しかし、なんで夜中に試験開始なんだ? 別に朝になってからでもいいだろうに?」
「その説明が、これからされるみたいだぜ」
アテコロ教官が、得意満面の語りに入る。
「いいか! これより試験内容を説明する! 一度しか言わんからよく聞け!」
試験に合格すればアイツの顔を二度と見ることもないと思ってせいせいするが、その最後がなかなか大変そうだ。
「試験内容は行軍だ! お貴様らゴミ虫がこれまで散々やってきたことだ! どうだ? 安心しただろう? 貴様らゴミ虫がここに来て毎日やってきたことだからな! 真面目に訓練してきたならば!!」
前振り長いなあ。
「ただし! 試験だけあってただの行軍ではない! ……夜間行軍だ!」
ほーう。
それで夜に始まったのか。納得した。
「いいか! 昼と夜では様相はまったく異なる! まったく同じ道ですら迷って前に進めなくなるやもしれん! 夜間行軍の恐ろしさは経験しなければわからない!」
最終試験では、その夜間行軍にぶっつけ本番でチャレンジしろということらしい。
「試験の場所として、錬兵所外の山を使う! 麓よりスタート! 頂上に到達すれば合格だ! ……フッフッフ、夜の山は異界だぞ? せいぜい遭難しないように気を付けるんだな?」
意地悪い笑みを漏らすアテコロだった。
アイツ自分の教え子ちゃんと正規兵にする気があるんだろうか?
「相変わらずウザい教官だな? ジラ、妹ちゃんはどうした? あの子が来てくれたら、あのバカ途端に静かになるんだろうが」
「この時間だぜ。今頃家でグッスリだろ」
夜なんだから。
妹セレンは育ち盛りなんだから、たくさん眠ってたくさん大きくなってほしい。
なので今は、アテコロの有頂天を叩き潰す者がいない。
若干の不安の下に試験は開始される。
「旦那! ジラの旦那!」
そこへ今度は情報通のセキが駆け込んできた。
「なんだセキ? お前姿が見えないと思ったから、兵士になるのを諦めてスラムに帰ったかと思ったぞ?」
「んなわけねえでしょうよ! ジラの旦那に頼まれて調べ物でさ!」
兄弟同然のガシとセキで軽口の応酬。
「……で、旦那。頼まれてたレイの件、調べてきましたぜ」
「例の件?」
違うガシそうじゃない。
「ありがとう。さすがセキは情報収集の手際がいい」
あの下級貴族レイについて、興味が湧いたので調べてみたのだ。
実際情報を集めて回ったのは、そういうのが得意なセキであったが。そういうのを得意としている輩が知り合いにいるのは凄く助かる。
「旦那の睨んだ通り、あのレイってヤツけっこうな使い手でしたよ」
「ほう」
「アイツは精鋭候補生へのスカウトを受けています。精鋭候補生ってのは身分上下に関わらず、才能のあるヤツを青田刈りしようってシステムです。これになれたらオイラたちが今受けている訓練なんかすっ飛ばして、帝国幹部への階段を駆け上がりですよ!」
それは知ってる。
何よりウチの妹がその精鋭候補生だからな。
「お、オレにはスカウト来なかった……!」
「大丈夫ですよアニキ! スラムまで目が届いてないんですって、きっと!」
気落ちするガシを励ましておる。
しかしあのレイという長身男、そんなに出来る男だったのか。
佇まいからしてただ者ではないとわかったしな。
戦いになれば、ここの訓練生の中でもダントツで使い物になるだろう。
恐らくレイとガシが、ここでの最強二人となる。
「……ん? じゃあでもなんでレイは錬兵所にいるんだ? 精鋭候補生になれるんなら、こんなところこなくていいだろ?」
「それがですねえ……、彼、断っちゃったらしいんですよ」
精鋭候補生になることを!?
どうしてそんな、もったいない!
え? お前が言うな?
「『なんで』って思うでしょう? もちろん、あのボンボンボンクラお坊ちゃまのせいですよ」
ギリーか。
「ギリーは帝国貴族のお坊ちゃまでしょう? 下級貴族レイさんの家は、アイツの家の分家筋に当たるんです。同じ年ってだけあって、主家から頼み込まれてお坊ちゃんのお守り役を務めてきたようですね」
ちなみに。
「ギリーの方は相当なボンクラです。上級貴族の子女は英才教育を受けて、そのお陰で大抵精鋭候補生か幹部候補生に入ることができるんですが、アイツは無理だったと」
どれだけ教え込んでも身につかないってか。
彼のことを受け持った家庭教師とかの虚しさが伝わってくるかのようだ。
「それでこんな一般庶民が詰め込まれる錬兵所に来るしかなかったんですが、アイツ一人じゃ不安だからって親から頼み込まれて、俊英の誉れ高いレイさんが付き人として……」
「それで精鋭候補生を蹴ったのか?」
「精鋭候補生になったら錬兵所には入れませんからね」
いわば飛び級として。
エリートコースには凡人の煩わしい行程は免除される。
「下級貴族が精鋭候補生になれるのは珍しいことです。もし努力実ってめでたく親衛隊にでも入れれば、下級貴族も一気に上級までのし上がれますからね」
レイは、そんな出世栄達のチャンスを、主家筋からの無理難題でフイにされたってことか。
人生を棒に振らされた。
それなのにアイツは嫌な顔一つせず、生まれつきの家格が上というだけボンクラ主人に甲斐甲斐しく仕えている。
「貴族は貴族で大変だってことだな……!」
スラム出身で、貴族社会のしがらみとはもっとも遠いところにいるガシが溜息を吐いた。
持つ者には持つ者の、持たざる者には持たざる者のそれぞれの深刻さがあり、それらを一包みにしながら最終試験が始まる。
「にしてもセキ、こんな短い間でよくここまでの情報を集めてくれたな。ありがとう」
「いえいえ! それでも最終試験ギリギリになっちゃいましたし!」
ギリギリでも間に合った。
コイツも侮れない人材だと思う。




