18 新たな燻ぶり
俺が錬兵所に入って早くも一ヶ月が過ぎようとしていた。
その間、一日の休みもなく訓練ばかりの日々だったが、幸い脱落者はなく平穏に過ぎ去っている。
「はーい、今日も訓練を始めます。体調は万全ですか? 風邪とか、怪我とか、異変があったらすぐ言ってくださいね。小さな不調が大事故の元となりますから」
「今すぐ名乗り出れー」
今日も錬兵所に遊びに来た妹セレンと一緒に訓練生たちの点呼を行う。
「いやいや待て待て」
そこへ我が友ガシがツッコミを入れる。
「何でお前が訓練仕切ってんだよ? 教官の仕事だろうそれは?」
「俺もそう思うんだが、なんか教官が仕事したくないらしくてな?」
教官室に呼びにいったら朝っぱらから酒びたりで『ワシはもう知るか貴様らで勝手に訓練してろ』とのたまっていた。
「職場放棄かよクズが、死ね」
こういう時セキくんの口ぶりが情け容赦ない。
「ねえ旦那。あのバカ免職にできないんすか? 妹さんのコネ通せばいくらでも告発できるでしょう?」
「うん、だからクビにするよ」
さすがに帝国軍もバカじゃないし、アテコロの職場放棄は早晩明るみになる。
教官の立場を利用した訓練生苛めを咎められたとはいえ、いじけて引きこもるなど、アイツこそ教育を受けてないガキのようだ。
役立たずに帝国は厳しい。
その姿勢について思うところないではないが、今はその風潮に乗っかっておこう。
「差し当たって今日の訓練は俺が仕切るよ。仕方ないから。訓練内容は、ウチの妹との模擬戦です」
「殺す気!?」
同期の皆、ありがたいことにこの一ヶ月で随分力量が上がった。
基礎体力もついてきたし、軍隊における集団行動もしっかり覚えてきた。
顔つきも精悍になっている。
もう何時実戦に出しても問題ない仕上がりっぷりだ。
新兵の訓練期間は約一ヶ月。
つまり実はほとんど終了している。
ここの訓練生は、明日にでも行われる最終試験を経て正規の帝国兵となり、戦場へと送り出されるのだった。
「案外短いよな……」
ここでの訓練期間も残りわずか。
そして次にはいよいよ実戦だ。
段階的に、『ビーストファンタジー4』の本番に近づいている感じがする。
「あの……、真・教官……!?」
誰が真・教官やねん?
同期の訓練生がおずおず進言する。そう、俺たち同期よ?
「例の人たちがまだ来ていないんですが……!?」
「ああ、アイツらか」
どんな場所でも、一定以上人が集まれば問題児が現れるものだ。
え? 俺?
……俺も問題児かもしらんけど。
他にもいるんだ、ここには。
それが遅ればせながらやってきた。
「おおう、ご苦労様だねえ平民ども」
やたら派手な装いのヤツがご登場。
同じ訓練生であるはずだが、訓練用の鎧もつけず代わりにマントなど羽織り、胸元にバラなんか飾っている気障ったらしさ。
後方に取り巻きを四、五人も従えて……連中は一応ちゃんと鎧装束だが。
一応訓練生のはずなんだが、真面目に訓練する気が外見からは少しも読み取れない。
「ギリー、訓練するなら時間通りに集合してほしいな」
「私としても帝国貴族の義務を果たしたいところだがね。平民どもの泥臭い息に交じって動くのは耐え難いのだ。理解してくれよ」
訓練生ギリーは、なんとかいう帝国貴族の御曹司だ。
そんなやんごとない御方と平民が一緒くたに交じって訓練するのが帝国流。
徹底した実力主義がそういうところに現れている。
しかしこのギリーは、そんな帝国の厳しさが呑み込めていないらしく、錬兵所でも分家の取り巻きを従えて王侯気取りしている。
「訓練期間ももうすぐ終わりだ。晴れて正規の帝国士官となり、キミら平民の泥臭い息から逃れられると思うと安心するよ」
「お前は最終試験パスできるかわからんじゃねーか」
「貴族にはね、キミら平民とは違う、上へあがる基準というものがあるんだよ。まあ下層民はせいぜい安物のパイを奪い合ってくれたまえ。しかしねジラくん。くだらん平民でしかないキミだが、そんなキミに対する私の評価は高いんだよ?」
お坊ちゃまがコテコテな猫なで声を上げる。
「どうだい? 正規兵になった暁には私の部下にならないか? 帝国貴族たる私の庇護下に入れば出世栄達思いのままだぞ?」
「合格したあとの話は、合格してから考える」
率直に考えて、コイツは最終試験をパスできないだろう。
ギリーは帝国を甘く見ている。
貴族だからと無条件で帝国兵にしてくれるぐらいなら、最初から平民一緒くたにされて錬兵所に押し込まれたりされない。
帝国の実力主義の前に、血統など無意味なのだ。
それに気づかない限りコイツと軍内で再会することはないだろう。
「まあそう言わずに。実は耳寄りな話があるんだ。帝国中枢にコネがある私だからこそ知りえた話だぞ?」
と、断りもなく俺の肩に手を回し、半ば強引に他の訓練生から離れた位置へ移動する。
内緒話を聞かれぬようにと。
「……近々、皇帝陛下の親衛隊が再編されるそうだ。現役の親衛隊から新兵に至るまで、幅広く候補を募るらしい」
「何だその話か」
それなら知ってるが。
以前フォルテから聞いたのと同じ話だろう。
「タイミング的には、我々が正規兵になると同時に選抜試験が始まるようだ。運がいいとは思わないか? 我々が帝国に入った途端そんな大チャンスが! これは神が、我々に出世街道を駆け上がれと言っているに違いない!」
その神はどの神だ?
皇帝ヘロデが契約している獣神ビーストことか?
「ジラくん! もしキミが望むなら、私の権力でキミを優先的に候補者に推薦してもいいぞ! そして私と共に帝国の上層部に名を連ねようではないか!!」
「断る」
俺は鬱陶し気に、肩に回された腕を振り払った。
と言うか実際鬱陶しかった。
「親衛隊の再編成の話は知っている。どうでもいいことだ。俺に関りがあろうとなかろうと、ただ受け入れるだけだ」
新たな親衛隊というのはまず間違いなく十二使徒のことだ。
俺が本当に十二使徒に入るなら、ジタバタしなくても自然とチャンスが巡ってくるだろう。
こんなバカに媚びる必要なんかない。
「お前なんかに未来を託す気にもなれない。お前は最終試験を必ず落第し、正規兵にはなれない。今のままではな」
「なにぃ!?」
「まずは正式に帝国軍に入って実力を証明してみろよ。それからなら話ぐらい聞いてやってもいいぞ」
彼が帝国の冷徹さに、どの時点で気づけるかが命運を分けるな。
手遅れならせめて、死ぬまで気づかずにいる方が幸せだろう。
「貴族の私の誘いを蹴るのか……!? 平民の、平民の分際でえええッ!!」
ギリーが手をあげる。
それに呼応するように四人が俺の周囲を取り囲んだ。
ヤツと共に歩いていた取り巻き連中だ。
何やら下級貴族の子たちで、立場上ギリーに逆らえないんだとか。
「ジラくん? いくらキミでも多人数相手では手も足も出まい? 今からでも土下座して、私に忠誠を誓ったらどうかね?」
「多人数?」
俺から見てお前らレベルの千人以下は多人数に入らないんだが。
仕方ないなあ、と暴れようとしたところ……。
「お待ちください」
ギリーの後方で諫める者がいた。
やはり取り巻きの一人だった。
「ジラを相手に我々レベルの四、五人程度には多人数に入りますまい。返り討ちになるだけです。ここは引いて様子を見ましょう」
「チッ、お前が言うなら仕方がないか」
ギリーは再び合図して、それで包囲する数名は引き下がった。
ホッと胸を撫で下ろす様子がした。
「……気分が悪い! 酒場で憂さを晴らすとしよう諸君付き合え!」
と言ってお供を引き連れ、離れていく。
……訓練は?
「彼の所業には、私から詫びておく」
そう言って代わりに立ったのは、さっきギリーを諫めていた取り巻きの一人だ。
やたら長身で、細身ではあるが上背だけならガシに匹敵しそうだ。
「私の名はレイ。名ばかりの下級貴族の息子だ。家の関係上、彼から離れるわけにはいかなくてな」
「それはどうも……」
なんか気配の違う人が来た。
「キミの言う通り、ギリー様は帝国を甘く見ている。上級貴族の息子だからと言って無条件に合格できるほど軍の選別は不用意じゃない。何度も注進しているのだが聞き入れてもらえなくてな」
と弱り切ったような表情を見せるレイとやら。
苦労人のようだ。
「こんなことを頼める義理ではないとわかっているが、キミからも機会があるたび諫めてはくれまいか。無理にとは言わないが、頼む」
深く一礼してから、レイさんは去った主人を追っていった。
難儀な人だ。
俺もこの世界で十数年生きてきたからわかるが、下級貴族というのは貧乏で、暮らしも平民並みのはず。
家禄もないのに、しがらみばかりが山盛りという、ひたすら厄介な立場。
この世界にも色んな人がいるものだ。




