10 庵の日々
それから。
賢者の庵に流れついたセロは、ここで暮らすようになった。
ゲーム的な観点からすれば筋書き通りと言えようか。
故郷を追われた主人公セロは、ここで『たぬ賢者』から修行を受け、復讐の爪を研ぐ暮らしを続ける。
いつの日か、復讐を実行するためにこの地から出発する。
それがゲーム『ビーストファンタジー4』の本格的な開始になる。
それはゲーム中でも語られた雌伏の時間で、主人公セロにとっては今がもっとも辛い『耐える』時間のはずだった……。
……んだが。
◆
「兄ちゃん兄ちゃん!」
セロは俺のことを呼んでいる。
駆け寄りながら、差し出してくる魚籠には多くの川魚が詰まっていた。
「釣ってきたよ! これで夕飯足りるよね!」
「おお、よく釣ってきたな。セロはすっかり釣りが上手くなったな」
『ビーストファンタジー4』ではミニゲームで釣りができたがその影響だろうか?
なんでRPGはミニゲームとなると好んで釣りを入れたがるのか?
「いやこれ、むしろ多すぎないか? 一晩でこんなに食いきれんだろう?」
「大丈夫だよ! 僕育ち盛りだからたくさん食べるよ! 師匠も雑食だから魚も食べるでしょう!?」
「それでも余りそう……? 半分くらい燻製にするか保存も効くし」
「じゃあ僕も手伝う!」
そういって元気に駆け出していくセロだった。
その背中を見送って……。
「元気になったなあ」
俺は戸惑いと共に呟く。
ここに来た頃はそれこそ傷心の果て、心が荒みきってまともな受け答えも難しかったというのに。
今ではあんなに元気溌剌で、年相応だ。
『お前のおかげたぬ』
そこへタヌキの畜生が這い寄ってきた。
「師匠、釣ってきた魚はまだ食べられませんよ」
『家族を失ってどん底だったセロを、おぬしがよく支えてくれたぬ。偶然とはいえ、お前がいてくれてよかったぬ。ワシだけじゃ、あの子をあそこまで人間らしく戻すことはできなかったぬ』
「なんかいいこと言いながら執拗に魚籠を狙うのやめてくれます?」
『たぬ賢者』の興味は魚籠の中の生魚に一点集中だった。
セロも今では、『たぬ賢者』に弟子入りして智聖術を習っている。
それは既定路線と言っていい。
ここで帝国の追跡から身を潜めつつ、復讐の力を蓄えるのだ。
それは原作通りと言っていいのだが、しかし明らかに違う点もあった。
今も触れられていたことだが、セロの性格が明るすぎるのだ。
『ビーストファンタジー4』での主人公セロは、設定に応じてか性格はかなり暗めで、典型的な無口系主人公だった。
それもそうだ。
幼少にトラウマを抱えたら内向的になるしかない。
しかし今のセロは。
「よーし! 燻製作るぞ! 燻すぞ! 煙にまくぞ! あはははははははッ!?」
「独り言が多い……!?」
あれはあれで不安になってくるが。
要するにゲーム本編と乖離が生じているということだった。
ダーク系無口主人公セロがどうしてあんな躁状態なキャラになったのか?
俺か?
俺のせいか?
あの子の村が滅ぼされてしまった責任を感じ、身を寄せた彼のことを甘やかしまくってしまったからな。
こちとら故郷の妹セレンで甘やかしぶりは堂に入っている。
同じように甘やかしてきたせいか、そういえば最近のセロの振る舞いはセレンに似てきたかもしれない。
「……いやッ!? 俺一人のせいではない。師匠だって折に触れてセロのことを甘やかしているはずだ!?」
俺は知ってるぞ。
『たぬ賢者』は時々そのタヌキの体でセロとギュッと抱きしめ合ったりしているだろう。
それこそアニマルセラピー。
傷ついた少年の心を動物のモコモコが癒す。
でもそれは俺がいなかった場合のゲーム原作でもやられていたはずなので、元々のセロの暗い性格の奥底にも優しい一面があるのはタヌキを抱きしめてきたからか。
「師匠」
『お? おぬしも優しさが欲しいたぬか?』
俺も兄弟子なので『たぬ賢者』と固い抱擁を交わし合って師弟の絆をたしかめ合ってみた。
…………。
十秒ほどして体を離す。
「……チッ!」
『チッ! たぬ!』
何故か舌打ちを応酬した。
……ところで。
ここでの俺とセロとの生活を俯瞰して覗く者がいるとしたら、こんなことを口出しするかもしれない。
――『今のうちにセロを殺した方がいんじゃね?』
と。
俺は将来悪役として、勇者セロとぶつかる運命になっている。
そして殺される。
そんな未来は断固阻止したいし、そのためにここで修行を頑張っているんだが、今ここでセロを殺してしまえば、そんな苦労いらんだろうと。
たしかに今の時点でセロは弱く幼い。
殺してしまうのは容易だろう。
しかしそんなことを実行してしまえるヤツがいたとしたら、ソイツは地獄に堕ちろ。
俺にはできない。
絶望に傷つきながら庵にやってきて、あんなに元気になるまで世話をしたのは、この俺だ。
生きることを諦めてしまったような状態で、食べることすら拒否したのに、励まして励まして、最後にやっと自分から食べるようになってくれた時の感動がわかるか?
俺はもうセロを愛している!
妹と同じくらい愛している!
むしろ弟と言っていいぐらい。そんなセロを殺すぐらいなら俺が死んでやるわ!
でも俺自身も死にたくないので何とか解決法を模索してみる。
『そんなことより貴様。のんびりしていていいたぬか? そろそろリミットを迎える頃たぬ?』
「そういえばそうだ」
俺が許された修行期間は五年間。
年月の流れははやく、既にもうその年となっていた。
セロがここへやってきた時、俺は三年間の修行を積んで、二年を残していたが。
もうその二年も過ぎようとしているということだった。
帝国歴九十六年がもう終わる。
「セロがここに来て、もう二年になるのか……!?」
本当に時の流れは速い。
セロも『たぬ賢者』に弟子入りしてからは兄弟弟子として共に学んだ。
ぶっちゃけ俺は、自分自身の修行よりもセロの指導に力を入れていたと思う。
師である『たぬ賢者』よりも。
彼のために必要なことができなかったことへの贖罪。また弟ができたみたいで必要以上に可愛がり過ぎたのもアレだったと思う。
『しかし、おぬし自身の成長もやっぱり必要たぬ。おぬし発案のあの力、最後に完成したかどうか確認してやるたぬ。これを卒業試験とするたぬ』
「お、やりますか」
求めに応じ、俺の体から気が立ち上る。
『ワシも久々に本気で相手になってやるたぬ。おぬしとの五年間の修行、なかなかに楽しかったぬ。その締めくくりを意義あるものにするたぬー』
◆
中略。
◆
『参ったぬー!』
俺が五年の歳月をかけて完成させた最終奥義を披露したあと『たぬ賢者』、地面の上に転がって仰向けに腹を晒した。
これは紛うことなき野生動物の降参のポーズ。
その後方では、大岩が木っ端微塵に砕け散っていた。
俺の最終奥義(お試し版)による被害。
コントロールが甘かったな。まだ全力じゃないのに。
「すッ、すげえ……!?」
それを横で見学していたセロも驚愕と興奮を共にする。
「兄ちゃん凄いよ! この技があれば帝国をぶっ潰せるよッ!!」
すまんなセロ。
帝国出身の俺は、この技を、帝国を守るために使うことになりそうなんだ。
『見事たぬ。智聖術と獣魔術の融合。よくぞ成し遂げたぬな』
『たぬ賢者』が仰向け状態からピョンと立ち上がって直立する。
結局この人……いやタヌキ。本気とか言いつつ全然本気じゃなかったんだろうな。
降参のポーズをとりつつも、未完成とはいえ俺の究極奥義をまったく無傷でしのいでいるし、毛並みに乱れもない。
「師匠が一緒に研究してくれたからです。だからこそ俺の脳内にしかなかった究極奥義を、実演可能な段階まで形にすることができた」
『人間もまた動物の一種たぬ。だから獣神ビーストの領分である本能や欲求も、しっかり人間の中にあるたぬ。それを引き出したゆえに、お前発案の最終奥義は完成したぬ』
「はい」
『しかし真の完成ではないたぬ。人間程度の獣性では弱いために知性の方がまだ強いたぬ。本物の獣並みの獣性を得るには、やはり獣神ビーストのヤツを利用するしかないたぬねえ……!?』
その辺は課題ということで……。
とにかく、この奥義を完成させられたということは、今度こそこの地で俺のやり残したことはなくなったということだろう。
修行完了。
俺は帰らねばならない。
父や母、そして可愛い妹セレンが待つベヘモット帝国へ。
「……兄ちゃん、ここから出て行っちゃうの?」
セロが。
最近では珍しく曇った表情で聞いてきた。
ここで身を寄せてから、本当に俺は彼と兄弟同然に過ごしてきた。
しかし俺が帝国出身者だということはまだ明かしていない。
セロが心より憎む……、『ビーストファンタジー4』の展開から言ってもいずれ争うことになる帝国と。
兄のように慕う俺が関係者だと知れば、益々セロの心を傷つける。
それが怖くて言い出せなかったが、賢者の庵を去って別れるのが最後のチャンスになるだろう。
それを逃したら、次に会うのは敵味方として戦う時だ。
そうしてもそれより先に、セロに真実を伝えておかねばならない。




