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09 真意の土下座

 幸い少年は、外傷などは特にない。

 酷く衰弱しているぐらいを除けばいたって健康だった。


 庵に帰り、寝床に寝かせて……。


『<メホラ>たぬッ』


『たぬ賢者』が回復魔法を唱えると、子どもはすぐさま元気に飛び起きた。

 さすがファンタジー世界、便利。


「こ、こ、ここは……ッ!?」

「急に動くな。回復魔法じゃ芯から体力は回復しない」


 ベッドから飛び起きようとする少年を押し返し、再びベッドに横たえさせる。


「麦粥を作ってあるから食え。腹一杯食ってしっかり寝て、それで体力を回復させろ」

「あの……、ここは、ここは賢者の庵ですか!?」


 意識を回復させた少年は、年の割にはビックリする程しっかりした口調であった。

 俺もヒトのことは言えんが……。


「そうだが?」

「では、アナタが賢者様なんですか!?」

「えー?」


 なんかこの子は勘違いしているらしい。

 まあ賢者の庵を目指していて、目的地に到達して人と出会ったら、それが賢者と思うのは仕方ないか。


「違うよ」

「えッ!?」


 誤解は早めに解いておいた方がいい。


「俺はそう、賢者の弟子だ。ここに住む賢者に教えを受けている」

「では賢者様は!? 賢者の本人はどこに!?」

「どこにと言っても……!?」


 最初からここにいるけど。


 タヌキの外見をした畜生の賢者様は、少年共々ベットの上で優雅に香箱座りなどしていた。


「どこですか!? 賢者はどこに!? ひょっとして留守ですか!?」

『ふふふふふ。ここにいるたぬぅ』


 無垢な子どもで遊ぶのはほどほどにしておけよ畜生。


「その様子だとやっぱり『たぬ賢者』に用があって来たのか? 何の用事だ? まあ安心しろ。用事が済んだらちゃんと両親のところに送り届けてやるから」


 そう言うと、意識回復した少年は見る見る表情を曇らせて、顔を俯かせた。

 耐え難い何かに必死に耐えようとするかのように。


「……僕の家は、もうありません」

「何?」

「父さんも母さんも、僕が住んでいた村も全部なくなりました。帝国に滅ぼされたんです!!」


 帝国。

 この世界でそう呼ばれるのは、俺が生まれ育ったベヘモット帝国しかない。


「帝国の兵士がやってきて、いきなり火を放って……! 父さんが戦ったけど防ぎきれなくて……! 僕も帝国の兵士に捕まりそうになった……! でも母さんが兵士を防いでくれて……!」


 それで一人、襲撃から逃げてこられたという。


「母さんが最後に言ったんです。村のずっと北にある山奥に賢者が住んでるって。その人に助けてもらいなさいって! だからここに……!」

『うーん、お前は……!』


『たぬ賢者』、少年にまっすぐ向き直る。


「ひぃッ!? タヌキが喋ったッ!?」


 そこはいいから。

 酷くシリアスな場面でしょうここ?


『ライガとクズハの息子たぬか。まあ面影があるたぬ』

「タヌキが喋ったあああああッ!?」


 だから。

 面倒なので、少年が『たぬ賢者』の存在を許容するまでの過程は省くことにする。


 それより少年自身のことだ。


 俺自身確信がなく、おっかなびっくり知らないふりして対応していたが、どうやら思った通りの展開らしい。


 突如、賢者の庵に迷い込んできた、この子ども。


 彼こそ『ビーストファンタジー4』の主人公セロだった。

 いずれベヘモット帝国を倒す智の勇者。


 しかし彼の人生は苦難に満ちている。


 十歳の時、突如襲い来る帝国兵に故郷の村を滅ぼされる。

 奇跡的にも彼一人が難を逃れるのだが、両親も友人もすべてを失って、帰る場所すらなく一人で放浪。


 頼れる最後の寄る辺は。

 生き別れた母親が託した言葉。


『山奥に住む賢者に助けてもらいなさい』


 それだけを頼りに、こんな小さな子どもが山中に分け入ったというのか……!?



『あの二人が逝ったぬか……。あっけないものたぬ』


 セロから訃報を聞き届けた『たぬ賢者』は、いつになく静かな口調だった。

 消沈しているともいえる。


 その『たぬ賢者』へ、よりダイレクトに傷心であろうセロ少年が縋るように尋ねる。


「あの……、賢者様は、僕の父さん母さんとは……?」

『盟友だったぬ。あの二人はいくつもの苦難を乗り越え、実らぬはずのない想いを実らせたぬ。それがこのような結末を迎えるとは……』

「じゃあ、お願いします!!」


 もう『たぬ賢者』がタヌキであることを受け入れたセロ。

 今は激情に突き動かされるのみ。


「どうか父さん母さんの仇をとってください! 賢者様にはそれだけの力があるんでしょう! だから賢者なんでしょう!」


『たぬ賢者』に縋りつく。


「僕らは何も悪いことをしていません! 村は貧乏だったけど、父さんも母さんも村の皆も毎日一生懸命生きてきた! それを理由も言わずに滅ぼして……! 帝国は悪です! 悪いヤツらだ! 絶対に許せない!」


 この悲劇が、主人公セロの心中にけして消えない帝国への深い憎悪を刻み付ける。

 そしてゲームがエンディングを迎えるまで主人公セロが打倒帝国のために突き進む原動力となる。


 ゲームとして先の展開を知っている俺は、何故帝国がそんな田舎村を襲ったか知っている。


 予言があったからだ。


 帝国と契約を交わせた獣神ビーストは、いずれ自分たちを阻むであろう障害、智の勇者の出現を予想して先手を打ってきた。


 ――『帝国に災いをなす者が現れるだろう』。


 という予言を、契約相手である皇帝に与えたのだ。


 これらのやり取りから主人公セロは、ゲーム中で『予言の子』と呼称されることもある。


 皇帝は、地位を脅かされることを恐れ、神に教えられた場所へ兵を放つ。

 そこにあった小さな村を滅ぼすのであった。


 その結果が今、身も心もズタズタに刻まれた少年という形である。


 皇帝は、自分を脅かす敵を消し去るために兵を送ったのだが、その行為自体がある少年に心に生涯消えない憎しみを灯し、帝国滅亡の標となるのだから皮肉と言う外ない。


 その少年は今、『たぬ賢者』へ必死の想いで復讐を願い出ているが……。


『……ダメたぬ』


 賢獣の答えは非情だった。


『ワシは智神ソフィアに仕えるたぬ。そのワシがみだりに俗界へ影響を与えてはいけないたぬ』


 そう『ビーストファンタジー』シリーズの常なることだが『たぬ賢者』は物語の本筋に関わることは決してない。


 アイツ自身、マスコットのような外見ではあるものの智神ソフィアの代行者として、超越的な力を持っている。


 シリーズ最強候補とすら言われている。

 設定的には『ビーストファンタジー3』のラスボスで、獣神ビーストより強いとされる『白玉天狐(はくぎょくてんこ)』と同格というのが『たぬ賢者』への評価だ。


 そんな『たぬ賢者』が出てきたら、帝国など一瞬で全滅させられてしまうだろう。

 ゲームバランスの崩壊どころか物語が成り立たない。


 だから力を持っていようと、いや力を持ちすぎているからこそ表に出られない。そういう層にいる一匹が『たぬ賢者』だった。


 ヤツにできる俗世との関りと言えば、せいぜい弟子に教えをつけてやること。

 それをこれから傷心の少年へ行うのだ。

『ビーストファンタジー4』の物語通りに進むならば。


「そんな……! そんな……!!」

『悲しいことだけど運命を受け入れるたぬー』



 絶望に打ちひしがれる少年。

 しかしこれから彼は、運命に抗うための力を与えられる。

 目の前の畜生から。


 そして俺は思った。


 ――『俺はどうして何もしなかった!?』と。


 俺は前世の記憶から、ゲームを通してこの世界で何が起こるかを知っている。

 当然この少年に起こることも前もって知っていた。


 知っていたなら何かできたはずなのに!


 今目の前にいる少年が、故郷を奪われ、家族を失い、絶望にのたうち回っている。

 そうなることをあらかじめ知っているはずなのに俺は何の手も打たなかった。


 所詮ゲームのことだからと現実感を伴わなかったからか?


 たとえばセレンや両親は、もう何年も共に生きてきた家族。俺にとってあの人たちは間違いなく血の通った人間だ。


 でもセロに関しては今日出会うまで、ゲームの中のキャラクターでしかなかった。

 情報だけの存在だった。


 それがゲーム冒頭でどんな目に合うかも知っていながら、『ゲームの中のことだから』と割り切っていたのか。


 でも違う。

 ここではゲームの出来事が間違いなく現実なんだ。


 それを、故郷も家族もすべてを奪われ絶望する子どもを見て思い知った。


「…………ッ!? ……ッ!」


 考えれば考えるほど、自分の罪深さを思い知る。

 そして立ってなどいられなくなった。


「すまんッ!」


 俺は地面に這いつくばった、床に額をこすりつけてとる姿勢は、ように土下座。


「すまん! 本当にすまん! すまないッ!!」

「えッ! えッ!? なんで!?」


 いきなり謝られる少年の方は驚くしかないだろう。

 変なヤツかと思われたかもしれない。


「俺がッ! 俺が本当にッ! すまない! すまない……!」

「いやなんなんですか!? いきなり謝られても……!」

『弟子がおかしくなったぬ』


 戸惑われても訳を話すわけにはいかない。

 俺はただひたすら、頭で床を叩いて侘びるしかなかった。


 やはり俺は甘かった。

 俺が前世から持ち込んだ記憶は、軽んじていいものではない。

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