リク小説3「昔日の面影」
グレイの過去のお話。外伝もどき。
第十三話を読んだ後に読むと、内容的に分かりやすいと思います。
「良かったわね、グレイ。フレイ、あんたの面倒見てくれるって。王都のイェリの家まで迎えに来てくれるそうよ」
“外出”していた黒狼族の女性が持ち帰った手紙を族長に読んでもらったという母・ミドーレの知らせに、グレイは無感動に母の顔を見返した。
そんなグレイを、ミドーレは琥珀色の目を僅かに優しく細めて笑い、仏頂面の息子の頭を豪快に掻き回す。長い黒髪を編みこんで束ねたミドーレは、一ヶ月後に十三歳になる息子や十六歳の娘がいるようには見えない程、若々しい。これで三十代半ばなのが息子ながら驚きだ。日焼けした肌をして、健康そうな美しい女性だ。黒狼族は総じて見目の良い者が多い中で、物静かな空気がミドーレをどこか神秘的に見せている。
姉のバロアは表情豊かだが、グレイはミドーレに似たのか表情に欠ける。だが、だからこそ、無表情の中に僅かな感情を見つけ出すのは得意だった。
ミドーレがとにかく機嫌が良いというのは分かる。ぐしゃぐしゃ掻き回す手が止まる気配がないのから見ても。
「お袋、そろそろ手を放してくれないか」
「あ、ごめん! 嬉しくってねえ。あんたの髪、フレイの髪にそっくりの猫毛だからつい」
ミドーレは苦笑して、グレイの髪を手で綺麗に元に戻す。
そして、どこか遠くを見つめるような目をして、手紙をぎゅうと握り締めた。
黒狼族の集落は閉鎖的だ。成人後の黒狼族の男で集落にいられるのは族長の夫だけであり、他は集落にいることすら出来ない。だから黒狼族の女は、自分の結婚相手を外へ探しに行く。そして子を身ごもると、集落に戻って育て、再び集落から出ることはない。だから、例え相手の男を心の底から愛していたとしても別れる。思い出を胸にしまいこみ、別れた男を想いながら年月を過ごす。そんな生き方をしている者がほとんどだ。
黒狼族は、どういうわけか、黒狼族の女性から生まれた子どもでないと黒狼族として生まれない。黒狼族はレステファルテ国では嫌われているが、高い身体能力を有する為に、利用しようと狙う者もいる。そんな外敵から身を守ることと、集落が大きくなりすぎると、脅威とみなされるから、こうして調整を測っているらしい。
グレイの父親であるらしいフレイという人間の男には会ったことはないが、両親が互いに想い合っているのは知っている。ときどき手紙が届くからだ。一度、父親が生まれた姉に会いに来たこともあったくらいで、こんな辺鄙な地までよく来られるものだと感心した。まあ、それでグレイが生まれることになったのだから、何も言えないのだが。
そして、ミドーレもまた、フレイの名に似た語感になるようにと、グレイの名を付けたくらいには、フレイを想っている。
「あの人がいてくれるから、あんたは大丈夫。何にも心配いらないわ。それにあんたは我が子ながら戦闘能力も高いしね。でも、精進なさい。外は怖いところよ。足元をすくわれないようにね」
「分かってる」
グレイは頷いて、短く返す。
ミドーレも頷いて、部屋の隅に立て掛けていた槍を手に取って、グレイに放り投げた。
「じゃあ、さっそく一戦といきましょうか。両足両方の重心で使えるようにという課題、どうなったか見てあげる」
「よろしくお願いします、師匠」
鍛練の時は、ミドーレのことは師匠と呼ばなくてはいけない。集落のどこの家もそうだった。
ミドーレは分かる者には分かる程度の微笑を浮かべ、自身も槍を手にして、天幕状の家を出ていく。
グレイはその後を追いながら、小さく零す。
「……親父、か」
いったい、どんな男なのだろう。
一ヶ月後に会う“父親”を想像してみようと努力したが、グレイには難しかった。何せ、族長の夫はすでに死去していないから、集落に大人の男がいないせいだ。結局、想像を諦め、僅かに首を傾げた。
*
一ヶ月後。冬の真ん中の季節、レステファルテ国は過ごしやすい気候になっていた。
グレイは十三歳の誕生日のその日に集落を出た。
黒の衣服の上に、灰色のマントを羽織り、フードを目深に被った姿で、荷物を背負い、槍を片手に砂漠を行く。風が強い為、口布を鼻の頭まで引き上げている。
母・ミドーレと姉・バロアとは昨晩のうちに別れの挨拶を済ませた。
まだ朝日が昇りきらない時間帯に、静かに集落を出るのがしきたりだ。
赤砂荒野の途中までは、狩りに出かけたことがあるから道は分かる。その先は、星を目印にして進むように教えられた。
そして、十日かけて王都まで辿り着いたグレイは、話に聞いていたようにマントで身なりを隠し、各地に散らばる黒狼族とその家族の間を取り持つイェリという同胞の男の家を目指した。
イェリ宅に着き、イェリと挨拶を交わしていると、奥の部屋から黒髪と赤目をした人間の男が駆けこんできた。
感極まったような顔で腕を広げて駆けてくる男に、とりあえずグレイは袖口から出したナイフの先を突き付けた。
「誰だ、貴様。近付くな」
だが、男はナイフを左手の指先で挟んでひょいとひねり、グレイの手からいとも容易く取り上げ、床に放り捨てる。
「感動の御対面に、なんて野暮な物を持ち出すんだ、お前。こういうとこはミドーレに似てるなあ! 流石だ、我が息子!」
そして、問答無用で抱擁を受けた。
ナイフをあっさり捨てられたことに軽く衝撃を受けていたグレイは、無表情のまま固まった。
父親? こいつが?
なんだかごつくて暑苦しい。これが父親?
ものすごく殴りたい衝動に駆られ、右の拳を握りこむ。
「おい、放せ」
手短に言って、いっそ殴ってやろうかと構えた時、男はグレイを離した。その顔にさしものグレイもぎょっとする。
涙と鼻水の大洪水が起きていた。
「おーうおうおう。十三年目でやっと会えた! 息子だけでも手元に来てくれて良かった! ありがとうな、グレイー!」
こちらがどん引きする勢いで泣きだした男は、再びグレイを抱きしめて、おいおいと大声で泣く。
助けを求め、グレイがイェリの方を見ると、イェリはにやにやしていた。
「良かったな、グレイ。人間の父親で、ここまで再会を喜ぶ部類は貴重だぞ~? まあ、十三年分、抱きしめられとけ」
「…………」
口ではそう言っているが、面白がっているだけなのはすぐに分かった。
グレイはうんざりしながら、その十三年分とやらはいつまで続くのだろうとげっそりする。冒険者として格が高いと母親が言っていたのは本当らしく、抜けだそうにもちょっと苦しい程度の絶妙な力加減で押さえられていて動けない。そんなところで力量を発揮しなくていい。
結局、男の気が済むまで、グレイはじっと耐える羽目になった。
男の名は、フレイニール・コルビッツというらしい。
母親はいつもフレイと呼んでいたので、本名を知らなかった。
家名を名乗っても良いぞと言われたが、黒狼族に家名はいらないので断った。ものすごく残念そうにされたが、こればっかりは譲れない。
イェリ宅に三日滞在した後、フレイニールは、セーセレティー精霊国へ行くと告げた。レステファルテ国は黒狼族に辛いから、息子を酷い目に遭わせたくないらしい。
「俺はそういった世間の事情も含め、この一年、あんたに師事するんだが……」
過保護すぎやしないかと、グレイはそう苦言を口にしたが、フレイニールは頑として言う事を聞かない。
「駄目だ、絶対に駄目だ。旅の仕方は教えてやるし、気を付けることも教えるけどな、最初っからそんな厳しい所にいなくてもいいだろ。俺が見たくない。師匠の言うことは聞け。あと、俺を呼ぶ時は、お父さんを推奨する! パパでも可!」
「……親父、自分で言ってて悲しくならないか」
「何でよりによって、そのチョイス!? ひでぇ! お父さんって呼んで!」
グレイはフレイニールの言葉をきっぱり無視した。
グレイの顔立ちはフレイニール似のようだが、フレイニールは感情豊かなので、ちっとも似ているように見えない。グレイの性格は母親似なので、無表情ぶりまで似てしまったのだ。姉のバロアは父親似の性格で、母親似の顔をしているらしい。言われてみると、なんとなく、姉の性格と父親の性格は似ているように思えてきた。
「ほんとミドーレに似たなあ、お前。まあ、良いことだけど、もうちょっとくらい笑えばいいのになあ。無表情がたまに笑うと破壊力凄いよな! 俺、お前の母親のそこに惚れちまってなあ。ああ、ミドーレ! 俺の月の女神!」
突然のろけだしたフレイニールは、太陽に向かってそんなことを叫びだした。恥ずかしいので、往来でそんな訳の分からないことを叫ぶのはやめて欲しい。
なんなのだ、月の女神とは。
レステファルテの日の男神と対をなす月の女神のことをいうとは知らないグレイは、フレイニールをおかしな物を見る目で見る。会った時から、大概テンションがおかしい気がする。
じと目で距離をとるグレイの冷たい眼差しも物ともせず、フレイニールは肩をゆすって笑う。
「いやあ、すまんすまん。ついテンション上がっちまった。息子に会えて、年甲斐もなく浮かれちまって。俺は、家族ってやつと縁が薄いんでなあ。やっと家族が出来たと思ったら、嬉しくてたまらなくてな」
「……ふうん」
「つまんねえ反応だな! お前もいつか分かるよ。いや、分かって欲しいね」
フレイニールはしみじみと言い、赤い目を優しく細めてグレイを見た。
そういう目はたまに母親がするくらいだったから、グレイは何だか腹の奥がむずがゆくなった。親鳥が雛を見守るみたいな目だ。だが、悪い気はしない。
「とりあえず、馬を買って、それから食料も揃えるか」
フレイニールはすでに考え事を始めていて、浮き浮きとした足取りで王都の雑踏を歩く。グレイはその横を並んで歩きながら、父親というのは皆こんなものなのだろうかと、内心で首をひねった。
王都を出た後は、フレイニールとともに馬に乗って旅程を過ごした。
そして、野営時には、フレイニールから武術の手ほどきを受けた。
槍を使うグレイに対し、フレイニールはハルバートという斧槍を使っていた。突く、斬る、引っかけるの動作が出来、柄でガードも出来るという、槍の長所とその他の長所を合わせた武器だ。重い為に扱いにくいというのが難点だが、フレイニールのハルバートを持たせてもらった限り、ちょうどいい重さに思えた。
「槍は確かに、誰でも扱いやすい武器だ。それにミドーレは槍使いだったから、それで教えてたんだろ。俺はもっぱらこれだな。お前、大概の黒狼族と同じで腕力があるようだから、こっちの方が良いかもな? セーセレティー精霊国に着いたら、見繕ってやる。それまでは、槍で鍛えてやろうな」
いつも明るく能天気な男だが、戦闘時と鍛練の時は雰囲気ががらりと変わった。厳しい気配を放ち、強者だと思わせるオーラがある。だからグレイは、この男を師匠と仰ぐのに否やはなかった。強い者に教わりたいと願うのは、黒狼族に生まれついた戦士としては当然のことだ。
ときどき、良い技だったと言って、フレイニールがグレイの頭をぐしゃぐしゃ掻き回すのは、母親と似ていた。だが、母親よりも大きな手の平に力強く掻き回されると、気恥かしさ半分と心強いような不可思議な心境になる。それに、子ども扱いするなという反感も微かにあったが、フレイニールがあんまり良い笑顔を浮かべるので、グレイは何も言えなくなった。母親が絆されたのはここなんだろうかと、何となく察した。
同じ物を見て、同じ物を食べて、同じ日々を過ごして、一年はあっという間だった。
いつ卒業を言い渡されるだろうと、グレイは毎日武器の手入れをしながら、フレイニールの言葉を待っていた。
いつでも旅だてるよう、荷物は準備していた。
しかし、一週間が経ち、一ヶ月が経ち、三ヶ月目が来ても、フレイニールは何も言い出さない。
痺れを切らしたグレイは、フレイニールに問うた。
「親父、何故卒業を言い渡さない? 今日で一年と三ヶ月目だ。いつでも出ていく準備は出来ている」
フレイニールは、目を瞬いた。
「何だ、一年って」
「……黒狼族の男は、男親に一年だけ師事する決まりだ。知らなかったのか?」
グレイが驚いて聞き返すと、フレイニールはしばし考え込んで、おもむろに荷物を引っくり返し始めた。そして、ミドーレからの手紙と思われる手紙の束を引っ張り出し、読み始める。
「……まじか。本気で書いてある。すまん、息子が来るっていうところしか読んでなかった」
そう呟いて、愕然と肩を落とす。
「なあ、グレイよう。卒業させにゃならんのか? 俺は、やっと会えた息子を一年ぽっちで手放すなんて嫌だ」
「嫌だなどと……子どもか、あんた」
思わず突っ込みを入れ、グレイは眉を寄せる。
「最低一年というだけだが、普通、人間の父親は一年経つと嬉々として放り出すと聞いていた。義理だと思っているなら、そうしても俺は怒らないし恨まない」
本音は、まだまだフレイニールから武術を学びたいところだが、人間の男親は総じて黒狼族の息子を嫌がるらしいから、いつでも旅立って構わないのだ。
「その他のことなんか知るか! 駄目だ、駄目だ。卒業させなくていいんなら、させねえぞ! お前が所帯持って出てくまでは、ずっと面倒見る!」
「……何年後の話だ、それは」
グレイはまだ結婚する気は欠片も無い。十四歳になったばかりだから、それも当然だろう。
年甲斐もなく駄々をこねだした困った父親を、グレイはじと目で見る。本当にときどきどうしようもなく子どもみたいな男だ。グレイの方が精神年齢が上な気がする。
「とにかく! 気にしねえで、ずっといていいんだからな! というか、出ていくんなら、俺を倒してから出て行け!」
「……分かった」
「おいこら、何、武器を構えてんだ」
「卒業出来る段階かを測るのにちょうどいい。相手しろ」
「無表情で静かなのに、その好戦的なとこ、ほんとミドーレそっくりだな! 困った奴だが、うん、そこも良い」
のろけだした父親を無視し、グレイは中庭に出ようと催促する。フレイニールは仕方なさそうにハルバートを手にして中庭に出て、グレイと一戦した。
絶対に負けたくなかったのだろう。フレイニールは本気を出し、グレイは二合も打ち合うことなく惨敗した。
「ふふん。まだまだだ、ひよっこ」
「絶対に負かして出ていく!」
打倒フレイニールが、グレイの目下の目標になった。
*
「――結局、あんたを負かせられなかったな」
レステファルテ国の煌々と輝く二つの月の下、グレイは海を見つめて煙草を吹かしていた。
父親が死んでから、色々あった。
今はこうして、海賊を討伐する為に、船に乗り込んでいる。グレイの足元には、海賊達の死体が転がっていた。
血のにおいと潮のにおいが混ざりあい、不快だ。
「賊を殺すのばかり上手くなった。それでも、あんたに追い付いた気がしない」
あのぬるま湯みたいな日々は懐かしく、自身が選んだ道の厳しさに思い到らせる。だが、後悔など微塵もない。
ただ、父親を負かして出ていくという目標を達成出来なかったことが、こういう仕事をしているとときどき思い出される。
あの太陽のように明るい父親とは対照的に、グレイは影の中を生きている。
そうしていることを、なんとなくあの父親は怒りそうだと思うが、それでもグレイはやめる気はない。
ただずっと昔日の面影を追いかけている。
そうし続ければ、いつかあの目標を達成出来そうな、そんな気がする。そして、父の仇を討つという目標もまた。
「――ったく大人しく寝ていればいいものを。気付けばあの世にいられたのにな?」
がちゃがちゃと武器を鳴らし、甲板に出てきた海賊達を見て、グレイは月を背にしてうっそりと微かな笑みを浮かべる。
そして、この辺りの海を荒らしている海賊達を一網打尽にすべく、ハルバートを手にして、影と影を渡り歩くように、甲板を走り出した。
……end.
リク3、終わりました。
えと、確かリクは父親とのどたばた話? だったような気もしてきましたが、普通に過去話を書いてしまいました。
随分と長く時間をかけて書いた割に、量は少ないです。
なんか、リク2の連載作品より難しかったです。
あと、フレイニールのことを考えると、切ない気分になりました。無駄に明るい人だから、悲惨な最期を思い浮かべてへこむ。
なんだかんだで、グレイに多大な影響を与えてこの世を去ったお人です。
では、お粗末様でした。




