07 【完結】
(うー、いってえな!)
左足がじくじくと痛むのに、いったい何だとぶち切れて、修太は目を開けた。
灰色に薄汚れた床石が見え、埃っぽさに鼻がむずつく。
妙に重い身体に疑問を覚えたところで、眼前で踊るように動く漆黒の影に気付いた。
「グレイ!?」
驚いてがばっと身を起こす。その動作で、左の太腿が針を刺されたような痛みに襲われて、思わず両手で押さえた。
痛む箇所には真新しい切り傷があり、血が出ていて床に赤い染みを作っている。
それに気付いた途端、貧血のように頭がクラクラしてきた。
道理で身体が重たいはずだと納得しつつ、ソイルの暗い笑みを思い出す。あちらの倉庫を出る際に当て身をくらわされたせいで、どうしてこんなことになっているのか分からない。ソイルはどこにもいないようだし、グレイもどうしてここにいるんだろう。
修太は目をぐるぐると回しながら、視線を前に据える。
灰色の毛をした狼――鉄狼三匹相手にハルバートを構えて応戦中のグレイだが、いつものような技の切れがない気がした。
(ん?)
グレイの身体の表面を、ときどき光の線が走り、パリッと音を立てている。
(光? 放電に似てるような……)
静電気が纏わりついているような、そんな様子に見えた。
あれのせいで動きが鈍いのだろうか……。
しかし、何なんだろう、あの光。
修太にはさっぱり分からなかったが、グレイの状態が不調だというのは分かる。
(闇堕ちしてるんなら、こっちの出番だな)
赤い目を爛爛と光らせる鉄狼達を見据え、修太は短く息を吸う。
いつものように気持ちを落ち着け、一度目を閉じ、開けて、静かに言葉を紡ぐ。
「――落ち着け」
その瞬間、無音の衝撃が修太を起点にして拡散した。
目に見えない風に吹かれたかのように、鉄狼達の動きがびくりと止まる。ちょうどグレイに飛びかかっていた一匹は、グレイの刃の餌食となって黒い霧となって消えた。
大人しくなった鉄狼を見て、グレイはハルバートの刃先を下ろし、どこか疲れたように肩を落としてこちらを振り返った。
「……生きてたか」
「いや、死んだ覚えはないんだけど……」
開口一番に不吉な言葉を紡がれて、修太はつい突っ込んだ。感情が見えない顔と漆黒の佇まいでそんな台詞を言われると、まるで死刑宣告を受けたような気分になって身が冷える。
「グレイ、何かパリパリしてるけど、平気なのか? それ」
修太はすぐに考えを切り替え、さっきから気になっているグレイの身に纏わりつく光を凝視して問う。そしてなにげなく手を伸ばしてグレイの腕に触れた瞬間、修太の指が触れた地点から白い光がバチッと四方に弾け飛んだ。
修太はびっくりして、目を瞬く。
「……うわ、びっくりした。何だ?」
「シューター、お前、魔法ならどんな状態のものでも無効化出来るんだな」
グレイも微かに驚いたようで、右手をぐっと握りしめたり開いたりし、そう呟く。
「痺れが取れた。助かった」
「痺れてたのか? えーと、お役に立てて何より?」
何かをしたつもりもないので、修太は首を僅かにひねりながら返す。
「……怪我はその足だけか?」
修太の前に座ると、ちらりと怪我を一瞥してグレイは問う。腰のベルトポーチから包帯を出すのを見ながら、修太は頷く。
「たぶん? 痛いのはこれだけ……。えーと、そういやソイルさんはどこなんだ? あの様子だと、グレイ、襲撃されたんだろ?」
なんとなく、グレイの纏う空気が重くなった気がした。
「……まあな」
ついでに冷気も漂い始めている。
「ここに閉じ込められたから、あの女装男がどうしてるかは知らん。馬鹿でないなら逃げているだろうよ」
「いだだだだ。ちょっ、俺に八つ当たりするの、やめてくれます!?」
グレイが左の太腿の怪我に包帯を巻いてくれたのはいいが、不快なことを考えたのか力いっぱい締められ、修太はたまらず騒いだ。グレイはきょとんと手元を見下ろし、ああ、と、どこか納得した声を漏らし、包帯を緩めて巻き終えると端を結ぶ。
「すまん、つい力が入った」
「あんたのついは俺には殺傷力が高すぎるんで、そこんところよろしく」
その“つい”だけで、とどめを刺されそうな気がする修太は、淡々と謝るグレイに心臓をバクバク鳴らしながら言う。冗談で済まないのが怖い。
「……この程度なら、後で治療師に診てもらえばすぐに治る」
「そ、そうですか……」
あんまり冷気が漂っているので、修太は何となく敬語になる。グレイは僅かに眉を寄せる。
(何で睨んでくるんだ。こえええ)
本気でとどめを刺されるのではと内心で震えあがっていると、グレイはぼそりと言った。
「……巻きこんで悪かったな」
「へ!?」
まさかそこで謝るとは思わず、修太は思わず身体の前で構えた手を慌てて下ろす。
「あの男、俺が前に潰した盗賊団の生き残りだったらしい。その復讐に来たようだ。お前は出汁にされたんだ」
「いや、出汁にされたのは知ってたけど、そういう事情だったのか……。そりゃまた……」
殺伐としてるなあ。流石、グレイだ。
そう思いつつ、この重苦しい空気をどうにかしたくて空笑いを浮かべる。
「まさか俺なんかで出汁になるとは思わなかったよ。来るわけないと思ってたから、意外だったな。はは、は……」
「…………」
あれ? 逆に空気が悪くなった気がする。
冷や汗をかいて頬を引きつらせて笑いを無理矢理浮かべる。
「そうだな。お前は弱いからな……」
グレイはどこか少し不思議そうに、言い訳するみたいに言った。その一言は、修太の胸を大きくえぐったが。
(弱いかあ……)
分かってはいるが、落ち込むものは落ち込む。
そうして際限なく落ち込んでから、ハッと顔を上げる。
「そうだった! コウとピートはどうなったんだろ。グレイ、知らないか?」
「ピート?」
「俺を呼びだした奴だよ。ちょっと年下くらいの子どもでさ、ソイルさんに利用されたっぽくて……。ここって別の倉庫だよな。うわ、探さないと!」
確か十二番倉庫だったよな、あそこ。
修太は壁に手をついて立ち上がると、ひょこひょこと怪我をしている足を庇いながら出口を目指す。
もしかしたら、コウもケティーみたいに殺されているかもしれないと思い、いてもたってもいられなかった。
「あ、お前ら、後で迎えに来るからここにいろよ! 他の奴が来ても襲いかかったら駄目だぞ!」
倉庫を出る前に、生き残りの鉄狼に言いつける。すっかり大人しくなっている鉄狼達は、不思議そうに首をもたげ、返事をするようにワフッと鳴いた。
「待て。怪我人がふらふら歩き回るな」
ハルバートを左手に持ったグレイが追いついてきて、仕方なさそうに溜息を吐いた。
結局、流血のせいで貧血気味な上に怪我までしていた修太はグレイに背負われることになった。
ピートもコウも無事だったし、ピートには怪我をするきっかけを作ったことを謝られたが、そのことよりも、ピートに笑顔で「いいお父さんだね」とグレイを見ながら言われたのがこたえた。
違うから! グレイは父親じゃないから! そもそもグレイが父親だったら、修太はよっぽど美形に生まれてるから! くそ、泣けてきた!
どうでも良さそうに流すばかりで否定すらしないグレイに代わり、修太は誤解を解くのに必死だった。
この日のことがきっかけで、ピートとは友達になった。あの生き残りの鉄狼はピートの家が引き取って、修太はコウと一緒にときどき鉄狼達の様子を見に行きがてら、鍛冶屋で修練に励むピートと犬の世話についての話で盛り上がったりした。
――そして、消えたソイルはというと。
「迷惑な置き土産を残していったな……」
「……まったくだ」
ソイルの所在は不明で取り逃がしてしまったが、ソイルはグレイに迷惑すぎる贈り物をしていった。
グレイ宛てで宿に荷物を送りつけていたのだ。
それが、箱の蓋を開けただけでグレイに大ダメージを与え、グレイは非常に珍しいことに寝込んでしまっている。
「あの野郎……、次に会ったら細切れにして砂漠の悪魔の餌にしてやる……っ」
グレイが負のオーラを撒き散らしながら、そう呪いの言葉を吐きたくなる気持ちもよく分かる。黒狼族がこの世で最も不快にさせられるという、花ガメの花粉がこれでもかとみっしり詰まったクッションを、ソイルは送りつけていたのである。「これで悪夢でも見てうなされろ、クソ野郎」との手紙付きで。
やることがせせこましいというか、ガキくさいというか……。
普通だったら、黒狼族は花粉に弱いからあまり意味のない嫌がらせだったのだが、花粉だけでなくにおいも駄目なグレイには最悪の嫌がらせだった。
宿のおかみから箱を受け取り、蓋を開けた途端にグレイがぶっ倒れたので、修太やコウだけでなく、おかみや他の仲間達も騒然となった。
天変地異の前触れだとピアスは恐れおののき、フランジェスカは石化して対応に困り、サーシャリオンは鼻を押さえてとんずらし、啓介はグレイも人の子だったんだねえと呑気に感心していた。感心するくらいならどうにかしろと修太は怒った。
そして、修太はただ今、看病中である。
他の面子がグレイに近寄りたがらないので、自然と修太にお鉢が回ってきたのだ。曰く、寝起きに攻撃されそうで怖い、だそうだ。
体調が悪いグレイは機嫌も悪かった。どうも勘気にさわりやすくなるらしい。体調が悪いとピリピリして他人に当たる者がいるが、その良い例だ。あまり近寄るなと言われているが、花ガメの花粉アレルギーのせいで熱と吐き気にさいなまれている病人を放置ということも出来ず、最低限の範囲でときどき様子見している。
「ソイルさん、また復讐に来るんじゃないか?」
今はおかみさんから受け取った食事の乗った盆をグレイに渡しているところだ。仲間達でさえ恐れるグレイに宿の従業員達が近付けるわけもなく、何故かそっと手渡されてしまうので、修太は渋々運んでいる。
「そうだな。あれだけ殺気を寄越してきたんだ、それもあり得るだろう。だが、次に来たらこっちが逆に仕留めてやる」
くくっとほの暗い笑いを零すグレイ。
(どう見ても悪役です、グレイさん……)
修太はぞっと背筋を凍らせ、ちらりと部屋の隅に視線を投げる。啓介に頑張ってというように親指を立てられ、この野郎と睨む。その傍ら、サーシャリオンは自分のベッドに寝そべって、暑いと言ってだらけている。修太もそっち側になりたい。
遠い目をしていると、グレイがじっと見てきた。
「お前も少しは怒ったらどうだ。巻きこんだ上に、ナイフで刺されたんだ。怒る権利はある」
「いや、まあ、治療師のお陰で怪我は治ったし、特には……。殺されたケティーと、ケティーと仲の良かったピートが可哀想だなとは思うけど」
ソイルの事情を聞いてしまうと、何となく怒れなかった。当然、巻きこまれたのは腹が立つし、怪我は痛かったが、盗賊とはいえ仲間を殺されれば憎みたくもなるだろうなと考え、ついでに盗賊をせざるをえなくなった理由はなんだろうと背景に思考を飛ばしてしまうせいで、世の中の無情さに物悲しくなるだけだった。
「――呆れた奴だ」
一見すると顔色が悪い以外は不調の欠片も見えない顔で、グレイはぼそりと呟いた。盆を膝上に乗せ、黙々と食事し始める。
「別にグレイを責めてるわけじゃねえよ。ただ、盗賊なんかをするはめになるなんて、何があったのかって考えると、怒る気になれないだけだから。あんたのしてることは正しいと思うし、それで救われてる人もたくさんいると思う。俺だって、その一人だしさ」
海賊船でグレイに助けられなかったら、どうなっていたか分からない。だからグレイの仕事を否定するつもりは全くなかった。
「……そうか」
僅かに視線を反らし、グレイは頷く。
また何か勘気にふれただろうか。修太は内心でいぶかしんだものの、ちらりとベッドサイドのテーブルに置いていた水差しに視線を移す。
「それ食べたら、薬飲まないとな。水を貰ってくるよ」
水差しを手にして、修太はそそくさとその場を後にする。空気が重かったので、離れられる口実が欲しかったので丁度良い。
「グレイ、シュウは昔っからあんまり自分のことは気にしないから、怒ってても仕方ないよ。逆に距離をとられるから程程にしといた方がいいよ?」
修太が部屋からいなくなると、遠巻きに様子見していた啓介が苦笑混じりにグレイに言った。
「……何を言っているのか分からん」
短く答えて、黙々と食事を摂るグレイの態度に、啓介はひょこりと肩をすくめる。
「ソイルさんのこと、そこまで怒ってないと思ったんだけど、違うの?」
「罠を仕掛けてきたことについては、俺のしていることの一つの結果に過ぎん。怒る道理もない。だが、最後のプレゼントには怒っている。当たり前だろう」
「ちょ、俺にまで怒らないでよ、怖いなあ……!」
啓介がたじろいで身を揺らす。
「ケイ、やめておけ。こういう怒りは、時間が解決するものだよ。女装した男に言い寄られるなんて不快な目にあった上、ろくに反撃も出来ずに取り逃がしたのだから、怒って当然であろう? しかも迷惑な贈り物でとどめときた」
黒髪のダークエルフの青年姿をしたサーシャリオンは、ベッドに片肘をついて頬を支え、にやにやと言った。啓介は青ざめる。
「サーシャ! 面白がって余計なこと言うなよ!」
「……お前達、二人して俺をおちょくっているのか? 喧嘩なら買うぞ? 特にサーシャ」
「そのような幽霊じみた顔をして、何を言っているのだか。病人は大人しく寝ておれ。そして今度のことは教訓にするのだな。何をおいてもとどめを刺す。うむ、素晴らしい格言と思わぬか? のう、ケイ」
「俺に振らないでよっ。しかも怖いこと言ってるしっ」
慌てふためく啓介と、緩やかに笑うサーシャリオンから目をそらし、グレイは窓の外に視線を投げた。
「…………」
こういうことはきっと後々にも起きるだろう。自分の死にざまについて思考を傾け、すぐにグレイは考え直す。来てもいない未来について頭を悩ますのは馬鹿げている。
いつも一人だったから、誰かといてその誰かが自分の厄介事に巻き込まれることがあるというのが意外だった。
出来る限り巻きこまないようにしようと決意して、過去へと思いを馳せた。――追憶の彼方へと。
……end.
ここまでお疲れさまでした。
なんだか纏まり悪かった気もしますが、これで「追憶の復讐者」、完結です。
共闘ものっていうリクだったので、グレイを助ける修太っていう場面を書きましたけれども、なんだかいつものノリで終わった気も……。(すんません、ラストで看病させてみたかったのでそこで助けてもいます)
女装してる男の人が出てきたりして、不快にさせたら本当に申し訳ありません。ですが面白かったです!(←オイ
ピートを出してみたら、思いの外、気に入ってしまいました。想定外だったわ。
しかし、グレイの感情を書くのが難しくて苦戦しました。何考えてるのか、私もよく分からないので、いちいち手を止めて考えてました。
ほぼネタの集まりな読み切り連載になりましたが、お楽しみ頂けていれば幸いです。
では、失礼します。




