4 (完結)
女が剣を手にして向かってくる。気乗りしないが、武器を向けられては戦うしかない。しかたなくいなしつつ、グレイはどうしたものかと迷っていた。
記憶がないことがこんなに不便だとは。
この子どもがかばっていたから、記憶を失う前の自分は、それなりに筋が通っていたのだろう。
言い分を聞いていても、女の逆恨みに思える。
(面倒くせえが、殺すのはやめておくか)
余計に状況がややこしくなりそうだ。
「しかし、弱いな、お前」
ぽろりと本音をこぼすと、女の顔が赤くなり、憤怒の形相になる。
「この~! 賊狩り、許さない!」
失言だったか。
素早く切りつけてくるのを柄で流し、女が大きく踏み込んでの一撃を柄で受け止めると、力を込めて押し返す。
女は後ろに吹っ飛んで、地面に尻もちをついた。
「いった~」
少し涙目になった女は、ギッとこちらをにらむ。その憎悪に光る目を見た瞬間、グレイの頭に痛みが走った。
「――っ」
額に手を当て、間合いをとる。
(なんだ……?)
何か、映像がちらつく。
――賊狩り、くそーっ! 殺す、殺す、殺す!
――ぎゃあああ、やめてくれ。助けてくれ!
憎悪の声と、助けをこんがんする声。
夜闇の中、血が飛び散る。
軽く頭を振って映像を追い散らすと、女が右手に炎をまとわせた。
「こんな人込みで使うのは避けたかったけど、もういい! あんたを殺す!」
女を起点にして、炎がぐるぐると渦をまく。
今になって気付いたが、女の目は赤茶色だ。
(赤。火が、燃えている)
女を前にしながら、また映像が頭に浮かぶ。
黒い髪と真紅の目を持った、グレイとよく似た男がハルバートを手にして、モンスターと戦っている。男が魔法を使うと、炎が立ちのぼった。
戦い終えると、こちらにやって来てグレイの頭をポンと叩く。
「ははは、グレイ、今の戦い方は良かったぞ。だが、こいつは少し気を付けて戦わないとな。気を付けろ」
「余計なお世話だ、クソ親父!」
「可愛くないなあ。あっはっは。反抗期の我が子もいいもんだなあ」
へらりとしまりのない顔をして、グレイの反論を受け流し、男はうれしそうにしている。
そして、暗転して、場面が変わった。
男が壁にもたれ、血を吐きながら、グレイの手をつかんでいる。
「いつか、真実を、白日の下に」
頼みごとを口にすると、手の力が強くなった。
「なあ、元気で生きろよ。い……ろんなもの……見て……でかい男になれ……」
そして、力が抜け、目から光が消えていく。
死に際まで息子を案じている男に、グレイは頷いた。
「ああ。親父みたいにな」
男に聞こえていたかは分からない。
腹立たしくもありながら、その強さに憧れた。
だからグレイは、その約束のために……
「グレイ!」
ハッと我に返ると、修太がグレイの前に立っていた。
青に輝く魔法陣が展開し、女の炎をはばむ。渦をまく紅蓮の火は、魔法陣に当たると、朱色の燐光とともに霧散する。
その魔法陣を見た瞬間、グレイは修太の肩をつかんでいた。
「おい、やめろ! 魔法を使うな、死にたいのか!」
「え……?」
修太があっけにとられて振り返る。その時、グレイはひときわ強い頭痛に襲われた。
耳元でガラスを叩き割ったような衝撃とともに、記憶がどっとよみがえる。あまりの痛みに、頭を押さえてふらついた。
「グレイ! だ、大丈夫か? 頭が痛いのか?」
修太が慌ててグレイの腕を支え、グレイの頭に手を伸ばす。その手が額に触れると、スッと痛みが静まった。こちらを覗き込む目は、青く光っている。
それが沈静の魔法だと、すんなり理解した。
「だから、魔法を使うなと言ってる。シューター」
「え……っ」
よっぽど驚いたようで、修太はぱちくりと瞬きをした。その拍子に、魔法陣も青い光も消え失せる。
魔法を止められた女は、グレイ達の様子をいぶかしげに見ている。
「これを持ってろ」
「えっ、うわ、おもっ」
ハルバートを押し付けられ、修太が踏ん張ってハルバートを支える。
グレイは素手のまま、女のほうにゆっくり歩いていく。グレイの剣幕で、見当違いな復讐の真っ最中だと思い出した女は、再び剣を構え、向かってきた。
振り下ろす剣を、グレイは左手で受け止めた。刃を指で挟んでとめたのだ。
「えっ、嘘、動かない!」
女は両手で必死に剣を動かそうとするが、ピクリともしないので焦りを浮かべる。その女の顔面を、グレイは右手でわしづかむ。
「女だからと手加減してやってれば、この馬鹿が。姉の夫が海賊で、俺が殺したからなんだ? その夫が下っ端だろうが、他人を傷つけ、迷惑をかけていることは変わらない。結果的に姉が希望をなくして死んだのなら、その夫が原因だろ。ふざけるなよ」
アイアンクローの痛みで、女が悲鳴を上げる。
「痛い! 痛いってば。いたたたたた」
「その元気を他のことに使え、この馬鹿女。生まれ変わってやり直すか? このまま脳髄をぶちまけてやろうか」
「ひいいい、やめっ。うう。でも、だって、姉さんが!」
「姉を思うなら、その夫を止めれば良かっただろう。俺に剣を向ける度胸があるなら、それくらいできたはずだ。お前とその姉の怠慢だ。他人のせいにするんじゃねえ」
まっとうすぎる正論に、女はうぐっとうめく。野次馬達も「そうだそうだ」と声をそろえた。
女はなかなか非を認めようとしないが、グレイにとってはどうでもいい。駆けつけた衛兵に、女の顔をつかんだまま、女を突きだす。
「突然、襲ってきた。つまり、暴漢だな。連れていけ」
「は。ええと、この女性が暴漢……? ええと?」
衛兵は状況が分からず混乱しているが、グレイがギルドカードを見せると、すぐに解決した。紫ランクは伊達じゃない。
衛兵に連行されながら、女は叫ぶ。
「くっそー! 覚えてなさいよ、賊狩り!」
「周りから話を聞いたぞ。君が悪いんだろう。逆恨みをするからだ。ほら、行くぞ!」
「まったく、こちらだって暇じゃないんだぞ。むしろ、手加減してくれたあの方に感謝すべきだ。おい、聞いてるのか?」
両側を固めた衛兵に説教をされながら、女は立ち去った。見世物が終わったことで、野次馬もいなくなる。
「ったく、面倒くせえな」
グレイは舌打ちし、修太のほうを振り返る。ハルバートを支えたまま、修太はこちらをうかがっている。
記憶喪失の間も親身になっていた修太を思い出して、何とも言えないおもはゆさを覚えた。
「……悪かったな」
「思い出した?」
「ああ。全部」
フードの下から見える修太の口元が、うれしそうに笑みをえがく。
「良かった! 父さんって呼んで大丈夫だよな?」
「ああ」
グレイはハルバートを引き取り、修太の頭にポンと手を乗せる。
「へこませて悪かった」
「え? な、なんのこと?」
「泉の傍で、コウに抱き着いてむくれてただろうが」
「忘れて!」
気恥ずかしいのか、修太は叫ぶように言う。
思い出してみると、グレイはまあ悪くないかという気分になるが、修太が頭を抱えているので、それは言わないでおいた。
「それから、こいつも」
修太が腕に巻き付けている迷子紐を示し、くくっと喉の奥で笑う。あの子ども扱いはさすがに悪いと思うが、この年齢にもなってしぶしぶ迷子紐を引かれていたのを思い出すと、どうしても愉快な気分になる。
「父さん! 怒るぞ!!」
からかわれたことに気づき、修太が声を荒げて言い返した。
グレイの記憶が戻り、修太達は久しぶりの平穏をかみしめている。
一応、頭痛で苦しそうにしていたのもあり、グレイは医者に診てもらった。特に問題もなく、すぐに帰れた。
問題は、少し魔法を使った修太のほうだ。
大丈夫だと言っているのに、啓介達にベッドに押し込められ、修太は休ませられている。
「いやあ、もう、可愛かったよねえ。師匠のことで落ち込んでるシューター」
トリトラがからかうので、修太も言い返す。
「お前らだって、地面にくずれ落ちてたくせに」
「「弟子だから、当たり前」」
トリトラとシークは声をそろえる。
「こういう時だけ、仲良くしてんじゃねーよ!」
まったく……と、修太はげんなりしている。
ササラと一緒に果物の皮をむきながら、ピアスがにこにこと口を挟む。
「解決して良かったじゃない。それにしても、ふふっ、その迷子紐はないわよね。おかしいったら」
「お似合いだぞ、シューター」
ここぞとばかりに、フランジェスカがにやりとする。
「うるせー!」
その迷子紐はというと、コウの遊び道具になった。修太のベッドの端に腰かけ、啓介がコウと紐の引っ張り合いをして遊んでいる。
「まあまあ、シュウタさん。果物でも召し上がってくださいな」
むきおえた果物を持ってきて、ササラがくすくすと微笑む。
「あ、そうだ。コウ、これ、コウに似てるだろ?」
修太が犬の人形を取り出すと、コウは「ウブッ!?」と初めて聞く鳴き声をして、眉間と鼻の頭にしわをくっきりきざんだ。
「あれ? 駄目だった?」
「ちょ、ちょっと、シュウタさん、それは……のろいの人形ですか?」
ササラの笑顔がこわばり、ピアスが悲鳴を上げる。
「やだー! これはないわよ、シューター君」
「センスなさすぎだろ……」
「どうしたの、これ」
啓介の問いに、修太は窓の外を示す。
「屋台で、グレイに取ってもらったんだ。そういえば、グレイとサーシャがいないな」
グレイが不在はよくあるが、サーシャリオンだと珍しい。
「ああ、グレイ殿がサーシャを蒸し風呂に連れていったぞ。あれは激怒という感じだな」
ご愁傷様と、フランジェスカは肩をすくめてみせる。
「蒸し風呂?」
「サーシャ、暑いのが苦手だろ。グレイ、すげえ陰湿な仕返しをするよな」
「しかたありませんよ、ケイさん。サーシャリオンさんはお強いから、鍛練の相手では反省になりませんし……」
ササラはほんのり苦笑して、グレイの肩を持った。
もしかして、ササラも結構怒っているのだろうか。
一方、公衆浴場の蒸し風呂の部屋では、蒸し風呂用の浴衣姿で、グレイとサーシャリオンが離れて座っていた。
他にも男の客が何人かいて、出入りしている。
店員が焼けた石の上で、水に浸けた木の枝を払い、ジュッと蒸気が立ち上った。
サーシャリオンはだらだらと汗を流し、顔を引きつらせている。
「くそぉー。おのれ、こんな仕返しをするとは。我はもう駄目だ、暑すぎる! 先に……」
「おいおい、この程度でもう根を上げるのか。詫びをするんだろ? 神竜様に二言はないんだよな」
「うぐっ」
入って五分ともたずに蒸し風呂を脱出しようとしたサーシャリオンだが、グレイの言葉にうめき声を上げる。
そう約束した手前、やぶるわけにはいかない。
「――まあ、座れよ」
「陰険だ。陰湿だ。我が暑いのが嫌いだと知っていながら!」
「この一週間、俺は記憶喪失で間抜け面をさらしたんだぞ。その分、しっかりやり返すに決まってんだろ。半日コースだ。心配するな、俺も付き合ってやるからよ」
もちろん、監視である。砂漠地帯で生まれ育ったグレイには、この程度の暑さはなんてことはない。
合間に水分補給もしながら、じっくり汗を流す予定だ。
「ひどすぎるー!」
サーシャリオンは悲鳴を上げ、半日経ってやっと蒸し風呂から解放されると、そのまま頭から水風呂に飛び込んだのだった。
終わり。
なんか急に思いついて、二万字も書いてしまい、拍手にのせていた短編です。




