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断片の使徒 extra  作者: 草野 瀬津璃
web拍手掲載済ss
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 2



 自分に養子がいるのだと教えられ、グレイは無表情の下で面食らっていた。

 記憶はないが、自分が子どもの世話をしたがるタイプには思えない。


 グレイは具材がたっぷり入ったスープをたいらげると、食器類を洗おうと立ち上がる。水場に行くと、小さな泉の傍で、例の少年が座っていた。後ろから犬を抱き込んでおり、むすっとしているのが見えた。


 黒い髪と黒い目、平凡な顔立ちをしている。

 〈黒〉は珍しいと無意識に考え、どうして珍しいのだったかは思い出せず、首をひねる。

 十二か十三歳くらいか。子どもにしてはしっかりしているようだが、それでもやっぱり親の守りが必要そうな子どもに見えた。


 本当に、養子にしたんだろうか。

 落ち込んでいるのか、いじけているのか。あからさまに機嫌が悪そうなのを気にせず、グレイが泉の水で食器を洗うと、修太がビクッと体を揺らした。


「うわっ、びっくりした。気配と足音を消して近づかないでくれよ!」

「そいつは悪かったな」


 苦情に返事をし、グレイは修太を観察する。


「お前、俺の養子らしいな」

「えっ、思い出したの?」

「いや、トリトラって奴から聞いた」

「そうなのか。まったく、トリトラめ。お節介だな」


 眉間にしわをきざみ、修太は口をへの字に曲げる。


「養父と養子ってのは、なかなか大事な問題じゃねえのか。なんで言わないんだ」


「グレイが落ち着いてから言おうかと思って。俺が記憶喪失になったとして、いきなりいろいろと教えられても、嫌な気分になるだけだろうと思ってさ」

「まあ……そうだな」


 昼間に目が覚めてから、あれは知っているかこれはどうだと質問責めにされ、不愉快極まりなかった。この少年の予想は的中だ。


「サーシャが石を投げたせいで、グレイが倒れたから、俺、死んだかと思って焦ったよ。――いいよ、別に無理して思い出さなくても。忘れられても、生きていて健康ならさ」


 どう見ても、この少年はグレイが忘れたことを落ち込んでいるようなのに、思い出さなくてもいいと言うから、意外に思った。だが、そう言われると気が楽だ。

 さっきの連中、少し時間が経つと思い出したかと聞いてくるし、期待を込めて見つめてくるので鬱陶しかった。知らないと返すとがっかりするから、遠回しに責められている気分になる。


「なあ、その状態が体に悪いかもしれないからさ、嫌かもしんないけど、町のお医者さんに診てもらおう。それくらいはいいだろ?」


 心から案じているのだという目で見られ、断るという選択肢が薄くなる。自分では医者にかかる必要ないと思うが、それで納得するならと、グレイは渋々頷いた。扱いをはかりかねている連中の中で、この少年だけはそのままでいいと言うのだから、なんとなくこちらも譲歩しようかという気になった。


「……分かった」


「やった! ありがとう! 分からないことは教えるから、なんでも聞いてくれ。でも、黒狼族のことは――ええと、あんたの種族のことなんだけど――トリトラかシークに頼むよ。俺、普通の人間だから、よく分からないんだ」


「今のところは問題ない」

「うん、でも、あったらだよ」


 修太はそう言うと、さっきまでのへこみっぷりが嘘みたいに元気よく立ち上がる。コウが不満げにその足元にすり寄った。


「それじゃ」


 どこか気恥ずかしそうにして、修太は野宿場のほうへ駆けていった。コウもついていく。


「……変なガキだな」


 変わっているのは間違いないが、良い奴なんだろう。あの中ではだいぶマシに感じた。




 結局、一週間経ってもグレイの記憶は戻らず、医者に診てもらっても問題ないことが分かっただけだった。


「放っておくしかありません。頭痛がするようだったら、少し気を付けておいてくださいね」


 医者に注意されたが、記憶がない以外、グレイはいつも通りだ。淡々としていて、冷静で、おっかない。

 違うのは、皆のことを名前で呼ばないことだろうか。単語としては出すが、呼びかけには使わない。黒狼族の風習が、地味な形で残っていた。

 以前からそっけない態度が普通の啓介達より、シークとトリトラにはダメージが大きいようだ。食堂でテーブルに突っ伏して、ぶつぶつ言っている。


「師匠が名前を呼んでくれない」

「本当だよ、きつい」


 グレイは黒狼族なら名前を呼ぶのに、弟子のことも呼ばなくなった。

 修太はしかばねのような彼らを横目に、デザートにありつく。ベリーパイは外がさくっとしていて、中はふんわり。カスタードクリーム入りで、程よい甘さだ。上にはキイチゴが円をえがいて並べてあった。これが甘酸っぱくておいしい。


「シューターはきつくないの?」


 トリトラの問いに、修太は少し考える。

 「子ども」呼びに戻ったのはなんだかなあとは思うが、しかたないじゃないか。


「グレイのことだけど、別人って思うことにしたよ。グレイにそっくりな親戚扱い」

「つまり?」


「きついよ。だけど、記憶がないのはグレイのせいじゃないんだし、あんまり思い出せって言うのは酷だと思う。あっちからしたら、目が覚めたら傍にいた、仲間を名乗っている見知らぬ奴らなんだぜ」


「僕だって同じ状況なら、絶対に信用しないから、分かるけど! 弟子くらい信用して欲しい。いや、せめて同胞は!」


 テーブルを叩くトリトラの前に、給仕がミートパイを運んできた。シークには魚のパイだ。この食堂はパイ料理専門店なので、どのテーブルにもパイが置かれている。

 トリトラはミートパイをフォークで食べ、目を輝かせた。


「おっ、これ、チーズが入ってるよ。おいしい!」

「一口もらっていい?」

「いいよ、はい、あげる。ふふ。今の僕、すごくお兄さんっぽくない?」

「はいはい。俺のもちょっとあげるよ」


 適当に返事をして、結構切り分けてくれたので、同じくらいを修太も返す。

 修太はトリトラ達と一緒にいるが、他の皆もめいめい町を散策している。あいにくと飲食店なのでコウの入店は断られ、コウは外で待っていた。


「本当だ。ミートパイもうまいな。持ち帰りで頼もうかな」


 啓介達にあげたら喜びそうだ。


「そうしなよ」

「トリトラ、お前、ほんっとそのチビのことになると、兄貴面するよなあ。ガキの世話なんて面倒くせえだけだろ」


 修太はふんと鼻で笑う。


「シーク、俺はお前に世話してもらった覚えはねえな。むしろ俺がお前の世話をしてるだろ」

「何を!」


 シークが抗議するが、トリトラが笑い出した。


「確かに! どっちがガキだよ!」

「うるせえぞ、トリトラ!」


 怒りながらも、シークは香草のかかった魚のパイを頬張る。おいしかったようで、シークはしばし無言になった。

 修太は給仕を呼んで、持ち帰り用にミートパイを三つ頼んだ。

 そこに、噂の相手が店に入ってきた。混雑している店内を見回し、席を探す仕草をする。


「師匠! こっち、あいてますよ」


 シークが手を振ると、グレイは眉を寄せた。しかし他の席も相席しかないので、あきらめてこちらに足を向ける。


「お前達もいたのか」

「師匠、記憶が戻ってません? いつもの雰囲気にそっくり!」


 シークの問いに、グレイは納得というふうに頷く。


「なるほど、俺は普段からお前に対して、うるさくて面倒くせえ奴だと思ってたんだな」

「ひどい!」


 シークは言い返すが、修太とトリトラは噴き出す。グレイが、いつもシークのことをそう思っていたのは間違いない。

 グレイは修太の隣に座った。四人がけのテーブルで、隣があいていたのだ。

 壁にかかったメニューを見るので、修太は何がおいしいか教える。


「この店、パイ料理専門店なんだって。トリトラが食べてるミートパイ、チーズ入りでうまいぞ」

「そうか。給仕、ミートパイを一つ、それから赤ワインをグラスで頼む」

「かしこまりました」


 そばを通りがかった給仕はにこやかに返し、厨房のほうへ向かう。

 グレイは待ち時間に煙草を吸おうとして、ふと修太に目をとめた。そのまま煙草を懐にしまう。


「ん? 別に気にしなくていいよ、吸えば?」

「……いや。確か、体に悪いとどこかで聞いた覚えが」


 グレイが眉をひそめてつぶやくと、トリトラとシークが表情を輝かせる。


「すごい! これって少しずつ良くなってきてるんじゃない?」

「チビガキ、さすがだな。弟子の俺らはたいして役立ってないってのが、ちょっと気になるところだが」


 二人の面白がりように、そういえばこの世界では、煙草が体に毒だという考えは、まだ広まっていないのだと思い出した。修太がグレイに教えたことだ。


「何を言ってるんだ、お前ら」


 運ばれてきた赤ワインに口をつけ、グレイはけげんそうにしている。トリトラが修太を示す。


「師匠、シューターの体のことを気にして、シューターの傍では煙草を吸わないようにしてましたから」

「体? こいつ、どっか悪いのか」


 理由を知らないのに、グレイは修太を見て煙草を引っ込めたらしい。修太はひそかに驚く。トリトラ達の言う通り、思い出しかけているのだろうか。


「魔力欠乏症をわずらってるのと、大きな魔法を使用した反動で、心臓が弱いんで」


 トリトラがどんな病気か丁寧に教えるので、なんだか修太は居住まいが悪くなる。


「ちょっと、トリトラ。いいよ、別に。俺、自分で管理してるし」

「何言ってんだよ、発作を起こして倒れたの、ついこの間だろ」

「でも……なんか嫌なんだよ。分かれよ!」


「いや、分かんないよ。どういうこと?」

「コンプレックスだっつってんの!」

「そんなことより、命のほうが重いだろ。変なところを気にするよねえ、君」


 言い合いをしていると、ふいにグレイがトリトラの額に手を伸ばした。


「おい、その辺にしとけ」


 そして、ペチンとデコピンする。


「!」


 トリトラはそれだけで後ろにひっくり返り、店内は何事かと静かになった。一方、トリトラは額を押さえて、明るい顔で起き上がる。


「師匠! 手加減してるし、その(しか)り方……! やったー! やっぱり少しずつ戻ってる!」

「……トリトラ、その喜び方であってんの?」


 修太はけげんに思う。

 確かに、この一週間、グレイは距離をとっていたから、二人を叱るような真似すらしなかった。

 周りは奇妙なことを喜んでいる少年に首をひねりながら、また食事と雑談に戻った。シークが座るように声をかけ、やっと腰を下ろす。

 修太がグレイのほうを見ると、不思議そうに右手の先を見下ろしている。


「頭痛はある? 大丈夫?」

「問題ない」


 きっぱりとした返事があるので、本当なんだろう。


「師匠とシューターで行動してみたら? 今まで、シューター、遠慮して師匠から離れてただろ。そこの市場で、買い物でもしてきなよ」

「それ、いいな。大道芸とか、変わった動物の見世物とか出てたぞ。師匠、ちょっと子守をお願いしますよ」


 トリトラとシークはにまりと笑うと、急いで食事をかきこんで、代金をテーブルに置く。


「おい! 子守ってなんだよ、失礼だな!」


 修太が怒ったところで、聞いちゃあいない。


「あのワンコロは連れてくから」

「親子水入らずで楽しんでこいよ」

「はー!?」


 止める暇もなく、二人はにやにや笑って食堂を出て行った。


(なんだよ、そのお見合いで仲人が言いそうな台詞は……)


 おばさんが「後は若い人同士で」と笑って去っていく映像が頭に浮かび、修太はげんなりした。だが、コウを連れていかれたのなら、修太一人で出歩くのはまずい。


「えーと、迷惑ならいいんだけど……無理なら宿まで連れてってくれないかな。コウが一緒じゃないと危ないんだ」

「ああ、お前、貴色(きしょく)持ちだからな。それくらいは構わんぞ」


 機嫌を悪くしないかなと心配したが、グレイは意外とあっさり受け入れた。

 それから、給仕がミートパイを置いたので、グレイはさっそくフォークでつついて切れ目を作った。ふわりとミートソースとチーズの香りが立ち込める。給仕は修太の前に包みを置く。


「お客さん、こっちは持ち帰りの分ね。熱いから気を付けてくださいね」

「ありがとう」


 大きな葉っぱに包んだミートパイ三つを並べ、給仕は他のテーブルに料理を届けに行く。


「そんなに食うのか」

「啓介達へのお土産だよ」


 彼らは市場を巡って買い出しをすると言っていたから、大道芸を見学して遊んできそうだ。


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