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自分に養子がいるのだと教えられ、グレイは無表情の下で面食らっていた。
記憶はないが、自分が子どもの世話をしたがるタイプには思えない。
グレイは具材がたっぷり入ったスープをたいらげると、食器類を洗おうと立ち上がる。水場に行くと、小さな泉の傍で、例の少年が座っていた。後ろから犬を抱き込んでおり、むすっとしているのが見えた。
黒い髪と黒い目、平凡な顔立ちをしている。
〈黒〉は珍しいと無意識に考え、どうして珍しいのだったかは思い出せず、首をひねる。
十二か十三歳くらいか。子どもにしてはしっかりしているようだが、それでもやっぱり親の守りが必要そうな子どもに見えた。
本当に、養子にしたんだろうか。
落ち込んでいるのか、いじけているのか。あからさまに機嫌が悪そうなのを気にせず、グレイが泉の水で食器を洗うと、修太がビクッと体を揺らした。
「うわっ、びっくりした。気配と足音を消して近づかないでくれよ!」
「そいつは悪かったな」
苦情に返事をし、グレイは修太を観察する。
「お前、俺の養子らしいな」
「えっ、思い出したの?」
「いや、トリトラって奴から聞いた」
「そうなのか。まったく、トリトラめ。お節介だな」
眉間にしわをきざみ、修太は口をへの字に曲げる。
「養父と養子ってのは、なかなか大事な問題じゃねえのか。なんで言わないんだ」
「グレイが落ち着いてから言おうかと思って。俺が記憶喪失になったとして、いきなりいろいろと教えられても、嫌な気分になるだけだろうと思ってさ」
「まあ……そうだな」
昼間に目が覚めてから、あれは知っているかこれはどうだと質問責めにされ、不愉快極まりなかった。この少年の予想は的中だ。
「サーシャが石を投げたせいで、グレイが倒れたから、俺、死んだかと思って焦ったよ。――いいよ、別に無理して思い出さなくても。忘れられても、生きていて健康ならさ」
どう見ても、この少年はグレイが忘れたことを落ち込んでいるようなのに、思い出さなくてもいいと言うから、意外に思った。だが、そう言われると気が楽だ。
さっきの連中、少し時間が経つと思い出したかと聞いてくるし、期待を込めて見つめてくるので鬱陶しかった。知らないと返すとがっかりするから、遠回しに責められている気分になる。
「なあ、その状態が体に悪いかもしれないからさ、嫌かもしんないけど、町のお医者さんに診てもらおう。それくらいはいいだろ?」
心から案じているのだという目で見られ、断るという選択肢が薄くなる。自分では医者にかかる必要ないと思うが、それで納得するならと、グレイは渋々頷いた。扱いをはかりかねている連中の中で、この少年だけはそのままでいいと言うのだから、なんとなくこちらも譲歩しようかという気になった。
「……分かった」
「やった! ありがとう! 分からないことは教えるから、なんでも聞いてくれ。でも、黒狼族のことは――ええと、あんたの種族のことなんだけど――トリトラかシークに頼むよ。俺、普通の人間だから、よく分からないんだ」
「今のところは問題ない」
「うん、でも、あったらだよ」
修太はそう言うと、さっきまでのへこみっぷりが嘘みたいに元気よく立ち上がる。コウが不満げにその足元にすり寄った。
「それじゃ」
どこか気恥ずかしそうにして、修太は野宿場のほうへ駆けていった。コウもついていく。
「……変なガキだな」
変わっているのは間違いないが、良い奴なんだろう。あの中ではだいぶマシに感じた。
結局、一週間経ってもグレイの記憶は戻らず、医者に診てもらっても問題ないことが分かっただけだった。
「放っておくしかありません。頭痛がするようだったら、少し気を付けておいてくださいね」
医者に注意されたが、記憶がない以外、グレイはいつも通りだ。淡々としていて、冷静で、おっかない。
違うのは、皆のことを名前で呼ばないことだろうか。単語としては出すが、呼びかけには使わない。黒狼族の風習が、地味な形で残っていた。
以前からそっけない態度が普通の啓介達より、シークとトリトラにはダメージが大きいようだ。食堂でテーブルに突っ伏して、ぶつぶつ言っている。
「師匠が名前を呼んでくれない」
「本当だよ、きつい」
グレイは黒狼族なら名前を呼ぶのに、弟子のことも呼ばなくなった。
修太はしかばねのような彼らを横目に、デザートにありつく。ベリーパイは外がさくっとしていて、中はふんわり。カスタードクリーム入りで、程よい甘さだ。上にはキイチゴが円をえがいて並べてあった。これが甘酸っぱくておいしい。
「シューターはきつくないの?」
トリトラの問いに、修太は少し考える。
「子ども」呼びに戻ったのはなんだかなあとは思うが、しかたないじゃないか。
「グレイのことだけど、別人って思うことにしたよ。グレイにそっくりな親戚扱い」
「つまり?」
「きついよ。だけど、記憶がないのはグレイのせいじゃないんだし、あんまり思い出せって言うのは酷だと思う。あっちからしたら、目が覚めたら傍にいた、仲間を名乗っている見知らぬ奴らなんだぜ」
「僕だって同じ状況なら、絶対に信用しないから、分かるけど! 弟子くらい信用して欲しい。いや、せめて同胞は!」
テーブルを叩くトリトラの前に、給仕がミートパイを運んできた。シークには魚のパイだ。この食堂はパイ料理専門店なので、どのテーブルにもパイが置かれている。
トリトラはミートパイをフォークで食べ、目を輝かせた。
「おっ、これ、チーズが入ってるよ。おいしい!」
「一口もらっていい?」
「いいよ、はい、あげる。ふふ。今の僕、すごくお兄さんっぽくない?」
「はいはい。俺のもちょっとあげるよ」
適当に返事をして、結構切り分けてくれたので、同じくらいを修太も返す。
修太はトリトラ達と一緒にいるが、他の皆もめいめい町を散策している。あいにくと飲食店なのでコウの入店は断られ、コウは外で待っていた。
「本当だ。ミートパイもうまいな。持ち帰りで頼もうかな」
啓介達にあげたら喜びそうだ。
「そうしなよ」
「トリトラ、お前、ほんっとそのチビのことになると、兄貴面するよなあ。ガキの世話なんて面倒くせえだけだろ」
修太はふんと鼻で笑う。
「シーク、俺はお前に世話してもらった覚えはねえな。むしろ俺がお前の世話をしてるだろ」
「何を!」
シークが抗議するが、トリトラが笑い出した。
「確かに! どっちがガキだよ!」
「うるせえぞ、トリトラ!」
怒りながらも、シークは香草のかかった魚のパイを頬張る。おいしかったようで、シークはしばし無言になった。
修太は給仕を呼んで、持ち帰り用にミートパイを三つ頼んだ。
そこに、噂の相手が店に入ってきた。混雑している店内を見回し、席を探す仕草をする。
「師匠! こっち、あいてますよ」
シークが手を振ると、グレイは眉を寄せた。しかし他の席も相席しかないので、あきらめてこちらに足を向ける。
「お前達もいたのか」
「師匠、記憶が戻ってません? いつもの雰囲気にそっくり!」
シークの問いに、グレイは納得というふうに頷く。
「なるほど、俺は普段からお前に対して、うるさくて面倒くせえ奴だと思ってたんだな」
「ひどい!」
シークは言い返すが、修太とトリトラは噴き出す。グレイが、いつもシークのことをそう思っていたのは間違いない。
グレイは修太の隣に座った。四人がけのテーブルで、隣があいていたのだ。
壁にかかったメニューを見るので、修太は何がおいしいか教える。
「この店、パイ料理専門店なんだって。トリトラが食べてるミートパイ、チーズ入りでうまいぞ」
「そうか。給仕、ミートパイを一つ、それから赤ワインをグラスで頼む」
「かしこまりました」
そばを通りがかった給仕はにこやかに返し、厨房のほうへ向かう。
グレイは待ち時間に煙草を吸おうとして、ふと修太に目をとめた。そのまま煙草を懐にしまう。
「ん? 別に気にしなくていいよ、吸えば?」
「……いや。確か、体に悪いとどこかで聞いた覚えが」
グレイが眉をひそめてつぶやくと、トリトラとシークが表情を輝かせる。
「すごい! これって少しずつ良くなってきてるんじゃない?」
「チビガキ、さすがだな。弟子の俺らはたいして役立ってないってのが、ちょっと気になるところだが」
二人の面白がりように、そういえばこの世界では、煙草が体に毒だという考えは、まだ広まっていないのだと思い出した。修太がグレイに教えたことだ。
「何を言ってるんだ、お前ら」
運ばれてきた赤ワインに口をつけ、グレイはけげんそうにしている。トリトラが修太を示す。
「師匠、シューターの体のことを気にして、シューターの傍では煙草を吸わないようにしてましたから」
「体? こいつ、どっか悪いのか」
理由を知らないのに、グレイは修太を見て煙草を引っ込めたらしい。修太はひそかに驚く。トリトラ達の言う通り、思い出しかけているのだろうか。
「魔力欠乏症をわずらってるのと、大きな魔法を使用した反動で、心臓が弱いんで」
トリトラがどんな病気か丁寧に教えるので、なんだか修太は居住まいが悪くなる。
「ちょっと、トリトラ。いいよ、別に。俺、自分で管理してるし」
「何言ってんだよ、発作を起こして倒れたの、ついこの間だろ」
「でも……なんか嫌なんだよ。分かれよ!」
「いや、分かんないよ。どういうこと?」
「コンプレックスだっつってんの!」
「そんなことより、命のほうが重いだろ。変なところを気にするよねえ、君」
言い合いをしていると、ふいにグレイがトリトラの額に手を伸ばした。
「おい、その辺にしとけ」
そして、ペチンとデコピンする。
「!」
トリトラはそれだけで後ろにひっくり返り、店内は何事かと静かになった。一方、トリトラは額を押さえて、明るい顔で起き上がる。
「師匠! 手加減してるし、その叱り方……! やったー! やっぱり少しずつ戻ってる!」
「……トリトラ、その喜び方であってんの?」
修太はけげんに思う。
確かに、この一週間、グレイは距離をとっていたから、二人を叱るような真似すらしなかった。
周りは奇妙なことを喜んでいる少年に首をひねりながら、また食事と雑談に戻った。シークが座るように声をかけ、やっと腰を下ろす。
修太がグレイのほうを見ると、不思議そうに右手の先を見下ろしている。
「頭痛はある? 大丈夫?」
「問題ない」
きっぱりとした返事があるので、本当なんだろう。
「師匠とシューターで行動してみたら? 今まで、シューター、遠慮して師匠から離れてただろ。そこの市場で、買い物でもしてきなよ」
「それ、いいな。大道芸とか、変わった動物の見世物とか出てたぞ。師匠、ちょっと子守をお願いしますよ」
トリトラとシークはにまりと笑うと、急いで食事をかきこんで、代金をテーブルに置く。
「おい! 子守ってなんだよ、失礼だな!」
修太が怒ったところで、聞いちゃあいない。
「あのワンコロは連れてくから」
「親子水入らずで楽しんでこいよ」
「はー!?」
止める暇もなく、二人はにやにや笑って食堂を出て行った。
(なんだよ、そのお見合いで仲人が言いそうな台詞は……)
おばさんが「後は若い人同士で」と笑って去っていく映像が頭に浮かび、修太はげんなりした。だが、コウを連れていかれたのなら、修太一人で出歩くのはまずい。
「えーと、迷惑ならいいんだけど……無理なら宿まで連れてってくれないかな。コウが一緒じゃないと危ないんだ」
「ああ、お前、貴色持ちだからな。それくらいは構わんぞ」
機嫌を悪くしないかなと心配したが、グレイは意外とあっさり受け入れた。
それから、給仕がミートパイを置いたので、グレイはさっそくフォークでつついて切れ目を作った。ふわりとミートソースとチーズの香りが立ち込める。給仕は修太の前に包みを置く。
「お客さん、こっちは持ち帰りの分ね。熱いから気を付けてくださいね」
「ありがとう」
大きな葉っぱに包んだミートパイ三つを並べ、給仕は他のテーブルに料理を届けに行く。
「そんなに食うのか」
「啓介達へのお土産だよ」
彼らは市場を巡って買い出しをすると言っていたから、大道芸を見学して遊んできそうだ。




