グレイが記憶喪失になる話 1
第四十話 夢を見る町 の直前にあった「かも」しれない話と思って読んでください。
それは道中で、盗賊の襲撃にあっていた時に起きた。
「あっ」
サーシャリオンが不穏なつぶやきをした直後、ゴッとにぶい音がした。
物陰から様子見していた修太は、サーシャリオンが投げた石がグレイの額にクリーンヒットして、グレイが倒れていく姿に声を失う。傍にいたピアスも息を飲んだ。
石。倒れた。――死!?
焦りのあまり、周りのことがかき消えた。物陰を飛び出す。
「グレイ!」
「あっ、駄目よ、シューター君!」
隠れているように言われていたのに、思わず出てきてしまったが、残りの盗賊は仲間達の手で倒されたところだった。
「グレイ、ちょっと、大丈夫か!」
グレイは仰向けに倒れている。意識がないようで、反応がない。寝ているところすら滅多と見ないだけに、修太の動揺はすさまじいものがある。額から血が出ているので、修太はハンカチを出して傷口を押さえる。
「師匠!」
「嘘だろ!」
トリトラとシークも血相を変えて、傍までやって来た。
修太がグレイの肩を軽く揺さぶると、フランジェスカが止める。
「シューター、頭を怪我している時に、揺さぶるな。脳震盪を起こしているなら、悪化するだろ」
「えっ、ごめん! ど、どどどどどど!」
「分かるぞ。これはびっくりだな」
――本当に驚いてんのか、この女!
冷静につぶやくフランジェスカに、修太はイラついた。
すっとササラが傍に来て、グレイの容体をチェックする。
「脈も息もありますし、額は案外固いものなので、恐らく大丈夫かと。とりあえず目が覚めるまで、そっとしておきましょう。サーシャリオンさん、責任を持って治癒してくださいませ」
「もちろんだとも。ははは、いやあ、失敗したなあ」
皆の冷たい視線をいっせいに浴び、サーシャリオンは誤魔化し笑いを浮かべ、グレイの横に膝をつく。修太のハンカチをどけると、〈青〉の魔法を使う。
「うむ。脳にダメージはないようだ。さすがは黒狼族、頑丈なものだな。傷は治したぞ」
不安すぎて、脳死のことを考えてすっかり血の気が引いていた修太は、サーシャリオンの診断に安堵の息をつく。
「ありがとう、サーシャ。……って、お前のせいじゃねえか! なんでグレイに石を投げるんだよ! しかもこんなでかいやつ!」
くわっと怒りをあらわにし、傍に転がっている石を指さす。大人が両手でなんとか持てるかというくらいの大きさをした石だ。
「我は盗賊に投げようとしたんだが……」
「だが?」
「手がすべった」
「~~~~っ。サーシャ!!!!!!」
修太の本気の怒鳴り声が、森にわんわんと響いた。
修太に長々と説教をされ、サーシャリオンはしょんぼりしている。
サーシャリオンは竜だけあって怪力だ。勢いよく石を投げれば、そりゃあ頑丈なグレイだって昏倒する。
気を付けて投げろ。というか、こんなに仲間が入り乱れてる時に、物を投げるな!
至極まっとうな注意に、サーシャリオンは「だってな」「でも」と言い訳しようとしては、修太に鋭くにらまれて口を閉じる。
「すごいな、あいつ。魔王が形無しじゃないか」
フランジェスカが感心を込めてつぶやき、啓介ははらはらしている。
「怖い。シュウって文句は言うけど、本気で怒ることって滅多とないんだ。あ、駄目だ。一ヶ月無視されたトラウマが……っ」
「もう、何をしたのよ、ケイったら。シューター君の怒りはもっともよ。サーシャは説教をされるべき。ついこの間、グレイの養子になったのに、仲間の手で倒れちゃったのよ。そりゃあ怒るわよ。心配だろうしね」
ピアスは腕を組んで、憤然としている。
「ああ、シュウタ様、怒っている姿も素晴らしいですわ」
「確かに、あれは黒狼族的には好ましい」
「オン!」
修太の怒りっぷりを、ササラとトリトラ、コウは褒める。シークは意味が分からんという目を二人と一匹に向けてから、ふんと鼻を鳴らす。
「師匠をぶっ倒したんだから、怒られて当然だっつーの。とりあえずこいつらをあっちに運ぶか。おちおち休んでもいられねえ」
ボコッた盗賊達を示し、シークは二人を選んで、肩に担いで遠くまで運んでいく。様子見をしていて暇をしていた面子も、できる範囲で手伝う。殺してはいないが、森に放置した後、モンスターや猛獣に襲われるかもしれない。だが、近くに村や町はないので、衛兵を呼ぶには遠すぎるから、自業自得と割り切って放り出しておいた。
サーシャリオンの説教を終えると、修太はそわそわとグレイの傍で様子を見ていた。
早く起きないだろうか。
気が気でない修太に対し、加害者のサーシャリオンは悠々としている。修太の怒りが再燃しそうになっていると、啓介がサーシャリオンを遠くのほうに連れていった。
生き物は寝るものだ。だが、グレイは旅の間は座ったまま寝ていることが多いし、修太のほうが寝るのが早いので、寝姿を見かけるだけでレアだ。
(こういうレアはいらないんだけどな)
怪我をして倒れるなんて。
車の事故にあった両親と、遺体安置場で再会した日のことが頭をよぎり、戦々恐々としてしまう。だんだん気分が悪くなってきた。その背中を、ピアスがやんわりとさする。
「落ち着いて、シューター君。大丈夫よ。グレイを見てみて。結構、顔色はいいでしょ?」
そうかな? そうだろうか。
考え込む修太の前に、ササラが湯気を立てるカップを差し出した。
「そうですよ、ピアスさんの言う通りです。こちらを飲んで落ち着いてください。シュウタさんまで倒れそうですわ」
ササラに促されて、お茶を飲む。少しだけほっと落ち着いた。
お茶を一杯飲み終えたタイミングで、グレイが目を覚ました。
「グレイ! 良かった、起きたんだな!」
カップを放り出して声をかける。グレイはまぶしそうに目を細め、ゆっくりと瞬きをしてこちらを見た。
「サーシャ! 起きた! 早く!」
「分かった、分かった。そう急かすな」
「グレイが倒れたのは、お前のせいだろ! 急げよ!」
のらりくらりとした態度に腹が立つ。啓介に背中を押され、サーシャリオンはグレイの傍に来た。
その頃には、グレイは自力で起き上がり、周りを見ている。
「どうだ、頭がふらついたりはせぬか? この指は何本に見える?」
「二本。特に問題はない」
「ふむ」
サーシャリオンはグレイの額に手の平を当て、〈青〉の魔法で状態を診る。
「問題ないな。ふう、良かった良かっ……」
「ところで、お前達は誰だ?」
話は済んだと立ち上がろうとしたサーシャリオンは、ぎくりと動きを止める。修太はサーシャリオンに向けて叫ぶ。
「どこが良かっただよ、問題あるじゃねえか!」
「いや、そうくるとは……。まいったな。そなた、この子どもも覚えておらぬのか?」
サーシャリオンが修太を示す。グレイはこちらを一瞥、すぐに目をそらす。
「知らん」
仲間達はいっせいにどよめいた。
「うっそだろ!」
「シューターを覚えてないって最悪じゃん」
「これは本気でやばいってー!」
シーク、トリトラ、啓介までおろおろし始めた。
サーシャリオンは冷静に、シークとトリトラを示す。
「では、あやつらの名は?」
グレイはそちらも見たが、興味がなさそうに視線を戻す。
「知らねえな」
「そんな、師匠!」
「ひどい! これでも長い付き合いなのに!」
トリトラとシークは膝から崩れ落ちた。
「まあ、あれは放っておくとして。では、そなたの名は?」
「俺……?」
グレイは黙り込み、わずかに首を傾げる。
「故郷の名は?」
「…………」
「仕事は?」
「うるせえな、知るか」
分からないのに苛立ったのか、グレイは悪態を返す。
「完全に記憶喪失じゃないか!」
忘れられたことにショックを受けた修太だが、グレイの様子を見ていて、それよりもグレイの戸惑いが大きいだろうと心配になった。
「生活のほうは分かるのかな」
思わずつぶやいてしまい、修太のほうが不安になってどうすると、自分をしったする。修太はすぐに考えを切り替えた。
「大丈夫だから! 俺も皆も手伝うよ。心配しないでいいから!」
「……ああ」
修太の主張に、グレイはとりあえずという調子で頷いた。
「シューター、そなた、良い子じゃなあ」
サーシャリオンは感心して、修太の頭を撫でようとしたが、その前に修太は払いのけた。
「おい、こら、サーシャ。しばらく俺に近付くんじゃねえよ。つーか、触んな」
諸悪の根源をにらむと、サーシャリオンはうぐっとうめき声を上げる。
「うちの子が反抗期になった……!」
「何が反抗期だよ。自業自得だろ」
「そうよそうよ。サーシャが悪いんじゃないの、反省しなさい!」
普段はサーシャリオンにも甘い啓介とピアスも攻撃に出たので、サーシャリオンは肩をすくめる。
「悪かったと言っているのに、ひどいのう」
「――サーシャ?」
ぶうぶうと口をとがらせるサーシャリオンに、修太は氷の一瞥をよこす。
「すまなかった」
反射で頭を下げ、サーシャリオンは苦い顔をした。
とりあえず、誰が誰だか分からないのは不安だろうと思い、修太達はグレイに自己紹介をした。
「あんたはグレイっていう名前で、黒狼族の戦士なんだ」
「……戦士」
「そのハルバート、グレイのだよ」
大事にしている武器を、グレイは不思議そうに眺めている。その様子に、修太は焦りを隠せない。
武具は命を守るためのとりでも同じだ。毎日、とても丁寧に手入れしている。
心配なので、次の町で医者に診てもらおうということになり、修太達は出発した。午後の明るい森を、ゆっくりと歩いて移動する。
モンスターに運んでもらえば速いが、一度にいろいろと教えるとグレイが混乱するだろうと思ってのことだ。
その日は、野宿となった。
焚火をおこして、皆で夕飯の支度をしながら、修太はちらっとグレイのほうを見る。グレイは少し離れた木陰に座り、見るともなく森を眺めている。
「グレイ、生活全般のことは大丈夫そうだな。勝手に体が動くみたいだ」
移動の途中、グレイが急に輪を外れていなくなった時は驚いたが、大型犬くらいはありそうなウサギを捕まえて戻ってきたので、修太はとてもほっとした。記憶がなくても、グレイはグレイという感じだ。
トリトラが当然だろうと口を挟む。
「師匠、毎日訓練してるしね。そう簡単には忘れないと思うよ」
「でも、手加減がまったくできなくなってるから、お前らは気を付けろよ」
シークが渋い顔で言う。彼は上から下まで、草と泥で汚れていた。
試しにとふいうちでグレイに攻撃を仕掛けて、あっさりと返り討ちにあったのだ。ものすごい勢いで森を転がっていったので、「まさか、今ので死んだ?」と修太が不安になったほどだった。
「君じゃないから、しないよ」
「そうだよ。そもそも、怪我人に攻撃をしかけるなんて、最低だ! シークのアホ!」
修太がシークをなじると、ピアスと啓介が加勢する。
「シューター君の言う通りよ。見損なったわ!」
「あれはないよなあ」
「悪かったって、そんなに怒るなよーっ」
皆からの総攻撃に、さしものシークも弱った顔をする。他の仲間は、「こいつ、馬鹿だなあ」という目を向けていた。
そんな中、フランジェスカは黙々とスープの味付けをして、一つ頷く。
「うまい。さすがは私。ほら、シューター、できたぞ」
「おう、ありがとう、フラン」
フランジェスカと気は合わないが、料理の腕だけは尊敬している。修太の分だけかと思えば、もう一皿、渡された。
「ん」
フランジェスカは、あごでグレイを示す。持っていけということだろう。スプーンを皿に放り込んでから、修太はグレイのほうに向かう。
グレイは普段も距離を置きがちだが、知らない者達に対する距離感なのか、いつもより間合いを多くとっている。それがちょっと気まずい。
「父さん、夕飯……」
「……とうさん?」
おうむ返しにグレイから問い返され、修太の口元が引きつった。
混乱させるのは悪いだろうと、情報は小出しにして教えている途中だ。実はあなたの養子ですなんて教えても、今のグレイには扱いかねるだろう。
「は、ははっ。間違えた。とりあえず、ごはん。じゃ!」
皿を渡して、すぐに逃げ帰る。
仲間達もなんとも言えない空気になって、互いに視線をかわした。
啓介の傍に落ち着くと、啓介が不憫そうに修太を見ていた。修太は肩をすくめ、食事を口に運ぶ。いいにおいがしているのに、あんまりおいしく感じられない。
「シュウ、元気出せよ。これ、やるからさ」
「いい。食欲ない」
啓介が肉を入れてくれたが、修太はスプーンですくって啓介の皿に返す。
「食欲がないの?」
絶句している啓介を放っておいて、修太はさっさと胃に入れてしまうと、水の入った桶に食器を突っ込んだ。こうしておけば、後でフランジェスカが魔法でまとめて洗っておいてくれる。
離れた木陰に座ると、コウがとなりに寝そべる。トリトラも食器を片手にやって来た。
「とりあえずさあ、僕というお兄さんがいるから、いいじゃん。ね?」
「…………」
「もしかして、すねてんの? 可愛いねー!」
わしゃわしゃと頭を撫でてくるトリトラに腹を立て、修太は立ち上がる。
「うっせー! バーカ!」
あいている桶を引っ掴み、近くの水場へと駆けだす。
グレイが大変なので我慢すべきだと分かっているが、修太だってものすごく悩んで家族になると決めたのに、こんなのってない。
「ワオンッ」
その後を、コウが慌ててついてきた。
修太が水場のほうに逃げてしまうと、啓介達はサーシャリオンをじろっと見た。
「我が悪かった。次からは考えて石を投げる」
「そうしてくれよ。まったく、シュウ、動揺しまくりじゃないか。かわいそうに」
サーシャリオンは謝ったが、啓介の気持ちのもやは晴れない。
トリトラがグレイの傍に行って、うかがうようにして問う。
「師匠、やっぱり思い出しません?」
「分からんと言ってるだろ」
何度目かの問いなので、グレイは迷惑そうに答える。
「あの子どもはなんだ。妙に親身になっているが」
「師匠の養子ですよ」
「養子? ……俺が?」
グレイは疑いを込めてトリトラを見る。その話が出た時は、啓介達だってびっくりした。本人も柄ではないと思ったのかもしれない。
「ついこの間、養子の申請を出したばっかりなんですよ。彼、刺激しないように気を遣ってくれてますけど、ちょっとは気にかけておいてくださいよ」
「トリトラ、急に言われてもグレイだって困るよ」
ずばずばと物を言うトリトラに、啓介は口を挟む。トリトラはひょいと片眉を上げた。
「黙っておくから、ややこしくなるんだろ。師匠は強いから大丈夫だけど、シューター、家族関係になると危なっかしいから、放っておくと泥沼って感じじゃない?」
「うっ。それはそうだけど……」
だからって、まだ一日も経っていないのに、グレイを責めるのもおかしいだろう。
「原因はサーシャで、グレイは悪くないからなあ。シュウも、それがあるから、何も言わないんだよ」
「ぐだぐだうるせえなあ。一週間もすれば、記憶が戻ってるかもしれねえんだから、それでも駄目だった時に考えろよ」
シークが面倒くさそうに言い捨てる。
「そうだね、分かった。グレイ、今は大変だと思うから、気にしなくていいよ」
「ああ」
返事はあったが、いつも以上にそっけない。
あれでまだ譲歩していたほうだったのかと、啓介は内心、驚いた。あんまりうるさくして不機嫌になられると困るので、啓介はトリトラを連れ、フランジェスカ達のいるほうへ戻った。




