65.戦神VS炎神3~覆われし夜~
《SBGM:運命の糸/JAM Project》
「君のその想いは、嬉しく思うよ」
両の瞳の内の片方に異才の象徴を抱える少年の告白に、これまた片方の瞳に特異な色を宿す少年がそう答えた。
「でも、賛同はしてくれないんだよな…………?」
今更ながらの問いかけだ。本当に今更の――――
何故なら、その是非を聞く前から少年は今目の前にいる無二の親友へと必殺の一撃を確固たる意志を持って放っていた。
それも背後から他のことに気を取られている状態でだ。なんとも情けない話だ。誰にどの様な罵りを受けようとも弁明の余地もない。
だが、それでも“普段の彼”なら当たっていたかどうかすらも怪しかった。幸か不幸か、しかしそれは彼の片腕を奪うという結果をもたらした。
「ああ、それは絶対にない。人はいつかは死ぬものだ。確かに、あの人の死に方が正しかったとは俺も思ってない。何の犠牲も無しにあの人を蘇らせる手段があるなら、俺もそうしてやりたいさ。でもな、いかなる“魔法”でも出来ないことはある」
その結果とは無関係に、片腕を奪われた少年は奪った少年が予期していた通りの答えを返した。
人類の歴史の中で、望み続けられた最も多くの願いが二つある。
一つは恐れを知る人間が望む自己の生への渇望、不老不死。
そしてもう一つが、愛を知る人間が望む他者への生への願い、死者の蘇生。
当然その二つの魔法は、魔法というものを人類が使役する様になってから――――否、それ以前からもずっと研究されている究極のテーマだが、それらは依然としてその完成を見せていない。
辛うじてその前者の願い不老不死への片鱗を覗かせた魔法師は存在した。
第三魔法:破壊を司り、その超越した知識を惜しみなく世界に流布した偉大な大魔法師アスラ・ファーノック・レイド。しかし、そのアスラですらも不老でありながらに死に絶えた。
〈魔法は万能ではあるが全能ではない〉 それが魔法師のみならず全魔法士がその胸に刻む真理――――
「人間の感情ってさ…………それがどんなに無理なことでも、無茶なことでも、どれ程自分で愚かだと分かっていても、誰にどれだけ迷惑であるかを知っていたとしても――――それでも……どうしても……どうしようもない…………そんなときがあるんだ…………人間にはそんなときがあるんだよっ」
最早、理屈ではない。
それを察した――――のではなく再認した少年は片腕を無くした状態でも、戦意とそして勝機を一切捨てていない強い眼差しを親友と慕う少年へと向ける。
「平行線だな…………」
互いに譲れぬ信念を持つ者同士、それが同じ道を歩んで行けていたならばこれ程快いときはなかっただろう。実際今まで同じ時を過ごし互いに、家族程に気の置けない者同士であった。
だが、互いがどれ程に譲らない、譲れないかを知っている二人であるからこそ、その決着の方法は一つしかないのだと確信していた。
「ですが、その前にまずは返して頂きましょうか……我が**を……、****」
※※※※
あのとき彼は何と言っただろうか…………途中までははっきりと覚えているのに、その先からは曖昧になっている最後の記憶がフッと蘇る。
きっとあのとき、自分は負けたのだろう……そこから先のことは自身の記憶ではなく、この体の記録を断片的に繋ぎ合わせた様に実感としてではなくただ情報として知るのみであることを、海の中へと叩き込まれ沈み行く体の状態を確認し右腕の肘先からが無くなっている状態を見てから遅まきながらに気付いた。
それにしてもこれは何たる皮肉だろうか……相手が神であるだけに、これは神罰なのではないかとすら思えてしまう。そう思うと逆に嗤いが込み上げてきた。彼の右腕を奪った当人たる自分が、こうしてこの体の右腕を失うという事態に因果を感じるなという方が無理だった。
流石は神だ。どう誤魔化そうとしたところで、あっさりと弱点を看破されていた。否、神眼を持つ神ならば“中身”などとうにお見通しか……
振るわれる四肢の内左腕だけは生身だ。魔法を――――否、正確には魔術を使えないこの体ではどう足掻いても人間の限界以上のことは出来よう筈がない。
それを可能にしていたのは、飽くまでも両の足であり右腕であった。両足と右腕は最大で彼の最高出力の八割を体現できるだけの性能を誇るという代物である。
だが、それを使いこなすことが出来るもの彼だけしか存在し得ない。しかし、それでも並の魔法師には視認出来る術がない程の速度を出せていたのは元々(魔法強化状態)の彼のポテンシャルがあまりにも高かったからだ。
そして左腕だけはどうあっても全体の動きにはついてこられない。速度を上げれば上げる程にそれは如実に表れる。そして、神眼を備える神がそれを逃す筈もなかった。
左腕を狙ったその一撃を右腕で庇った結果がこれだ。
これで、実質的な戦闘手段は絶たれたといってもいい。
だが、それでも生身の体をこれ以上損傷させる訳にもいかないのだから、義手の一つで防ぎ切れたことはある種の幸運とも捉えられる。推測ででしかないが神の一撃は霊体をも損傷させることが可能は筈だ。
確かめる術はないが、自分たちの想像する神という存在の姿が顕現したものならばその程度のことはあってしかるべきであり、召喚したのがファナであるならばその位の能力を備えている者を呼び出したと考えるのが妥当だと考えられる。
ならば、その神の一撃から生身の体を守れたというのは実に大きい。霊体を損傷したならば、流石の穢れた聖水でもその修復は不可能だからだ。
元々勝負にすらならない差があることは、誰より自身で分かりきっていたことだ。だが、それでも勝ちたかった――――否、勝たねばならなかった…………自分には何かを願うだけの資格もないことを百も承知で、それでも尚、誰にどう思われようとも、せめてささやかな意志だけは貫き通したかったから………………
健闘していた様に見えたのは、あの神が闘いを楽しむために自分に合わせていたからに過ぎない。
要は、手を抜いていたからだ。
せめて、下が陸であったらならばもう少し善戦出来ていただろうが生憎の海の上と地の利が圧倒的に向こうに効いていた。
凍夜は飛んでいる様に見えただろうが、実質的な意味では飛んではいない――――飛べない。飛行・浮遊などの魔法は魔術としてはそれ程難しいことはない。だが、法術でそれをなそうとするとかなり高度な技量を必要とする。しかし、彼にはその技量はない。知識としてはこの体の記録に記されているが、知っていることと出来ることは別物である。
彼は空を飛んでいたのではなく、跳んでいたのだ。流動法術二系スキル『触空』、読んで字の如く空に触れる技で、彼が施行していたのはそれの派生の一つ『空歩』、空を歩く技だが飛んでいる訳ではないので軌道がどうしても単純になってしまう上に、相手は空を飛ぶどころか空間に存在するという反則的な輩だ、高速になる程相手に有利になるというのだから困ったものである…………
最も、何が一番反則かと言えば勿論その在り方そのものが反則であるだけに、ケチを付け始めたら切りがない。対峙するためにまず辺り一帯をミスティックフィールドを展開しなければならなかったこと、攻防の全てに魔粒結晶化を施さなければならないことやそれの所為で大量の魔力を消費しなければならないこと…………
持て余す思考力が、自己の表層的な意志とは関係なく頭の片隅で様々な思考を繰り広げている間も、彼の体は海の底へと向かって沈んでいく…………
※※※※
凍夜が海中へと叩き落とされてから既に五分という時間が過ぎていた。
月御衣を着ているのだから窒息することはないが、意識が無くなっているのならば問題だ。更に、悪い状況を考えるならば命の危険だってある。
「お前らいい加減にしろよ…………あたしに殺されたいのか?」
凍夜が落とされた瞬間、神埜は即座に駆け寄ろうとしたが、誠吾と詠歌の二人がかりで力尽くで止められた。流石に、この二人が相手では神埜とてすんなりとはいかず、足止めを食らっていた。時間の経過と共に怒りが刻一刻と増大していく、神埜の本気の殺意を含んだ声が詠歌と誠吾に一層の緊張感を高まらせる。
「神埜さんお願いですから、もう少しだけ待って下さい。今、誰かが手を出す訳にはいかないのですよ」
「それは、アンタら大人の都合だろうが、あたしには関係ない」
誠吾――四大柱の頭首、そして日本屈指の魔法師――の言葉ですらも彼女には何の効力も持たない。
「これは、彼の意志だ。我々は見守ることしか許されていないんだ」
詠歌の彼の意を盾にした言葉ですらも、今はただ神埜の怒りの炎に油を注ぐだけだった。
「ふんっ、それでもアンタは姉のつもりか? 弟かどうかも判断出来ないで偉そうなことを言うなよ」
「さっきも言っていたな、どういう意味だ?」
「あれは…………今あの体を使役しているのは、あの人じゃない」
その言葉に、詠歌は衝撃を顔に露わにした。
「霊波動があの人のものじゃない。つまりは、あれは別人ってことだ」
神埜は凍夜が目覚めた瞬間から、それを第六感たる霊導感――霊体或いは魔導器官の感覚であって、直感という意味はない――で、機敏に感じ取っていた。
流石の二人もこのことに驚愕の度合いを更に高めた。
口調を公私で使い分けることはままあることである。彼の場合、公としての立場は最高位であり、ある種ならぶものは在れどその上はない。それを考えれば、公の立場での彼の口調が普段より強いもとなるのは必然である。
普段の彼しか知らぬ者なら、確かに口調の変化だけでも十分に驚くべきことかも知れない。しかし、彼の責務の重要性知る者にとってはそれは当たり前と言えた。だがもし、炎嵐へと向かう最中の言葉を聞いていたならば、詠歌は間違いなく凍夜の違和感に気づいていた筈だった。
そうはならなかったのは、彼がそれをしなかったから故である。自在に音の領域を指定出来た彼に詠歌たちには聞こえないすることは容易い芸当だった。
「では一体誰だというだ…………」
どうやって? なんのために? 思うことは様々ある。だが、今はただそのことが何よりも詠歌の頭の中を占めた。
※※※※
炎神は凍夜を沈めた後は只漂っていた。あの一撃で殺したとは思っていない。だが、最早怒りを感じていない――それどころか、彼との闘いを楽しんでいる炎神は、彼が次ぎに如何なる手段を用いてくるかを心待ちにしている。
戦神に讃えられる神でる。そうであるなら好戦的であって然り。
始めは確かに怒りを感じていた。しかし闘いを享楽のために重んじる彼は容易く相手を屠ったりはしない。そして、存外面白い闘いになり怒りを忘れていったのだ。
明らかに――神眼を備えたこの神という存在からしてみれば――不備を抱えた体である少年の好闘振りは、戦神たる自分が目覚ましいと感じた程だ。勝ち急ぐ様に最強の一手を繰るのではなく、次に繋がる最善を、その場に合った最高を、不出来な躯体でも尚常に繰り続ける判断力と戦闘センス、そしてそれら支える強靱な精神力は並大抵のことでは体得し得まい。
だが、それだけではない。確かに彼の闘志は本物であり手抜かりなどはなく、正に死力を尽くしていた(筈という仮定ではなく断定)。しかしそれでもまだ少年からは拭いきれない何かを感じていた…………
彼の周囲では、炎の勢いが時間の経過と共に徐々に高まりを取り戻している。この炎はこの神の意志とは無関係にまた炎嵐へと成長を遂げる。
凍夜が放った黒い球体が食らったのは単なる表層的な現象に過ぎない、この炎嵐を完全に消し去るにはこの事象の核を消し去るしかない。だが、それは容易くはない。
方法は二つ、この炎嵐を遙かに超えるより強力な魔法で吹き飛ばす方法。そして、事象の核たる構成術式を的確に解体する方法だ。前者は国内だけに留まらず、海外にも多大な影響を与えるために出来うることなら避けたい。そうした理由から選ばれたのが後者であり、そのための今作戦であった。
だが、分かったことは構成術式ではなく、事象の核が組み込まれているのがこの炎神であるという事とヒュストレムがこの一件に関与しているという事だった。
そこに誰しもが予期し得ぬ誤算があった。それが今は『紫司凍夜』と名乗る彼という存在――――
詠歌たちは彼のことを知っている様で知らなかった――――あの夜に一体何が起きたのかを……その全容を…………今の彼がそれがある故での彼であることを…………
奴らは――――特に、ヒューガは彼の存在をもっと推し量るべきだった。真実を知りながら、結末を知り得ていないのだから…………
それは只一夜の出来事――――
それは一度切りの邂逅――――
それは想いのなせる業――――
皆は知らなかった。七年前の死闘の行く末の真実と結末を…………
※※※※
「えっ? 夜?」
自分たちが集められたのは早朝で、今はそれからまだ数時間しか経っていない。
戦闘中に厚い雲を断ち切って垣間見えた光は、紛う事なき太陽の日差しそのものだった。
だが、今彼女たちの頭上を覆うのは夜の帳。星はない、だがそれでも暗くても仄かにあたりを見渡せるその闇色は間違いなく夜だった。
「今度はどうなってるんだ?」
「何故、俺に訊く?」
溜息混じりに修之は問いかけてきた智之に問い返した。
「いや~、俺らの中じゃ一番いろいろ知ってるからさ。何となく、なぁ?」
同じく修之に視線を向けていた幾人かのクラスメイトに同意を求める。
『お前らはもう一回あいつの授業を受け直せ…………』と、直ぐに他人に答えを求めるクラスメイトたちを眉間に皺を寄せて突き放した。
「夜は紫司の――『凍夜』の象徴の一つだよね……」
沙樹がポツリと呟いた。
「夜・冽・矢・剣・無――」
隣の麻里奈が指折り数え上げていく。
「戦・震撼・紫電……は確か雷と雷土の二つ共で、最後に死だった筈よ」
満里奈は事ある毎にいつの間にやら巷で勝手に追加されていく誤ったものは含まずに、紫司の姓及び凍夜の名のに込められた象徴を正確に答えて見せた。
「だよね…………じゃあ、これはまた凍夜くんが何か仕掛けてるってことだよね?」
恐らくこの中で誰より凍夜の安否を気遣っているであろう沙樹は、そのことだけで十分だった。少なくとも、あの激しい戦闘で命を落としたという最悪の事態だけは回避出来たのだと確信出来たから。
※※※※
水柱が一気に立ち上り、遅れて激しい音が静まりかえった戦場に再び音を響き渡らせた。
数秒が経過すると水柱の中に一点の光が見えた。
『ヘテロクロミア……。成る程、我にも見えぬ呪いが施されていると思えば、正体はその魔眼か』
その光を宿す主の姿を認めた炎神は、納得の声を上げた。
凍夜の顔にいつも付けている不透過の眼鏡はなかった。
「出来うることなら使いたくなかったんだ…………」
そう呟く少年の顔は悲痛に歪んでいる。
「紫眼、開眼」
言葉と共に紫色の光が眩む程に光りを強め、この戦域一帯にいる者たちのその殆どが感じたことのない、哀の色に染まる全身が痺れる程の魔導波を生んだ。




