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優しい月のトリニティクロス~My dear elder brother~  作者: F/L
二章・氷上の平穏
34/73

34.荒ぶる心

 実習の授業が始まる前の着替えの時間、凍夜が着替えを終えて、部屋の前で修之の着替えが終わるのを待っている時に、携帯が鳴り始めた。

 ポップアップ画面には詠歌が表示されている。それを確認してからこちらの回線を繋げた。

「どうしたんですか?」

 対面電話――のこ『面』は画面のこと――の場合、お互いの姿が見えているので、『もしもし』という確認から入ることは先ずない。

「ああ、実はな――――」

 詠歌の話は要約すれば、急遽出動になったから授業はお前がやれ、というものだった。

 だが、話を聞く限り、わざわざ詠歌が出向く程のことの様には思えなかった凍夜は、それを問いかけてみた。

「分かりました。それは構わないんですけど、それ程の用件ですか?」

 詠歌はあっけらかんと答える。

「いや、全く。ただ個人的にってのと……実は、実習は元々お前にやって貰おうと思ってたからな、私がいなきゃ連中も素直に従うしかあるまい」

「はあ~、だろうと思ってましたよ」

 凍夜はそれに苦笑をもって返した。

「と言うわけだ。後は、頼んだぞ」

 そういって、切ろうとしたが、ああそうだ! と、何かを思い出した詠歌が言葉を続けた。

「まあ、釈迦に説法というものだろうが、アレ(1)とアレ(2)はやるなよ。下手な癖でもつけられたらかなわんからな」

 アレという指示語だけで話してしまうのは詠歌の癖に近い。

 軍の業務で暗号会話を常用しているためか、或いはただ他の人間にネタバレさせたくないだけなのか……それは判断出来兼ねるが、前者のことは恐らく大いに関わっている筈で、それが日常会話でも暗号ではないにしろ、当事者たちにしか理解出来ない会話の仕方をする。

「まあだが、お前がアレ(2)でクラスの女子をはべらせたいというのなら、止めはせんがな(笑)」

 それこそ止めろ! と思い心の中では突っ込みを入れ、実際には普通に返すだけに留めた。

「姉上……婚約しているとは言え、まだ嫁入り前なんですから、少しはそう言う話は自嘲して下さい」

 それに詠歌は笑って気にするなと言うだけだった。

 このアレという指示語だけの会話で、それがなんなのか凍夜と的確に分かり合っているあたりが、小夜にしてみれば、通じ合っている様で羨ましくもあり、秘密にされていて悔しくもある。そして、これが詠歌を疎ましいと思う原因の一つになっているのだが、流石にそこまでは詠歌が知る由もなかった。


※※※※


 詠歌は現場に到着するなり挨拶もなく、単刀直入に本題に入った。

「状況は?」

 先ほど凍夜と話していたときのような柔和な表情は一切無い。

 軍務だから或いは現場だからという訳ではない。詠歌の基本はあの調子だ。

 故に、今のこの詠歌こそ異常があるということの証明でもある。

「ハッ! 恐らく、元は犬・猫・いたちと思われる『魔獣』が、計五体内訳は先の順で一・二・二です。現在部隊の若手の演習も兼ねて、一体に尽き四名編成のユニットで迎撃させております」

 そんな詠歌を迎えたのは、堀川仁ほりかわじん中尉、今回の任務の作戦指揮官たる人間だ。

「そうか……それは、すまないな……」

 詠歌は堀川中尉の説明を聞いて小さな声で呟いた。

「はっ? 何か仰いましたか?」

 何を言ったかまでは聞き取れなかったが、何かを言ったことは間違いなく聞き取れたので、堀川中尉が聞き返してきた。

「否、なんでもない。部隊を下がらせろ。私が行く!!」

 これには驚くしかない堀川。

「中将自ら行かれるのですかっ!!?」

「ああ、そうだ」

 間髪入れずに即答する詠歌。

 堀川としては――いや、ここには堀川しかいないが、もし他の者がいたのならば、その者たちも思った筈だ。普通佐官以上が『国内の事件』程度のことに、介入してくること自体がない筈なのに、急遽そこに割って入ってきただけでなく、出撃まですると言っているのだから尋常ではないと。

「ですがっ!!」

 詠歌じょうかんの命ならば従うのが普通ではあっても、急なことについ言葉が出てしまった。

「何か問題でも?」

「――――いえ」

 しかし、詠歌ちゅうじょうの命に中尉風情いっぺいそつが意見できる筈もない。

 それに元々、彼が声を出してしまったのは、縄張り意識からではない。

「では、行く。即座に全員下がらせろっ!!」

 詠歌はいつも縛っている髪を解き、轟音響く音の発信源へと歩を進め始めた。

「ハッ!! 全ユニットに継ぐ、即座に帰投しろ。繰り返す、即座に帰投しろ。反論・意見は一切認めない。これは『紫司』閣下からの命だ!!」

 携帯――とは言っても、軍用のである。そして、この時代の携帯とはマルチデバイスなので、携帯電話という扱いではない――へと声を発して、全軍へと命を下した。

 一瞬の驚きであろうと思われる躊躇いの後、少しのばらつきはあったが、全軍から『了解』の返答があった。


 詠歌の目の前には多少の手傷は負っているものの、魔獣特有の再生能力によりみるみる内に回復していく、ほぼ無傷と言っていい五体の魔獣の姿があった。

 元の発生場所は民家の真っ只中であったが、堀川の部隊のお陰で今は未再建地区いせきにまで誘導されていた。

 魔獣たちは先刻まで自分たちを攻撃してきていた者たちがいなくなったことにより、その矛先を辺りへと向けてただ暴れ回っていた。それらの暴れる様は見る者に哀れみを彷彿させる。ただのたうつ様に体をぶつけ、仲間――ただ群れとして在るだけで、仲間意識は存在しない――は愚か自らが傷つくのも構わずに、魔法による攻撃をまき散らしていた。

 霊障の成れの果て――――精神アストラルをもその魔性に犯された、自我は愚か衝動や本能すらも失ったその存在は、最早生き物という区分ですらなくなり、それは現象という区分にされる。

 霊障により、肉体は犯され魔象とかし、やがで精神をも飲み込み怪魔かいまとなり、いずれエーテル体を変異させて魔性現象ヘルズ・ディザスターへとなる。それは、この世にある最悪の災厄の一つだ。

「済まないな……お前たち……」

 詠歌はその姿を捉え詫びの言葉を、心底済まなさそうに告げた。今は最早滅するしかなくなった哀れなるその存在に、哀れみを込めて……

「私は、君たちが救われるかも知れない可能性を知っている……」

 だが、その思いはそれだけではなかった。

 魔獣へと歩み行く詠歌の紅い煌髪は、その輝きを失っていった。

「だが、今の私はそれを“しない”」

 その代わりに、髪は朱の色が益々強くなる。

「今の私がしようとしているのは、軍務でも使命でもない」

 だが、次第にそれは鮮血が乾くが如く――

「ただの私情だっ!!」

 黒く染まっていた。そして、その言葉と共に触れられた一体が一条の雷砲により消し飛んだ。

 普段は見目麗しき詠歌の煌髪ではあるが、詠歌が体内で大量の魔力ラピスを作り出すとあの様に、その朱を増していく。そして、やがて朱の限界を迎えた髪は、この様に黒く染まるのだった。

「お前たちっ、良く見ておけよっ!! 滅多に見られるものじゃないからなっ!!!」

 堀川が部下たちを引き連れて、詠歌の後方からその様を見て、部下たちへとそう告げた。

 普段、彼女の髪がここまで黒く染まることはない。

 そして、本来あってはならない筈だった。

「アレが、Bランクの魔術師の力だ!!」

 この日本に――魔法師人工が全国民の約半数、その数凡そ900万人であるこの国に置いて尚、たった100人未満しか存在しない稀代の魔術の使い手、それがBランクという魔法師階級の者たちだ。

 そして、そのBランクである詠歌が、その髪を黒く染め上げるというのはそれ程までに力を込めている、ということに他ならない。

 これは本来で言えば、戦争か同等の相手との本気の戦闘以外では見られるものではない。今の世であるならば滅多なことでも無い限りは、あり得ない筈なのだから。

 だが、詠歌はその本気をぶつけている。例え、相手が魔獣と言えど、それ程の力を振るう必要はないというのに……


 それは圧倒的だった。

 一体目を消し飛ばした後、同様にして次々に雷砲を放ち、その場の魔獣が正に瞬く間に消え失せた。

 若手と言えど、堀川の部隊は選りすぐりの選抜部隊だ。その部隊の者たちですら、一体に四人以上で当たる事で初めて上回るというのに、それを五体も相手にたった一人で相手に……いや、相手にすらなっていない。

 彼らは、目の前で起きた現象に呆けるしかなかった。

 ただ、堀川中尉だけは始めから分かっていただけに、冷静だった。だが、その彼にしてもまさか本気でやるとは思いにも寄らなかった。

 彼が始めに口を挟んだのは、詠歌の実力を知るが故に、わざわざ彼女が出向く必要がどこにも感じられなかったからだ、故に驚いた。自分の部隊でも相手になる魔獣に、Bランクの詠歌が――中将という肩書きには気を払っていない――自ら相手をすることに。

 しかし、これは堀川にしても良い機会であった。何しろあの『紫司』の(全力ではないにしろ)本気を、じぶんたちを束ねるその者の在りし姿を、部下たちに見せることが出来たのだから。

「お前たち、これで分かっただろう。アレが『紫司』だ。この日本に置いて、『最強の魔法』の有する最強の一族、死をつかさどる故に『しづか』。その名を、本当の意味で」

 知識としては誰でも知っていることだった。四大柱のその名の重みを。

 小学校の教科書も、四大柱のことは印されているのだから同然であるし、それ以前にも親・兄弟などからそれとなく伝わってくるもので、その存在は当たり前だった。

 しかし、それを実際に目の当たりにするのとではわけが違った。彼らは思う、この存在が敵でなくて良かったと、何しろ“詠歌ですら”これほどの芸当をいとも容易くやってのけたのだ。これが、『紫司』の“真実のめいも持つ頭首”ならばどれ程であるのだろうか? と。

 堀川の狙い目はそこだ。紫司――四大柱に対して、敵対するという恐怖。それを上手いかたちで御することが出来れば、この部隊が日本という国が、より強固に纏まり、安寧を手にすることが出来る、とそう考えているからだ。当の詠歌の真意は分からずとも……


※※※※


 詠歌は紫司宗家の自室にて香を焚いていた。勿論、この香も凍夜によるもので、その効果は沈静である。

 凍夜の作り出すものはいずれも効果的だ。戦闘後に、事後処理を堀川に任せ、早々に自室に籠もってこの香の効果により落ち着きを取り戻していた。

 本来ならば、ああなる前に使用して置くべきであった。

 軍務でもなく使命感からでもない、単なる私情による魔獣の全滅。ただの八つ当たりだった。

 若者たちの訓練には良き対象であった筈で、自分ではなく彼を寄越していたなら、若しかしたら元に戻せたかも知れない魔獣たち。それを自身の私情のために、職権乱用までして力任せにぶち壊した自分。

 気分は最低だった。香の効果で落ち着いているだけに、逆にその冷静さが自己嫌悪を起こさせていた。だが、それが詠歌の狙いだ。

 こんなことをして、何になるとも思っていない。そんなことであがないになるとも思っていない。しかし、まともではいたくなかった。彼だけに全てを押しつけて、のうのうと生きる自分が許せなかった。


 きっかけは凍夜の言葉だ。昨日自分にだけ聞こえる様に、彼が呟いた言葉『恨んでくれますか?』という、あの言葉に…………

 別に凍夜が悪い訳ではない。そう凍夜に悪いところなど存在しない。

 自分たちは彼に感謝こそすれ、恨むことなど有りはしない筈なのだ。彼がいなければ、小夜はきっと活きてはいなかった。ただ命があるだで、死んでいないというだけの存在になっていた筈だ。

 そうはならなかったのは、間違いなく凍夜のお陰だ。彼がその全てを捧げてくれからに他ならない。

 そう……その彼に感謝はすれど、恨むなどということはない……あってはならない。

「その筈なのに……」

 呟いた後、クッと強く唇を噛みしめた。

 そう思っている筈なのに、即答出来なかった。それが、詠歌には悔しかった。そして、そう出来なかった自分が恨めしかった。

 きっと自分はそのときが来たら、彼を恨んでしまうのだろうから……

 己の全てを犠牲にして、他人のために偽りに生きる彼を……そうまでしてくれている彼を……

 彼の真実、詠歌と現紫司家頭首たる父:康嗣こうじだけが知る、彼の最後の真実を知るが故に……後の小夜を思うが故に……

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