10.謎の麗人登場!?
教室の前で入るのを躊躇っている生徒たち。教室の中に『彼ら』がいるのかと思うとやはりどうにも萎縮してしまう。
そろそろ、本鈴が鳴ろうというころに横手から凛として張りのある女性の声が掛けられた。
「君たち、いつまでそうしているつもりかね? 時間までに教室に入っていない者に、私は欠席や遅刻と記さねば成らんのだが、まさか入学式当日からそうさせるわけではあるまいね?」
声を掛けられた一群はその方向に振り返り目を見張る。
そこには、夕焼けがあった。
夕焼けの如き紅い髪、触れれば焼けてしまいそうなほどその髪は灼熱の炎の様に煌びやかだった。
その髪に見とれていると女性からまた言葉が発される。
「ほらほら、はやく動きたまえ!!! でなければ、本当に遅刻になるぞ!!!」
女性の髪に見とれ惚けて生徒たちが、その言葉で我に返り、発破を掛けられて生徒たちは漸く教室に入ることが出来た。
生徒たちの後に彼女も教室へと入っていく。そして、元々教室の中にいた生徒も先ほどと同じように驚いていた。
女性にしては少し高めの身長に、黒のパンツスーツ、目つきは鋭く、おろせば肩より長いだろう煌髪を、頭の後ろで一本に縛っている。その容貌は正に凛々しき麗人だった。
煌髪の女性が低めのヒールを鳴らしながら教卓に向かう、そして本鈴が鳴り始めた。
彼女の髪は通常・活性魔粒子性変異霊障害・通称:霊障と言われるもので、魔導機関(もしくは霊器)の活性魔粒子抗毒耐性の耐性値を超えたラピスが、人体に与える影響として発症した症状を指す。
本来ならば、これは疾病の一種ではあるのだが、多くの場合顕現現象(体の部位に目に見てとれる状態)がある場合は、これそのものが疾患の症状であり、特に異変を来すことがない場合が多い、しかし飽くまで多くの場合はの話ではある。
彼女の場合は、多分に漏れず顕現現象のみの発症だ。つまり、簡単な話が地毛で髪が紅いということになる。
そして、彼女たちの様に霊障でありながら、人体に悪影響がない状態で尚かつ、それが視覚的に良好と捉えられる場合には、美象と言われる。この麗人や小夜の髪はこの部類に入るものだ。
女性なら大概の者がこの美象に憧れをもつものだ。
しかし、それは意図して手に入れることは出来ない正に天恵と言っていい代物である。
それをやろうとするものはいないが、人工的に霊障を引き起こすことは可能だ。
だが忘れてはならない、飽くまでも霊障は疾病なのだ。いくら美象とその呼び名を変えようともその本質は変わらない。
無害な顕現だけで済めばいいが、体に異常を来し、一生を病院の中で過ごす可能性もある。例え無害でも、言い方は悪いが醜い姿になることもある、霊障そのももは美象の部類でも、当人の容姿を相容れない場合もあり得る。
そして何よりもやらない理由は、霊障(顕現現象)は治らないとされている。全てがではないが、殆どの場合が治らない。
故に、美しく"なるため"ならいざ知らず、かなり少ない"なる可能性"のためにやるものはいないのである。
教室に入って来た美象の煌髪を讃える、その麗人を見た一同のその中でも、特に驚いている者がいた。しかし、それは他の生徒とは異質な驚きだった。
他の者が彼女の容姿(主に髪)に意識を奪われる中、彼女だけはその存在に、彼女がここいるという事実に、心底驚いていた。
驚いていたのは、小夜だ。小夜は他者に感情を向ける娘ではない、例え自分がどのような扱いであろうとそれを甘んずることができる、というよりそもそも気に掛けることすらしない、今の小夜にはそれができる心の支えがあるからだ。しかし、その小夜をもってしても許し難い者たちもいる。
その一人がこの目の前の女性だ。
そして、始めは驚いていただけの小夜も、次第に怒りが込み上げてくる。この者がただここに存る、ということだけでも小夜には許し難かった。
その女性が教卓の前に着く。
小夜は怒りのあまり激昂しようとしてした、何故ここにいるのか? それを問いただすために……
腕が机の上にまで持ち上がり、机に強く叩き付けられようとしていた。
――しかし、それは起こらなかった。
小夜のことを分からない凍夜ではない。
小夜が『何を想い』『何を思った』のか、分からぬ凍夜ではない。
故に止めた。
小夜の左肩には、凍夜の左手が添えられている。
怒りがおさまったわけではない、『彼女たち』に対する想いは“あのとき”から、一切の揺らぎを持たぬ程に燃えている。
しかし、小夜にこの手を払いのけることは出来ない。『絶対』という言葉をもってしてそれは出来ない。
行き場のない想いを抱える小夜、その想いは消せなくても――もっとも小夜自身に消すつもりはない――、せめて愛しき兄のぬくもりを感じるように、肩に掛けられた手を右手で握る。自身を抱くように……
その様子に気づく者は『二人』だけだった。
皆教卓の麗人に魅入られて、その二人の様子など気に掛かる余地もなかった。
教卓から二人を見る煌髪の麗人と、顔を教卓の方に向けながら、視線のみを二人の方に向ける男子の制服を着た生徒のみだ。
「おはよう、諸君。先ずは、入学おめでとう。全員、無事にこの日を迎えられてなによりだ」
教卓の前に着いた麗人は、よく通る声で語り始める。
「私が今日から君たちの『担当になる者』だ。以後宜しく頼む。
さて、本来ならここで私の自己紹介となるのだろうが、生憎と今は伏せさせて貰うよ。君たちにも、式の後で全校生徒と一緒に、驚いて貰いたいからね。私が名乗るとき、ここにいる『殆ど』の者が驚くことを約束しよう(笑)」
っと、麗人は自分の名を明かさずに、悪巧みしているというあからさまな顔をしている。
当然、生徒たちはついていけない。一様に呆けるばかりだった。
「あの~……」
一人の女生徒がおずおずと手を挙げる。
「何かね? 丹下桜くん」
どうやら麗人は、既にクラスの生徒の名前の把握しているらしい。
間髪入れずに、自分の名前を呼ばれた女生徒は少々驚いた。
「はいっ、あの……その……さっき、全員って言ってましたけど、私の前の席が空いてます」
「ああ。彼女なら大丈夫だよ。今年の主席入学者だ。今は、一足先に体育館で君たちの代表として、挨拶の練習としているころだろう。他に何か気になることがある者はいないか?」
見回して見るが、手を挙げているものはいない。
「結構!! では、時間になったら二年生が迎えに来るので、それまで君たちは待機だ。私は席を外すので、あまり騒ぎ過ぎないように話でもしながら、リラックスしていてくれ。では、これでホームルーム終了だ」
終了が告げられて、生徒たちの気が少しゆるんだ。
本当に名乗らなかった麗人は、教室の出入り口の前まで移動して、ドアを開いたところで、一人の生徒の名前を呼ぶ。
「ああそうだ。紫司凍夜! ちょっとこいっ!!」
教室にまた緊張が走った。
先ほどまで、麗人に飲まれて、『紫司』のことを忘れていた。
「はい」
呼ばれた本人たる凍夜は、何事もない様子だが、小夜がびくっと反応した。
立ち上がった凍夜は、そんな小夜を宥めるために、机の右側に抜けて、左手を小夜の頭に載せて、腰を折って耳元で『大丈夫だよ』っと優しく囁いてから、何事も無かったかの様に教室の外へと歩みを進めた。
麗人と凍夜が教室を出ると、生徒たちはまた少し緊張をとき、話を始めた。
小夜は辛そうな顔で俯いている。
沙樹は、何故呼ばれたのか? と思いを馳せながら、凍夜が出て行った後を暫く眺め、その小夜の様子に気づき、声を掛ける。
「どうしたの?」
「すみません。何でも、有りませんわ」
何でもないと言う小夜ではあるが、その笑みに力はない。
何でもないわけはないのは明白だが、こうなっている人間に他人が口を出すのは返って無粋というものだ。
――――暫しの時間が経って、小夜が沙樹に話しかけてきた。
小夜は、今まで先ほどと同じように伏せっていた。沙樹は、そんな小夜を放って誰かを話す気にもなれるわけもなく、隣で携帯をいじったりしながら時間つぶしていた。
「沙樹さん」
「もう、平気?」
「ええ、済みません。気を遣わせてしまって」
席に座ったままではあるが、礼をする小夜。
「いいのよ、これくらい。それに、紫司さんならこうゆうとき、『気にされる方が迷惑だ』って言うと思うわよ。さっき見たいにっ!!」
「そうですね(笑)」
完全にとはいかないが、幾ばかりかは戻っている小夜に安心する沙樹。
「あの……実は、迷惑ついでに、一つお願いがあるのですが宜しいでしょうか?」
少し言いにくそうに、少し躊躇ったが意を決して口にした。
「何かしら?」
「実は――
彼女たちは、凍夜が戻って来るまで、話を続けた。
そして、凍夜が戻って来たときに、二人の随分親しくなった様に見えた。




