復讐の魔女は灰色の空を仰いだ
灰色の空に影が落ちた。
講義の終わった生徒たちが談笑しながら寮へ戻っていた時間のこと、中央塔のてっぺんから、黒衣の女が静かに、まるで羽根でも失った鳥のように地へ堕ちていった。
鈍い音が生徒たちの耳に届いたときにはすでに、魔法学園に在籍する教師、アリア=レアンは動かなくなっていた。
「きゃあ?!」
「お、おいっ! 誰か……誰か落ちたぞ!」
「先生を呼んでこい!」
「あ、あれ……アリア、先生……?」
「な、なんで……」
生徒たちの叫びが響き渡る中、一人の少女は茫然と、地に伏せる彼女の姿を眺めていた。
アリア=レアンは、化粧気は無く地味な風貌だが、明るく朗らかで、生徒の相談にも親身になることから人気な教師であった。
そんな彼女の突然の死は、不運な事故として片付けられた。
「事故……?」
書庫塔の窓辺から、アリアが倒れた光景を見下ろしていた少女がいた。
銀の髪とガラス玉のような瞳を持つ、クロエ=ヴァルトリエ。
高位貴族の名門家系に産まれた、今年度……いや歴代の入学者と比べてもトップを誇る天才である。
今はすっかり血の跡一つ無い場所を眺め、彼女は唇を噛み締め、そっと目を伏せた。
たった一人の姉に追悼を捧げた。
姉妹といっても血の繋がりは濃くはない。
異母姉妹。本来嫡女として扱われるべきアリアであったが、魔力に乏しかったが故に姉は庶子として父に冷遇され家を追われていた。
魔法の才に溢れ父や使用人たちからも愛情を受けるクロエとは正反対の人生を送るも、それでもクロエ本人は姉のアリアを慕っていた。
優しく、物静かで、たまにこっそりやり取りする手紙の文面にはいつも穏やかな気遣いが溢れていた。
『あなたの夢が叶いますように心から願っています。勉強のしすぎには気を付けて。愛する妹、クロエへ』
クロエにとってアリアは、ただの姉ではなかった。
毎日勉強ばかりで期待を背負わされ荒んだクロエの心に、密かな想いを芽生えさせた特別な人だった。
誰にも言えなかった。言うつもりもなかった。
貴族の道理に背く、禁忌にも似たその想いを。
それでも幸せだった。
やっと姉と同じ場所で魔法を学べる。
誰にも咎められることなく堂々と姉と関わることが出来る、と。
それなのに。
「やっと消えてくれたわね。あの生意気な女」
放課後の教室で笑いながらそう言ったのは、セレナ=グロリア。
学園内で最も権威ある公爵家の令嬢であり、目が眩むほどの美貌の持ち主であるのと同時、アリアに対して最も執拗な嫌がらせをしていた生徒だ。
「まともに魔法が使えないくせに教師ぶって、本当に目障りったらなかったな」
「まったくですわ。あんな下賤な女が我々に何かを教えるなんて。身分違いも甚だしいです」
「風魔法の一つでも覚えてたら、あんなとこから落ちても助かったのに」
「どうせ死ぬなら私が蹴り飛ばしてやったのにな」
「アッハハハ、いいですわねそれ。わたくしも見たかったですわ。まあ、あの庶民の最期はカエルみたいに潰れて終わりでしたけど」
「叫び声を上げなかったのだけ褒めてあげようかな。あの女の声はボクには耳障りすぎたから」
彼女の取り巻きは三人。
侯爵令嬢ロザリー=アンホールド。
公爵家分家のフローラ=ルクレッティ。
そして伯爵家のヴィヴィアン=リューカス。
この四人こそが学園の頂点的生徒であり、教師でさえ彼女たちには頭が上がらないとされるほどの存在である。
魔法使いとしても家柄としても格下であったアリアは、日頃彼女たちから目をつけられていた。
授業中の嘲笑、講義内容の無視、私物の破損、教員室での悪評流布、暴力……学園内で無数の陰湿な嫌がらせを受けていたことを、それらが全て四人の仕業であることを、クロエは書庫塔のアリアの自室に保管された日記で知った。
その結果アリアは精神を蝕まれ、誰にも助けを求められず、一人失意の中で死を選んだのだと。
「お姉ちゃんは……あいつらに殺されたんだね……」
もしも自分がもっと傍にいてあげられたら、もしも、もしも、もしも……と、クロエは有り得た可能性を乗せた拳を壁に叩きつけた。
「赦さない……赦さない赦さない赦さない!!」
クロエは決意した。
姉の死の真相は闇に葬られ、誰も罰せられなかった。
ならば自分が罰するしかない。
「あの豚たちを……お姉ちゃん以上に苦しめてやる!!」
天才は天災となり、復讐の牙を剥く。
最初に罰が下ったのはロザリーだ。
彼女は放課後に出かけた街で途端に錯乱状態となり、何者かの制止を振り切るように馬車道へ飛び出した。
馬は止まれず、車輪が彼女の下半身を轢いた。
骨盤から下は砕け、脊椎の一部も損傷した。
生きていることが不思議なほどで、治癒魔法も通じず、もはや歩くことも、立つことも、ましてやまともに日常生活を送ることも出来ない。
かつてアリアを得意気に蹴り倒した足は、もう彼女の元には無い。
「こんな……私はっ……」
ロザリーは毎晩夢にうなされた。
何者かが背後から声を囁くのだ。
「あなたの足、粉々になっちゃったね。とってもよく似合ってる。ねえ、次はどこを失くしたい?」
錯乱は日ごとに悪化し、今や看護師や見舞いの家族にも暴力を振るう有様。
彼女が怯えるその姿を、クロエは遠くからただ見下ろしていた。
誰よりも高貴さを尊ぶフローラは、ある朝異変に気付いた。
腹部が異様なほどに膨らんでいる。
「……何ですの、これ」
医師は妊娠反応を示した。
だが、彼女は誰とも肉体関係を持っていない。
事実、純潔の証明もあった。
しかし日ごとに膨らむ腹は、否応なく出産の兆候を示していた。
「いやっ、いやっ! なんとかしてくださいまし!」
涙ながらに謂れなき妊娠を拒み、堕胎をせがんだが手の施しようが無いと医師は匙を投げるしかなかった。
そしてある晩を迎え、医師も助産師も逃げ出すような絶叫と共に、彼女は産んだ。
それは、カエルだった。
四肢の短い、異形の。
それが無数に出てくる様に、本人は絶叫した。
「やだ……やだやだやだやだ!! なんで、こんなの、いやぁあああっ!! 誰か、誰か助けてえええ!!」
以降、彼女の子宮は、月に一度無数の小さな異形を産み落とす袋となった。
決して死なない。だが、終わらない。
フローラは人目につかない地下の病棟に隔離され、毎月出産の度に白目を剥き、嗚咽と吐瀉と産声にまみれて床に伏す。
「可愛い赤ちゃんたちと幸せにね。お姉ちゃんの分まで」
闇より届いた祝福に、カエルたちは輪唱した。
ヴィヴィアンは学園の歌姫である。
歌を得意とし、学園では魔法の旋律と称されていた彼女は、ある日突然喉の異常を訴えた。
声を出す度に激痛が走るのだ。
「ッ……うぐっ……あ、ああああああああっ!!」
喉を震わせると、全身の神経に痛覚が流れ込み、肉が裂け骨が折れるような激痛が襲いかかる。
痛みに悶え声を上げれば、また痛みが全身に走る。
不意に声が漏れただけでも同じこと。
繰り返される痛みの中、やがて彼女は歌うことをやめた。
笑うことも、話すことも、すすり泣くことすら出来ず。
震える唇を噛みしめ、亡霊のように沈黙し寮の片隅に閉じ籠もった。
永遠の孤独に苛まれながらも、声を出さなければ痛みが襲うことはないと高を括り。
しかし。
「聞かせて。あなたの声」
彼女は孤独すら許されない。
「聞かせて。聞かせて。聞かせて聞かせて聞かせて聞かせて聞かせて。聞きたいのあなたのステキな声」
寝ても覚めても、その声はヴィヴィアンの頭に響いた。
最期まで教師であり続けた女性の声。
「っ、助け――――――――あああああ!!」
縋ろうとも拒絶したのは自分であるとばかり、その有り様を目にクロエは冷笑した。
「醜い声」
魔法の旋律が学園を彩ることはもう二度とない。
最後の標的であるセレナは、誰もが羨む花のような美貌の持ち主であった。
王家との婚姻を一週間後に控えた深夜のこと、ふと彼女が目を覚ましたときのこと。
鏡に映る自分の顔に、皺が刻まれていた。
「な……に、これ?」
垂れ下がった肌は生気のない土色に、白くなった髪はどんどん抜け落ち、声も老婆のように掠れていった。
老化は加速し、治癒魔法も効かない。
それは肉体の劣化ではなく、魂の時を進める呪いであった。
セレナは泣き叫び、あらゆる医師と魔法使いを呼び寄せたが、どれも無意味に終わった。
筋と皮だけの痩せ細った身体、落ち窪んだ眼窩、二目と見られない姿となったセレナに、人々は奇異の視線を向けた。
「あれがセレナ様……?」
「年老いた魔女のようだ」
「もしかして魔法で姿を偽っていたんじゃないか?」
王家に取り入れために衆目を欺き続けてきたのだと、心配されるどころか醜い姿を糾弾される始末。
足をかけて転ばされ、石を投げる者もいた。
「この魔女を幽閉せよ!!」
やがては不敬と王家の怒りを買い、引きずられながら光も届かない牢へと閉じ込められた。
「うそ……うそよ……私が……こんなの……。誰か、助けて、私の話を聞いて!! 誰か私を見て!! お願い、お願いよぉぉぉ!!」
その後、彼女という存在は表舞台から完全に姿を消した。
ネズミと毒虫が蠢く檻の中で一人、終わりなき恥辱と苦悶に発狂し喚くが、その嗄れた声は誰にも届くことはなかった。
今ではもう彼女の美しい姿を思い出せる者はいない。
他者を虐げた女の哀れな末路は、復讐に取り憑かれた少女でさえも興味が湧かなかった。
少女たちはまだ生きている。
命を奪われることも許されず、生き続けるという終わらない地獄を味わいながら。
復讐が果たされ、クロエはアリアが飛び降りた中央塔の最上階で、彼女の遺した日記を読んでいた。
そこには最後のメッセージが綴られていた。
『クロエ。もしあなたがこれを見つけたとき、私はもうこの世にいないでしょう。あなたを置いて先立つ弱い私を許してください。どうか、あなたの未来だけは穏やかでありますように。愛しています。私の大好きな妹へ」
クロエは微笑んだ。
「ごめんね、お姉ちゃん。穏やかな未来はもう要らないの。もうこの世界にお姉ちゃんはいないんだから」
その頬に伝う涙は風が拭った。
そして、彼女は学園を去った。
誰にも見つからぬよう音も立てず。
クロエ=ヴァルトリエがどこへ行ったのか、何をしたのか、誰も知らない。知る由もない。
ただ、彼女の部屋に燃え残った灰だけが積もっていた。
その灰はアリアが落ちたあの日と、同じ空の色だった。
王道の復讐ざまぁを書いてみました。
もしお気に召したら、リアクション、ブックマーク、感想、☆☆☆☆☆評価をいただけますと幸いですm(_ _)m
同系統の復讐ざまぁがお好みの方は、当方のもう一つの復讐ざまぁこと『笑う令嬢は毒の杯を傾ける』も楽しんでいただけるかと思います。
普段は百合ファンタジーを主に書いておりますので、興味がある方はぜひm(_ _)m




