第32話 瞬の決別
阿道城3階の茶室向かいの広間の襖を勢いよく開けて中に入った瞬。
瞬の記憶は8歳の忘れもしない人生を変えた日に逆戻りした。
実際には記憶の中にはすでに8歳の瞬がいた。自分は幽霊のように誰にも見られることなくその記憶の中を歩き回っているような感覚だった。
障子が開け放たれた異様な状況。小さな瞬は不安ながらもそっと中を覗き込んだ。姿の見えない瞬は小さな自分と並んだ。小さな自分は無我夢中で勢いよく中に飛び入ってしまった。
姿の見えない瞬はこの後何が起きているのか知っている。足取りは重い。なんとか襖を通り過ぎて中に足を踏み入れた。
泣きながらも目を離さないで身体に刃物が刺さったじいちゃんを見ている小さな自分。姿の見えない瞬は耐えきれずに左に目を背ける。視線の先にあるものを見て目が離せなくなった。
白狼!
あなたがなぜここにいるのか。
白狼は両膝をついて両手で顔を隠しながら息を殺してじいちゃんと小さな俺を見ている。
「じいちゃん⋯⋯」
小さな自分がそう言葉をこぼした。小さな自分はじいちゃんを見つめている。じいちゃんが微かに動いている。
じいちゃんのことが切れるのを確認すると小さな俺は大声で泣き始めた。
熱っ
瞬は手に持っていた炭鉢を床にゴトッと落っことして意識が現在に戻ってきた。
しかし瞬は立ち尽くしていた。
今のが本当の記憶⋯⋯。
一人の男が瞬に近づいて瞬の後ろ姿にこう声を投げかけた。
「瞬?どうしてここにいるんだ?」
瞬はゆっくり振り返るとそこには霜月が立っていた。霜月はいつもの様子で瞬と目が合うとこう伝えてくる。
「光原の謀反だ。早く城から逃げろ。俺はこれから阿道殿に会ってくる。」
瞬は顔を変えないまま霜月の方を見る。霜月はいつもの瞬とは様子が違うことに気がついた。霜月は静かに瞬を見続ける。
すると瞬は怖い顔をして霜月にこう聞く。
「霜月さん、じいちゃんを殺したのか?」
それを聞いた霜月は固まった。
何が起きているのか一瞬わからなくなった。その姿を見て瞬は焦れた。
(違うって言ってくれよ!)
瞬の心の中は爆発しそうだった。
霜月は閉口したままだ。以前、霜月は瞬に嘘は言わないと言っていた。つまり沈黙は肯定と同義だ。じわじわと瞬は実感し始めた。淡い期待は絶望の闇の中へ消えていく。
「⋯⋯あんたがじいちゃんを殺したのかって聞いてるんだよ!白狼!!」
瞬は怒りと悲しみの渦の中で窒息しそうだった。瞬の肩は興奮して大きく上下に動いている。霜月は固く閉ざしていた口をようやく開いた。
「⋯⋯そうだ、瞬。俺が先代陽炎・秋実先生を刺した。」
霜月はようやく顔を上げ瞬を見た。瞬は霜月を見続けていた。
瞬は閉口する。
固く固く唇を結ぶ。そうしないと身体の内から抑えきれない感傷が爆発しそうだった。
違う感情が外に漏れないように、瞬は少し下を向いて深呼吸する。興奮していて呼吸をするたび肩が上下したが無理矢理抑え込もうとした。何度か深呼吸する。よくやく瞬は顔を上げた。
「俺はあんたに助けてもらった。だからあんたの任務はこなす。
ただ前と同じとは思わないでくれ!」
霜月は瞬の目を捉える。瞬の瞳の奥には光を見つけることはできなかった。
霜月はすべてが壊れてしまったと感じた。もちろん壊したのは自分だ。秋実先生を刺した日からこの日が来るとこを恐れていたのだ。
瞬は霜月の前から遠ざかっていく。
霜月は瞬を引き戻す腕も言葉も無いことを分かっていた。霜月は両膝を床につけると長いこと動かなかった。
瞬は心の中が砂に変わったように感じた。がさがさと乾いた砂は形を作らず絶えず乾燥している。味もしない砂を舐めようものなら舌の上にザラザラと不快感だけが残る。水を入れようにもすぐに下から漏れて流れ出てしまう。すべてが何でも良くなった。松明を持ってできる限り辺りを燃やす。
霜月と別れてからはただの道具のように動いた。城の外へ出るため下の階へ降りて出口を探すと、時折刀を持った者に斬りかかられるので短剣で喉を掻っ切った。この際敵なのか味方なのかは関係ない。自分に刃を向けてくる全ての人間を敵だと思えば楽だった。ただ刃を向けて急所を突けばいい。
そうしている内に強い者と出会った。瞬はこの者が光原の側近であることを知らない。しかし相手は強い殺気を放って来た。その不快感に瞬も殺気を放って相手を見た。その時、殺気と共に無効化の力も使っていたことには気が付かなかった。相手は刀を持ったまま構えていたが、暗器の力が出ないようでぎごちない動きをしている。
その隙に瞬は松明を捨てて短剣を取り出して構えた。するとそれを見ていた相手から動く。刀を振り上げて素早く下ろしてくるので瞬は短剣の刃をガチガチいわせながら刀を受ける。瞬は間合いを一気に詰めて喉元に一直線に短剣を突きつける。相手の首をうっすら切ったが致命傷にはならず相手は右にスッと避ける。相手は既のところで避けて緊張しているのと暗器の力が出ないこともあり動揺しているようだ。
相手のぎこちない動きに瞬は間合いを取らせまいと膝を少し曲げて相手の足の間に自分の足を滑り込ませて足を引っ掛ける、相手は引っかかったが片膝をついて立ち上がろうとする。瞬はそのままタックルをすると馬乗りになって相手を殴った。
「くっなぜ暗器の力が出ない?」
相手は焦っていた。瞬の無効化の力を発揮されればただの肉弾戦だ。相手は武器と体術しか使えない。相手はそれを覚悟して、瞬が殴るのに腕を引いた隙を見て腰から短剣を引き抜くとその短剣で瞬の左手の甲を切りつけた。瞬は痛みを感じなかった。左手から血が出ていることをただただ見つめていた。甲を切りつけられて瞬に隙が出来たのを感じると、相手は瞬の下から這い出ると立ち上がった。
相手が立ち上がっている間に瞬はクナイを握ると脇腹を狙う。相手はまだ立ち上がっている最中だったので手でガードしたので脇腹には刺さらなかった。しかしクナイが相手の手に食い込み、少し刺さった。瞬は相手にクナイで刺している間にそのまま反対側の足でハイキックを出す。相手はガードした。
その間に瞬は右手でクナイを持った。ハイキックを戻す反動を利用してクナイを持った右手でみぞおちにアッパーを食らわす。握ったクナイが相手の腹に食い込む。それを見た瞬はスッと後ろに下がる。すると相手からジャブ、ストレートが来る。瞬はストレートに合わせカウンターを繰り出す。相手はカウンターを避けるため距離をとった。
そこで瞬は相手との間合いを確認すると再度距離を縮め、右からミドルキックを出したがそれは囮だった。しかし相手がそれを見て左に避けたので左手で相手の右手首を掴んだ。手を相手の背中の方へ押して捻り上げる。すると捻り上げられて痛いようでくぐもった声が聞こえる。そして相手の手を捻り上げたまま瞬は短剣を出すと脇腹に突き立てた。もちろん猛毒が塗ってある。刺さればすぐに毒が効くはずだ。
瞬は相手から攻撃されないくらい間合いからも離れて観察した。相手は瞬を追うことなく片膝ついて下を向いた。すぐに呼吸が荒くなってくる。すぐに水の中で覚えれいるかのように空気を求めてゼーゼーと荒い呼吸をしながら畳に顔をつけた。瞬はもう相手を見ていない。その相手は苦しそうに顔を歪めて身もだえをしている。瞬はいつもなら苦しむ相手に喉を掻っ切っていくのだが、今回はそのまま離れてしまった。
どうやって戻って来たのか分からない。影屋敷の空間に戻ってきた。もう夜中を回っているだろう。
家に帰るか⋯⋯あれはもう家と呼べるものなのかと瞬は考えた。
誰かが走ってくる。それは諒だった。
諒は小声で聞いてくる。
「良かった!戻ってきた。阿道城の本丸を燃やしてから随分時間が経っちゃったから心配だったんだ。もしかして本丸が燃え尽きるまで見届けてから来たの?」
瞬は無言だった。諒は瞬の様子がいつもと違うと感じた。諒は瞬の目を覗き込んで尋ねる。
「瞬、大丈夫?」
「あぁ。」
瞬は顔を変えず返事をした。
すると諒は眉毛を寄せた。
「瞬、大丈夫じゃないじゃん。これ何?」
そう言って瞬の左手を手に取った。本丸で誰かと戦った時についた切り傷だった。一応布でくるんできた。瞬は突っぱねる。
「大した事ない」
「なんで手の甲に刀傷があって化膿してるの?」
諒は無理矢理左手を掴み布を外して傷口を見ていた。
瞬は答えない。
それを見た諒は瞬を怒る。
「任務中に刀傷を受けて雑菌の何かが身体に入り込んだんでしょ?そういうの報告する決まりじゃなかった?」
「⋯⋯悪い。」
「全然悪いと思ってないじゃん!手当しに行くよ!」
諒は瞬を引っ張っていこうとする。瞬は動かなかった。諒は瞬の方に振り返ると選択肢を突き付けてくる。
「素直に手当に行くか、無理矢理手当に連れて行かされた後で霜月さんと瑛真に怒られるかどっちがいい?」
「⋯⋯分かった。今から手当に行くよ。」
それでも瞬は顔を変えずに言った。諒は前を向いて瞬の右手を掴んで歩いていく。
さっき霜月さんの名前を出した時、反応してたから絶対霜月さんと何かあったんだとそう諒は思いながら瞬を影屋敷の左へと引っ張っていった。受付で瞬の怪我を見せる。そうするとそのまま通してくれた。治療・回復室へ向かう。諒は鈴音に会ったが最小限の説明をして治療してもらった。その日はそのまま瞬を病室に押し込むと一人で家に帰ってきた。玄関を開けると少しして瑛真がかけてきて出迎えた。
「諒!瞬は見つけたか?」
「会えたよ。色々あって手に怪我してたから影屋敷の左殿の病室に押し込んできた。」
「霜月さんいる?報告しようと思って。」
諒は中の様子を伺いながら瑛真に聞くと霜月が玄関にスッと現れた。
「ちょっと外で話そうか。瑛真は寝てて大丈夫だよ。」
それを聞いた瑛真は様子を汲み取りコクリと頷いた。
霜月と諒は外に出ると諒は腕を組んで怒っていた。そして霜月が口を開く前にこう問いただした。
「瞬と何があったの?いつもと全然違うんだけど。」
「そうだね、僕が全部悪いんだ。何もかも壊しちゃった。もうどうにもならないんだよ。」
霜月は静かに言った。
それを聞いた諒は怒った目のまま霜月に食い下がる。
「なにさ、仲直りしない気なの?諦めちゃうんだ?」
「もう僕と瞬には超えられない溝がある。」
霜月は諒を正面に捉えるとゆっくりと深く頭を垂れた。
「諒、君だけはいつまでもなにがあっても瞬の味方でいてほしい」
それを見た諒は固まった。
言いたいことも心の中もグチャグチャだった。
お読み頂きありがとうございます!
次回は瞬の心が揺れてますね。
次回の作者イチオシの台詞↓
「⋯⋯あんなに慕ってたじいちゃんを殺すくらいの理由ってなんだよ。」




