専制君主制における正しいザマァ
主人公は、サイコパスです。
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王太子と年齢の近い侯爵令嬢として生まれた私が、妃候補となったのは当然のことだ。
幼い頃から妃教育を受け、十歳で正式に婚約者となり、十五になる頃には未来の王太子妃として王族の責務も担うようになった。
このまま何事もなく結婚するのだろうと思っていた私の将来設計図が狂いはじめたのは、十六歳で王立学園に入学した後のこと。
王太子が、平民上がりの聖女に心奪われてしまったのである。
(……まるで流行の大衆小説みたい)
聖女といっても、その実、彼女は聖属性の魔法が使えるだけの少女でしかない。珍しくはあるものの、聖属性の魔法使い自体は百人にひとりくらいの割合で存在していて、魔法そのものにそれほどの希少性はないのだ。
正直、気にかける必要もないような小物だと思っていたのだが、これは私の驕りだった。
聖女とわかったことで平民から男爵家の養女になった少女は、その可憐な容姿と物怖じしない態度で、周囲――――特に、高位貴族の令息たちを次々と虜にしていったのである。
そして、そんな令息の中心に、王太子がいた。
その後の流れは、まさに大衆小説そのもの。
王太子と聖女は、身分の差を超えて愛し合う悲劇の恋人同士と評判になり、王太子の婚約者だった私は、何をしなくとも彼らを引き裂く悪役令嬢と見なされた。
(実際には、王太子が恋に浮かれて開けた公務の穴を埋める、悪役令嬢ならぬ穴埋令嬢だったのだけど)
そんな私の事情を慮ってくれる者は、誰もいない。
ついには、現実と虚構の区別がつかなくなったとしか思えない王太子から、私は学園の卒業と同時に婚約破棄を申し渡された。
「お前のような性悪女は、私の近くに置けない。王都を出て、勝手にどこかで野垂れ死ね! と言いたいところだが……それでは可哀相だと聖女が言うからな。お前には、北の辺境伯との婚姻を命じよう。獣が跋扈する極寒の地が、お前にはお似合いだ。二度と王都に足を踏み入れるなよ」
ついでに私の嫁ぎ先まで決めてくれたのは、親切のつもりだったのだろうか?
いや、北の辺境伯は、私の父より年上で冷酷非道と噂の人物。数年前に妻と死別しているが、彼女との間に子はできず、縁戚から養子を迎えて跡取りとしたと聞いている。
噂好きの貴族の間では、北の辺境伯は妻を虐げるサディストとして有名だ。子ができなかったのもその性癖故で、病死とされている妻の死にさえ疑いの目が向けられている。
『獣が跋扈する極寒の地』とも言っているし、そんな相手との婚姻命令は、いやがらせ以外のなにものでもないのだろう。
「そして、私のあらたな婚約者は、聖女とする。高潔で優しい彼女こそ、王太子妃の座に相応しい人物だ!」
王太子はそう言いながら、隣に立つ聖女の腰を引き寄せた。
私は、深く頭を下げる。
「…………承知いたしました」
我が国は、専制君主制だ。王は神の血を引く絶対者で、逆らうなんてとんでもないこと。当然その権力は、次期国王たる王太子にも及ぶ。
「わかればいい」
そう言われて頭を上げれば、恥ずかしそうに王太子の胸に頬を寄せる聖女が見えた。
彼女の口角は、ニヤリといやらしく上がっている。
(きっと嬉しいのでしょうね。でも、公式の場でその表情はいかがなものかしら?)
生き馬の目を抜くような社交の場では、自分の本心を隠す術が必須だ。こんなことで感情をさらすような彼女には、とても務まるとは思えないのだが……まあ、今さら私が心配するようなことでもないか。
(辺境伯のことは……この目で見て、しっかり判断するしかないわよね。噂を鵜呑みにするのならば、私だって悪役令嬢だもの。真実はわからないわ)
描いていた将来設計を、かなり変更しなければならないけれど、まあそれも一興か。
私は、王都から静かに去った。
――――その二年後。
辺境の地で暮らしていた私に、王都への帰還命令が届く。
もちろん逆らう術もなく、私は久方ぶりに王太子のご尊顔を拝することになった。
なんだか少しやつれたような?
「……やっと来たか。喜べ、婚約破棄し一度は王都から追放したお前を、側妃として娶ってやることになった。私たちのために、身を粉にして働くがいい」
一段高い場所に座った王太子は、偉そうに宣う。
「…………承知いたしました」
他になんと言えただろう。
私は、伏して頭を下げる。
同じこの場所で婚約破棄を告げられたのは、二年前のこと。その時も今も、私は同じ言葉を返すことしかできないのだ。
世の中、思い通りにならないことばかり。
まあ、それもまた楽しいのだけれど。
なんでも、ここ最近の大衆小説では、婚約破棄された悪役令嬢がその場で王子に反論したり、婚約破棄後になんらかの理由で自滅した王子が、追放された悪役令嬢に戻ってくれと頼みこむも「今さらです!」と断られたりする話が、流行なのだそうだ。
(まさに、今の私の状況ね)
しかし、専制君主制の我が国で、王太子の命令を拒むなんてあり得ない。
考えることすらできないはずの暴挙なのに、よくそんな本が流行ったなと思ったら、すべて海外小説だった。
国の輸入規制はどうなっているのかしら?
税関のトップは……ああ、王太子だったわね。
呆れていれば、鋭い視線に射貫かれた。
私を睨んでいるのは、王太子の横に座る聖女。王太子妃となった彼女は、二年前とは反対に、悔しそうに顔を歪めている。
(内心ダダ漏れなのは相変わらずね。あなたのそんな態度が、婚約破棄した私を呼び戻すなんていう、とんでもない事態を招いたのでしょうに)
私は、ため息を押し殺した。
この二年間、平民上がりの聖女は、王太子妃の務めを何ひとつ果たさなかったそうだ。
(ああ、でも子は生しているから、何もできなかったは間違いなのかしら)
聖女は、王太子妃の地位に相応しい教養も礼儀作法も、まるで覚えられなかったと聞いている。教育を受けられなかったのではなく、教育を受けたのに身につかなかったのだと。
結果、国内の貴族名はほとんど言えず、他国の王族さえうろ覚え。外国語は簡単な挨拶もできず、地理も歴史も小さな子どもよりもわからない王太子妃が誕生した。
そんな妃に、いったい何ができるだろう?
内政の手伝いも、外交も、慈善事業も、彼女が満足にできるものは何もない。
まったく妃の責務を果たせない王妃が、それでも二年も持ったのは、結婚早々身ごもったからだった。妊娠出産を大手に振って、王太子妃は公務から逃れたのである。
しかし、生まれた王子が一歳ともなれば、王太子妃が表に出ない理由にはできない。
しかも彼女は子育てに専念しているわけでもなく、乳母や侍女に子を任せては遊びほうけていたというのだから、なおさらだ。
いくら専制君主制とはいえ、国王や王太子にならともかく、その妃になら文句や批判は集まるのだ。元々平民上がりの聖女ごときが王太子妃になったことを、面白く思っていない人間は山ほどいる。中でも特に高位貴族からの突き上げをくらい、久方ぶりに王太子夫妻は揃って隣国使節の歓迎パーティーに参加した。
そしてその場で、王太子妃は見事にやらかしたのである。
のっけから使節団団長の隣国王弟の名を言い間違い、その後の会話も頓珍漢な発言ばかり。隣国の名産も観光資源も、首都の名前さえ答えられなかった王太子妃に、隣国王弟は怒るより憐れみの目を向けた。
『……この方が次期王妃ですか。今後の外交も考えなければならないようですね』
隣国の言葉で告げられた内容に周囲は一気に青ざめる。
しかし、言葉のわからぬ王太子妃は笑顔を浮かべるばかり。
さすがの王太子も庇いきれなかった。
このパーティーは、その後、国王自ら仲裁に入りなんとか事なきを得たものの、王太子妃の失態は大問題になった。
こんな王太子妃を表に出せないと、重臣たちは口を揃え、話し合った結果、私に白羽の矢が立てられたというわけだ。
(まったく、迷惑千万だわ)
まあ、たしかに妃教育をすべて終わらせ、公務の経験もある私以上に、側妃に相応しい者はいないだろう。
北の辺境伯には、多額の賠償金が支払われて、私は王太子の側妃となった。
またまた将来設計を狂わされたわけだけど、まあ想定外と言うほどでもなかったわね。
その後、私は側妃として手腕を振るった。
今まで王太子妃が放棄していた公務を一手に引き受け、それ以外にも王太子妃がした方がよいと推奨される業務や慈善活動に積極的に手を着ける。
公私ともに王太子を支え、公式行事では隣に立って、必要な知識を惜しみなく与え補佐に徹した。
『おや、あなたが側妃となったのですね。これは、我々も気を引き締めねばなりませんね』
隣国の王弟は、王太子の婚約者だった頃からの知己だ。
『お手柔らかにお願いしますわ』
流れるような隣国語で、私は返した。
そんな日々を繰り返していれば、王太子も私の有能さを再実感していく。
「フム。やはりお前は使い勝手がいいな。私ひとりでも公務など十分行えるが、お前の言語や知識も、そこそこ役に立つ。可愛げがないと思っていた顔立ちも、よく見れば悪くないじゃないか」
ひとり悦に入る王太子に、私は「ありがとうございます」と頭を下げる。
あなただけで公務が回っていたのならば、私が呼び戻されることなどなかったと思うけど。
王太子と反比例するように、王太子妃は日に日に不機嫌になった。
それでも自分の悪いところを直す努力はしようとしないのだから、彼女の傲慢さには呆れるばかり。
(頭も体も使わずに食べてばかりでは、太るわよ?)
ご自慢の容姿が崩れたら、どうするつもりなのかしら?
いらぬお節介をやくつもりはないけれど。
忙しい毎日を送る私に、変化が訪れたのは二ヶ月後。
「ご懐妊です」
私のお腹に、新たな命が宿ったのだ。
「おお! それはめでたい。私とお前の子ならば、優秀な子が生まれるのは間違いないからな」
意外にも王太子は大喜び。王太子妃が第一子を出産以降、なかなか身ごもらないから、単純に嬉しかったのだと思う。
もちろん王太子妃は大激怒。
「側妃のくせに! ……だいたい、お腹の子だって王太子さまの子だとは限らないわ! 北の辺境伯の子かもしれないじゃない!」
私に前夫がいる限り、それは拭いきれない疑惑だ。私がなにをどう言おうとも、噂をしたい者は好き勝手に話すだろう。
でも、再婚禁止期間も置かず、私をすぐに側妃にしたのは王家の都合なのよ。それで私を責められても困るわ。
まあ、噂はどうあれ側妃の懐妊は、王家にとっては慶事だ。
私は体を労るように伝えられ、だからといって公務が減らされるわけもなく、出産直前まで働いて、なんとか無事に男の子を生んだ。
王族の証といわれる真紅の瞳を持つ、赤ちゃんを。
「でかした! でかしたぞ! さすが、私の妃だ!!」
生まれた赤子を抱き上げて、王太子は涙を流し喜んだ。
いささか大げさに見えるけど、これにはわけがある。
実は、王太子は真紅の瞳ではないのだ。
そのこと自体は、別に不思議でもなんでもないこと。いくら王族の証といえど、瞳の色は確実に遺伝するわけではないからだ。
王太子の瞳は母である王妃譲りの若草色。芽吹いたばかりの柔らかな新緑は、彼の人間性にかかわらず、爽やかで清廉な印象を相手に与える。王妃の母国では、九割の国民が持つありふれた色だそうだ。
当然同じような王族は他にもいて、代々の王の中にも真紅の瞳を持たぬ者はいる。
ただ、王太子は自分の瞳の色にかなりのコンプレックスを持っていた。
父である国王が、見事な真紅の瞳だということもあるのだが、根っこはもっと深い。
今から二十数年前、他国から嫁いできた王妃は、すぐに妊娠し月足らずで王太子を生んだ。
別に王妃は私のように再婚だったわけではないし、月足らずで子を生む女性も世の中には多い。瞳の色こそ違えども、赤子は父と同じ金髪だったし、このことだけで王妃の不貞を疑う者などいなかった。
王太子の誕生は、国中から祝福され、王妃の母国からも慶賀の使節が訪れる。
そしてその中に、一際美しい金の髪と若草色の瞳を持つ騎士がいたのだった。
聞けば、騎士は王妃と幼馴染み。とても仲睦まじく、我が国との婚姻がなければ結婚していたのではないかと噂されるほど。
事実、騎士が王妃を見る目には、たしかな熱がこもっていた……と、誰かが証言した。
その後の展開を想像するのは難くない。
噂好きな人間が、好き勝手に話すのは、今も昔も変わらないからだ。
王妃と彼女の母国の騎士との、あったかもしれない悲恋物語は、壮大な尾ひれがついて巷に流布される。以降、消えたと思うとまたどこかから再燃し、しつこく燻り続けることになった。
それが、甘やかされ少々我儘に育ってしまった王太子の耳に、悪意を持って囁かれたのは、ある意味必然だったのかもしれない。
もちろん王太子は、そんな与太話を信じたりはしなかった。
彼は自信家だ。自分は、誰からも愛され尊敬される人間なのだと、心から思っている。
だって、周囲の人間は、みんなそう言うのだから。
「誰より王太子の地位に相応しい僕が、父上の子でないなんてあり得ない! そうだろう?」
子ども時代に王太子からたずねられた私は「そのとおりです」と答えた。
本当にそう思ったからではない。我が国が専制君主制だからそう答えたのだ。
それがわかっていたのかどうかはわからないが、噂を信じなかった王太子の心の奥底に、噂話はこびりついていたらしい。
結婚し聖女が産んだ王子が真紅の瞳でなかったことに、王太子は自分でも思っていた以上に落胆していたのだろう。
だから、私が産んだ赤子に、あれほど喜びを爆発させたのだ。
自分の子に真紅の瞳が出たことは、そのまま自分に間違いなく王家の血が流れていることの証明になるのだから。
私の出産以降、王太子は私と子にベッタリになった。
元々私は、側妃用の離宮に住んでいたのだが、そこに王太子も引っ越してくるくらい。
「本当は、お前とこの子を私の部屋の隣に住まわせたいのだが、あそこには今、口うるさい女が居座っているからな」
その口うるさい女というのは、王太子妃のことかしら?
居座っているなんて言うけれど、王太子の隣の部屋は、間違いなく王太子妃の部屋だもの。自分の部屋に王太子妃がいることを、居座るとは言わないと思うわ。
呆れてしまうけれど、王太子は気にしない。
「おお! 手足を動かしたぞ。元気な子だな」
赤子のベッドに張りついて、一挙手一投足を褒めまくる。
「指が長いな。きっと剣の達人になるに違いない。……なっ! 指を、私の指を握ったぞ。父の手だとわかるのか? 愛い子だな」
赤ちゃんの指が長いことは、一般的なことだ。それに指を近づけると握り返すのは把握反射と呼ばれるよくある行動。
どれも普通のことなのに、王太子はいちいち感動する。
彼にとってはふたり目の子どもなのに、そんな常識も知らないのは、最初の子に興味を向けなかったせいだろう。
たかが目の色が赤いかどうかの違いが、王太子の態度をここまで変えてしまうのだ。
そう思えば、どれほど王太子が赤子を可愛がろうとも、胸に響くものはない。
「そうだ! この子の誕生を祝して、盛大なパーティーを開こう! 国内外の要人を招待して、我が子の愛らしさを知らしめるのだ!」
「…………承知いたしました」
私は、いつもどおり頭を下げた。
王太子主導の下、着々とパーティーの準備は整っていく。
しかし、当然のことながら王太子妃はそれを受け入れられなかった。
「なんで? 私の子の時には、こんな大きいパーティーはしなかったじゃない! 私の子は第一王子なのよ! 第二王子、しかも側妃の子に、この待遇はおかしいでしょう!」
珍しく正論だ。
ただし、専制君主制にとっては、主の意向が一番。正しいかどうかなど、些細なことでしかない。
「この私が、パーティーを開くと言っているのだ。おかしなことなどない」
「そんなっ、王太子さま、考え直してください。……きっと、側妃に誑かされているんですわ! 私たち、あんなに愛し合ったじゃないですか!」
縋りつく王太子妃を、王太子はすげなく振り払う。
信じられない仕打ちに目をみはった王太子妃は、次にはその視線を私に向けた。
「この女狐! やっぱり、あんたのせいなのね。私から妃の仕事まで奪ったと思ったら、王太子さまの愛情まで盗むなんて!」
いや、それはひどい言いがかりだ。
妃の仕事は、奪ったのではなく押しつけられたものだし、あと王太子の愛情なんて、くれると言われても欲しくない。
しらけた目で見つめ返せば、王太子妃はますます憤った。
「殺してやる!」
掴みかかってくるから、スッと避ける。
最近とみにふくよかになった王太子妃の動きを見切るのは、造作もないことだ。
「何をしている! 王太子妃を捕まえろ」
王太子の命令で護衛騎士が王太子妃を拘束した。
「離せ! 離しなさいよ!」
王太子妃は、滅茶苦茶に暴れ回る。
「よさないか。……少し頭を冷やす必要があるようだな。連れて行け!」
騎士に引き摺られて、王太子妃は出て行った。
「アレも、昔はあんなではなかったのに――――」
王太子は頭を抱えるが、彼女の本性は昔も今も変わらない。
変わったと思うのなら、王太子の目が節穴だっただけだろう。
「このまま引き下がるとは思えませんわ。少し怖いです」
私がそう言い身を寄せれば、王太子は嬉しそうに鼻の下を伸ばした。
「警備と見張りを厳重にしよう。安心しろ、私が必ず守ってやる」
王太子は、私の体をますます強く抱き寄せる。
是非ともそうあってほしいものだわ。
血走った王太子妃の目を思いだしながら、私は警戒を強くした。
――――そして、その翌々日のこと。
私の離宮に、刺客が忍びこんだ。
幸いにして、厳重警戒の網に引っかかりすぐさま捕まったのだが、問題だったのは離宮に王太子もいたこと。
側妃や第二王子の暗殺と、王太子の暗殺では、罪のレベルが違う。
徹底的に捜査が行われ、結果王太子妃が指示したのだと判明した。
「私は、王太子さまを狙ったのではないわ! 私が依頼したのは側妃とその子の暗殺だもの!」
そんな大声で自白しなくてもいいのに。やっぱり聖女に王太子妃は務まらないわね。
烈火のごとく怒った王太子は、聖女を処刑しようとしたけれど、私はなんとかそれを宥めて止めた。
「お前と我が子を殺そうとしたのだぞ!」
「それでも、彼女は第一王子の母です」
将来国王になる子の生母を、大罪人にするわけにはいかないもの。
「あんな子、本当に我が子かどうかも怪しい!」
「王太子さま!」
私が声を大きくすれば、王太子は複雑な顔で口を閉じた。
まあ、彼の主張も根拠のないことではない。学生時代から令息たちに絶大な人気を誇っていた聖女には、いまでも友人と呼ぶには親しすぎると噂される男友達がたくさんいるのだ。
真紅の瞳を持たない第一王子が、そんな友人たちの誰それに似ていると噂されているのも、紛れもない事実。
しかし、噂は噂だ。それを王太子が認めるなど、あってはならない。
(まったく。そんな噂は自分を傷つけるだけでしょうに)
私は、王太子の側に寄り添い、彼の手に自分の手を添えた。
王太子は、泣きそうな顔で手を握ってくる。
「わかった。……王太子妃は廃妃とし、王都から追放するにとどめよう。離島の修道院で終生神に仕えるように言い渡す。……第一王子は、身分は王子のまま王宮で育てるが、王位継承権は剥奪。将来は一代限りの公爵位を与えることにする」
私は、体を震わせた。
この国における王位継承権の剥奪は、神籍と呼ばれる王の特別な戸籍から名を消されること。一度消されれば、復籍することは不可能な処置なのだ。
「よろしいのですか?」
「将来の王位継承権争いを未然に防ぐためだ。……断種させてもよいのだぞ」
断種とは、生殖能力を奪うこと。
それに比べれば、王位継承権の剥奪の方がずっと寛大だ。
「…………承知いたしました」
どのみち私は、こう言うしかできない。
後悔しなければ、いいのだけれど。
そして、王太子妃の廃妃と第一王子の王位継承権剥奪という大事件を経ながらも、第二王子の生誕祝賀パーティーは、大々的に開かれた。
パーティーの冒頭、私は正式に王太子妃に任じられ、私の子は王位継承権第二位とされる。
国王から直々に言祝ぎも与えられた。
王太子は、上機嫌で笑っていたのだけど――――。
「北の辺境伯閣下ご名代、次期辺境伯さまご到着!」
その名が呼ばれた途端、シンと静まった周囲に、訝しげに眉をひそめる。
「何だ? 何か――――」
あったのか? と続いただろう言葉は、王太子の口の中で消えた。
次期辺境伯が、近づいてきたのだ。
「まあ! 来てくれたのね」
いつもより一段高い私の声が、パーティー会場内に響く。
「あなたのためならば」
微笑みながらそう言った次期辺境伯――――以前の私の義息子は、真っ直ぐ私の方を見つめた。
その目は、当然私のすぐ横にいる王太子にも向けられる。
「…………次期、辺境伯だと?」
視線を合わせられた王太子は、呆然と呟いた。
「ええ。北の辺境伯さまのご養子ですわ。私、年上の義子がいましたのよ。……ああ、でももう離縁したので、息子ではなくなったのかしら?」
私が問いかければ「残念ながら」と、次期辺境伯は苦笑する。
王太子は、口をはくはくと動かすばかり。
――――まあ、それも無理からぬことだ。
次期辺境伯は、ひょろりと高い身長に、柔和な表情の優男。どちらかといえば、厳ついイメージの辺境伯とは似ても似つかず、辺境伯家の特徴である黒髪黒目ではなく、柔らかな金髪と真紅の瞳を持っていたのだから。
ガタン! と、玉座の辺りから音がする。
誰かが驚いて、杖でも落としたみたい。
「皆さまお元気かしら?」
「ええ。養父はこの場に来られなくて残念がっていましたよ。あなたの御子なら、我が子も同然。ぜひお顔が見たかったと」
「あら、では代わりにあなたがよく見ていって。――――ほら、可愛い子でしょう? 父親似なのよ」
私は、そう言いながら我が子を次期辺境伯に見せた。
金髪紅眼の男性が、金髪紅眼の赤子に、慈愛の目を注ぐ。
「本当だ。よく似ている」
くったくなく笑った。
「…………下がれ」
低い声が響いたのは、その直後。
「王太子さま?」
地を這うような声の主は、王太子だ。
先ほどまでの上機嫌はどこへやら、彼の眉間には深いしわが寄っている。
「下がれ! 下がれ! 下がれ! パーティーはもう中止だ! これにて解散とする!」
急にどうしたのかしら? ――――なんてね。
彼の考えなんて、手に取るようにわかるわ。
私は、内心クスリと笑う。
見れば、次期辺境伯も悪そうな笑みを浮かべていた。
いたずらを成功させた子どもみたいな視線を、私たちは見交わす。
すると、急に王太子が私の手を掴んだ。
「行くぞ!」
力いっぱい掴むから、手がちょっと痛い。
「え? でも、こんな急に――――」
「いいから来い!」
立ち上がった王太子は、私の手をグイグイと引きパーティー会場を後にした。
子どもが心配だけれど、きっと侍女がすぐに世話をしてくれるわよね。
振り返れば、次期辺境伯が真紅の瞳を心配そうに細めていた。
――――大丈夫よ。
王太子は、もう私に何も出来ないから。
ヒラヒラと私は小さく手を振る。
バタンと閉まる扉の隙間から、真紅の瞳が弧を描いたのが見えた。
「――――お前は、私の妃だな」
部屋に入るなり、私を抱き締めてきた王太子が、縋るように聞いてくる。
「はい。そうです」
「私だけの妃だ」
「はい」
きっと王太子は聞きたいのだろう。
私の子が、己の子かと。
でも、この臆病者は…………聞くことができない。
私が、首を横に振るのが怖いから。
ただただ私を抱き締めて体を震わす王太子の頭に、手を伸ばして撫でる。
――――次期辺境伯は、実は国王の隠し子だ。
国王が王太子時代に関係のあった女性との子で、王妃との婚姻話が持ち上がった時に、母子共々姿を消している。
それがどうして北の辺境伯の養子になったのかは、いろいろ複雑な事情があるのだけれど、今ここでそれを語る必要はないだろう。
(王太子も聞きたくはないだろうし)
重要なのは、今後王太子は、一生自分と我が子の出生の真実に、怯えて生きていくこと。
きっと心安まる日はないに違いない。
(まったく、だから婚約破棄などしなければよかったのに)
私は、王太子の頭を抱え、自分の胸に押しつける。
自然に浮かんでくるこの笑顔を、見せるわけにはいかないもの。
これで、狂ってしまった将来設計図をかなり元に戻せたかしら?
本当は、王太子にはもっと心安らかに私の手のひらで踊ってもらうつもりだったのにね。
まあ、でもこれでもかなり穏やかな形に落ち着いた方だわ。
一時は、北の辺境伯をたきつけて反乱を起こすルートや、隣国王弟を唆して我が国を侵略させるルートまで、真剣に検討していたのだから。
いくら私の婚約破棄を嗤って見ていた輩でも、戦火に紛れて殺してしまうのはいけないわよね?
もっと自分の行いを反省してもらわなくっちゃ。
さて、次はどうしようかしら。
私は、ワクワクしながらこれからの将来設計図に思いを馳せた。
人物設定
主人公:侯爵令嬢 サイコパスな天才
幼い頃から、統治者になると当たり前に思っていた。
聖女の出現からの婚約破棄、辺境伯との婚姻、国王の隠し子との邂逅、側妃就任等々、想定外の出来事が重なったが、すべて利用し望みを叶えられる圧倒的強者
絶対逆らってはいけない人物
王太子:凡人
出生時の疑惑もあり、自分に自信の持てない臆病者
普段の偉そうな態度は張りぼて
聖女におだてられ調子に乗って主人公に逆らったため、ヒドい目に遭った
今後は主人公の傀儡として、生きていく予定
次期辺境伯:ダウナー系の若者
そこそこ優秀だが、すべてを諦め興味を持てないでいた
主人公に出会い、その圧倒的強者感に心服する
主人公が自分のすべて。彼女のためならなんでもする
見返りは求めていないが、たまに褒められるとそれだけで幸福の絶頂に至れるお得な男




