75.放っておけない、諦め切れない浪漫が多過ぎる(六)
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「気持ちは落ち着いたかい、セレスト?」
「ええ……ごめんなさいマーシェ。気を使わせてしまって」
「吹っ切れたんならいいさ。あんたのやりたいことを叶えるために行っておいでよ」
「……はい。でも――」
セレストは一瞬、黙り込んでから、ためらいがちに口を開いた。
「……フェンまで巻き込んで、迷惑ではないでしょうか? 頼めばフェンはなんだかんだ言いつつやってくれますけど、自分がやりたいことはないのかなとも思うんです」
「あんたは優しいねえ。でもまあ、そこは……」
――フェンは言うまでもないよねえ。
と、セレストを眺めながら思うマーシェである。
だが、口に出すのは野暮というものだろう。
「……本人に訊くんだね、あんたにだったらフェンも教えるんじゃない?」
「もう、はぐらかして……」
「あっははは。あいつは腕の良い魔術師なんだ、どこへ行っても生きていけるさ。それがずーっとここに居るんだよ、答えは出てると思うけど?」
マーシェはセレストを促して部屋を出た。
すると、廊下にいた使用人の女性がやってきて一礼する。
「マーシェ様、セレスト様。本日もつつがなく完了いたしました。ゼータ邸へ戻ってもよろしいでしょうか?」
彼女はゼータ男爵家――つまりシャダルムとリンテの住まいから通いで来ている使用人の一人である。主に勇者屋敷の掃除や洗濯などをし、夕方になると戻っていくのだ。
もちろん、職務に忠実で信頼できる者を厳選している。
「ああ、お疲れさん。トールはどこにいるか分かるかい?」
「先程、菜園へ行かれたようです」
「野菜の収穫かねえ? 分かった、ありがとね」
お辞儀をして去っていく女性を見送って、マーシェは軽い調子で声を掛ける。
「あたしはトールの様子を見に行くけど、セレストは?」
「さっきフェンに失礼なことを言ってしまったので、謝りたいのですが……」
セレストは、ふっと視線を宙にさまよわせる。
「魔力をたどってみますと、どうもフェンもトール様と一緒のようです」
「へえ、何だろうね。魔法が必要になったとか?」
「分かりませんけど、わたくしも行きます」
二人はそろって菜園へ向かった。
✳︎✳︎✳︎
菜園そのものへ行くまでもなかった。
手前にある裏庭にフェンがいたのである。
「フェン……これは一体どうしたのですか?」
「見りゃ分かるだろうが。ラーハ豆だ」
「それくらいは知っています」
フェンの隣の地面には大きな布が敷かれ、畑から抜かれたと見える作物がこんもりと、緑色の山になっている。
丸い葉の間から薄青い莢が覗いていて、セレストにもマーシェにもお馴染みのラーハ豆であった。
「精霊が最高にご機嫌だったらしい。ラーハ豆の出来がとんでもねえことになってる」
「……見て見ぬふりをしていたのですが、やはりですか」
セレストも菜園の世話をしているので、気付いてはいた。
トールは喜んでいるようだったため、あまり目を向けないようにしていたとも言う。
「ここのところ天気が良かったのもあったかもな。一気に大爆発しやがった」
「もうしばらく知らない顔をしていたかったですね……」
遠い眼差しをするセレストである。
代わりにマーシェが訊いた。
「でもこれ、ショーユの原料にするんだよね? なんで引っこ抜いてきたんだい」
トールが愛用する祖国の調味料、醤油。
異世界にはなかったもので、スピノエスの醸造魔法家、レンネ工房で造ってもらっている。
生産が安定し、数も質もそろうようになってきたが、せっかくなので原料のラーハ豆も栽培してしまおうとなった。
そこで家庭菜園の一角にラーハ豆畑が設けられたのだ。結構な広さで。
もはや趣味の家庭菜園と言って良いものかどうか。
トールによれば「農家の趣味あるあるだよ。じいちゃんの『家庭菜園』も、やたらデカくて専門的だった」とのことではあるが。
実験農場の方が近いかもしれない。
それはともかくとして――
「マーシェの言う通りです。まだ莢の色が淡いですよ、収穫には早過ぎるのでは」
完全に熟すと青色になる莢がまだ、ごく淡い色である。中の豆が柔らかい状態だ。
「若い豆じゃ保存も効かないよ。ちゃんと干し固めないと、すぐカビが生える」
マーシェが言うと、フェンも眉を寄せてうなずく。
「……オレもそこが理解できねえんだよ。トールの奴、ラーハ豆は豆だから豆だった、とか訳が分からねえことを抜かしてたんだが」
「はあ……? 意味不明だね」
「全くだ。やっぱりあいつの国は米と豆しか食わねえのと違うか」
「うーん」
マーシェも不審な表情になったところで、新たな豆の株をかついだトールが歩いてきた。
「トール、この豆はどうする気だ?」
「ああ、塩茹でして食べようと思って」
トールは抱えていた豆をばさばさと敷物の上へ下ろした。
「俺もすっかり忘れてたんだけど。ラーハ豆って日本で言う大豆だから枝豆だったんだよな」
「……はい?」
「どういうことだい」
フェンが聞き取れなかったという内容は、どうやらこれだ。
セレストやマーシェにもさっぱりである。
「もーちょい、あたしにも分かるように説明してくれない? 一部、自動翻訳が効いてないみたいなんだけど」
「あれ、そう?」
トールはきょとんとしたが、どうやら自分が突っ走ってしまったことに気付いたようだ。
「えーと。俺の故郷にもラーハ豆によく似た豆があるってのは言ったことあるよな」
「ショーユやら何やらの原料になるんだったね」
「そうそう。他にも色んな食べ方や加工の仕方があって、その一つがこれ! 柔らかいうちに収穫して食べるんだ。『枝豆』って呼ぶんだけど。こっちだと一般的じゃないのか?」
「わざわざ未熟なものを食べる、というのは珍しいのではないでしょうか」
「トールには言いにくいけどさ、ラーハ豆自体もね。滋養はあって腹が膨れて、保存も効くんで重宝されてはいるんだけど。取り立てて美味いもんだとは思われてないんだよねえ」
庶民や旅人、冒険者、軍人達には重要な食料の一種ではあるものの、有り体に言えば貧乏くさいと思われがちなのだ。
「なるほどな。地球でも、よその国では油を絞ったり家畜の餌にする用がメインだったはずだよ……日本人には欠かせないけどな、大豆」
トールは気分を害した風もなく、ぷちぷちとラーハ豆を莢ごと枝からむしっていく。
「でもさ、枝豆の塩茹では日本だと酒のつまみの定番なんだ。特に冷やしたビール……エールみたいなやつ。ヴァンスと酒の話してて思い出した」
「へえ」
「ほう」
酒呑み二人が釣られた。
トールはやはり召喚前は未成年で飲酒をしていなかったのと、ラーハ豆と大豆は味はそっくりでも見た目……特に色合いがかなり異なるため、今まで頭の中で繋がらなかったそうだ。
「エダマメを試したくなって、せっかく豊作でもありますし畑から少し抜いてきたということですね」
「そうそう。これを枝から外して、洗って茹でる。で、莢つきのまま食卓に出して、自分で皮を剥きながら食う」
「面白そうだね」
「に、しても大量じゃねえか?」
「枝豆は割と際限なく食えるぞ! シャダルムなんて二人前以上要るだろ」
こうなれば成り行きというもので、自宅で妻と過ごしているであろうシャダルムを除いた勇者パーティーの面々が敷物の端に座って、ひたすら枝豆をもぐ謎空間が出来上がっている。
「……ちまちま面倒くせえな。セレスト、ちょっと貸せ」
フェンがちょいちょいと指を動かして風魔術を使い、ラーハ豆の莢だけ斬り落とす荒業を使い始める。
「また高等魔術の大盤振る舞いをして……」
セレストは呆れたが、フェンらしいと言えばフェンらしい。
彼女がもいでいた枝はフェンに取られてしまったため、パラパラ落ちてくる枝豆を拾い集め、籠に入れる作業に移る。ついでに清浄魔法をかけて、莢の表面も綺麗にしていった。
「……フェンはどうしてトール様の手伝いをしているんです?」
セレストにとって菜園の世話は仕事兼趣味のようなものだが、フェンは用がないと来ない。少々不思議だったが……
「暇だった」
身も蓋もない答えである。
「何か自分の好きなことでもすればいいではないですか。手伝ってくれるのは嬉しいですが……」
こういうところがあるから、フェンが心配になってしまうのだ。
魔法一辺倒で生きてきて、ストイックと言えば聞こえは良いが……他にないのだろうか。
「朝から晩まで真面目過ぎるお前に言われる筋合いはねえぞ」
「わたくしは毎日、楽しいですよ?」
「ふん」
フェンは莢もぎを終えた枝をばさっと横に置き、別の枝を取り上げて再びスパスパと刻み始めた。
即興でやり始めた癖に、魔術は精密で狂いがない。枝葉が混ざらないように莢だけ切り離し、振り落としていく。
その様子を眺めて、セレストはふと思った。
――そうですよね。気に入らないんだったら、フェンもこんなことしませんよね。お酒のおつまみにするエダマメの莢をむしるだなんて……
マーシェに言われても半信半疑だったのが、今なら奇妙なほど素直に納得できてしまう。
ラクサはもちろん、ラグリス大陸のどこへ行っても通用する魔術が彼にはある。
なのに有り余る才能を使って、やっていることが豆もぎなのだ。
何やらおかしくなって、込み上げてきた笑いをこらえる。
フェンがどういう魔法使いなのか、セレストはよく知っているつもりだったのだけれど。
特別扱いし過ぎていたのかもしれない。
常にセレストの少し先を行く人だと……
当人がじろっと彼女を見た。
「セレスト。何で笑ってる」
「ふふ、いえ、大したことではありません。フェン、さっきは本当にごめんなさい。後でイナサへ行く時の打ち合わせをさせてください」
「……飯を食い終わったらな」
「はい」
セレストにも分かっている。
後程、話し合うということだ。
二人で。
その先についても、言うまでもないだろう。
話しながらも手……いや魔術を動かしていたフェンがまた莢もぎを完了し、三つ目を取り上げる。
「フェン速いな……全自動枝豆選別機か」
ラクサ人には、よく分からない比喩をするトール。
「何だそのニホン語の呪文は。魔術師なら普通だ」
「これが普通となると世の中の魔術師がみんな干上がっちまうよ」
「うるせえ、三流と同列にするんじゃねえ」
「傲慢なことを言って……女神のお怒りを買ったらどうするんです」
わーわー騒いでは、ラーハ枝豆をむしる勇者と仲間達。
敷物の上に次々と、豆の莢が積み重なっていく。
✳︎✳︎✳︎
こうして莢だけになった大量のラーハ枝豆は無事、塩茹でにされて大皿に盛られ、食卓に並べられた。
「あー枝豆だ。ラーハ枝豆も莢の中身は薄い緑なんだな。うん、味や香りも枝豆! 間違いない!」
日本を思い起こす味わいに満足するトール。
ちなみに枝豆は硬めに、塩多めで茹でる派。厨房に入り込んで、ネイやランと一緒に茹で加減を研究したかいがあった。
「イケるイケる。エールに合うねえ、冷えてるのがまた最ッ高」
早速、一杯やるのはマーシェ。
なお酒に限らず飲み物をキンキンに……しかし凍らない程度に冷やすのは、並以上の魔法使いが二人いる恩恵の一つだ。庶民にはちょっとした贅沢であったりする。
「いちいち皮を剥くのが面倒な気もするんだがな」
エールを冷やしたのはフェンで、呑みながら枝豆をもぐもぐと摘まむ。
何でも魔法で解決する男であるから、そのうち一瞬で剥き枝豆をこしらえる魔術を開発する……かもしれない。
「フェンはせっかちですね。自分のペースで食べれば良いでしょうに」
セレストはあまり酒を好まないが、単純に枝豆を気に入って食べている。枝豆は日本で言うところの低カロリーで高タンパク、ビタミン類も豊富という優秀な食材であり、異世界でも女性受けする可能性は大いにある。
そして――
「むう。これは……飲めるな」
「エールをだよな? 枝豆は飲み物じゃないぞ?」
お招きを受けたシャダルムも枝豆を気に入った様子である。
ただし太い指で皮を剥くのが大変で、何回か卓の上に中身を飛ばしていた。
今もまた、ダイナミックに吹き飛んだ枝豆がトールを直撃しかかったのだが――そこは勇者。神速の反射神経で空中キャッチし、ことなきを得た。
「ぬ……?! すまん、トール」
「あー、いいよ。シャダルムには剥き枝豆にした方が良かったかな」
「いや。自分で剥いて食すところに風情があるように思う。私の修行が足りないのだ。指先の鍛錬にも力を入れるべきだな」
「修行の問題か……?」
首をかしげたトールの左右で、フェンとマーシェがニヤリと悪い顔をして枝豆を手に取った。
間髪入れず撃ち込まれる第二波。
フェンは魔術、マーシェは弓使いの本領を発揮した亜音速の枝豆砲である。
「うわっと?!」
避けると壁に穴が開きかねないので、トールは左右の手のひらで受け止めた。
ずぱぁああん!! と枝豆が出してはいけない衝撃音が発生する。
「何してるんだよ?! 食べ物を粗末にしちゃダメだろ!」
農家らしい怒り方をする勇者。微妙にポイントを外している。
「ふっふっふ。ちゃあんと枝豆が潰れないように魔力で包んどいたよ」
「剥いた枝豆を分けてやっただけだぜ。お前なら平気だろうが」
「平気じゃない! びっくりするだろ、普通に渡せよ……さては酔ってるな? セレストに酔い覚ましの魔法を掛けてもらうぞ?!」
「ああー、そいつは勘弁! 悪かったって。女神サマ聖女サマ、ついでに勇者サマも許しておくれ。ほらフェンも」
「オレは魔法無効化できるから問題ねえ」
「あんた、ホントにタチ悪いわ……!」
世界を救った勇者パーティーも、一皮剥くとこんなもの。
……良い子は真似をしてはいけない。
とにもかくにもラーハ枝豆は、勇者屋敷でも不動の人気を確立するに至った。
仲間達は言うまでもなく、ネイやランにも。
ある意味、発端となったヴァンスや職人衆にも。
差し入れされたリンテ以下ゼータ家の使用人達にも、だ。
さらに彼等、彼女等からの口コミ。
出入りする商人や、手紙、ところにより〈伝書〉の魔法によって、勇者が考案したラーハ豆の新しい食べ方が広がっていくことになるが――
「うーん、大豆っていうか完熟ラーハ豆にする分まで食い尽くす勢いだな。来年は枝豆用にも面積増やすか……?」
勇者当人はまさかそんな騒ぎになっているとは露知らないまま、早くも来年の栽培計画について頭を悩ます羽目になったのである。
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