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74.放っておけない、諦め切れない浪漫が多過ぎる(五)


 イナサからやってきたのは、いかにも官僚的な風貌をした男だった。


「オーゼルと申します。よろしくお願いいたします」


 薄茶色の髪をぴっちりと撫で付けて、銀縁の眼鏡を掛けている。


「トールだ。よろしく」


 勇者っぽい顔を作って応対するトール。

 左右にシャダルム、マーシェ、セレスト、フェンが珍しく勢ぞろいしている。

 さらにリンテがティーポットを盆に乗せ、応接間に入ってきた。全員に茶を淹れる。


「これは、わざわざ痛み入ります。良い香気ですな」


 オーゼルは礼を言い、カップを持ち上げて香りを楽しむようにしてから一口飲んだ。

 口調は丁寧ながら表情が全く動かない。

 とぼけた印象のジョーと違って、いかにも切れ者という雰囲気の持ち主だ。

 今回、オーゼルはあくまで学校の話を聞きに来ている。トール達に一切、後ろ暗いところはないが――もし何か、やらかしている状態で彼を迎えたとしたらプレッシャーはかなりのものになるだろう。


「――さて。このたびは急な訪問となりまして申し訳ございません。代官殿の無茶振りにも困ったものです」


 オーゼルはカップを置いて口火を切った。


「俺は構わない。ジョーの仕事ぶりに文句はないよ」


「は、ありがとうございます。では早速」


 机の上に書類を広げ、説明が始まる。


「イナサの町は急拡大しています。当初の開拓団は出稼ぎの独り者が中心でしたが、次第に家族を呼び寄せる者が増えまして……今年に入ってからは、ほとんどが最初から家族単位で移住してきています」


「子供の数が増えてるから、学校を作って教育を受けさせようってことだな」


「はい。しかし、私も学校というものの概要はお聞きしていますが……実現には問題が山積していると言わざるを得ません」


 書類に視線をやって、オーゼルが言う。


「建物を確保するのもこれからです。それから教師や、教材の手配も。また学校が出来上がったとして……子供と言えど働き手を取られる訳です。親が素直に子供を通わせるか、疑問があります」


「……オーゼルはあまり乗り気じゃないのか?」


 トールが訊くと、オーゼルはうなずいた。


「私は腹芸も追従も不得手でして。勇者殿の機嫌を損ねるかとは思いますが、本心を申せばその通り」


「いや、別に機嫌は損ねないよ。そういう意見も当然あると思うし」


「左様ですか。勇者殿は変わっておられる」


「たまに言われる」


 にこ、とトールは笑う。

 ……勇者というのは至高の身分で、国王さえ従わせることが可能だ。

 だからと言って、彼の意見や要望が受け入れられるのは当然――だとは思わない。

 身分制のあるラクサ王国。中には我が儘放題の横暴な貴族も存在するようだが、トールには全くそんな気はない。

 むしろ異世界には分からないことが多い。四年が経っても知らないことばかりなので、意見を言ってもらえる方がありがたい。

 気骨にあふれたオーゼルにもそれは伝わったようで、いかめしい目元が少し緩んだ。


「……誰しもが望めば教育を受けられる。素晴らしい理想とは思いますが、現実は理想通りにはいかぬものです」


「あの、トール様。そのことなのですが……」


 セレストが遠慮がちに発言する。


「ルリヤ神殿がお役に立てるのではないかと思うのです」


「神殿が?」


「はい。神官なら、読み書きや計算を教えられるはずです。実はわたくしが幼い頃にいた養護院が、そういうところでした」


 セレストは赤ん坊の時、神殿が運営する養護院に預けられて育った。両親の顔も覚えておらず、養護院の院長が親代わりであったという。


「院長は魔力の強さに関わらず、子供には教育を与えるべきという方で。養護院の子供だけでなく、近隣の子供も集めて学舎(まなびや)を開いていました。トール様のおっしゃる学校と、同じようなものではないでしょうか」


「ほう、先進的な方ですな」


 オーゼルも感心した様子である。

 魔法や魔術を尊ぶラクサ王国では、生まれつき魔力が高い者と低い者で生き方にかなり差が出る。あからさまに差別される場合さえある中で、院長の分け隔てない行いは異色だと言えた。


「院長は五年前に亡くなられましたが、今でも、わたくしがとても尊敬している方です。もし学校ができれば喜んでくれるでしょう。ぜひお手伝いさせていただきたいのです」


 セレストは少し頬を赤くして、目をきらきらとさせていた。


「イナサ神殿の近くに学校を作って、神官さんに教師をしてもらうってことだね。神殿側の負担が大きくないかい?」


「大丈夫です。元々、神殿は困窮者への炊き出しや巡回の施療といった奉仕活動を行っていますので、組み込めば良いかと。毎日は難しいかもしれませんが」


 マーシェの疑問にセレストが答え、ついでトールが手を打つ。


「炊き出し……炊き出しか。あ、そうか。給食も出せるかな、そしたら」


「キュウショク……ですか?」


「うん。ラクサの人って昼メシ食べる習慣がないけど、俺の国では普通だったんだ。だから学校も朝決まった時間に行って、昼になったら給食が出るから食べて、午後はまた勉強することもあれば学校はお終いで家に帰ることもあった」


「……むぅ、なるほど。学校に行けば教育を受けられると同時に、昼食も食べさせてもらえるとなれば……経済的に余裕のない家でも、子供を寄越す可能性が高くなるな」


 シャダルムが言い、オーゼルもうなずく。


「神殿の炊き出しは、尊い奉仕であるのは間違いありませぬが。ただ施しを受け取るだけで、何もしない民が出てしまうと非難する者も少なくない」


「うむ。私も王都で聞いたことがある。しかし教養を身につける対価として食事を与えるのであれば――」


「――理解が得やすいでしょうな。多くの民が根本的な貧しさから抜け出すきっかけにもなり得る」


 うなずき合うオーゼルとシャダルム。オーゼルも学校の創設にやる気が出てきたようだ。


「……そんな難しいこと考えてなかったんだけど……給食、楽しみだったなーぐらいしか」


 良い感じのところを、例によってぶち壊す勇者であった。


「ハハ、しかしトールの国の為政者達は、そういうことも勘案してキュウショクを食べさせていたと思うぞ。楽しみだったと言うならば味も良かったのか?」


「ああ。子供の成長に必要な食べる分量とか栄養とかも計算されてた」


「計算するのが好きだねえ、ニホンはさ」


「数字の根拠があるって言ってくれよ」


「ふむ、急にそのように高度なことはできませぬが、神殿の協力があるならば……不可能ではなさそうです」


「オーゼル殿の納得が得られたんなら何よりだね。じゃあ方向性は決まったってことでいいかねえ?」


「とりあえず、というところですかな。できる限りやってみましょう」


 セレストがまた手を上げて、申し出た。


「トール様。でしたら近いうちに、わたくしもイナサへ行ってきてよろしいでしょうか? 先日、イナサ神殿長が赴任されたという連絡もありましたので、挨拶を兼ねて学校の件もお願いしてまいります」


「聖女殿のご協力も頂けるなら願ってもないことです。構いませんか、勇者殿?」


「ああ。何かあるといけないから、フェンも一緒に行ってもらうか」


「オレも今そいつを言おうかと思ってた。いいぜ」


 フェンはほとんど発言していなかったが話は聞いていたようで、さっさと了承した。

 反対に、威勢の良かったセレストの方が狼狽する。


「な、なぜフェンまで。わたくし一人でも大丈夫です!」


「最近、弱いけど魔物が出るようになったって話もあるだろ? 危ないじゃん」


「だからと言って……ふ、二人でですとか……わたくしだって低級の魔物くらい……」


 セレストの頬がさっきよりも赤い。

 ――そこまで気にしなくても、と思うトールである。


 フェンとセレストが少し前からお付き合いをしていることは、この場にいる全員――初対面のオーゼルを除く――が把握しているのだが、セレストは年頃の女性だからなのか、清廉な神官として生きてきた反動なのか、どうも恥ずかしがっているらしい。

 全力で隠そうとするので、むしろフェンと険悪になっているように見えるくらいだ。

 フェンはフェンで態度が変わらない。元から人目を気にする性格でもなかったが、セレストと一緒にいるところを見られても平気な顔をしている。

 結果として、ちっとも甘い雰囲気などは出てこないのであった。

 とは言え二人一緒にいるのをよく見掛けるようになり、互いの部屋を行き来したりもしているようではある……


 そんなことを考えつつ、トールはとっておきの勇者スマイルを出すことにした。


「セレストじゃなくても、一人旅なんて危険だから許可できないな。でもマーシェは忙しいし。シャダルムはまだ新婚だし。俺も一応領主だから、ほいほい出てくのおかしいし? フェンが一番適任だろ」


「それは……そうかもしれませんが……」


「もうすぐ稲刈りだからさ、フェンにもセレストにも手伝ってもらいたいんだ。ぱっと行って、ぱぱっと帰ってきてくれ」


 嘘はついていない。全て正論である。

 ちらっとフェンを見ると小さくうなずいた。任せておけばいいだろう。

 セレストも顔を赤くしたままだが了承するよりなく、一件落着となったのだった。



✳︎✳︎✳︎



 イナサへ取って返すオーゼルを見送った後――


「マーシェ……わたくし恥ずかしくて死にそうです」


「あっはっは。あたしはそんな乙女心なんて、とっくの昔に空の彼方へブン投げちまったからね。逆に羨ましいよ。リンテはどうだい?」


「うふふ、ええ、とても微笑ましいですわ。セレスト様のそういうお顔は貴重ですもの」


「で、ですね。ですが、その……私、場違いではありませんか?」


「女同士、こういう茶会も悪くないだろう? シファーも遠慮はなしだよ」


「トール様は『じょしかい』って言ってたですぅ。女性だけの集まりって、ニホンみたいな『いじげん』な遠〜い国にもあるんだから大丈夫だと思いますっ」


「ええっ……根拠があるような無いような……」


「あっ! リンテ様! このお菓子、とってもおいしいので作り方教わりたいですっ」


「もちろんですわ、ラン。今度、一緒に作ってみましょう」


「ありがとうございますぅ!!」


 女性陣が勇者屋敷の一室に集まって、お茶とお喋りを楽しんでいた。

 立場も年齢も全く違うものの、場の空気は和やかだ。

 初参加のシファーは緊張で茶の味どころではなかったが、最年少で使用人のランでさえ無邪気にニコニコしているので、何とか肩の重さも取れてきた。

 

 その一方。


 いつもなら聖女にふさわしく笑顔を絶やさないセレストが、今日は全く使い物になっていない。

 茶や菓子もほとんど手を付けずに懊悩している。


「真面目だねえ、セレストは」


 マーシェがくすっと笑い、声を掛ける。


「そんな思い詰めるようなことかい? トールの判断は間違ってないよ、一人旅ってのは危険と隣り合わせだからね」


「……ええ、本当に。私もふるさとから一人で来た訳ですが、我ながらよく無事だったと思います」


 シファーの言葉には実感が篭っている。

 故郷を飛び出したような格好ながら、シファーは幸運にも五体満足でイナサーク領にたどり着いた。だが、もう二度と無茶をするつもりはない。一世一代の勝負だったのである。


「分かっています……分かってはいるんです。でも何というか……みんなに気を遣われてしまうなんて」

 

 セレストは「ああ」と「うう」の中間のような声を出して、テーブルに突っ伏した。


「まあまあ。セレストにもやりたいことが見つかって良かったじゃないか。あんたは年端も行かない頃から、ずーっと真面目に聖女として頑張ってきただろう? もう魔王はいないんだ、好きなようにしたら良いのさ」


 マーシェは茶を一口飲んでから続けた。


「フェンも、ちゃんとした理由があって一緒に行くんだ。それくらいで公私混同だの役得だの文句を抜かすやつが居たら、全員あいつに吹っ飛ばしてもらいな」


「そんな乱暴なことはできません! 何を言うのですか!」


 がばっと顔を上げるセレスト。頬がさらに赤い。


「も、文句を言われるとは思っていません。ただ、その、神官の皆やエレイシャさん達に……今のマーシェ達みたいな目で見られるのかと思うと……ううっ」


「あははっ、そりゃ悪かったねえ。そんなにニヤけた目をしてたかい?」


「トール様が『生温かい目で見守る』って言ってたですぅ」


「ニホン人も上手いこと言うよね」


「間違ってはいませんけれど、勇者様の言動はあまり真似し過ぎない方がいいですわ、ラン」


「あっ、ごめんなさいっ……トール様のニホン語って面白いから、つい」


「ううう……生温かいって……生温かいって……トール様まで……!」


「聖女様が追い打ちを掛けられているような……その、大丈夫ですか?」


 再びテーブルに突っ伏してしまったセレストを、シファーは彼女なりに気遣った。

 細い声が返ってくる。


「あまり大丈夫ではないです……」


「ですよね……ええと」


 話題を変えようとするが、シファーには難問だった。

 普段から紙漉きばかりなので、一般受けする適当なネタが思いつかないのだ。


「ええと、ええと、そう言えば。フェニックス様の魔法や魔術は、最大で幾つ行使できるんでしょう?」


「……シファーさん……それをなぜ、わたくしに訊くのですか……?」


「あっ」


 もう片方の当事者を引っ張り出してしまった。

 シファーは必死で手を振って誤魔化す。


「た、他意はありません! さっき井戸の工事をしてもらった時に、ちょっと信じられないことを聞かされてしまったので」


「フェンも大概、非常識だからねえ。何をやったんだい?」


 マーシェが乗ってきた。


「常時発動している魔術が三つ四つある、と言っていて……その上で、井戸を掘るのに五つくらい魔術を使っていたんです。合わせると十に近いですよね? そんなことが可能なのかと」


「魔法の難易度にもよるんじゃないかい?」


「……ええ」


 セレストは姿勢を正してうなずいた。分野は違えど、魔法の専門家としての顔である。


「難しい魔法でなければ、その倍でも問題ありませんが」


「倍ですか?! にじゅう?!」


「逆に複雑な構造の魔術ですと、フェンでも一つ二つで手一杯ということもあります」


「まあ戦略級のどえらい魔術だ、滅多にないけどね」


「ひええ」


「口で説明しにくいのですが、同時行使はコツがあって……掴んでしまえば、普通に誰でも三つくらいはできると思うのですけれど」


「絶対に普通の基準が普通じゃないのでは……え、聖女様もできるんですか?」


「回復魔法は同時行使に向いていないようで、聞いたことがありません。わたくしも頑張ってみましたが、回復は三つが限界です。支援魔法でしたら七、八でしょうか」


「やれやれ、それだってセレスト以外の神官さんにゃ厳しいだろうねえ」


「うー、見当もつかないですぅ……」


 魔法が苦手なランは、難しい顔で焼菓子をかじっている。


「でも、ランは手先がとても器用で羨ましいですわ。シファーや職人の皆様も、やはりそれぞれ一芸に秀でていらっしゃるでしょう?」


 リンテが、全員に茶のお代わりを注ぎながら言った。


「私などは器用貧乏と言いましょうか、色々とそれなりにはこなせても突出したものがなくて……ないものねだりですけれど」


「隣のやつの獲物は大きく見えるものさね。あたしも、旅の間に散々思い知らされたもんさ……冒険者としてそこそこやれてる程度じゃ、ほんとの天才には敵わないってね」


 マーシェが肩をすくめる。


「フェンがやってた遠耳とか気配感知とかも……常時発動ができるだなんて、あたしはそれまで聞いたことがなかったさ」 


「三か四というのは減らした方ですね。旅の……特に最初の頃、常時発動する魔術は十に近かったです」


「まあ! よく頭が破裂なさいませんわね……」


「破裂はしませんでしたがフェンも負担はあったでしょうね。輪を掛けて機嫌が悪いというか、ピリピリしていました」


「あー、一回トールと大喧嘩したんじゃなかったかい?」


「ええ。頼んでないのに余計なことしなくていい、みたいにトール様が言い出して、フェンが最高潮に苛々して危うく山火事になりそうでした」


「そうそう、あたしらまで焦げそうになったんだっけ。その後はトールが()()になって索敵系のスキルレベルを上げたから、怪我の功名ってやつで楽ができたんだけども」


「ふふふ、そうでしたね」


 世界を救う旅には、相当な苦難が付きまとっていたはずだが。

 セレストもマーシェも、悲壮感はなく懐かしそうにするばかりである。


「……本来はこんなことを言ってはいけないのでしょうが……楽しそう、ですね?」


「あはは、まあ終わり良ければ、ってやつだろうね。平和になった今じゃあ、良い思い出さ。そういう訳でシファー、あの魔術馬鹿も大人しくなった方だよ」


「は、はい。よく分かりました。聖女様も不躾な質問に答えてくださって、ありがとうございました」


「いいえ、こちらこそ。シファーさんのおかげで大切なことを思い出しました。ありがとうございます」


 ふわりとセレストが微笑み、茶会はそこでお開きになった。



✳︎✳︎✳︎



 ――リンテとシファーはそれぞれの家へ帰り、ランが茶器を片付ける。


「ラン、急に呼びつけて悪かったね。あんたのおかげでシファーも緊張が解けたようだ、助かったよ」


「えへへ、全然ですぅ! 私も美味しいもの頂けて嬉しかったです。役得ですっ」


 ランは場の和ませ役として同席していた。本人も分かっていて、いつも以上に天真爛漫に振る舞ってくれたのだ。

 使用人として生まれ育ったランだが、勇者屋敷では相当に崩した態度で過ごしている。

 本人の気質もあるが、トールその人が「他人にお世話されるなんて大袈裟で困る! 家なのにくつろげない!」というタイプだからだ。

 実のところ、苦境から救ってもらった兄妹の忠誠心は非常に高い。

 主人たるトールを困らせるようなことはしない、というだけである。


「では、失礼して夕食のお支度に戻りますぅ」


「お疲れさん、頼んだよ」


「はい!」


 ランはぺこりとお辞儀をし、茶器を載せたカートを押して厨房へ戻っていく。

 後にはマーシェとセレストが残った。


ラン、お茶会ではシファーのためにわざと子供っぽい態度を取りました。普段は使用人なんて大袈裟だと困ってしまうトールに合わせる賢い子。お客さんが来た時はちゃんとします。

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