64.晴れ渡る空、翔べたなら(二)
勇者と言えばこの装備(独断と偏見)
「みんな紙飛行機ぐらいで大袈裟過ぎる!」
トールはシャダルムに、大いに愚痴をこぼしていた。
「普通の紙があって人間に普通の手があって、外に出たら風が吹いてるんだから紙飛行機がない方がおかしいと思う」
「……トールらしいな。だが、私も言われるまで思いつかなかったぞ。盲点だったとしか言えない」
「相手が超天然のマイカさんじゃなかったら、俺が勇者だから気を使われてるのかなって疑うところだったよ」
「気を使う?」
「ホントは全然凄くないのに、勇者が言ったから白いものも黒くなる、みたいな」
「む。ある意味では似たようなものだが」
「え? そうなのか?」
「天空は女神が在します神聖なものだ。人の身で手を伸ばすなど大変な不敬だが、他ならぬ女神に選ばれた勇者が許したのだから女神が許したのと同じ……セレストはそういう方向でまとめるようだぞ。今後は飛行魔術の研究が盛んになっていくのではないかな」
「げえ、マジか……」
時刻は夕方だ。
田植えを終わらせたトールは、シャダルムの新居にお邪魔していた。
王太子ベルクートと魔術師達の影にすっかり隠れてしまっているが、シャダルムとリンテの様子を見に来たのである。
この二人も到着以降、精力的に動き回っていた。
到着初日こそ身体を休めたものの、翌日は荷解きをした後で歓迎パーティーに出席した。
さらにその次の日、今日からは使用人達に混じって働いている。
そこへトールが訪問したのだ。
――紙飛行機についてマイカの追及があまりに激しく、こっそり逃げてきたとも言う。
「で、シャダルム。何か問題は起こってない?」
一応は領主として、新たに迎えた臣下の心配をするトール。
「大丈夫だ。マーシェとも話している。環境が新しくなって戸惑う部分もあるが、トールをわずらわすほどではないな」
「リンテさんも平気なのか? 王都生まれなんだろ?」
たおやかな風貌の令夫人、リンテ。実家のサンテラ子爵家が治める領地に時々行くことはあったそうだが、基本は都会育ちだ。
こんな垢抜けないド田舎へ嫁いできて、不満はないだろうか。
「なに、リンテはああ見えて芯が強いぞ。それに実のところ社交はあまり好きではなかったと言っていた。ろくでもない男を引き寄せてしまうのが嫌だったとか。ああいう世界も見かけは華やかだが、内実はそうでもないのだ」
ラクサ王国で男爵や子爵、というのは貴族ではあるが全く気取ったものではなく、使用人の数もそう多くはない。
リンテも、トールがふわっと想像するような優雅なお嬢様生活とは違ったらしい。社交よりも家事炊事や、出入りの商人との交渉、父や兄が忙しい時は母と一緒に家の切り盛りをするのに忙しかったそうだ。
容姿は妖精のように儚げであるが、実はいつも元気いっぱいで頑丈さが取り柄。シャダルムと最初にお見合いをした時に倒れたのは、たまたま風邪気味だったからだという。
「子爵の娘の嫁ぎ先となると、貴族とは限らないのでな。裕福な商家の可能性もあった。よってリンテは読み書き計算もこなせるし、逆に領地持ちの貴族の妻になっても恥ずかしくないような教育も受けている」
さりげなく惚気を聞かされた。
が、リンテが有能な女性なのはトールにも分かった。
「農業魔法も少し使えるぞ、野菜より庭の手入れ用だが。義兄のように多才なのだ」
「マーシェが欲しがりそうだな」
「うむ。家のことが落ち着いたら、マーシェや私の仕事を補佐してもらおうと思っている」
「ああ、助かるよ。田植え終わったから俺もやる」
「心強いな。トールはどうだ? ベルクート殿下に無礼を働いていないだろうな」
シャダルムが話題を変えた。
「どうだろ? 殿下は礼儀作法にうるさくないから、たぶん……一応……怒られるようなことはやってない……はずだ」
「むぅ。やはり私も加わった方が良さそうだな……」
「頼めるか? あと殿下が手合わせしたがってて、正直どうしようかと」
「トールの聖剣だと加減が効かないか」
「そーそー。フェンも殿下に誘われてるけど乗り気じゃなさそう」
「魔術師を魔術以外で引っ張り出すのは非常に難しいぞ。フェンのような男なら尚更だ」
「まあなあ。プライドあるもんな」
「むしろ……あのフェンがよく皮肉の一つも言わずに済ませたな」
「ずいぶん丸くなったよなー」
少し前のフェンなら、相手が王太子であろうとも喧嘩を売りかねなかった。今回は表情にも言動にも極力出さなかったので、トールは内心驚いたくらいだ。
「うむ。一方で、殿下のお気持ちも理解できる」
「そう?」
「私も騎士だったからな。あの方も元々、身体を動かすのが好きなのだ……だが王太子ともなると周囲がどうしても遠慮する。それに世が平和になった以上、殿下も騎士ではなく為政者であることを求められる……本気で剣を振るう機会は少なくなるだろう」
「即位したら余計にそうなるよな」
「その通り。これが最後とまでは言わないが、滅多にない好機ではある。私としては叶えて差し上げたい。構わないか、トール?」
「協力はしたいけど……いや、でもマズいだろ」
セレストの回復があれば大概の傷を治せるとは言え、万能ではない。
「殿下、強いから。手加減できないんだよ、マジで危ない。めちゃくちゃ失礼な言い方するけど」
「分かっている、ひと工夫要るだろう。そうだな、とりあえずトールは別のものを使ったらいいのではないか?」
「別?!」
トールの非常識が伝染したのか。
シャダルムが頭のおか……一風変わった提案をしてきたのである。
✳︎✳︎✳︎
次の日のことである。
「あふれ出る初期装備感……魔王を倒した後になって、こういうののお世話になっちゃうとはなー」
トールは手にしたものを眺めて独り言を言った。
一メートルちょっとの木の棒だ。ヒノキとかそういう感じの真っ直ぐな木材で、角を落としてある。
棍棒というほど細工されてはいないので、やはり単なる丈夫な木の棒としか言えない。
「念のため確認するけど、イクス的に大丈夫なんだな? これなら」
傍らに立つ美女――人間形態をとった聖剣イクスカリバーに、トールは尋ねた。
勇者は召喚された直後に聖なる武具と引き合わされて以降、他の装備を使うことがない。専用武具であるイクスカリバーとイージィスは、勇者の手元から絶対に離れない。盗まれたり無くなったりもしない。
イクスカリバーもイージィスも「我等以外に浮気するでないぞ」とアレな言い方をしているが、実態は他の装備を触ってしまうと、勇者の能力に影響するのが理由であった。
「これは武器ではない、ただの木の棒ぞ。刃も付いておらぬゆえ目こぼししてやろう。本来は勇者と我の同期に雑音が混じっていかんのだが、まあ魔王を倒す使命も終えておるからのぅ」
今回はセーフ、というお墨付きをもらう。
「ついでに鍋の蓋でも持つか? 盾の代わりに」
日本の某有名ゲームを思い出して言ってみたものの、こちらはイージィスに無言でにらまれたので諦めた。
聖鎧装は防具だけにお堅いのだ。
比較的安全にベルクートと一戦交えるために、シャダルムが出した案がこれである。
トールは勇者屋敷から少し離れた空き地にいる。
そこに徒歩で現れたベルクートは鎧を身に着けて真剣を持っている。
その隣にいるシャダルムも全身鎧と戦斧と大楯。
このところ別行動が多かったマーシェも弓を手に姿を見せ、セレスト、フェン、マイカの魔法使い組も勢ぞろいして位置につく。
離れた場所にエレイシャとタームもいるが、
「どう考えても足手まといです」
「無駄死にする趣味はありませんや」
と参加は固辞されている。
何しろ、これから始まろうとしているのは――
「模擬戦って言うか、要するに勇者フルボッコ大会じゃん……」
そう、一対一ではなく全員まとめて掛かってくるのだ。
持っているのは木の棒だけという最弱状態の勇者VS完全装備の王太子パーティーの構図である。
トールは遠い目になった。
「くふふ。人族でも選りすぐりの強者ばかり。いささか厳しいハンデであるのぅ」
「やりがいがありそうではないか」
イクスカリバーとイージィスは面白がっている。今回、彼女等は出番がないため他人事なのだ。
「周囲は無人の荒野、暴れたとて誰にも迷惑は掛からぬ。存分にやれい、骨は拾うてやろう」
「いくらセレストでも骨から人体の再生とかできないだろ! まあいいけどさ、俺もあんまりサボってると勘が鈍り過ぎるし」
勇者は強くなる方法もかなり特殊で、素振りや形稽古の類はあまり意味がない。魔王討伐を終えてしまった今は特に。
とは言え農作業ばかりやっていると、能力はともかく戦う時の感覚が鈍麻する。
魔王を倒し平和がもたらされたと言っても、そこは異世界基準。魔物や悪人はまだまだ存在するのが現実であり、トールも日本人感覚で腑抜けてしまうのは不味い。
ベルクートの息抜きに付き合いつつ、たまには本気を出すべきだろう。
相棒が文字通り木の棒だが。
「では覚悟はできておるな?」
「ああ」
うなずくと、美女両名は妖艶に笑って離れていった。
入れ替わるようにベルクートがシャダルムを伴って接近し、十歩ほどの距離を置いて立ち止まる。
「準備は良いか、トール?」
「するほどの準備もないですし。いつでも」
「うむ! では頼んだぞ!」
ベルクートが長剣を抜く。
するとイージィスがしなやかに片手を上げ、さっと振り下ろして合図をした。
「女神の名の下に――始め!」
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セレストの支援魔法を受けたベルクートとシャダルムが、それぞれ別の方向から攻撃してくる。
木の棒で迎え撃つトール。
二人の獲物は真剣のため、木の棒がいくら丈夫でも普通なら斬り飛ばされて終わりだろう。
だが、そこはトールが聖剣を操る時の要領で、自分の魔力を流し込んで強化している。ただし、魔力を篭め過ぎると木の棒の方が耐えられず砕け散ってしまう――そうなるとトールの負け確定だ。
今回の模擬戦はトールが降参するか木の棒が破壊される、または聖剣・聖鎧装を出した時点で敗北となる。勇者のスキルも、使った瞬間に木の棒が粉々になるため事実上封印である。
反対にトールの勝利条件は、全員を降参させるか戦闘不能にすること。セレストの回復があるとは言え怪我はさせたくないので、武器を飛ばすか気絶させるか……
一瞬も気が抜けない。
(俺は勝ち負け、どっちでもいいんだけど)
ベルクートは勝ちを獲りにくるつもりと見え、心底楽しそうに長剣を振ってくる。兜をかぶっていて表情は不明だが、恐らく野生味のある好戦的な笑みを浮かべていることだろう。
シャダルムもこの巨体からは信じられないような高速で、戦斧と大楯を振り回す。人の輪郭をした大熊もしくは暴風であった。
トールは身体能力を生かして避ける。
どうしても回避できない時だけ、木の棒で弾き返していく形だ。
だが、彼方から魔力の篭った矢が立て続けに飛んできて妨害する。
「うわっと! さすがマーシェ!」
魔矢はトールの動きを先読みして撃ち込まれ、着弾と同時に炸裂して白い光を撒き散らす。
目眩しに使われる閃光弾だ。
マーシェは弓矢に魔力を込めて撃つことで、さまざまな効果を付与できるが――勇者相手では決定打に欠ける。だから閃光弾で視界を奪う作戦に出たのだろう。
ベルクートやシャダルムが兜の目庇を下ろして目を保護している一方、トールはまともに光を浴びることになるからだ。
ならばと、視覚は捨てて聴覚を強化する。
もともと勇者は耳も鋭い。さらなる強化で、流れ込む情報量が跳ね上がる。息遣いや装備の軋む音、空気の摩擦を聞き取りながら、重量級の攻撃の嵐を右に左に捌く。
そうしているうちに、ゆっくりと目の前の景色が戻ってくる。
ベルクートが正面に、シャダルムが斜め後ろに、やや距離をとってマーシェ。
彼女より後ろにセレストとマイカ、フェンがいる。
「いっくよー!」
能天気なマイカの声。
前衛二人が飛び退いた途端に、無数の魔術が土砂降りのように襲ってきた。
フェンがイヴの昇級試験をした時を思わせる様相だが、威力が桁違いだ。人間が巻き込まれれば細切れ肉になってしまう。
「弾幕系シューティングかよ?!」
思わず、異世界人には理解できないたとえ方で言ってしまうトール。
勇者なら当たっても大丈夫ではあるのだが、模擬戦の趣旨を鑑みて回避を選択する。マーシェの閃光弾も合わせて飛び交う中、地面を蹴ってジグザグに走った。
(マイカさんも凄いな……でも、まあ、フェンみたいには行かないっぽい)
マイカの攻撃魔術は火力も速さもある、しかし狙いが素直で読みやすい。厳しい言い方をすれば詰めが甘い。トールは余裕を持って避ける。
マイカが戦闘に慣れていない証拠であった。業火の魔術師を筆頭に攻撃専門の魔法使いだと、こんなにぬるくはない。
魔術の奔流と追いかけっこをしつつ、考える。
(んー。肝心のフェンが来ないな? やっぱりアレやる気なのか?)
無詠唱で即座に撃てるフェンが未だ攻撃してこない。
その沈黙が一番不気味だ。
降り注ぐ色んな属性の魔術、マーシェの矢を掻い潜ってトールは移動する。
ベルクートとシャダルムがそれを追う。
(――トールめ、想像以上に強いな!)
兜の内側で、ベルクートは声に出さず毒づいた。
シャダルムと二人がかりで猛攻を加えても崩せる気がしない。
無論、勇者の強さが飛び抜けていることは分かっていた。
しかしベルクートが知るトールの戦い方――魔王との最終決戦に向かう直前の彼は、聖剣を扱うのが少々荒っぽいと言おうか、手にした力を制御し切れず振り回されている部分があるように感じられたのだ。
その後トールは魔王を討ち、より大きな魔力とスキルを抱える羽目になった。
しかも農家になると言って一線を退いたため、白の女王群や多頭蛇を除けば、勇者の力を発揮する機会はなかったはず。勝機があるとすればそこだ、と考えていたが――
(まさか農作業でスキルを使っているとはな。扱いがだいぶ巧くなっている)
勇者が真の意味で強くなっていくのは、むしろ。
農家になった、これからなのかもしれない。
つけ入る隙がないとはこのことか。
トールのためには良い傾向であるが、この模擬戦においてベルクート達は不利になってしまった。
(ふ。考え事は後回しだな!)
トールがベルクートの望みを叶えるためにつくってくれた機会である。
元よりハンデをもらっている戦いだ。こんなに譲ってもらったからには、勝ちたかったが。
それよりも楽しまねば損をする。
(幸い、負けたからと言って煩い輩もおらぬ)
身分も何も気にすることなく、ただ一人の戦士として、全身全霊で戦える。
王族に生まれた彼にとって、こんな幸運はそう何度もない。
(楽しくてならん。感謝するぞ、トール!)
ベルクートはニヤリと笑い、真っ直ぐに挑みかかる。
「残念、やっぱ教本通りには行かないねー」
手元で数多の魔術を生み出しながら、マイカがぼやく。
属性も術式も異なる魔術が絶え間なく創られては飛び立ってトールへ向かっていくが、ことごとくかわされている状況だった。
「もーちょい戦闘訓練とか、受けておけばよかったかなぁー、聖女ちゃんゴメンねえ」
「いえ」
セレストは冷静に首を振る。
「十分以上にしっかりやっていただいています。ただトール様なので避けられてしまうだけかと」
「そうお? 勇者君ハンパないねえ! フェニックスは捕捉できそー?」
「……今やってる」
フェンはそれしか言わなかった。
例によって機嫌のよくない顔をしている。
この模擬戦――
最初からフェンは気が乗らない様子だったが、トールがとんでもないことを言って引きずり出したのである。
『フェン、なんか試し撃ちしたいやつがあるって言ってただろ?』
『今ここでそれを言うか、この野郎……』
地を這うような低い声でフェンはうなったものの、参加することにはなった。
なったのだが、何をしでかす気なのかマイカも聞いていない。
(今になって業火が試し撃ちってさぁ……)
魔術を学び始めたばかりの頃ならともかく。
――マイカは一瞬だけ物思いに沈んだ。
ロジオンが連れてきた痩せた少年、口が悪くて目つきも子供らしくないほど刺々しく、碌に文字も読めなかったのに……魔術の才能だけは右に出る者がいない、そんな異端児だったフェニックス。
たまに研究塔へ現れては、実技補習の名目で色々な魔術を試し撃ちしていたものだ。マイカもよく覚えている。
だが、あれから十年以上経っている。今や彼は真理と深淵を知る魔術師であり、試し撃ちが必要な魔術なんてあるはずがない。
(何やってんのよ、ほんと。首筋がチリチリしちゃうんだけどー?!)
魔力を操っているのは分かる。
問題はその先――創ろうとしているものが分からない。
研究塔に棲む魔術師、マイカでさえも。




