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63.晴れ渡る空、翔べたなら(一)

 シャダルムが妻を連れて到着し、勇者パーティーの面々がそろった。

 ――かと思ったら特大のおまけ、お忍びの王太子が着いてきた。

 シャダルムの他、ゼータ男爵家には武芸の心得がある使用人もいるものの、ベルクート専任の護衛は魔術師三名だけという大胆ぶりである。

 もっとも上級魔術師は一人で砦を落とせるほどの戦力を持つと言われ、戦闘専門ではないマイカでもその程度はやってのける。さらに中級・初級ながら実績豊富なタームとエレイシャもおり、見かけよりも手厚い布陣ではあるが、侍従の一人も連れていないのが凄い。

 ベルクート自身もお飾りではなく、実力ある騎士だからだろう。普段は人にかしずかれて暮らしていても、その気になれば自分の面倒ぐらい見られる。それに今回の視察は、彼にとっても窮屈な宮廷を離れて自由にできる、最後の機会なのかもしれなかった。


「おぬしら鍛錬はせぬのか?」


 歓迎パーティーから一夜明け、食堂に集まって朝食を取った直後にベルクートが言い出した。

 既に()る気満々である。

 しかしトールは首を横に振った。


「しばらくは朝から農作業ですね。田植え終わってないんで」


 勇者と仲間達は、歓迎パーティーの翌日から通常営業であった。

 ただしシャダルムはリンテと自宅で朝食をとることになっており、マーシェも彼等と打ち合わせがあってここにはいない。


「申し訳ないですけど、稲作で一、二を争う重要なやつなんです! いくら殿下のご命令でも譲れません」


 農家としてトールは断った。実際、猶予はそんなに無いのだ。


「あと俺は手が滑って殿下を真っ二つにしたくないです」


 ラクサ広しと言えども、この断り方ができるのはトール一人であろう。

 魔王を倒した後、トールは輪をかけて強くなってしまった。以前フロウにも言った通り、勇者や聖剣の能力は対人用の範疇を超えている。

 ベルクートは人族としては相当強い部類に入る。ところが勇者が相手では――地球を例に取れば一般人と格闘家どころか、歩兵と戦車くらいの差があるのだ。


「ふむ! 急に押しかけてきたのはおれの方だ。そう無理も言えんな」


 ベルクートは引き下がった、訳ではなかった。


「フェニックスはどうだ? 杖なしでも強いからな、おぬしは」


「――――」


 矛先が向いたフェンは一瞬だけ目元を引きつらせたが、黙っていた。たぶん、口を開くと罵詈雑言が出てしまうためだ。

 フェンは生粋の魔術師ではあるものの、杖を持たずに組み手で戦わせても手強い。「あいにく上品な生まれ育ちじゃねえんだよ」とのことで慣れている上、身体強化はもちろん簡単な魔術も織り混ぜてくる。魔術師だから体力がなくて打たれ弱いなどという図式に全く当てはまらず、平和な日本出身のトールよりもよっぽどケンカ上手であった。

 ベルクートもそれを知っていて声を掛けたのだろう。

 身分社会において、普通は王太子の言葉は拒否できない。傍若無人を絵に描いたようなフェンでさえも、だ。

 なのでトールが仲裁に入った。


「殿下、フェンにも田植えを手伝ってもらうんですよ」


「……おぬし業火の魔術師に何をやらせておるのだ」


「うちは農家なんで、農業をしない方がおかしいです」


「おかしいと思うのが一番おかしいわ!」


 うなり声を出すベルクートの横で、マイカが眠そうな顔をしたまま口を開いた。


「フェニックスさぁ、農業魔法できたっけー」


「今まで使う機会がなかっただけで単純な魔法だろうが。神官に比べて効率はイマイチだが、やればできる」


 フェンの返答は今日もそっけない。


「ええー? おまじないレベルの話じゃないっしょ? 実用的なやつでしょ? 勇者君の畑……タンボだっけ? めちゃ広いじゃん。フツー無理でしょー」


「あれ? 魔術って魔法から生まれたんですよね? エレイシャさんも魔術師ですが色々魔法を使ってますよね」


「んー、勇者君が言うのも間違いじゃないけど、今じゃ魔術と魔法ってほぼ別物なんだ。んで聖女ちゃんは完全に魔法向き、エレちゃんは魔術もできるけど基本は魔法向き、私やフェニックスは完全に魔術向きなの。生まれつき適性があるんだよねー」


「……魔法だろうが魔術だろうが、魔力が集まってできてるのは同じだからな」


「……うは! 細かいよーな、雑なよーな、なんかスゴいこと言ってない?」


 マイカが目を丸くする。フェンの言葉で眠気が消えたらしい。


「この馬鹿勇者がアレコレ無茶を抜かすんでな。嫌でもこうなる」


「え、俺?」


 トールは首をかしげている。


「そもそも今日、フェンにやってもらうのは種まきだから農業魔法じゃないけど」


「おおー? じゃあ魔術?! 魔術だよね?! ウッソ、それ絶対見たい」


 たちまちマイカは元気になり、傍らにいたエレイシャとタームが溜息をつく。


「ぽんぽん新魔術を開発している気配がございますね」


「全く禿げそうになるわな。もうちょっとオッサンの毛根に優しくしてもらいたい」


「――ふむ! 何やら面白いものが出てきそうだな! では視察させてもらおうか!」


 聞いていたベルクートが方針転換し、そういうことになった。



✳︎✳︎✳︎



「わー! なにコレなにコレなにコレぇー! たっのしーい!」


 今日も晴れ渡るイナサークの空へ笑い声を響かせるのは、もちろんマイカだ。

 ばっさばっさと種籾を宙へ舞い上げては、田んぼへ満遍なく降らせている。

 フェンが編み出した空中散布の魔術をしばらく観察し、次は自分もやりたいと言い出して――こうなった。

 ほぼ一発で成功させた辺り、彼女もさすが上級魔術師である。

 塩対応のフェンが丁寧に教える訳がない。マイカは横から見ているだけで魔術の構造を理解し、再構成してみせたのだ。


「フェニックスほんとー、おっかしいわぁ! なんでこんなん思いつくのー?」


「……言い出したのはトールだ。オレじゃねえ」


「トール様の国では、空から種をまく方法があったそうですよ」


 フェンがあまりに不機嫌なので、セレストが手伝うついでに解説してやっている。


「そーなんだ、行ってみたいわーニホンの国! まあムリだけどさぁ」


 マイカも詠唱なしで魔術を操ってみせている上に、口では別のことを喋り倒している。


「マイカさん、器用なのですね。魔術の制御も完璧ですし」


「えへへ、ありがと。聖女ちゃんも農業魔法ばっちりじゃーん」


「神官として当然のことです」


「あははは! お澄まししてる聖女ちゃん、かわいいわあー。よく言われない?」


「えっ? いえ、特には……」


「あー、耳ちょっと赤くなった! テレちゃって〜かわいい! 聖女ちゃんってさ、とびっきりかあいいよねっ。ね! フェニックス」


「…………オレに訊くな」


「およ? 魔力ちょっぴり揺れた? いま揺れたよね? ねえねえねえ!」


「うるっせえ! ふわふわ頭は黙ってろ!」


 フェンの機嫌さえ横に置いておけば、魔術師が二人になって作業は段違いに早くなっている。

 少し離れたところで、ベルクートがその様子を眺めていた。左右にタームとエレイシャが控えている。


「あまり見たことのない魔術だな」


「そうでしょうな。我々も初めて見ました」


「土属性の応用だそうですが……言われてみれば、という程度ですね。ほぼオリジナルかと」


「マイカは割合すぐ真似していたが、おぬしらはどうだ?」


「不可能ではありませんがね、魔力が続くかどうかでしょうな」


「タームに同じです。私は魔力が多くありませんので、連続して使うのは難しいと思われます。もし手伝うのであれば……身体強化を使って普通の農作業を行う方が戦力になるでしょう」


「上級魔術師を農作業に駆り出すなぞ、普通はあり得んか」


「ですなあ」


「殿下のおっしゃる通りです」


 追従ではなく本心からうなずく二人。


「トールめ、本当に農家になっても無茶苦茶だな!」


 呆れ半分、感心半分となったベルクートが、ふと顔を横に向けると――。


 少し離れた田んぼで、田植えを完了した勇者が聖剣を抜いたのが見えた。


「……やる気か、あれは」


 ベルクートは身構えた。

 直後、ドンッという重い衝撃が地を揺らす。

 一瞬遅れて虹色の閃光が降り注いだ。

 トールが農業用のスキルを撃ち込んだのである。


「理屈はともかく、あの派手派手しい見た目は何とかならんのか……」


 魔王をも滅ぼした勇者のスキルだが、農業に転用する場合は人畜無害。ベルクート達に危険はない。

 事前にそう言われていたが、いざ目の当たりにしてみると――とんでもない。


「殿下、何があるか分かりませんぜ」


 雷光が瞬く方へ歩き出したベルクートを、タームが渋い顔で止めようとする。


「止めても今さらだぞ、ターム。勇者にそのつもりがあれば、おれはとっくに消されておるわ」


「それはそうなんですがね……」


 タームにも護衛として立場があり、ベルクートがあからさまに危険そうなスキルへ近づくなど容認しがたい。

 しかし当人が構わずトールへ向かって足を進めるので、タームとエレイシャも杖を握ってついていく。


「トール! 聞きしに勝る無謀さだな!」


「あ、殿下。申し訳ありません。びっくりさせちゃいました?」


 勇者の声はのんびりしており、言葉とは裏腹に、あまり申し訳なさそうではない。


「なあ、トールよ。勇者が精霊に好かれるというなら、こんな非常識なことをしなくても普通に頼めばいいのではないか?」


 ベルクートがたしなめたところ、トールは困った顔をした。


「何でか分かりませんけど、コレやった方が精霊のウケがいいんですよね」


「精霊にウケなぞあるのか」


「あります。その辺は子供と一緒?」


「ふむ。あり得ん話では……ないな」


 無邪気な幼児そのものだった精霊の様子を思い出し、ベルクートは納得する。


「俺が担当してる田んぼは植え付け終わりました。フェン達の方を見てみますね」


「マイカが面白がって手を出していたぞ! 早く終わるのではないかな。フェニックスの機嫌は悪そうだが、まあいつも通りとも言えるか」


 戻ってみると、直播組の魔法使い達も作業を終了していた。


「じゃあ休憩入れよう。おにぎり作ってもらったんだ」


 勇者も魔法使い達も、この程度で疲れるほど柔ではないが。

 やはり適度な休息というものは重要である。


「ほう、それは楽しみだな。おれも良いのか?」


「もちろん殿下もどうぞ。大したものじゃないですが」


「なに、コメとやらは気に入っているぞ。ターム、エレイシャ、おぬしらも付き合え」


 ベルクートは真面目に護衛役を果たしていた二人にも休憩を命じる。

 なおマイカも名目上は王太子の護衛だが、落ち着きなく目をキョロキョロさせながら田んぼを観察していた。

 本当に自由人である。



✳︎✳︎✳︎



 勇者の空間収納で、近くの空き地に休憩セット一式を出す。

 敷物と、日本で言うちゃぶ台のような丈の低いテーブル、小さなスツールを人数分並べる。


「なにこれ便利」


 感心するマイカ。勇者のスキルを見慣れていないので、またも聞きほじりに来る。


「異空間から出したい物って、どうやって決めてるのー?」


「頭の中でイメージしたやつですね、基本は」


 空間収納は秘密にするスキルでもない。トールも普通に返答する。


「んじゃ収納したけど勇者君が忘れちゃった物は、もう取り出せないってこと?」


「しばらく使ってない物、みたいな感じで検索すれば行けます。暇な時に出して整頓してますよ」


「うはは! ひょっとして勇者君さあ、私と一緒でどこにしまったか忘れる人? ねえねえ」


「やめなさいマイカ。ごみで遺跡を建造する才能に恵まれたあなたが言うことではありません」


「エレちゃん! めっちゃひどい」


 絡まれそうになったものの、エレイシャがマイカを引っ張って回収していく。


(エレイシャさんには特別報酬(ボーナス)が要りそうだな……)


 トールはひそかに感謝しつつ、屋敷でネイとランがこしらえてくれたおにぎりと茶を人数分配った。

 茶は残念ながら緑茶ではなく、ラクサで一般的に飲まれている紅茶のようなものだ。だが甘みを加えずストレートティーのように扱えば、米との相性も悪くない。


「今日は中に具が入ってます。気を付けて食べてください」


 歓迎パーティーで出した焼きおにぎりとは趣向が違うので、ベルクート達に声をかけておいた。


「ほう、袋のパンのようなものか」


 ベルクートが言うのは、ラクサでよく食べられている軽食だ。地球のピタパン同様、中が空洞の丸いパンを二つに割って、味付けした肉や野菜を詰めた料理である。

 王城で出されるようなメニューではないが、庶民には身近なものであった。片手で食べられることから戦地や行軍中の携帯食としてもよく出る。ベルクートも馴染みがあるのだった。


「発想は同じですね。パンの部分を米にした感じです」


 ただし具は……梅干しも鰹節も昆布もない。醤油も残り少ないため、挽肉を炒めてラクサの調味料で濃いめに味付けしたそぼろ風や、刻んだ野菜を塩・スパイスで和えて高菜漬けっぽくしたものなどを包んでいる。

 ネイとランが一生懸命にあれこれと考えてくれたこともあり、出来は良いとトールは自負していた。

 日本でも和洋中、多種多様な味のおにぎりが売られていたくらいなのだ。異世界の具でも美味い。

 どんな食材にも合う米は偉大なのだ。


「ではアンコやキナコという甘味は具にせんのか?」


 が、ベルクートの素朴な疑問にトールは固まった。


「……ないですね。言われてみれば」


 パンはジャムや蜂蜜などをつけるし、あんぱんやクリームパンをはじめ、甘いものもたくさんある。

 ところがスイーツ系おにぎり、というのはトールも覚えがなかった。


「なぜ無いのだ?」


「そういうものとしか言えないです。ぼた餅みたいな和菓子になっちゃいますね、どうしても」


「ははは! おぬしも先入観がない訳ではないのだな!」


「そりゃ、ありますよ……」


 トールは異世界人。ラクサの風習や常識を全く知らなかったために、フラットな目で見ることができる……のだが。

 逆に日本人の常識に縛られているとも言える。

 これはもう仕方がない。


 今後ベルクートが稲を持ち帰って、ラクサの各地でも栽培されるようになったら。

 日本の常識にとらわれない、こちらのやり方で調理された米料理が作られていくのかもしれない。

 例えば日本生まれの寿司が海を渡った先でアレンジされ、カリフォルニアロールになって帰ってきたみたいに、だ。


「でも甘いおにぎりは違和感あるな……俺はこれでいいや」


 トールはおにぎりを食べ終わって茶を飲んだ。


「ねーねー勇者君」


 同じく食べ終わったマイカが、懲りずに話しかけてきた。


「勇者君の故郷、空から種まくってどうやるの? 魔法ないんだよね?」


「空飛ぶ道具が色々あるんですが、仕組みが複雑で俺も詳しくないんですよ。すいません」


 マイカの追及が鬱陶しいから、フェンのように適当にあしらった――のではなく。

 トールの本心だ。

 実際、飛行機に乗った経験はあるものの、飛ぶ仕組みの詳細まで分からない。

 お偉い勇者なのに謝ってしまったのはご愛嬌である。


「えーなんで謝るの? 魔法がなくても飛ぶ方法がある、って分かっただけでも割と前進だよ」


「俺から見ると、魔法で物を運べる時点でスゴいですけど」


「ん、あれは重力制御と物体の座標制御の合わせ技だね。慣れればどうってことないよ」


 マイカはさらっと回答したが。


「そんな難しそうなことやってたんですか……」


 トールが思っていたより難解な理屈であった。


「でも生き物を運ぶのはね、すっごく魔力使うんだよー。生き物ってどうしても動くじゃない。意識がなくっても心臓が動いてたり血管を血が流れてたり」


「なるほど」


「それで制御がややこしくなっちゃう。ネズミみたいな、ちっちゃい生き物の運搬でも魔力をバカ食いするんだ。もちろん人間を運ぶのなんか無理無理」


「へえ、空間収納スキルにも生き物は入らないですけど……じゃあ風の力や揚力は関係ないんですね」


 何の気なしにトールは言った。

 言ってしまった。

 聞いていたフェンが「馬鹿が」という顔をしたのと。

 マイカが目を輝かせて身を乗り出したのは、ほぼ同時。


「その話詳しく! それはもう隅々まで一つ残らず詳しく!!」


 喰いつかれた。

 すなわち失敗した、とトールも気付いたが、後の祭りというやつである。


「さっき言いましたけど、細かいところは分からないですよ?」


「うん! どんなのでもいい!!」


「口で説明するの難しいな……ちょっと待ってください」


 トールは空間収納から紙を取り出そうとした。

 丈夫な紙なら何でもよかったのだが――

 とさり、と見覚えのある物が、手の上へ落ちる。


「あ、ずいぶん懐かしいやつ出て来ちゃったな……」


 ――「数学I・Ⅱ」と表紙に書いてあるノートだった。

 高校生だったトールが日本から持ってきた、数少ない私物の一つである。それこそ空間収納の片隅に仕舞い込んであったのだ。他の品々と一緒に。

 マイカと「しばらく使っていない物」の話をしたのが、イメージに影響したのかのかもしれない。


「この紙が一番向いてるのもあるかな」


 ラクサ王国でも植物紙が一般に使われているものの、日本に比べると全体的に質は落ちる。

 重要文書などに使われる紙は高級和紙に似ていて結構丈夫である一方、グレードが落ちる普段使いの紙は表面に少しけばがあり、しわになったり破れたりしやすかった。

 トールのノートは、日本ではごくありふれた品だったが、この世界では二度と手に入らないものであり、貴重かつ高級な品と化している。しかしトールはあまり頓着せず、白紙のページを一枚切り取った。

 元のノートは再び空間収納へ放り込み、紙を縦に二つに折る。

 その様子をマイカはもちろん、全員が無言になって見つめている。

 トールは続けて何回か斜めに折っていく。

 そして日本人にはお馴染みの紙飛行機が出来上がったところで、マイカに言った。


「マイカさん、ちょっと横にずれてもらえます? 風向きがそっちなんで」


 目を皿のようにしていたマイカは当然のように勇者の真正面へ立ちはだかっていたのだが、慌てて横へ数歩ずれた。かざむき? とつぶやきながら。


 トールの手が動いて、紙飛行機をついっと宙に滑らせた。

 白い翼が微風に乗って、ふわりと浮き上がる。

 すう、と飛んだ。


「え、待って。ちょっと待って」


 マイカが茫然とそれを見上げる。

 彼女だけではない。

 ベルクートもタームも、エレイシャも、セレストも。

 まぶしさに目を細めて、小さな機影を目で追った。


「やりやがった」


とフェンがつぶやく。


「ゆゆゆ勇者君! なにあれ?!」


 裏返った声でマイカが詰め寄る。


「紙飛行機って言って、俺の国でよくある子供の遊びで」


「えええー?! 遊び?!」


「風任せで自由に動かせないでしょ、すぐ落っこちちゃうし。だから飛ばして楽しむだけの遊びなんです。翼でああやって風を受けると宙に浮くんですよね、たぶん魔族が飛べるのも理屈は似たようなものじゃないかな」


 トールが思い出しているのは、空を舞うメルギアスの姿だ。

 ――魔族は効率最優先の種族である。

 特徴的な変身能力を駆使し、戦闘に不要なものを徹底して削ぎ落とした身体に作り変えてしまう連中だ。

 そのメルギアスが、飛行する際は必ず一対か二対の翼を持った姿をとる。単なる飾りのはずがない。


「だから飛ぶのに必要な、何かの力を翼で作ってるんだと思います。たぶん揚力? でも俺の故郷の知識だと、人型の生き物に翼をくっつけただけじゃ飛べないはずなんで……そこは魔法で強化とか補助とかしてるのかなー、みたいな」


「ほええええー……ほんとにぃ……でもでもそれはぁ……むぅううううう」


 マイカがうんうん悩み出す。

 トールは少し離れた地点に舞い降りた紙飛行機を拾いに行く。


「全く信じられぬことをする……」


 ベルクートは溜息をし、背筋を伸ばした。


「セレストよ」


「はい、殿下」


「神殿として問題になると思うか?」


 ルリヤ神殿の教義において天空は死後の世界であり、人の子ではなく女神の領域とされる。

 魔術大国のラクサでさえ飛行魔術の研究があまり進んでいない最大の理由は、神殿と対立しかねないからであった。

 ベルクートは真っ先に気を回したのである。

 非公式ながら王太子の下問だ。セレストも聖女として答えなければならない。


「……トール様が手遊びでなさったことですから、良いのではありませんか?」


「そういう扱いにするのだな?」


「はい。トール様の故郷では空を飛ぶ乗り物を使うのも、とても背の高い建物に人が住むのも普通だったそうです。女神が()します、いと高きとは別のもの……わたくしはエミリア様にその方向でお話しいたします」


「承知した。おぬしも強くなったな、セレスト」


「ありがとうございます」


 かつての「聖女」なら、教義に沿わない物事は認められなかったかもしれない。いくら勇者がやったことでも。

 だが三年の旅を経て、セレストも硬軟合わせて考える余裕を持てるようになった……成長したのだ。


 セレストは微笑んだ。


「――それに、飛ぶ様子がとても綺麗ですし。女神もきっとお許しになります」


「はは! 聖女のお墨付きならば間違いあるまい」


 ベルクートが笑ったところで、紙飛行機を拾い上げたトールが戻ってきた。

 まだうなっているマイカに、ひょいとそれを差し出す。


「次、マイカさん飛ばしてみます?」


「……ほえ?! ささささ触っていいの? ふおおおおお」


 マイカが紙の端をつまんで奇声を出す。

 ヒヨコ色の髪が逆立っているように見えるほどだ。


「――ななななにこれ紙が紙じゃないつるつるしてるこのカタチなになんで飛ぶの魔力ないのにぜんっぜんないのに! めちゃくちゃ! もうめちゃくちゃ! 勇者君が私をめちゃくちゃにしたぁ!」


「ちょ?! なんかヤバい誤解をされそうな言い方?! やめてくださいよ!」


「だから、ふわふわ頭には気を付けろと言っただろうが」


「反則だよ反則ぅーニホンおかしーよ変態だよ勇者君おかしーよ変態だよ!!」


「俺の扱い酷くないか?」


「ハァ。マイカ、落ち着いて。興奮し過ぎです」


「これは〈静心〉の魔法を――マイカさん、魔法抵抗(レジスト)は解いてください!」


「とりあえず一回、手を離させろ」


「ややややや破れたら困るじゃん! どこ触ってんのよフェニックス!」


「どこも触ってねえし何もしてねぇよ」


「マジしょうがない人だなー」


「ようやく分かったか、トール。もう面倒くせえ、うるせえわ。燃やすか」


 冗談とも思えぬ口調で杖を持ち上げるフェン。


「わー! 絶対だーめー! 紙! 勇者君の紙でも燃えちゃうから! 私はいいけど紙ヒコーキはダメ!」


「いけません、混乱のあまり優先順位がおかしくなっています」


「いいえセレストさん。残念ながら、研究塔の魔術師にとってはコレが正常なのですよ……」


「うわぁあああん! エレちゃん親友なら助けてよー!」


 マイカが腕をぶんぶん振り回し、その拍子に手から紙飛行機が飛び出した。

 偶然にも吹いてきた風に乗って舞い上がる。

 付き合い切れないとでも言いたげに、白い翼が再び、空へ翻った。



「――平和だな、勇者の膝元というのは」


「ですなァ」


 馬鹿騒ぎを見物していた王太子と、その護衛がうなずき合った。


 勇者の田んぼは今日もにぎやかである。



やってみな飛ぶぞで大暴投。だからコメント欄でも、餌をやってはいけないと言われてたのに…

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