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59.満月の夜、餅と団子が(二)

桜どころか田植えシーズンも終わってから投稿して申し訳ありません。

 アルモーの木に、桜に似た花が咲いている。

 元々は人の背丈くらいしかない若木を植えたのだが、昨年よりも一回り大きく成長した。聖女たるセレストが面倒を見てくれたためだろうか、問題なく根付いて伸び伸びと枝を伸ばしている。

 花は盛りを過ぎていたが、まだ咲いている。トールの頭より少し高い位置から、ひらひらと花びらが振ってくる。


「気付いたら満開を過ぎてたなー」


 トールはぼやいた。

 だが、思ったより忙しかったのだ。

 田んぼの開墾をしたり苗の準備をしたり、屋敷の増改築があったり、シャダルムの受け入れ準備があったり、先日はメルギアスに弁当を喰われる騒ぎがあったり。

 昨年より慣れたとは言え、やってみたら想定以上に大変だった。

 そのせいで春の一大イベント、田植えのスタートが少し遅れた。その分は急いで作業しなければいけない。

 やることが多過ぎる。

 だいたいトールが始めたプロジェクトなので、自業自得ではある。


 もちろん仲間達もそれぞれ力を発揮して助けてくれた。

 しかし責任者である勇者トールは、何だかんだで判断を求められる事柄も多く、一際忙殺されていた。

 庭の様子を見るのをすっかり忘れていたのである。


「花見をしようと思ってたんだけど」


 そもそも、なぜアルモーを植えたかと言えば――

 桜そっくりな花が咲くから、日本のように花見ができたらいいなと思ったためだ。

 だが、今回は時期が微妙であった。

 もうじきシャダルムがやってくる。

 妻になったリンテや新しい使用人達も一緒だ。

 歓迎パーティーを開く予定になっていて、トールや仲間達はそちらの準備もやっているところだった。飲み物や食べ物も含めて、だ。

 ところがアルモーも桜と同様、そんなに長持ちする花ではない。シャダルム一行が到着する頃には散ってしまう可能性が高い。

 それにラクサ王国には、花見の習慣がない。

 美しい庭園を持っているのは、ほぼ王侯貴族に限られる。花を眺めながら茶会を開いたり、音楽を楽しんだりする優雅な貴族の社交はあるが、庶民が花の下で飲めや歌えのどんちゃん騒ぎというのは、どうも馴染みがないようだ。

 野外は魔物が闊歩する危険な場所だった、というのもあるだろう。

 マーシェは比較的、魔物が少ない南方のミアド出身なので、子供の頃は軽食を持って城壁の外へ出かけ、景色の良いところで食べたこともあったそうだ。

 しかし時が経つに連れて魔王軍の侵攻が激しくなるとミアド付近にも魔物が増え、とてもピクニックどころではなくなってしまったとか。

 マーシェより五歳下のフェン、さらにフェンより六歳下のセレストだと、そういう辛うじて平和だった時代さえ知らない世代である。魔王を倒した今でも、屋外で何かするのは、どうも警戒心がついて回ると言っていた。


「ま、花見は来年かな。みんなが混乱しそう。シャダルム抜きっていうのも気が引ける」


 トールが独りごとを言うと、不意に小さな幼い声がした。


「ゆーしゃ、ざんねん?」


 精霊であった。

 アルモーの木の後ろから、半分だけ幼な子の姿を見せている。

 トールが手招きすると嬉しそうに、はにかんでトテトテと駆け寄ってきた。

 勇者にくっついて、一緒にアルモーの木を見上げる。


「はな、すきなの?」


「俺の故郷にある花に似てるんだ」


 トールの答えに精霊はニコっと笑う。


「せーれーも、すき。はな、さかせておいてあげるよ? いつも、いーっぱい」


「あー。そういう方法もあったか」


 異世界ならでは、と言えるだろう。

 精霊の力を借りれば花を長持ちさせるのはもちろん、一年中咲かせておくこともできるようだ。

 勇者は精霊に愛される特性を持っている。トールがひとこと「頼むよ」と口にするだけで、彼等は喜んでやってくれるに違いない。

 だが、トールは首を横に振った。


「ありがとな。でも、それはいいや。なんか不自然だと思うし。じいちゃんが言ってたよ、桜は散るから綺麗なんだって」


 トールはくしゃくしゃと幼な子の頭を撫でる。

 精霊は「きゃー」とくすぐったそうに身体をよじって逃げ出し、またアルモーの木の後ろへ隠れて、こちらに顔だけ向けてきた。


「あってるよ、ゆーしゃ」


「ん?」


「ゆーしゃ、せーかいだよ。だから、せーれーちょっぴりざんねんだけど……あそぶの、またこんどね」


 精霊はひょいと顔を引っ込め、消えてしまった。

 やはり神出鬼没である。

 トールは苦笑いして頬をかいた。


「正解か……だといいな」


 懐かしい祖国で、桜は出会いと別れの季節を彩る花だった。

 二度と会えない人がいて、新しく会う人がいて。

 この花が咲けば思い出し、散れば日常が戻ってくる。

 だから、ひとときの花で十分だ。


「……じいちゃん、向こうで花見しながら呑んでるかな。花より団子じゃ、とか言ってさ」


 トールの祖父は現金な人でもあった。

 まあ、人間そんなものだろう。

 楽しみがあるから頑張れるのだ。

 稲作農家にとって、桜は農作業の間の休憩時間に眺めるもの。

 田植えが終わったら花見と称して葉桜の下で宴会を開いたりもするが、花は誰も見ちゃいない、などというのもよくあるパターンである。


「――よし! 俺もちゃっちゃと田植え終わらせよう。んで、シャダルムにうまい米料理をバンバン食わせて在庫を減らすんだ!」


 しんみりするのは、また来年。

 勇者は気合を入れ直し、聖剣を持って田植えへ向かった。



✳︎✳︎✳︎



 勇者の稲作、二年目は――

 作付面積が増えた。

 つまり稲を栽培する田んぼが増えた。

 一人でどうにかできるレベルを超えている。

 こういう時の対抗策は、地球も異世界もそんなに違わない。

 人手を増やすか。

 作業を効率化するか。

 それから地球だと「機械化する」――即ち手作業で行っていたものを農業機械にやらせるという選択肢もあるが、異世界では機械が発達していない。

 代わりに「魔法化する」がある。

 トールのイナサーク辺境伯領だと、三つの方策は同時進行であった。


直播(ちょくは)栽培の割合を増やしてセレストとフェンに手伝ってもらう」


 ほぼこれしかない。

 田んぼに種籾を直まきする方が、苗を育てて田植えをするよりも簡単である。

 さらに魔法使いを投入して作業の効率化と高速化をする。

 あとは……精霊の協力を仰げば何とかなるはずであった。

 むしろ精霊の暴走や、やり過ぎに注意が必要となるだろう。

 そんな訳でトールはせっせと種籾や田んぼの準備をし、魔法使い二人にも了解を取った。


「いかようにもお使いください」


「しょうがねえな」


 セレストはやる気十分であり、フェンもいつも通りだ。

 昨年はトールも初の稲作で手探りだったため、とにかく日本の栽培方法と変えずにやろうと考えていた。

 ……変更を余儀なくされた部分も多々あったが。

 結果、稲は無事に収穫できることが分かった。

 だから二年目の今年は、異世界的な普通の農業技術というか、農業魔法その他の色々な魔法もうまく取り入れて、やっていこうという気になった。

 ……精霊の乱入で面積が拡大し過ぎて、柔軟にならざるを得ないとも言う。


「ラクサの普通っぽい農業に近付いたかな?」


 暢気につぶやく勇者。


「いえ。魔法使いの運用としては全く普通ではないですね」


「相変わらず基準が分かってねえ奴だ」


 二人がかりで否定する聖女と魔術師。


「え、駄目か? 空中から種をバババーってばら撒くのが一番早いかと思ったんだけどさ」


 勇者は空中散布に手を出そうとしていた。

 日本にいた頃。祖父・龍造はやっていなかったが、近隣の地区で航空防除と言って空から農薬をまくことになったから、とトールも連れられて見物に行ったことがある。

 それに栽培面積の大きな欧米だと、空から種まきや肥料農薬の散布をするのも一般的だったはずだ。


「お前が無茶振りすんのは今更だから構わねえが、よく考えつくな」


「ニホンでは空から稲の種をまくのが普通なのですか?」


「普通じゃないけど、研究中で……一部では使われてた感じかな? ドローン直播とか」


 ドローン――すなわち無人の空飛ぶ機械に種籾を搭載し、空中からばら撒いて、種まきを済ませてしまう。ごく簡単に言えば、これがドローン直播と呼ばれる技術である。


「フェンもエレイシャさんも、重い物を魔法で運んだり家の建築を補助したりしてるだろ。風魔法で運搬して、空中でばら撒くのもできるんじゃ?」


 トールとしては普通の発想なのだが。


「そんな単純じゃねえ。小せえもんの集合体だぞ、デカい物体一つ二つ運ぶのとは訳が違う。できる、できねえで言えばできる、ただし制御がくっそ面倒なのを忘れんなよ」


 大きいものを一つだけ運ぶなら、魔力を多くつぎ込めばいい。

 小さいものをいくつか運ぼうとする方が魔法の構造は複雑になり、制御にも気を使う。

 複数の物体の運搬は魔法使いの修練にも使われているほどで、二つなら二つ、三つなら三つに均等に魔力を注いで操ることになる。

 種籾は一粒が小指の爪の先ほどしかない代わりに、量が膨大だ。今は袋に入っているからいいが、中身を出して均等にばら撒こうとすると、難易度は恐ろしいほど上がる……

 言われればもっともな話だ。トールにも察せられる。普通はできないんだな、と。

 そこで曲がりなりにも「できる」と言えるのは、フェンだからであろう。


「いや、一粒ずつ操作してほしい訳じゃないぞ?」


 そんなフェンでも、何万粒という種籾をいっぺんに操ろうとしたら頭がパンクするのではないだろうか。

 トールはさすがに心配したが、目の前にいるのは天才魔術師である。フェンは当たり前の顔で言った。


「風属性よりは、土属性の制御と思えばいい」


 土属性魔術は、他の属性に比べると使い手が少ない。高位の魔法使いだと地形を変えたり、大きな岩を出現させたりできるので、威力はあるのだが――

 基本的に、細かい砂粒を操作して任意の動きをさせたり、固めて岩や土壁を作ったりしている。制御が甘いと崩れてしまうため、漏れや欠けがないように魔力を操らないといけない。他の属性魔法や魔術よりも一段高い能力を要求される。

 そういう制御技術を種籾にも応用できるはずだ、とフェンは説明した。


「種籾はちっと粒がデカいが、多分似たようなもんだろうよ」


「へー、風属性じゃないんだな」


「土属性でもねえぞ。勇者の無茶振り属性だな」


 フェンはぶちぶち言っているが、いつものことでありトールはあえて黙殺した。どうも、話を聞いていると一般的な魔法使いには難しいらしい。しかしフェンが自分にはできると判断したなら問題はない。


「逆に簡単すぎてもフェンは文句を言うでしょう。やりがいがあって良いのでは?」


 セレストも涼しい顔をしている。


「わたくしの出番はそこからですね?」


「そのつもりだ。よろしくなセレスト」


 彼女には、フェンが作業した後に活躍してもらう予定になっている。

 鳥よけや雑草よけの他、種籾を根付かせ生育を促進する農業魔法〈マギ・カルチュア〉を使ってもらうのだ。


「俺も田植えする分が終わったら、そっちに合流するから」


 移植栽培する田植えも、一部に残してある。

 トールが自分で担当することになっていた。

 田植えを完了させたら、次はセレストと同じ作業だ。勇者スキルの転用で、農業魔法と同じような効果を狙うつもりであった。


「ふふ、腕が鳴りますね」


 農業魔法の専門家でもある聖女セレスト。

 しかし去年はトールの方針で、稲作ではなく菜園や開拓に専念してもらっていた。

 一転して今年は最初から全力全開。頼られてセレストは嬉しそうだ。


「そう簡単に負けませんよ、トール様?」


 彼女には珍しく冗談まで口にする。


「んー、俺は田植えもやる分ハンデがあるからなー。フェンとセレストの方が、案外早く終わるかもよ」


「……と、言うことだそうですよフェン。あなた次第ですから頑張ってください」


「別に農業でコイツに勝っても面白くねえだろ」


「ああ、じゃあ、なんか賭ける?」


 トールも四年の付き合いで、友人の扱いは分かっている。


「早く終わった方が勝ちで、負けた方が勝った方の言うこと一つ聞く」


「言ったな。お前どうせ、勝ったらオレに真空で米炊かせようとか、そんなんだろうが」


「バレたか。だから本気でやるぞ?」


「もう勝った気か? やり過ぎるんじゃねえぞ」


「そっちこそ!」


「二人とも子供みたいに何をやっているのですか」


 一番年下のセレストに呆れられる始末である。

 勇者は悪びれず胸を張る。


「せっかくなら、楽しい方がいいじゃん」


 なし崩し的に、トンデモ農業勝負が始まったのである。



✳︎✳︎✳︎



 少し後――

 マーシェが様子を見にきてみると、そこは非常識の嵐になっていた。


「なんでタネモミが空飛んでるんだい?」


 首を傾げるマーシェの視線の先でセレストが、トールから預かった種籾の袋を開けて中身を出している。

 種籾はフェンが展開中の魔術に取り込まれ、渦を巻いて舞上げられ、空中を運ばれる。そして田んぼの土の上へざあざあと、土砂降りのように降り注ぐ。


「魔術でやってるのかい。よくあんなことするねえ」


 フェンの悪癖、は言い過ぎだが性格が災いしたのだろうとマーシェは思う。

 その辺の魔術師なら「できません! 絶対無理」で終わるものが、フェンだと力量はある上に負けず嫌いで魔法に関しては凝り性なので、だいたい何とかしてしまうのだ。

 今回もおおかたトールが無茶振りをしたのだろうと、いつもの洞察力を働かせる。


 一緒にいるセレストは種籾が少なくなると補充し、風魔法も出してフェンを手伝っている。

 種まきが終わった側から、農業魔法も使っているようだ。フェンの魔術と違って見た目は地味ながら、さりげなく彼女も複数の魔法を同時展開する離れ技を披露している。


「世の魔法使いが見たら、気絶しちまってもおかしくない光景だろうねえ……さてと」


 元凶はどこだ、と首を巡らすと、離れた区画で田植えをやっていた。

 やれやれと思いながらマーシェは乗ってきた馬を降り、手綱を引いて歩いていくが――途中で違和感を覚えて目を擦る。


「なんか……他に誰かいるような……あれ?」


 勇者の周りに、小さな人影がいくつも見えた気がした。

 しかし、さあっと風が吹いたかと思うと人影は消えていた。

 マーシェは弓使いであり視力はそこそこ自信がある。それでも目を疑っていると、トールが手を振って近寄ってきた。


「マーシェ、どうしたんだ?」


 緊張感のない声である。


「トール。変なこと訊いて悪いけどさ。今、誰か……いなかったかい?」


「あー。マーシェにも見えたんだ。精霊がちょっと、遊びに来てた」


「はい?」


 目の次は耳を疑う番であった。

 話は聞いている。伝説上の幻だと思われていた精霊が実在していて、勇者であるトールに懐いているらしい、と。

 これが異世界人であるトールだけの目撃談なら「見間違いか勘違いだろ」で済ませるのだが、フェンとセレストも見たと言う。イクスカリバー、イージィスの証言もある。


「あたしだって、嘘とは思わないけどさあ……」


 本音では、いまだ信じがたい。

 トールだからしょうがない、で飲み込もうとしているところだったのに。


「んな簡単にポンポン出現するってどういうことさ? トールは忘れてるっぽいけど、御伽話の世界だからね?」


「うん、まあ。最近は俺が単独行動してると、割と寄ってきちゃうんだよな……」


 精霊は人見知りが激しい。

 勇者の前では幼な子の姿を見せてくれるものの、他の人物がいると恥ずかしがって消えてしまう。

 他には彼等が現れた時、偶然その場に居合わせたフェンやセレストぐらいのものだ。イクスカリバーによると「そう言えば魔力が多い人間の方が、精霊に好かれると言われておったかのぅ」とのことである。

 どうやら精霊にとっては……


 勇者or精霊使い(推し)>>>>>>>>(越えられない壁) >>>>>>>>大魔力の持ち主(ギリギリ許容範囲) >>>>>>>>(絶対に越えられない壁) >>>>>>>>その他大勢


 このようになっているらしい。

 魔力が多いフェンやセレストでさえ、基本的にトールが一緒の時でないと精霊は現れない。多頭蛇(ヒュドラ)戦の際はまさに例外中の例外だったようで、フェンもあれ以来、一人で精霊に会ったことはないという。

 ただし勇者は、すっかり遊び相手に認定された模様である。

 今回もトールが田植えを始めると、どこからともなく実体化した精霊達が集まってきた。

 楽しそうに農作業を見物し、苗を持ってくる手伝いなどもしてくれていたが、マーシェがやってきたのを察知して隠れてしまったという。


「あんたって本当、そこにいるだけで常識を破壊するよねえ……」


「ゴメンって。で、マーシェ、何か用?」


「ああ、そうそう。お客さんがそろそろ到着しそうなんでね。呼びに来たのさ」


「シャダルム達? 思ったより早かったな」


「ここんとこ天気も良かったし……ひょっとすると、魔法使いを雇ったのかもしれない。そういう訳だから、今日は切り上げて戻ってきてくれる?」


「もちろん。片付けるから、ちょっと待ってくれ」


「頼んだよ。あたしはフェン達を呼んでくるよ」


 勇者と仲間達は慌ただしく動き出した。

 この地へ移住して一年と少し。

 勇者パーティーのメンバーがそろう日がやってきたのだ。



✳︎✳︎✳︎



 それにしてもシャダルム一行の動きは性急である。

 事前に連絡があれば、ここまで慌てずに済んだのだが。一行から先触れの使者が騎馬でやってきて、ようやく把握した。

 そこからシャダルム達の到着までは、一日半程度しかなかったのだ。


「なんで〈伝書〉が来なかったんだろ?」


 トールは首をかしげた。

 異世界、ラクサ王国周辺は電話もインターネットもない。

 〈伝書〉の魔法を持つ魔法使いか、せめて杖持ちがいなければ通信手段がないのだ。

 だがトールの側にはセレストとフェン、二人も優秀な魔法使いがいて、ほぼ無制限に大概の連絡を中継してくれる。

 イナサの町にも初級魔術師エレイシャがいる。

 シャダルム達は王都からスピノエスを経由し、最後にイナサを通って勇者屋敷へやってくる訳で、エレイシャが何も言ってこなかったのは少々おかしい。


「わたくしも〈伝書〉を受けていませんね。もしエレイシャさんが送れない場合、クレイス達神官経由でもよかったはずですが」


「オレも聞いてねえ。シャダルムはそういうの手を抜かねえだろう。なんかあったかもな」


 セレストもフェンも連絡を受けておらず、首をひねる。


「うーん。サプライズ好きじゃないもんなシャダルム。真面目だから。でも奥さんはクリスの妹さんだって言うし、分かんないか……?」


 文句なしの美形だが油断ならぬ雰囲気の騎士、クリス・サンテラのことを思い返すトール。シャダルムの妻リンテは、そのクリスの妹だ。


「だからって普通、しょっぱなからケンカを売りかねないようなことはしないさ。シャダルムも止めるはずだよ」


 マーシェも眉をひそめている。

 彼等は総出で身支度を整えて、客を迎えに屋敷の前へ集まっていた。

 彼方から馬車の列が現れて近付いてくる。

 それを勇者の視力で見つめていたトールは、ややあって何とも言えない表情を浮かべた。


「なんか……いたらいけない、めちゃくちゃ偉い人いるような気がする」


 地獄耳と千里眼に近い能力が勇者にはある。

 トールの目には、黒馬バロックに騎乗したシャダルムの隣にもう一人、体格の良い栗色の髪の騎士が馬に乗って、笑顔で進んでくるのが見えていた。


「まあ」


「どういうことさ」


「誰だよおい」


 仲間の総ツッコミが入る。トールは諦めたように息を吐いた。


「俺の見間違いじゃなければ王太子殿下。たぶんっていうか絶対、あの人が原因だろコレ」



 ラクサ王国王太子、次期国王である第一王子ベルクート。

 トールでも顔を知っている大物中の大物である。

 どうやらシャダルムは、特大のお土産を持ってきてしまったようだ。



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