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55.含み笑いして、食卓を囲んで(中編)

「ーーシャダルム殿」

「これは、副宰相閣下」


 会合が終了し、部屋を出たシャダルムの元へやってきたのは、副宰相フリードであった。


「少し話をさせてもらえるかな?」

「もちろんです」


 シャダルムがうなずくと、フリードもにこりと微笑む。


 フリード・バイエルは王国でも有数の大貴族であり、ヨーバル伯爵家やキラップ伯爵家をはじめ、数々の家門をまとめる派閥の長であった。

 だが、意外にもフリード本人に居丈高な態度はなく、上品で軽妙洒脱。若い時分には随分、色々な女性と浮き名を流したという男だった。

 無論、見掛けだけの人物ではあり得ない。

 シャダルムは用心深く、相手の様子を窺った。


「大変に今さらの話になるが、謝罪しておかなければと思ってね」


 フリードはさりげなく、とんでもない内容を口にする。

 貴族にとって謝罪という文言は重い。すぐに「ゴメン」と言ってしまうトールが例外なのだ。


「……ユージェ嬢のことでしょうか」

「ああ、察しが良いな。信じてもらえるか分からないが、あれは本当に勇者殿や君達を不愉快にさせるつもりではなかったのだよ」


 未婚の令嬢を代官にするなど、前例のないやり方だ。つまり正式な妻どころか愛人ですらなく、どのように扱おうともトールの自由だったことを表す。

 ユージェはヨーバル伯爵の娘にしてフリードの姪であり、唯一の正嫡子。庶子だったイヴならばともかく、本来そんな使い捨てにして良い女性ではない。

 そのユージェをあえて差し出したのは、どうあっても勇者の機嫌を取りたかったからだ。


「ーーそのはずだったのだけどね、どうもヨーバル伯から家臣達へ指示を出す際、事情がうまく伝わっていなかったようだ」


 フリードはゆったりと笑んだまま、流れるように説明した。


「そのせいでユージェはおろか使用人まで勇者殿に無礼な態度をとったと聞いて、血の気が引いたよ。まことに申し訳ないことだった。許していただけるだろうか?」


 その言葉を額面通りに受け取るほど、シャダルムも単純な性格はしていない。次男でも貴族として生まれ育ったのだから。

 ユージェのような姫君を、妻でも愛人でもない都合の良い女として扱えるはずがない。人が好いところがあるトールならば、なおさらだ。

 やはりバイエル派の貴族達は、トールを下に見ている部分があったのではないだろうか。

 英雄色を好むと俗に言う。女好きで知られた先代勇者の例もある。

 美女を宛がって骨抜きにしてしまえば、良いように動かせると思ったか。

 トールの為人(ひととなり)を掴んでいれば、そんな失敗はしなかったはずだが。貴族が苦手なトールは社交の場へほとんど出なかったため、誤解がまかり通ってしまったのかもしれない。


 いずれにせよフリードほどの大物が自ら非を認め、頭を下げに来たのだから、シャダルムの立場では受け入れるより他にない。

 そして、この男はそこまで計算しているはずである。


「……トールは既に、ジョー・キラップ殿を通して謝罪を受け取っています。私が許す、許さぬ、というものでもないかと」

「私の口からも、はっきりと申し伝えておきたかったのだよ」

「は……閣下のお気持ちをありがたく思います」

「うむ。ユージェはイナサで謹慎させていたのだが、近々王都へ戻すことにした。ああ見えてか弱い女性だ、魔物の襲撃で心底恐ろしい思いをしたらしく、体調を崩してしまってね。しばらく療養させる予定になっている」

「……そうでしたか。一日も早い回復をお祈り申し上げます」

「ありがとう。代官はこのままジョーが務める。そのことをシャダルム殿にも伝えておきたかったのだ。これからもよしなに頼むよ」


 フリードは最後まで笑みを絶やさず、本心はちらりとも見せぬまま、典雅に礼をして立ち去った。



✳︎✳︎✳︎



「エミリア様、本当によろしかったのですか」


 大神殿へ戻る馬車の中で、グレーシアが問う。

 その面差しは、いつにも増して厳しく引き締められている。


「陛下のお心は既に定まっておいでだったわ。この件で勇者殿を咎めたりはしない、と。いえ、今回に限らないわね。彼に何事かを強制するなんて誰にもできないもの」


 グレーシアの対面に座しているエミリアは、肩をすくめた。


「たとえ陛下でも止められない。彼に見限られてしまったら終わりなのよ。何しろ勇者殿は元々、我が国とは縁もゆかりもない。さらに贅沢をするのでもないし、先代勇者の逸話と違って女性に執着するでもないでしょう? 意外と難しい人なのよね」


 エミリアは溜息を落とした。少し疲れているようにも見えた。


「しかし、いくら何でも度が過ぎるのでは」

「グレーシア。勇者殿を非難したところで、セレストは戻ってこないわ。あの子は自分の居場所を見つけたから」

「……何をおっしゃるのです。私はそのような」

「あなたは、あの子を後継者にしようと考えていたのでしょう? でも、優秀な神官は他にもいるわ。あなたには物足りなく思えるかもしれないけれど」

「…………」


 グレーシアは答えず、唇を噛んだ。


「セレストには小さな頃から苦労をさせてしまったけど、今はとても楽しそうよ? これで良いと思わない?」

「力ある者には生まれながらの責務がございます。セレストは誰よりも強い力を持っているのです。彼女にふさわしい場というものがありましょう」

「それを決めるのは、セレスト自身でしょうね。あの子も成人したのだし、私達だって子離れしないといけないのよ、グレーシア?」

「……私には夫も子もおりません。エミリア様と同様に。セレストは私の……娘ではございませんわ」

「そうね」


 エミリアは笑って、馬車の窓から外を見た。

 大神殿の壮麗な建物が見えてきている。

 ラクサ王国でも最も大きく、神官や見習いをはじめ、衛士や下働きも含めておよそ数百人が暮らす。エミリアとグレーシア、二人の住処と仕事場もここだ。生涯を過ごす場でもある。

 だがセレストにとっては、どうだっただろうか。


 彼女は、とある地方で神殿が運営していた孤児院の出身である。幼いうちから魔法の才能があることは明らかだったという。

 十歳で見習い神官として大神殿にやってきた。

 魔法を指導したのは主にエミリアだ。


 が、王族に生まれたエミリアは、家族のふれあいというものが分からなかった。乳母や数多くの使用人にかしずかれ、何不自由なく育てられたけれども……。

 ルリヤ神殿の神官は恋愛も結婚も自由であり、大神官や神殿長も例外ではない。

 だが王国の歴史を紐解いてみても、大神官は男女を問わず、独り身を貫いた者がほとんどを占める。

 エミリアには、やはり身分の問題がついて回った。大神官にして元王女の夫選びなど、各方面で要らぬ争いを呼ぶ。複雑で面倒極まる色々をひっくり返してまで、一緒になりたいと願う相手も現れなかった。

 侯爵家の娘から王都総神殿長となったグレーシアも、事情は似たようなものだ。


 幼い少女を教え導くことはできても、母親代わりには多分、なれなかった。


 セレストは賢い娘だった。生まれ持った才能におごることなく、エミリア達が教えたことを熱心に学んで己れのものとした。

 魔法に限らない。そこらの貴族令嬢に負けない美しい所作や礼儀作法も、努力して身に付けた。

 そして若干十二歳で魔王軍との戦いに送り出され、聖女とまで呼ばれる優れた魔法使いとなり、十三歳で勇者パーティーに加わったのだ。


「魔王を討つという奇跡を起こせるとしたら、あの子しかいない……そう思って茨の道を歩かせたのは、大神官として私の役目だった。でも、この罪は女神の御許にまで持っていくことになるでしょうね」

「罪、ですか……」

「ええ。正義のためとは言え、罪は罪だわ。あなたも本当は分かっているでしょう? 勇者殿は間違っていない」


 グレーシアは再び沈黙した。

 エミリアも、何も言わなかった。

 やがてグレーシアは手を上げて目許を覆い、少し震えているような声で言った。


「エミリア様。大神殿へ戻りましたら……しばし務めを休んで、女神に祈りを捧げてきてもよろしゅうございますか?」

「ええ。許します」



 規則正しく揺れていた馬車が、緩やかに速度を落とした。

 警備の衛士達が槍を掲げ、ラクサの神殿で最も高貴な二人に敬意を表す。

 王国において、大神官はどの神殿でも正門から出入りする決まりだ。

 定められた道の通りに、馬車は大神殿へ続く白亜の門を潜って進んでいった。



✳︎✳︎✳︎



 十日後、イナサーク辺境伯領ーー。


「やはりと申しますか、予想より騒がしくなっていますね?」


 勇者屋敷の裏庭に作られた簡易かまどの前で、セレストが言った。

 ついにイナサから白米が届けられ、早速調理が始まるのだ。


 なぜ野外にわざわざ、かまどが作られたかと言えば。


 トールがやることだから何が起こるか分からない、室内ではやめておけというのが一つ。


「大事な米を吹き飛ばしたりしないって! 普通の調理だよ!!」


 勇者は真剣な顔で主張したが、ここにいる人間は皆、彼の普通が普通ではないことを熟知しているのが裏目に出た。

 異世界由来の食材ゆえに、未知の現象が起こる可能性はある。

 そう言われてしまうと、トールも不本意ながら受け入れるしかなかった。


 それから米の調理に参加する者と見物する者の数が多く、厨房だと手狭なのがもう一つ、だ。

 トールはもちろん火加減を任されるフェンもいる。

 セレストとマーシェも見にきている。

 ネイとランも興味がある。

 特にランは「トール様なら美味しいものを作ってくれそうですぅ!」と思っているらしく、目がキラキラしている。


 おまけに熊のようなシャダルムの巨体と、


「わ、私まで良いのでしょうか? 場違いですよね?」


 イヴの姿まであるのだった。



 シャダルムは結婚式前の多忙な時期だ。

 予定では式を挙げた後、妻となったリンテを連れて赴任することになっていたがーー多頭蛇(ヒュドラ)戦にまつわる後始末に、シャダルムも巻き込まれた。

 王都でもこの一件は重く受け止められている。

 その影響でシャダルムもトールの配下として、さまざまな場で説明したり反論したり、時に肉体言語で語り合ったりと色々あったようだ。


「待った、最後の肉体言語って何? 力づくで黙らせたとか?」

「……騎士団の連中に絡まれてしまってな」


 シャダルムの古巣である王国騎士団には、血の気の多い者がそろっている。

 シャダルムはトールの家臣になると同時に騎士団を退団しているが、彼等からも事情を聞かせろと呼び付けられた。

 だが行けば行ったで、騎士たる者、剣で語れとばかりに鍛錬場へ連れ出された。

 彼の引退を惜しむ者、反対に妬む者、ついでに何でも良いから暴れたい脳筋達が列を作って挑んできたという。


「随分な人気だったな。そっちのがシャダルム向きって気もするが」

「フェンが言う通りだ。私は口が上手くないからな、身体を動かしている方が楽だった……」


 しみじみとつぶやくシャダルム。


「結果はどうなったんだい? 聞くまでもないかねえ?」

「うむ……負けられなかったのでな」


 本気を出したらしい。

 とりあえず勇者と熊騎士が腑抜けた訳ではない、ということは分かってもらえたそうだ。


「悪いなー、俺のせいで」

「気にするな。トールは間違っていない。ただし」

「ん?」

「悪いことはしていないのだから、簡単に謝ってはいかん」

「そうだけど、迷惑掛けたから」

「迷惑は掛けたり掛けられたりするものだ……トールに迷惑を掛けられるのが嫌だったなら、私は今ここにいない」


 気迫のこもった目で、シャダルムがトールを見据えた。遠慮をするな、と言いたげだ。


「分かった。分かったよ。シャダルムって変わった趣味だよな」

「フフ、押し出しの利くやつがいると話が早くて助かるねえ」

「トール様でも、素直に言うことを聞きますものね」

「ま、居れば便利だな」


 シャダルムは確かに口数は多くない反面、飾らずに言う。それがこわもての顔つきや声音と相まって、本人が思っている以上に威力が高い。


「でもさあ、また王都から出張させちゃっただろ。米食べてもらえるのは良かったけど」



 シャダルムが予定外に訪れたのは、王都の微妙な情勢を共有することが目的であった。

 手紙や〈伝書〉の魔法では伝え切れないと判断し、自ら愛馬バロックを飛ばしてきたのだ。

 その旅程短縮のために、魔術師団を通じて同行を頼んだのがーー。


「そのぅ、何かすみません……」


 魔術師イヴである。


 風属性を得意とする彼女が〈追風〉の魔術を使って、シャダルムの高速移動を後押ししてくれたのだ。



「全然いいよ。イヴさんも遠くまでありがと。上手く行くか分からないけど、ご飯できたら食べてってくれ」

「は、はい。ありがとうございます」


 イヴがトール達と顔を合わせるのは久しぶりだ。

 相変わらず腰が低いものの、もさっとしていた前髪を切って残りの髪は後ろで束ね、眼鏡を掛けるようになり、第一印象はかなり変わった。

 魔力が光って視える体質のせいで少し眩しそうにしているけれど、眼鏡のお陰か、相手がトールでも視線を合わせて話せるようになっている。



「ーーご飯をタクとおっしゃいましたけど、具体的に何をなさるのです?」


 セレストが尋ねた。


「少なめの水で煮る感じかな?」


 日本には炊飯器という便利な道具があったが、当然ながらラクサにはない。

 だがトールは鍋で米を炊いたことがある。


「俺の父親がね……仕事で日本じゃない外国に行くことが結構多くて。どこの国へ行っても米は食えるようにしとけって言ってさ」


 炊飯器や計量カップがなくても、米と水と鍋、熱源があれば炊飯はできる。

 昔の日本人だって、薪で起こした火と大きなカマでご飯を炊いていた。水の量は指や手を使って、かなり正確に測っていたし、火加減も同様である。先人の工夫を覚えておいて損はない。

 その国の食文化を楽しむことも、もちろん大切だ。しかし体調を崩した時や、日本の味が恋しくなった時、米は絶対に必要ーーそう力説されたのだった。


 実際にトールが飛ばされたのは、外国どころか異世界だった訳だが。

 熱源がガスコンロや焚き火ではなく魔法の火、という違いはあるものの、専門家の魔法使いが二人ーー飛び入りのイヴを含めれば三人もいる。何とかなるはずだ。


(父さん達、元気かな……)


 トールも時々、考える。

 いつも通り下校する途中、いきなり召喚されて消えた自分が、日本でどういう扱いになっているのか。

 周りにはひと気がなかったから、目撃者は恐らくいない。

 仮にいても、異世界に呼ばれたなんて誰も思うまい。


(確か法律上は失踪して七年で死亡したことになるんだっけ……俺はもうすぐ四年か)


 トールは帰還を諦めた。

 何も知らない両親や友人達は、あと三年経てば諦めてくれるのか。

 もし、いつまでも待っているとしたら……。


 だが、悩んでも分からない、どうしようもない話だ。


 軽く頭を振って、明るい声を出した。


「よし、それじゃ行ってみよう!」



✳︎✳︎✳︎



「……フェニックスさん、こういうことに使っていい人なんでしょうか」


 トールと話しつつ米を炊いている魔術師を見て、イヴが素直な感想を口にした。


 生家を出る前の彼女は微妙な立場で、魔法や魔術もほぼ独学。人と接する機会が少なく、物知らずだった。魔術師団へ入ってようやく、世間の基準というものを理解したのだ。

 戦略級の天才を、たかが……と言っては失礼ながら、料理に駆り出すのは大それていないか。

 つい思ってしまう。


「まあ、あたしらにとっちゃ今さらなんだよねえ」


 マーシェが苦笑いする。


「トールはほんと、魔法に関してトンチンカンでさ。悪気はないんだけど、山ほど色んな失敗をやってくれて」


 〈水生成〉の魔法で、パーティー全員を溺死させそうになるくらいは序の口であった。

 魔道具のたぐいも使い方が分からない上、説明しても魔力を篭め過ぎて暴走させたり圧壊させたり爆発させたりーー。


「……うむ。ロクな結果にならなかったな」

「トール様はこれでも成長なさっています。以前よりは問題が起きなくなっていますもの」

「うんうん。とりあえず細かいことでも何でも誰かに訊け、頼れってみんなで言いまくったからね。冗談抜きで生死に関わるんだよ」


 それで一番に頼られるようになったのが、男同士で歳も近く、魔法使いでもあるフェンだったーーという訳だ。


「で、フェンもトールに頼まれたんなら基本は引き受けてるのさ。一見くだらないことでもね。あいつだって被害に遭いたくないし後始末の方がよっぽど大変だし」

「はあ……」


 不明瞭な顔になるイヴ。

 確かにフェンは、取り立てて嬉しそうではないが嫌がってもいない様子で、火属性の魔術を制御している。


「勉強にはなりますけど……」


 魔力が視えるイヴの目は、こう言う場合に便利だ。

 輝きの濃淡や移り変わりを追うことで、フェンが行っている魔力の操作を捉えられる。

 他の魔法使いよりも精密に、だ。

 魔力が強いと眩し過ぎて逆に視界が悪い、という弊害もあったが、魔術師団にはイヴと同じ体質の者が他にもいた。視え方を抑える工夫を教わり、眼鏡も掛けて調節する方法を覚えたのである。

 味方につけてしまえば、その恩恵は大きい。


 イヴも上級に近い腕前だ。コメとやらの調理は難しくなさそうで、彼女はもちろん、魔法の修練中だという使用人の少年でも行えるだろう。

 ただし、あんなに揺らぎのない熱の制御を続けるのはーー不可能ではないにせよ簡単でもない。


(もう少し手抜きをしてもいいのに……はっ、もしかして)


 「あの」フェニックスにかかると、雑に扱ってもこれなのか。

 少し気が遠くなりそうだ。


「まあね、フェンもセレストも涼しい顔して、結構ぶっ飛んだことやってるもんね」


 理解ある態度を見せる、自称凡人のマーシェ。


「わたくし、そんな無茶はしませんよ? マーシェ」


 小首を傾げるセレスト。


「えっ、セレストさん?」


 驚愕するイヴ。


 マーシェとシャダルムが笑い出した。


「あっはっは、可愛いねェ、うちの聖女サマは」

「ふっ。大丈夫だ、セレスト。トールほどではない」

「……女神よ、なぜでしょうか。非常に複雑な気持ちがするのは」


 セレストが眉を下げるその横で、


「ーーううう、どう考えても基準がずれてるような……」


 イヴも自信なさげに肩をすぼめる。

 そんな彼女へネイとランが近寄って、柔らかな湯気が立つ茶をそっと差し出した。


「あ、ありがとうございます……とっても助かります……」


 数カ月ぶりに勇者パーティーの洗礼を受けたイヴは、茶の香気と温もりに癒されるのであった。



✳︎✳︎✳︎



 日なたの匂いを集めたような、独特の香りが漂っている。

 良い匂いなのかどうか、正直なところフェンには判別しがたい。


 ーー火はもう消してくれ、と指示されて実行したが。

 トールを横目で観察すると、どこか遠い眼差しで鍋を眺めている。


「こら、呆けるな。これで出来上がりか?」


 小突くとトールは瞬きをして、にへらっと笑った。


「ああ! とりあえず魔法は大丈夫だ。ありがとな」

「そうか。開けてみるか?」

「うわ、まだダメだって!! ここから余熱で蒸らすんだ。アカゴナイテモフタトルナって言うくらいで」


 トールは自動翻訳能力を持っているが、時々こうやって理解不能な表現が飛び出す。

 フェンは眉を上げてみせ、トールが慌てて言い直した。


「赤ちゃんがギャンギャン泣いても、ここで蓋を開けるのは厳禁って言われてるんだよ」

「呪いのアイテムじゃあるまいし大袈裟な……」


 トールの故郷は戦がない国だったはずだ。ところが、ことわざだの何だのを聞いていると、物騒なものが多い。


「俺が生まれる前は戦争してたことあるからかな。あと小さい国だったけど、その中で誰が一番偉いか、みたいな争いをしてた歴史があるから……戦国時代ってやつ」

「意外と戦闘民族だな……」


 魔物がいない世界でも戦争はあるようだ。

 それはラグリス大陸でも同じことで、魔王軍との戦がなければ、時に人族同士の戦いが勃発する。

 魔術大国であるラクサ王国は、自ら仕掛けたことはない。建国から千年近く存続しているものの、他国と争ったこともあった。


 もっとも、この先の数十年はーー。


「お前が居ると平和だぜ、食い物のことしか考えてねえからな」


 勇者は何でもないことのようにうなずく。


「ああ。米とついでに醤油があればいいんだ」

「ふん、アイスはどうした?」

「あったら嬉しいけど、ご飯ほどじゃない」


 騒いでいるうちに、セレスト達が近付いてきた。


「そろそろ完成ですか、トール様?」

「待たせて悪いな。あと、もうちょっとだと思う!」


 トールはそう言って、堪え切れない含み笑いをしたのだった。


エミリアは真面目に考え過ぎで実際の勇者と仲間達はこんなもんです。

イヴも深刻に考え過ぎでフェンは手抜きをしないだけ。


次回! 食べます!

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