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52.再びの邂逅、黎明の紫(五)

読んでくださる方、ブクマ、感想、いいね、評価をくださる方、いつもありがとうございます。

12月もよろしくお願いします。

 多頭蛇(ヒュドラ)が消えた大地の上に、メルギアスが立っている。


 ざくざくと、あえて音を立てて小石を踏みながら、トールはメルギアスに近付いていく。

 力を尽くして手強い敵を倒し、めでたし、めでたしーー。

 それで終われば格好良いけれども、そうは行かないこともある。


 フェンとセレストには、先に屋敷へ戻ってもらった。二人とも良い顔をしなかったが、魔力が回復しきっていないのだから休んでいてもらいたい。

 それに屋敷の方も心配だ。ネイやランも不安がっているだろうから、顔を見せてやってほしい。落ち着いたらで良いからイナサへ、エレイシャ経由で連絡を入れておく仕事もある。

 説得を重ねて、どうにか帰らせたのだった。


「メルギアス」


 勇者の声に、魔族が振り返った。


「トール。訊きたいこと、あるのだろう?」

「ああ。たくさんあるよ。でも重要なところからだな」


 トールは手頃な大きい石を見つけて、腰を下ろした。


「なぜ掟が守れなかったんだ、メルギアス?」


 最も知りたいことを口にした。

 魔族は静かに目を伏せた。


 掟。


 魔王が復活し命令を下さない限り、人族領に立ち入らないという魔族のルール。

 知能の低い魔物は掟を理解できず、入り込んでくることがあると言うが。

 今回の襲撃はそういうレベルではない。

 異変が起きている。そんな予感がある。


「ーー我等がどうやって生きているか、知っているか」

「ん、食べ物ってことか? 魔族が食事をするのかどうかも、俺は聞いたことがないな」


 魔族ーー魔王軍の掠奪を受けた土地は「無」に変わる。

 食料どころか人も家畜も、木も草も。

 道路や建物のような無機物も。

 自然界に宿る魔力も。

 軒並み奪い尽くされ何も無くなる。

 これを「魔族に喰われた」と表現することもあるが、実際に彼等が何を食べているのかは誰も知らない。

 魔族は死んでも遺体が残らず、瘴気と化して霧散してしまうため、人族や他の生物とは根本的に身体の構造が異なるのではないかとも言われている。

 その謎を、メルギアスはあっさりと解いた。


「魔力、取り込んで生命力に換えている」


 そう言ったのである。


「前に、鰐みたいな魔物を倒して魔力を吸収してたっけ。あれかな」

「そうだ。王、不在ならば魔物を狩っている」


 多頭蛇(ヒュドラ)はトールが鱗の一枚も残さず消し飛ばしたため、メルギアスは食事……というか魔力を吸収できなかったのだが。


「狩、戦士の役目だ。しかし今は数、少ない。四つ足のモノよりも」


 いわゆる人手不足の状態にあり、手が回らないという。


「キサマ等、人族と争って千年を越えた。消えた群、数え切れない……終わりが近いのだろうな」


 メルギアスの口調は淡々としている。

 人魔の戦は長く決着がついていない。

 魔王軍の襲撃で人が死に、沙漠化した土地も多く、勇者が魔王を退けたところで束の間の安寧に過ぎず、魔王は時を置いて何度でも復活する。

 人族諸国は疲弊しているが、どうやら魔族も同様であるらしい。


「何のための戦いなんだよ、ほんとに」


 トールは額に手を当てて吐き捨てた。


「王のみが理由を知っている。群は王に従う」

「そんな命令を聞く必要がどこにあるんだ、メルギアス。どうして魔王に従ってるのか、そこを訊きたい」

「盟約がある」

「……盟約?」

「全ての群は王と盟約を交わしている。王の命があれば従う。その代わり、強き力を得る」

「……ちょっと待った。それ、もしかして」


 ーー心当たりがある。

 トールは恐る恐る言った。


「魔王のスキル。俺達が〈狂化〉って言ってるやつじゃないか?」


 魔物を配下とし、戦闘力を高めると共に理性を奪い、凶暴化させる魔王の能力だ。


「キサマ等の呼び方に興味はない。盟約は、盟約だ」


 メルギアスは何でもないことのように言う。

 魔族にとっては当たり前過ぎて、本当に関心がないのかもしれない。

 だが、魔族も〈狂化〉に支配されていると仮定すれば、色々なことに説明がついてしまう。

 魔族との対話が不可能だったこと。

 捕虜も取らず、非道な仕打ちを厭わないこと。

 普段は食料にしている魔物とも、同じく魔王の軍勢となって共闘していることーー。


(今メルギアスと話し合えるのも、魔王を倒して〈狂化〉が消えた状態だからか)


「何でそんな盟約を」


 理不尽だろうに、破棄できないのか、と言い掛けてトールは黙った。

 そうだ、この異世界では。

 一度した約束はそう簡単に、無かったことにはできない。


 トールは質問を変えた。


「今後、メルギアスにも手に負えないような魔物がまた出る可能性は? これは正直に答えてほしい」

「奈落の蛇ほどの大物は、ほとんど縄張りを出ない……いや、出なかった。しかしこれからは、どうだろうな。我と、我が群でも分からないことはある」


 あの多頭蛇(ヒュドラ)は昔から魔族領の奥地に棲んでおり、魔王の配下にも加わらなかった数少ない魔物だという。

 他にも統率者(ボス)級の強大な魔物が数体いるとされるが、魔族達も近年はあまり魔物の縄張りに入っての狩をしていない。把握できていない部分が多いそうだ。


「みんなスキル持ちだったりするのか?」

「戦ったことがない。聞いた話になるが……」


 メルギアスは断りを入れつつ、いくつか教えてくれた。


 例えば暗黒龍と呼ばれている、巨大な(ドラゴン)。非常に悪賢いが老齢で知能が高く、棲家にしている洞窟からほとんど出ない。


 湖の魔女(セイレーン)。上半身は美しい女、腰から下は魚のようで大きなヒレを持つ。魔力が篭った歌を歌うことで他の生き物を意のままに操る。ただし、これも縄張りである「静寂の湖」を離れることはない。


「出てこないのばっかりだな」

「そう言っているだろう」

「あー。確かに。だから魔王の配下にもならなかった、って感じ?」

「恐らく。昔は戦士が力試しで挑むこともあったと聞くが」

「メルギアスは無いんだ?」

「無い」


 魔族の年齢は分からないものの、メルギアスはどうやら若い部類に入るようだ。


「魔族って年齢を訊いてもいいのかな? メルギアスって何歳?」

「なんさいとは?」

「生まれてから何年経ったか」

「そんなもの、なぜ数える。キサマ等、随分と面倒なのだな」

「面倒と来たか……」

「相手が己れより長く生きているか否か、その程度、魔力を見れば知れるはずだが?」

「俺は分かんないぞ。だったらメルギアスは俺が年上と年下とどっちに見えるんだ」

「下」

「即答したな」

「下だから下と言った」

「なんか嫌な言い方だな……年齢の話だけど」

「フン。小さい男だ」

「あのなあ。分かって言ってないか、それ。性格悪いぞ」

「キサマ等が考える魔族、()しきモノだろう」

「俺はもう思ってない」

「……やはりトールは下で小さい上におかしい」

「だから! 言い方!」



 ーーそうやって話し込んでいる間に、夕暮れが迫ってきた。

 トールは初級魔法を使って小さな明かりを灯した。

 メルギアスが眩しそうに目を細める。

 魔族もそういう仕草をするんだな、とトールは思った。人族と変わらない……時々、瞳が猛獣のように光を跳ね返すので、そこはびっくりするが。


「次の質問だ。魔族の群ってさ、家族みたいなものなのかな」

「同じ血、持つ一族から成る」

「そうか。群のリーダー……(おさ)と言えばいいか、そういう魔族はいるのか?」

「群による……我の群には、いるな。年経た魔族だ」

「メルギアスはどういう立場なんだ」

「戦士だが?」


 これも至極当然の顔で言われた。

 が、トールにはよく分からないため色々と確認すると……。

 戦士は魔物を狩り、魔族達にとっての食べ物を手に入れると同時に、群を守る存在であるらしい。長に次ぐ実力者であり、場合によっては、より強い権限がある。

 群には他にも数名、魔族の戦士がいるが、メルギアスが一番強い力を持っていることから、代表のような役目だという。


「なるほどな……あと、魔族が住んでいる場所ってどの辺?」

「遠い。翼持つモノでも一日は掛かる」


 地面に地図を描いて詳しく尋ねると、やはり相当な距離がある。

 馬では二十日以上掛かりそうだ。


「うーん。空を飛ぶにしても、一日って短いような。飛行機、ああ、俺の故郷にある乗り物だけど、それと同じくらい速い」


 翼竜になったメルギアスは高速で飛行していたが、あの姿は魔力の消費が激しいため時間制限がある。長距離移動には向かないはずで、少々収まりの悪さがあった。


「方法はある、とだけ言っておく」


 メルギアスは詳細を語らなかった。

 警戒するのは当然だろう。

 魔族の住処が明らかになってしまえば、攻め滅ぼそうと考える人族もいるに決まっている。


「我、トール、互いに裏切らないと約束した。だが……キサマにもキサマの群、あるはずだ」

「そうだな。知らない方が良いのかもしれない。少なくとも今はまだ」


 トールが答えるとメルギアスもうなずき、それからザワリと背に翼を生やした。


「もう帰るのか?」

「群には戦士、必要だ」

「じゃあ、メルギアスと連絡を取る方法って何かないかな。話をしたい時とか、魔物が人族領へ来そうな時に」


 魔法使いなら〈伝書〉があるーーただしトールは使えないが。人族とは異なる魔法を持っている魔族はどうだろうか。

 メルギアスは少し考え、恐らく魔族の言葉で短く何かつぶやいた。

 淡い輝きが生じた。

 メルギアスの手の上に魔力が集まり、凝縮され、小さな水晶玉のようなものができる。

 トールの方へ、ぽいと投げてきたので受け取った。

 水晶玉は透明で、ほのかに光っていた。内側には紫色に輝く魔力が閉じ込められ、複雑な軌道を描いて踊っている。


「使いたい時、魔力を込めればいい。声が届く。我が話す時も同じようにする」

「そうか、ありがとう。便利だな」

「……もっとも、あまりに魔力を注ぐと壊れる」

「信用ないな?! そんなことしないよ」

「フン。そう祈っておこう」


 付き合いの浅い魔族にも、どうやら勇者の取り扱い方法が分かってきたようであった。



✳︎✳︎✳︎



「トール様、帰ってきませんね」


 茶のカップを両手で包み、セレストはつぶやいた。

 湯気と共に、薬草の苦い香りが漂っている。

 魔力の回復効果がある薬草茶だった。ちなみにこれと、他の薬草数種類を合わせて煮詰め、作られるのが魔力回復薬である。茶だと効果は気休め程度なのだが、まだ飲みやすいので愛用する魔法使いは多かった。


「訊かなきゃならんことが多いからな。まあ、あの魔族はそこそこ手練れだがな、トールほどじゃねえ。心配要らんだろう」


 フェンも薬草茶を飲みながら、エレイシャへ〈伝書〉を送っていたが、終わったようで杖を置く。

 イナサへ残る形になったマーシェに、状況を知らせた。

 ひとまず全員無事であることや、多頭蛇(ヒュドラ)は討伐したこと。詳細はまた後日、連絡することも。


「何だか、今も信じられません」


 穏やかに茶を飲んでいると、あんな激戦があったことが嘘のようだ。


「魔王をぶちのめした後で、こんなに早く死にそうになる予定はなかったからな」

「ええ。わたくしも油断していました。そのせいでこの有り様です」

「魔法無効がそこらに居てたまるか、あれは例外だ。オレでも初見じゃ危なかった」


 魔法を無効化するスキルは珍しい。火や氷のような特定の属性だけを無効とする能力は時たま見られるが、全属性は魔王を除き、ほぼ記録にない。非常に稀有な事例ではあった。


「そんなこと言って、フェンはちゃんと避けたでしょう」


 口ではそう返しつつ、セレストは逆のことを考えた。

 もしも、多頭蛇(ヒュドラ)と最初に戦ったのがフェンだったらーーセレストが駆け付けたところで解毒魔法が効かず、そのまま二人とも魔物の餌になっていたかもしれない。


「確かに毒を受けたのがわたくしで、まだ良かったとは言えますけど」

「良くはねえぜ、良くは。おまけにその後は何をやりやがったんだ? そう簡単に、お前の魔力が空っぽになる訳ねえだろう」

「それはまあ……主に死の魔法と回復魔法の繰り返しです」

「やらかしてるじゃねえか。十分過ぎるくらいに。つうか即死魔法なんてもんを何で引っ張り出した」


 死の魔法、またの名を即死魔法。

 名前とは裏腹に「死なせることができない」魔法として知られている。

 魔法としての原理は単純で、回復魔法をひっくり返したものーー魔力で生命力を活性化させるのではなく、反対に奪い取るもので、回復魔法に習熟していれば発動はできる。

 ただし。

 回復・支援魔法のように、掛けられる相手の同意を必要とする。

 普通に考えて、受け入れる人間がいるはずもない。ゆえに「死なせることができない」のだ。

 仮に「死にたい、殺してくれ」と言っているような者であっても、実際に即死魔法を掛けられると本能的に魔法抵抗(レジスト)をする場合が多い。セレストのように大魔力があれば無理矢理ねじ伏せて死に至らしめることも不可能ではないが、そんなことに魔力を費やすくらいなら攻撃魔法でも撃ち込んだ方が手っ取り早い。


 セレストは、そういう魔法を自身に使った。

 欠点の数々は承知の上で。


「意味はありました。最終的に解毒ができたのは、いくらかでも毒の影響を削いであったからです」


 決め手は無論、フェンとイクスカリバーが毒持ちの頭を倒してくれたからだ。しかし、その瞬間までセレストの命があったのは、彼女自身が足掻いた結果だった。


「だからって、やるか普通。文字通り死ぬほど痛い魔法を」

「あの時は逆に、目を覚ましておかないと危なかったですし」


 即死魔法がもたらす苦痛はかなりのものだ。

 セレストの場合は激痛の余波で、かろうじて意識を保っていられた面もあった。


「それで魔力切れかよ。全くお前は」

「他に思い付かなかったんです。ごめんなさい」


 セレストは大人しく謝罪した。

 何もかも彼女のせい、とまでは言わないが、フェンに負担を掛けたのは明らかである。


「……謝れとは言ってねえ。紙一重だったからな」


 最初に多頭蛇と戦ったのがセレストであり、魔法が効かないと分かったこと。

 フェンが間に合ったこと。

 イージィスとイクスカリバーがいたこと。

 そしてトールが帰ってきたことーー。


 どれか一つでも違っていたら、あるいは少しでも時機がずれていたら。

 今こうして、二人で茶を飲むことはできなかっただろう。


「……では、お互い様ですね。フェンもほぼ魔力切れだったでしょう? あれ以上、何かしようだなんて冗談じゃありません」


 魔力というものは使い過ぎると意識を失い、さらなる行使はできない。

 その基準は全魔力量のおよそ一割。

 だが、意識が飛ぶ直前に魔法を撃つという手段はある。魔法使いの生命と引き換えに。

 これに挑んだ魔法使いは死ぬか、運良く生き延びても回復不可能な損傷を負う。そのため最期の魔法とも呼ばれる。


「魔力の傷は、わたくしにも癒やせません。それでなくても、あなたは無茶のし過ぎです」


 勇者のスキルを模倣するという至難をやってのけたフェンも、ただでは済まなかったーー本人が言わなくても、セレストには分かる。

 身体に掛かった負担も相当だったが、何より魔力が傷ついた。

 魔法と魔術とスキル、この三者はどれも魔力でできているけれど、組み立て方が異なる。だからセレストは魔法、フェンは魔術、トールはスキルという風に、体内にある魔力の流れ方を最適化している。

 フェンは今回、これを無視してスキルの再現をしてみせた。

 回復魔法や農業魔法のような、シンプルな構造の魔法をお遊び程度に扱うのとは訳が違う。魔力の流れが大きく損なわれ、トールが〈献身〉で戻さなければ、魔法使いとしては死んだも同然だったはずだ。


「チッ。他に思い付かなかったんだよ」


 酸っぱい表情をしている魔術師へ、セレストは笑ってみせた。


「トール様のスキルの再現ができて、農業魔法もできて……フェンがその気になれば、回復魔法も中級以上で使えそうですね?」

「馬鹿言え。できるのと使い物になるのとは別だ。再現性が低いのは見りゃ分かるだろう。トールの真似するにしてもだ、半分くらい魔力が無駄になってる上に、攻撃力もまるで足りねえ。欠陥だらけの出来損ないだぜ」


 結局イクスカリバーの助力なしに、多頭蛇(ヒュドラ)へ痛撃を与えることはできなかった。

 トールがいないという特殊な状況下でもなければ、出番はなかった。

 フェンはきっぱりと、そう言ってのけたのである。


「再現している時点でアレですよ? 普通の魔法使いには逆立ちしても無理です。分かってます?」

「有象無象の話はしてねえ。だいたいオレは魔術師だぞ、魔術じゃねえものを作っても一切自慢にならん」

「はあ、あなたらしい暴言です」

「回復魔法はお前に任せた方が早くて正確だから言ってる」

「わたくしはたまに、誰かに掛けてもらいたい時もありますけど」

「魔法の下手なやつにか? 気が知れねえな」

「……本当にフェンは魔法のことしか考えていませんよね」


 セレストは、薬草茶の残りを口に運んだ。


「…………」


 暗に分からず屋だと言われたフェンも、顔をしかめながら薬草茶を空にした。



 ーー玄関の方から人の気配がする。トールが戻ってきたようだ。

 ネイとランが、屋敷内を走っていくのも聞こえた。主を出迎えるのだろう。普段は使用人らしく足音を立てない彼等も、トールの帰還を待っていたことが分かる。


「わたくし達も行きましょうか」


 席を立つと、フェンも面倒そうではあったがついてきた。

 だが薄暗い廊下へ出ようとした時、フェンがすっと腕を伸ばしてセレストの肩を引き寄せた。


「……フェン?」

「少しじっとしてろ」


 触れられている手から魔力が流れ込んだ。

 セレストは今、どこにも傷を負っていない。だから魔法はセレストを包んだだけで、微かに光を放って消えた。


「回復魔法。お前が言ったんだからな」


 耳元でささやくと同時にフェンは身体を離し、さっさと歩いていってしまった。


「…………」


 セレストは数瞬の間、立ち尽くしていたが。

 我に返って、先へ行く背中を追い掛けた。


「何ですか今のは。あなたが大嫌いな魔力の無駄遣いでしょう。おまけに詠唱の省略までやって、どこが専門外なんですか?!」


 一人、小声で悪口をつぶやきながら。


「もう! 魔法馬鹿!」



✳︎✳︎✳︎



 月光の中を飛び去ったメルギアスを見送って、トールは屋敷へ帰ってきた。


「おかえりなさいませですぅ!」


 扉を開けるとランが走ってきたところで、ぴょこんと頭を下げる。


「ラン! 走ったらダメでしょ! ……あ、トール様」


 ネイも小走りになって妹の腕を掴んだが、トールに気付いて決まりが悪そうな顔をする。


「いいよ、二人とも気にしないで。ただいま」

「ご無事で良かったです」


 にこ、とネイが笑顔を浮かべる。


「マーシェはまだイナサにいて、俺だけなんだ」

「はい、フェニックス様に聞きました。イナサはどうなったんでしょうか?」

「俺が出てきた時点では、の話だけど、大きな被害はなさそうだったよ」

「じゃあ、きっと大丈夫ですよね! トール様、お疲れ様でしたぁ!」

「うん。フェンとセレストは? ぶっ倒れたりしてないか?」


 〈献身〉のスキルは大抵のダメージを肩代わりできるものの、万能ではない。死闘の後であるから少し心配だった。


「ーー勝手に病人扱いするんじゃねえ」


 フェンが姿を見せた。

 怒りっぽいのは、いつも通りと言えばそうだが。さらに、トールの背後を透かし見るような目つきを向けてくる。


「お客さんなら帰ったよ」


 メルギアスが着いてきていないか、警戒しているのが分かる。

 ネイやランには魔族のことを秘密にしている。そのため、トールも内容をぼかして話す。


「本当かよ?」

「疑り深いなぁ、フェンは。俺の索敵範囲にはいないよ」

「お前が能天気なんだろうが」


 フェンはぶつくさと文句を付けた。

 言いたいことが多そうだ。


「おかえりなさい、トール様」


 遅れてセレストもやってくる。


「非常に色々ありそうな気はしますけど……ありがとうございます、戻ってきてくださって」

「いいんだ。みんな無事で、ほんとに」


 これから、どうなるかは見えなくても。

 今は喜んでおこう。

 勇者はそう思うことにした。



 長かった一日が、そうしてーー。


「このまま終われると思うなよ?」

「トール様。お話があります」


 ーーまだ続くのだった。


「分かってるって……」


 この後、トールが二人の仲間によって詰められたのは言うまでもない。



 ーー馬鹿だ阿呆だ何を考えている正気か、いけませんやり過ぎですいくら何でも、と、息の合った突っ込みの嵐を受けた勇者は。


「二人とも、それだけ悪口言えるんなら大丈夫だな。安心したよ」


 相変わらずで何よりだと、緊張感の無い顔で文句を聞き続けたのだった。


おまけであと一話、予定してます。来週更新したい…

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