50.再びの邂逅、黎明の紫(三)
投稿を始めて約一年、ようやく50話になりました。
皆さんのお陰です。ありがとうございます。
魔族は音もなく降り立った。
とん、と足先が城壁の床につき、同時に背中の翼が崩れるように消える。
輪郭は人族に近付いた。
だが、紫色の肌や髪、獣を思わせる金色の両眼、耳の上から伸びる角を見れば明らかだ。
千年を越える長きにわたり、争い続けてきた人族の宿敵ーー魔族。
殺戮と掠奪を繰り返し、捕虜も取らず、対話すら不可能だった災厄の化身だ。
トールは数カ月前、偶然メルギアスに出会った。
そして魔族ともーー少なくともメルギアスとは、意志の疎通が可能であることを知った。
もう一度会って話をしてみたい相手ではあった。しかし、こうして魔物の群と共に現れたのなら、やはり敵同士ということになるのだろうか。
メルギアスの目を見た。
向こうから仕掛けてくる様子はなかった。
むしろ、トールの背後にいるマーシェやジョー、イナサの領兵達に、ただならぬ緊張が漂っている。
(普通はそうなんだろうなぁ……)
魔族を前にした時の反応は、彼等の方が恐らく正しい。
家族や故郷を奪われ、魔族を憎む者も多いだろう。
トールは振り返り、軽く左手を上げた。
「マーシェ、ちょっと待ってくれ。ジョーも」
言いながら右手にある聖剣を、空間収納へ仕舞い込んだ。
「トール……悪いが、あたしは弓を離す気はない」
「ええ、僕もです」
「それでいいよ」
武器を持たずに、トールはゆっくりとメルギアスへ歩み寄っていった。
「……また会っちゃったな、メルギアス」
魔族の正面で足を止める。
メルギアスは無言で、探るようにトールを見ている。
それから不意に、苦し気に顔を歪めた。
「トール」
「ああ」
「……掟を守ることが、できなかった」
「そうみたいだな。どうしてこうなったのか、教えてくれるか?」
曲がりなりにも人族の言葉を話すメルギアスに、マーシェ達が驚いているのが分かる。
マーシェには、トールが以前メルギアスに会ったことを報告してある。ジョーや領兵達は知らないはずで、かなり動揺しているが、マーシェが抑えてくれているようだ。
トール自身は、メルギアスの返答があって少しだけ安心した。まだ話はできる。そう思いたい。
「……奈落の蛇、という魔物、知っているか」
メルギアスが、核心を突く問い掛けをする。
「頭がたくさんある、蛇の魔物のことか? 心当たりはある」
イージィスが見聞きした内容を、トールは共有している。
ーー多頭蛇のことだ、と直感した。
「……魔物の領域、奥深く、棲むモノだ。他の群の前に、現れたことはなかった。今までは」
「そいつが人族領に来たんだな?」
「……そうだ」
「他の魔物は追われてきたのか……多頭蛇は手負いのようだけど、メルギアスが?」
「戦った。斃してはいない」
「手強そうだな」
フェンやセレストも魔法使いゆえに苦戦している。
メルギアスにしても、トールが見るところ相応の力量を持つ戦士である。それが倒し切れずに撤退したなら、多頭蛇の恐ろしさは本物と言えよう。
「残り少ない、が、我の生命、対価にくれてやる。だからアレを、滅ぼせるか?」
不意に、魔族がそんなことを言い出した。
「待った。ちょっと待った。何? メルギアス、怪我してるのか。どこを?」
メルギアスの容貌に、傷も出血も見当たらない。
ついお人好しの本性を出してしまったトールに対し、魔族はふっと息を吐いた。
「人族と、違う。施し、不要だ。我は既に弱きモノだ」
「何でそうスパッと割り切るかな。極端過ぎる」
「……トール、話を聞かないやつ。理解していないのか」
「ほんと失礼だな、聞いてるよ。多頭蛇は倒す。俺の仲間が戦ってるようだし」
「施し、不要だ。受け取れ」
「別に命をもらっても仕方ないだろ。要らない。それに施しじゃないぞ、取引だ。俺はメルギアスを助けるから、メルギアスも俺を助けてほしい。頼みたいことがある」
「頼み?」
「空を飛んで、魔物が居るところまで俺を連れていってくれないかな。怪我をしてるのは、俺が何とかする」
✳︎✳︎✳︎
「……トール!」
マーシェの声が聞こえた。
「あんた何を考えてるんだい?!」
血相を変えた彼女が駆け寄ってくる。攻撃の構えこそ解いているが、魔力弓は持ったままだ。
メルギアスはぴくりと肩を揺らしたものの、静観してくれるようだった。
「ん? どの辺がマズい?」
「魔族とフツーに話してるのがもう不味いんだけどね?! それはまあいいさ、トールがトールだったっていう、いつものだから」
「そう?」
「褒めちゃいないよ! それより空を飛んでいくってどういうことさ」
「その方が速いから? 人族には空飛ぶ魔法がないけど、魔族はできそうだと思って聞いてみた」
「そうじゃない。あんた一人で、この魔族と行動する気だろう? 冗談じゃないよ」
「落っことされたぐらいで死なないから大丈夫。勇者だし」
「それを信じろって?」
「マーシェ」
トールは表情を改めた。
「ごめんな。でも譲れない。こうでもしないと多分、間に合わない」
「どういうことさ?」
「メルギアスが言ってる魔物、かなり厄介だ。多頭蛇の特殊個体で魔法が効かない」
「はあ……? どうしてまた」
マーシェが眉を寄せる。彼女も頭が良い、すぐに分かっただろう。魔法使いと相性最悪の敵であり、いくらフェンやセレストでも長くは支えられない。魔力が尽きてしまえば終わりだと。
トールが把握している実際の状況はさらに悪いが、メルギアスやジョーに聞こえてしまう場では、迂闊に言えない。
「イクスやイースから来てる情報とも一致してる。嘘じゃない」
「それでもだ……駄目だよ、トール」
苦渋の表情を浮かべて、罠にしか見えない、とマーシェが言う。
「ーー証、あれば良いのか?」
メルギアスが口を挟んだ。
「我がトールを裏切らない、トールも我を裏切らない、証が必要か?」
「そんなものがあれば、だけどね」
マーシェは躊躇いがちに答える。
この瞬間、彼女は魔族と言葉を交わした二人目の人族となったのだがーーマーシェがそのことに気付いたのは、だいぶ後のことになる。
「ならば、そうしよう」
魔族が予想もしなかった行動を取った。
メルギアスは居住まいを正し、そしてはっきりと言ったのだ。
『ーー継承の一族、メルギアス。真の名を以て誓約する。トールを決して裏切らず助け合う』
その言葉には、大陸共通語ではない響きがあった。
だが、不思議なことにトールには理解できた。
地球では、約束をしても破るやつは破る。
しかし魔法のある異世界では約束をする、誓いを立てるということが、時に特別な意味を持つ。
メルギアスがそれをしたのだ、ということが分かった。
同じようにすべきだろう。
トールに迷いはなかった。
『ーー伊奈佐徹。真の名を以て誓約する。メルギアスを決して裏切らず助け合う』
この世界で名乗るとは思っていなかった、生まれ持った名前で。
「これでいいか? じゃあ怪我を引き受けるから、ちょっと手を出してくれ」
「…………」
トールが手を差し出すとメルギアスは数瞬の間、奇妙なものを見る目をしたーーだが、やがて自分も手を伸ばし、トールの手の上へ載せた。
「よし。スキル使うぞ」
〈献身〉を全力で発動した。
勇者の固有スキルは数多い。
〈空間収納〉〈戦意高揚〉〈自動回復〉……さまざまな、彼にしか扱えない能力を便宜上まとめて勇者のスキルと呼んでいる。
だが、他者を回復するスキルはない。
自分自身の体力や魔力を自動回復できるだけだ。
例外と言える〈献身〉も、他者のダメージを肩代わりするだけで、痛みそのものはトールに跳ね返る。そこを勇者の強靭さと自動回復で押さえ込むという、実に乱暴な構造をしているのだ。
相手に触れる方が〈献身〉は使いやすい。特に、今まで敵だった魔族にこのスキルを使ったことがなかったため、念を入れたのだった。
「メルギアス……今更だけど、結構ヤバかったじゃないか。よく平気な顔ができたな」
トールも特殊な性癖はない。痛いのは嫌いだ。メルギアスから返ってくるダメージの大きさに少し顔をしかめると、魔族は何でもないように「痛み、切ってある」と言った。
痛覚に動きを邪魔されないよう、身体を作り変えることができるらしい。
「それ便利そうに聞こえるけど一番ダメだろ! ……だいたい、こんな感じかな」
「問題、無い。少し待て」
メルギアスはトールに預けていた片手を引っ込め、後ろへ数歩下がった。その姿がざらりと崩れ、濃紫色の粒子に変じ、渦を巻いて急速に膨れ上がる。
「メルギアス……?」
小さな竜巻のようにうごめく魔力の奥で、金色の光が二つ灯った。しゅうしゅうと音を立てながら、魔族の新たな姿が顕現する。
身長ーー否、体高はトールの倍ほど。
翼竜、と言えばいいか。巨大な鳥のようでもあり、竜のようでもある。しなやかな体躯は藤色の鱗に覆われているが、一部に羽毛に似たものがあり、四枚の翼と長い尻尾を持っていた。
黄金の両眼は人の手の平ほど大きい。顔は竜寄りか、くちばしではなく鋭い牙がずらりと生えた大きな口がある。咬まれれば人族の身体ぐらい、たやすく食い千切られてしまうだろう。多頭蛇の片翼をむしったのも、恐らくはこれだ。
「うわ、凄いな……こっちが本体?」
『違う。急ぐと言わなかったか』
翼竜の口では言葉を喋りにくいのか。イクスカリバーやイージィスが本体に戻った時のような、肉声と異なる念話が飛んでくる。
『この姿、長い時間、使えない。無駄にするな』
「分かった、今行く」
トールは振り返ってマーシェを見た。
すると。
「いや、ちょ、トール……あんた……」
常に沈着であった彼女が茫然自失しかかっている。
「最大級にやってくれたね……?!」
「あー……うん、そうだな。勇者らしくないよな」
魔族と魔法的な誓約を交わすのも。
あまり人前で見せてこなかった〈献身〉を、魔族に使って回復することも。
勇者にあるまじき暴挙だ、それくらいはトールも自覚している。
「でも俺は農家だからな? 農業の邪魔するやつは叩き出しに行ってくる。そういうことで」
「……あんたって馬鹿は、本当の本当にいつも通りだねェ……」
マーシェは長い、長い溜息をついた。
それから仕方がなさそうに苦笑いして、トールの肩を叩いた。
「分かったよ……全員無事でいておくれ」
「ああ、もちろん」
トールは軽く跳躍して、翼竜の背中に着地した。
『新たなる誓約を履行する』
メルギアスの四つの翼が一斉に羽ばたき、ぶわりと巨体が宙に浮く。
内臓が浮き上がる感覚は久しぶりだ。トールは日本で飛行機に乗ったことがあるからいいが、慣れていないとつらいかもしれない。
翼竜は高度を上げる。こちらを見上げるマーシェやジョーの姿が、ぐんぐんと遠ざかる。イナサの町そのものも、瞬く間に小さくなり後方へ流れ去る。
こんな時でなければ、景色を楽しめただろうか。
メルギアスは頓着しない様子で翼を動かす。偽りなく、全力で飛んでくれるようだ。
速度が増していく。トールは姿勢を低くした。
『掴まれ』
トールの手元に、にょきりと羽毛のようなものが生えた。
「ありがとう、助かるよ」
素直に感謝し、取っ手代わりにさせてもらう。
『……おかしな奴だ』
メルギアスは風を裂くように、さらに加速する。
『ーー礼、言うべきは……であるのにーー』
小さな念話は、ごうごうと吹き荒れる風圧に紛れ消えていった。
✳︎✳︎✳︎
「あーあ。うちの勇者サマと来たら、油断も隙もありゃしない」
勇者と魔族があっという間に消えた空へ向かって、弓使いマーシェは再び溜息を落とした。
「いやはや……僕ごときが神話の誕生に立ち会ってしまって、良かったのかどうか! それにしても、さすがは勇者殿ですね。僕は今も膝が笑ってますよ」
ジョーが恐る恐るという風情で近寄ってくる。
「補佐官殿には聞こえたかい? あいつね、言うに事欠いて『勇者らしくないよな』だとさ」
「おおう……なんと謙虚な」
「謙虚っていうか頑固でね、こうなると何言っても聞かないんだよ。はぁ、魔族相手にやってくれたさ」
「……僕が以前、目にした古文書によりますとね。初代勇者が魔族の生き残りと相互不可侵の盟約を交わしたという説、無くもないらしいですよ?」
「へえ? よく知ってるね?」
「昔の僕は暇人だったんですよ。でもまあ、魔族とは対話できたためしがありませんし、その後も魔王軍の侵攻は起こっているので……いわゆるヨタ話の一つというか、初代の武勇伝を誇張し過ぎたという扱いだったんですがねー。コレはひょっとするかもしれませんね?」
「……トール、なんか魔族と無茶苦茶な誓いを立てていたね」
「ええ、大いに伝説が生まれてますね! ジジイになったら自叙伝でも書きましょうか」
「はあー。とりあえず今の大問題を片付けるとしよう」
「ですね。フロウとエレイシャを探してきます」
切り替えの早いジョーは、さっと身を翻して城壁から降りていく。
マーシェはイナサの町を見下ろした。
巨大な異形となって飛び去った魔族を、大勢の民が見てしまったようで騒ぎが起きている。
トールが同行していることも、気付かれているかもしれない。
(どうやって誤魔化し……いやいや、説明したもんか)
マーシェは彼方の空をもう一度だけ見やった。
(……トールに任せたんだ。ちゃんと、みんな助けてくるさ)
勇者だろうが農家だろうが関係なく、必ず。
地上に視線を戻し、彼女も一歩踏み出した。
✳︎✳︎✳︎
魔法とスキルの本質的な違いは何か。
同じく魔力でできているのに、あるものは魔法と呼ばれ、あるものはスキルと呼ばれる。
組み立て方が異なるからだ。
勇者のスキルはどうか。
もっとも魔法と掛け離れた特異な固有スキルだ。
しかしトールの魔力は、そこまで他者と違わない。個人差の範囲に収まる。あまりに異質であったなら、トールは初歩の属性魔法すら習得できなかっただろう。
およそ三年。
最初は聖剣を握るのも覚束なかったトールが勇者のスキルを使いこなすようになり、あらゆる敵を圧倒するようになっていくのを、その少し後ろで見守ってきた。
魔王を相手に死闘を繰り広げた時も。
なぜか農業をすると言い出して、訳の分からないスキルの使い方をし始めた時も。
トールの魔力がどのように組み立てられスキルとして完成するのか、誰よりも間近で見てきた魔術師ーーそれがフェニックスだ。
見て分かるからと言って、実行に移すつもりはなかった。
不可能ではないな、とうっすら思っていた程度だった。
だが、理由ができてしまった。
己れの魔力に、スキルの真似事をさせる理由が。
フェンは気配を隠して多頭蛇へ接近し、魔力を操作する。
簡単ではない。
トールが女神の加護を受けて無意識に組み立ててゆくものを、フェンは一つずつ注意深く積み上げなければならない。
どのような道のりかと問われたなら、彼はこう答えただろう。
詠唱無しに特級魔術を構築するのに比べて、少々複雑で面倒くさい、と。
凄まじい勢いで魔力を飲み込み、再現されたスキルが成長していく。
魔力の動きに気付いた多頭蛇が、鎌首をもたげてフェンへ向かってきた。
ーーまだ動けない。
顎の先を汗が伝い落ちた。
構わず魔力を注ぎ込む。
魔物と魔術師。
どちらが速いかは分からない。
しかし、ここまで来て止めることはできない。
その時、迫ってくる多頭蛇と彼の間へ、別の影が立ち塞がった。
「……外道者めが。汝の相手は、この我であるぞ」
聖剣イクスカリバーであった。
彼女もイージィス同様、人間形態を取っていても、いくらかは本来の権能を振るうことができる。イクスカリバーは手をかざして無形の衝撃波を生み出し、多頭蛇の頭の一つにぶつけた。
すぱん! と鋭い音がして頭の一つがのけ反り、他の頭は怒り狂って一斉にイクスカリバーを狙い始める。
「ふん! 蛇ごときに捕まる我ではないぞ。試してみよ!」
イクスカリバーがうまく敵を引きつけ、フェンから引き離す。
多頭蛇は首が絡み合いそうなほど、くねくねと動いてイクスカリバーを追い回す。イクスカリバーは挑発系の技でも持っているのか、メイド服の裾を捌きつつ時折、衝撃波を飛ばしては多頭蛇を怒らせ、囮としての役目を果たす。
その間にフェンは完成させた。
「構わぬ! そのまま撃て!!」
イクスカリバーの檄が飛ぶ。
撃てと言われても、トールやセレストなら躊躇ったかもしれない。あの二人は何だかんだで甘い。
フェンは一瞬の遠慮もしなかった。イクスカリバーの人間形態は仮初のもので、損なわれても死ぬ訳ではない。
仮にイクスカリバーの生命が失われるとしても、彼は行動しただろう。
ただの魔術師ができることには限りがある。
譲れないものだけでも守るために。
他を捨てなければならないのなら。
上等だ。
魔力を吸って、その時を待っている「それ」を。
魔法でも魔術でもなく、厳密にはスキルですらない「何か」を。
フェンは一度、杖を振って解放した。
紅い閃光が降り注ぎ、多頭蛇を呑み込んだ。
蛇身が打ち据えられ、その場でのたうち回った。発声器官を持たない魔物だが、絶叫が聞こえてきそうな暴れっぷりだ。
地面が揺れ、砂礫が跳ねる。
「やりおったのぅ」
イクスカリバーは直前で身をかわしたらしく、ふわりとした動きでやってきた。
「まだだ」
フェンは短く言った。毒持ちの頭は死んでいない。
多頭蛇は強い再生能力を持っている。
少々ダメージを与えた程度では、すぐ自動回復してしまう。
このまま放っておくと頭どころか千切れた片翼もいずれ再生し、飛行能力をも取り戻してしまう。そうなるとフェン達は輪を掛けて不利になる上、多頭蛇がどこかへ飛んでいく危険も増す。
トールがいるイナサなら、まだ良い。
スピノ伯爵領をはじめ、よそへ行かれたら対抗する手立てがない。〈全属性魔法無効〉のスキル持ちとは、そういうことだ。数え切れない人間が死ぬ。
「……足止めが要る。ついでに神官もまだ必要だ。オレも回復魔法は専門外なんでな」
「良かろう。我も全力を出せば、一度くらいは首を斬れぬこともない。隙を作れ」
「頼んだ」
そう告げてフェンは再び、スキルの模倣構築に入った。イクスカリバーも多頭蛇の方へ向かい、囮を務めつつ隙を窺う。
紅の光が空を裂く。
二度目は、一度目よりは、うまく行った。
三度目も。
四度目も。
ーー恐ろしい勢いで魔力が減っていく。一撃で一割近く持って行かれる。回数を重ねるごとに洗練され消費も抑えられてはいくが、元が底無しとも言われた魔力量を誇るフェンのおよそ一割である。消耗は激しい。
五。
トールならば蛇の頭を一つ潰すくらい、とっくにできていただろう。フェンがやっているのは、あくまで真似事だ。魔物はまだ動いている。
六。
他にも問題はあった。勇者のスキルは本来、女神によって強化された身体を持っていなければ使えないもの、なのだ。強い力を扱う反動が大きかった。魔力の残りもさることながら、そう何回もできる技ではなかった。
落ちろ。
声に出さず、言った。
一瞬でいい、多頭蛇の意識を落とすことができれば、イクスカリバーがやってくれるはずだ。
そして、七。
地響きと共に魔物が倒れた。
機を逃さずイクスカリバーが跳躍し、毒持ちの首の付け根へ降り立つ。
しなやかな両手がかざされ、そして振り下ろされた。
骨肉を断つ音。
「我に斬れぬものはないぞ」
イクスカリバーは凄絶に笑んだ。
「魔力はこれで使い果たしたがのぅ。次は勇者を連れて来なければならぬか。聖剣使いが荒いことよ」
ぼやきとも激励ともつかない言葉を残して、美しい人型が砕け散った。
人間形態を保てなくなり、トールの下へ戻っていったのだ。
「……ああ、あの馬鹿を蹴飛ばしといてもらうか」
毒持ちの頭は確かに潰した。
だが七つに減った頭が一つ、また一つと持ち上がり、ぎらぎらと光る目でフェンを見下ろした。
「ま、そうなるだろうな」
繰り返しになるが蛇の魔物は執念深い。自分に大きな傷を与えた者を決して許さない。
計算通りだ。
これでいい。
ーーよく知っている魔力が、ふわりと飛んできた。
回復魔法だった。
手を触れず、離れた相手にも魔法を掛けるーー技術としては難しい部類に入るけれども、優れた魔法使いにはできる。
フェンは多頭蛇に気取られないよう、頭巾の陰から視線を横へ滑らせる。
魔物を挟んで反対側にセレストがいた。
彼女も目深に頭巾を被り、杖を持っている。
解毒ができたようだ。
目が合った。
セレストも頭巾の陰で、器用に眉を吊り上げてみせた。
(無茶苦茶ですよ、フェン)
唇の動きを読むと、多分そう言っている。
(心配で心配で、とても寝ていられません。どうしてくれるんですか)
そりゃ悪かったな、とフェンの口許に笑みが浮かんだ。
二人とも窮地を脱した訳ではない。多頭蛇はダメージを与えたものの健在で、フェンの魔力は残り少ない。セレストもあえて憎まれ口をきいているけれど、顔色は青白く、解毒はできても本調子とは程遠いのが見て取れる。
薄氷を踏むような状況に変わりはない。
だが、かつての地獄を思い出せばいい。
勇者が召喚されるよりも前、スピノエス戦線と呼ばれたこの地で。
周りの兵が塵芥のように死に、神官が斃れ、回復も支援も受けられずに部隊がすり潰されていくーーそんなことが何回もあった。
この三年はトールがいて、セレストがいて、シャダルムとマーシェがいて。いつの間にか忘れていたけれど。
(お前は最後まで立っていてくれ)
そのためなら何でもしよう。
フェンは再び多頭蛇をにらむ。
嘲笑うように魔物が首を揺らした。
イベントもう少し続きます。




