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48.再びの邂逅、黎明の紫(一)

読んでくださる人、ブクマ、いいね、感想をくださる皆さん、いつもありがとうございます。

 魔法使い二人はイナサへ同行しないが、トール達は馬に身体強化を掛けてもらっている。

 魔法や魔術を込めたマジックアイテムももらってある。

 馬を潰さない程度に走り、夜明け前に屋敷を出て、夜には到着した。


 今回は執事だろうか、男性の使用人に案内され、前とは違う客室に通された。

 荷物を置いて清浄魔法で身体をさっぱりさせ、着替えも済ませておく。夕食をご一緒しましょう、とジョーに言われているのだ。


 細かいことだが、イナサの城館も領都の中枢として、機能が整ってきたことが感じられる。使用人達もきびきびと働いており、トールやマーシェを見ても落ち着いた態度であった。


「お久しぶりですね!」


 食事の席ではジョーが変わらず、ニコニコしながらトールとマーシェを迎える。

 その右にフロウが立っているのは、以前と同じ。

 左にもう一人の女性ーー魔法使いエレイシャがいる点が、新しい変化だ。


 こうして見るとジョーは、女性二人と共に補佐官の仕事をこなしている訳だが。

 二人して、女性はお喋りが好きと言う偏見を吹き飛ばす性格だ。ジョーの騒々しさが余計に際立つ気がしてならない。

 現にフロウもエレイシャも、礼儀正しく頭を下げただけだ。


「ちょっとの間で町が随分と発展してて、びっくりしたよ」


 トールは席へつきながら、ここまでの道のりを思い浮かべた。


 暗くなっていたので細かくは分からなかったが、町は人が増え、さらに活気が出たように見えた。


「ええ、お陰様で! 白の女王群掃討戦で、逆にイナサの名が売れたのですよ。作戦後も残りたいという申し出が結構ありましてね、全員ではありませんけど、受け入れて人手が増えています」

「前回、勇者殿や皆様が広範囲に土地の魔力を回復してくださいましたので。円滑に進んでおります」


 フロウが付け加えた。


 その後の地力回復も、セレストが指導した神官クレイス、サディ、ソーラの三人が頑張っている。さらには先日、家の建築中に事故が起きた際も三人が回復魔法を駆使し、死者を出さずに収めたそうだ。


「いやー、農業魔法に限らず、神官が居てくださるのは安心感が違いますねえ! ありがたいことです」


 今は仮設の駐在所に三人がいるのみだが、もうじき新たなイナサ神殿が完成する。王都や各地から集まった神官が常駐するようになる予定という。


「あの三人、スピノエス神殿へ戻るのかい?」

「僕としてはイナサ神殿へ残ってほしいのですけど。聖女殿から口添えいただく必要があるかもしれません」

「一人、セレストの忠犬みたいな子がいるじゃん。残ってくれるんじゃないか」

「逆です、勇者殿」

「え?」


 フロウの指摘が入った。


「イナサ神殿は、聖女殿と勇者殿の膝元ですから希望者が多いのです。その中で、あの三名を残すのであれば相応の理由が必要かと」

「そっちか……!」


 勇者も聖女も、神官から人気が高いことを忘れていた。


「神官さんの熱意は凄いねえ。とりあえず戻ったらセレストに相談させてもらうよ」


 マーシェが笑いながら答える。


「町そのものも、一回り大きくなった感じがするねえ」

「そうなりますね! 順調と申し上げてよろしいかと。エレイシャも通信の間を縫って手伝ってくれています」

「皆さん、素直に感謝してくれて楽しいですよ」


 上品な声でエレイシャが言う。

 魔法使いとして魔力は多くなくても、自分のできることに最善を尽くす。それが彼女の信条らしい。

 魔法の熟練度そのものは高い、とセレストが評価する一方で「師団の魔術師なら当たり前だ」とフェンは言い捨てていたのが対照的であった。


 エレイシャが使える魔術は水属性の二つだけだというが、他にも魔法をいくつか身に付けている。〈伝書〉以外にも土属性魔法で穴を掘ったり整地したり、風属性で重い物の運搬を助けたり、漆喰を乾かしたりと活躍しているそうだ。


「大したことではございませんよ。本当に」


 本人はさらりと謙遜するが、セレストやフェンが規格外に過ぎるだけで、エレイシャも十分に有能なのだろう。



 和やかに会食は過ぎていき、食後の茶が出された。



「それから、勇者殿がやってくださった作戦の跡地ですけどもー」


 ジョーが後ろめたい話題を振ってくる。


「あー、あれな……どうなったんだ?」


 一瞬ごめんと言いそうになり、マーシェから視線が飛んできたので引っ込めた。勇者は、簡単に謝ってはいけないのである。

 トールも領地のことを考えてスキルを使った。大気汚染や瘴気の発生を防いだので、やり過ぎ感はあれども失敗はしていない。

 堂々としていればいいと、頭では分かっているのだが。


「幸い、大きな問題にはなっていませんよ! 草原の面積がじわじわと広がっているくらいでしょうか?」


 ジョーは定期的に、イナサの周辺にも兵士を巡回させて様子を見に行かせている。その中に作戦跡地も含めることにした。

 魔物や盗賊が入り込んでいないか、確かめることが目的だ。


「兵士の派遣は十日に一度くらいでして。どうもおかしいと思った小隊長が印を付けて測ったら、十日で十歩分ほど拡大してました」


 大人の歩幅で十歩なら、トールの感覚で七、八メートルか。一日で数十センチ延びていると思うと結構な速度であった。


「今まで拡大したことはないなぁ……何でだろ」

「悪いことではありません。むしろ歓迎すべきです。ジョーの戯言はお気になさらず」

「酷いですねフロウ! 僕だって勇者殿のお力と先見の明に感服してますよ?」


 この男が言うと胡散臭くなるのは、なぜだろうか。


(それは置いといて。スキルの効果範囲が勝手に拡大か……心当たりがあるような無いような)


 突然現れた精霊のことが、トールの脳裏をよぎった。

 何しろ彼等、精霊は予測のつかない存在である。関わっている可能性はあった。


(勇者のスキルを使えば、どこにでも精霊が生えるのかな? あとでイクス達に訊いておこう)


 トールの思考を知ってか知らずか。

 ジョーは笑顔で続ける。


「他にも勇者殿があちこちで土地を整えてくださったでしょう? 広々とした草地ができまして、牧場にして牛でも放そうかという話になってます」

「牛……」


 また牛が登場した。


「何でも勇者殿は、乳製品を使って面白いものを作る計画があると伺いましたよー?」

「よく知ってるな」


 アイス作りのことをジョーは言っているらしい。隠すつもりはないが、細々とした屋敷内の出来事を把握されている理由が気になる。


「聖女殿の〈伝書〉に、そのようなことが書いてあったんです。汚い手なんて使ってないですよ!」


 ジョーは手をぶんぶん振ってみせる。


「ああ、甘党女子が結託してたのか」

「喜んで食べてたもんねえ」


 ランは同好の士として、セレストを巻き込むことに成功していたようだ。


「意外とやり手だなあ、ラン。知らないうちにモーモー包囲網ができてる」


 他人事のように感心するトール。


「元はトールのせいだけどね。補佐官殿は聞いたことある? 凍らせて作る甘味」

「僕とフロウは一応、名門と言われる貴族家の生まれですが。無いですねえ」

「私もございません。どのようなものでしょうか」


 ジョーもエレイシャも知らなかった。

 そこでトールが簡単な説明をすると、厨房から料理人だという初老の男性が呼ばれ、エレイシャの協力で柑橘風味のアイスーー正しくはシャーベットのようなものーーが作られた。


「ふむ、これは?!」

「初めて食べます」


 ジョーもフロウも興味深そうに口に入れている。


「……背徳の味ですね」


 エレイシャがほぅと息を吐いた。


「魔法をこのように使うという発想がありませんでした。戦時下ならば、魔力の無駄遣いとして非難されていたかもしれません」

「加熱より魔力を消費するみたいだもんな」

「コツをつかむのに少々時間が要りますね。魔法使いでないと分かりにくい部分でしょう。一度理解できてしまえば、次からはさほど難しくございませんが」


 エレイシャはスプーンでアイスをひと匙すくった。


「私が気になりますのは、これをフェニックスではなく使用人のお嬢さんがやろうとしている点です」

「ああ。完全に凍らせてから、ちょっとだけ溶かせばどうかなって。初級魔法の組み合わせで行けそうだ」

「ふーむ。私達のような魔法使いはこの程度、一発でできて当然ですので……できない人は仕方がないとしか……違う方法があるかもしれないなんて、考えもしませんでした。確かに、遠回りではあっても結果は同じですものね。この件、フェニックスは何と?」

「ん? 別に? 魔術の歴史がどうとか言ってた気もするけど。俺が……ランもだな、気兼ねなく食べたいから、あるもので何とかしただけだよ」

「……そういうレベルの問題ではないのですが……ええ、どことなく察することができたような。苦労なさいますね、マーシェさん」

「そう、一番あたし達を振り回してくれるのは、この無自覚な勇者サマでね。業火の魔術師だろうが白衣の聖女だろうが押し並べて被害者さ。分かってもらえて嬉しいよ」


 マーシェはそう言って、最後のアイスを口へ放り込んだ。


「実に興味深い! つまり、このアイスとやらを乳製品で作ろうというお話ですか」


 ジョーの言葉で、話題が牛に戻ってくる。


「俺の故郷には牛乳のアイスもあった、って言ったらランが凄くやる気になっちゃってさ」

「なるほど? 僕もやる気が出ましたよ」

「そんなに気に入った?」

「甘いものは嫌いじゃないですね。でも、それ以上に面白そうですから」


 ジョーは笑みを深くし、悪そうな顔になった。


「お隣のスピノ伯爵領は酪農が盛んです。ここも気候的には向いているんですよ。やってしまいましょう」

「そう言えばトール。ショーユを持ってくるっていう工房、本業はチーズ造りだよね?」

「ああ、親戚から材料を仕入れてるんだったかな。ついでに訊いておくか」


 わいわいと議論しつつ、夜は更けていった。



✳︎✳︎✳︎



 翌日。


 トールは少々暇になってしまっていた。

 今日、スピノエスから到着予定だった商隊が遅れている。

 商隊にはディーリも同行させてもらっているはずで、まだ来ていないという訳だった。

 マーシェはジョー達と色々な打ち合わせがあるようだが、トールの出番はまだ無いと言われている。


「どうしようかな」


 部屋にいても、やることがない。

 イナサの町の見物にでも行ってみるか、と立ち上がったところで、控えめにドアがノックされた。


「勇者様、少しよろしいでしょうか」


 執事が入ってきて、丁寧に頭を下げた。


「城の料理長が、可能であればお話を伺えないかと申しております」

「ああ、アイスのことかな?」

「はい。もちろん無理にとは申しません」

「いいよ、ちょうど暇だった」

「ありがとうございます。ご案内いたします」


 トールは執事に続いて部屋を出た。

 案内された先は城館の厨房で、忙しく立ち働く料理人達の前に、見覚えのある初老の男性が立っている。


「あれ、昨日の……」


 アイス作りに協力してくれた料理人であった。


「料理長さんだったんだ」

「は、恐縮でございます」


 料理長は白い調理帽を取って軽く礼をした。

 白髪混じりの髪をした、厳格そうな人である。

 トールは何となく、亡くなった祖父を思い出した。容貌は異なるものの雰囲気が似ている。


「アイスなる甘味につきまして、ご存じのことを教えていただけないかと思いまして。お許しいただけますかな」


 料理長にとってもトールは息子や孫に近い若造のはずなのだが、勇者だからか非常に腰の低い態度である。


「話すのは全く構わないけど、俺は料理人じゃないから作り方や材料はほとんど知らないんだ、悪いな」

「それは当然のことでありましょう。新しき美味を作り出すのは我等の役目でございます。方角だけでも示してくだされば望外の喜びというもの」


 料理長は眼光鋭く言ってのける。


「そうですな、まず……昨日のアイスでは、こちらの果物を使いましたが」


 作業台の上に載っている果物を、料理長は指差した。酸味の強いオレンジのような柑橘類だ。


「他の果物でも作れるのでしょうか?」

「大丈夫だと思うよ。俺の故郷にも、色々な風味があった」


 林檎や葡萄、桃、苺、ベリー類は、この世界にも似たような果物がある。

 厳密に地球のものと同じなのかは不明だがーートールが持つ自動翻訳でも、林檎や葡萄で通じている。ゆえに難しく考えるのはやめて、だいたい合っているみたいだから良いや、にしている。

 品種や栽培技術の違いだろうか、どの果物も日本に比べると、酸っぱくて果肉が硬いものが多い。しかし、加工してしまえば問題はない。


「果物は概ねできるんじゃないか。あとは、お茶を香りづけに入れてるのとか……酒もあったかな?」


 日本では未成年だったので詳しくない。ラムレーズンはあったはずだ。

 コーヒーやチョコレートは、こちらでは見たことがない。

 料理長なら知っているかもしれないと思い、情報だけは伝えた。


「儂も聞いたことはありませんな……他国にはあるやもしれません。調べてみましょう」


 地球と違って、テレビもインターネットもない異世界。マイナーな物はとことん無名のままだ。

 トレヴォンの魚醤ことゾルソーのように、知る人ぞ知る品が数多くある。


「ーーあ、そうだ」


 トールはふと思い付いて、空間収納からあるものを一掴み、取り出した。

 忽然と勇者の手の上に物品が現れたさまを見て、料理長が目を丸くする。

 空間系のスキルは珍しいからであったが、トールは気にせず続けた。


「アイスとは関係ない話だから、参考程度に聞きたいんだけど。料理長さんは、こういう作物を見たことある?」


 差し出したのは、脱穀した稲であった。


「麦に似ていますが、色合いや粒の大きさが異なりますな。これは?」

「稲って言う、俺の故郷でよく食べていた穀物」

「ほほう。寡聞にして存じませんが、興味深い。どのようにして食べるのです?」

「実はこれ、俺が育てたんだ。収穫して、ここまでは来たんだけど……」


 稲刈りして乾燥させた後、茎から実を外したもの。いわゆる(もみ)の状態だ。

 ここから(もみ)()りという作業で殻を取り除くと玄米になり、さらに精米して米ぬかを除去すると、ようやく白米が得られるーーのだが。

 トールはこの最後の工程で、思い切り苦戦していた。


「やり方が分からないんだ……」


 日本だと専用の機械に入れてスイッチを押せば良かった。専業農家だった祖父も無論、大型機械を使っていた。

 機械の中がどうなっていたのか、トールはよく知らないまま異世界へ来てしまったのだ。

 異世界では、機械任せにできるはずもない。

 精霊達の仕業で大豊作となり、やたらと大量にある籾をどうするか。

 魔法で解決できないか、フェンやセレストとも真面目に考えたのだが、良いアイデアは出ていない。


『麦の場合は魔道具で精白していたかと思います。でも、わたくし達のような神官は作物を実らせるまでが務めですので、その先はあまり詳しくなく……申し訳ありません、トール様』


 セレストには謝られてしまった。

 フェンはーー。


『魔物をぶっ倒すなら、いくらでも()ってやるがな。専門外だ』


 言われてみれば、もっともであった。フェンが狭量というよりは、トールが無茶振りし過ぎなのだ。



 すっかり八方塞がりになっていたのを思い出し、食の専門家である料理人に訊いてみたのである。


「ふむ。手に取ってみても?」

「もちろん」

「は、失礼いたします」


 料理長は籾を一粒だけ摘まみ、手の平で転がした。


「……小麦の場合はおっしゃる通り、魔道具を用いて粉に挽き、食べられぬ部分を取り除きますな。ですが、稲なるものに使えるかどうか」

「あっ、これは粒のまま食べるんだ。粉になっちゃうのはちょっと」

「では大麦に近いと言えますかな」


 料理長はトールの許可を取ってから、若い料理人にすり鉢を持って来させ、籾を少量ずつゴリゴリとすって籾殻やぬかを取り除く作業を試してくれた。


「この作業を繰り返して、粒の表面が白くなればよろしいのですな?」

「そうなんだけどね。でも大量にあるからさ……ちょっと気が遠くなりそう」


 籾摺りと精米は想定以上に難敵であった。

 米を食べる前の、最後の関門というべきか。


 すると料理長は胸に手を当てて一礼した。


「では、我々がやりましょう」

「え? 良いのか?」

「さまざまなお話を聞かせていただいた御礼です。勇者様が当面、召し上がる分くらいは我々が加工できるでしょう。他は魔道具職人を当たってみますので、少々お待ちいただきますが」

「いや、凄くありがたいけど……余計な仕事を増やして悪いような。それに魔法じゃない手作業になっちゃうだろ? ラクサの人は、そういうの嫌いだって聞いたよ。無理してほしくないな」


 トールが言うと、料理長はふっと笑んだ。


「勇者様。料理人と申しますのは、魔力の少ない者がほとんどです」

「え」

「儂もその一人ですが……魔法を使わずとも良い作業が、色々とあるためですな」


 ーー氷菓作りのように、複雑な魔法を使う調理法が一般的ではない、もう一つの理由。

 それは料理人の多くが魔法を苦手としているからだと、料理長は言った。

 魔法が使える者であれば無論、自分で魔法を用いた調理をこなす。トールの仲間達も皆そうだ。

 一方、貴族に仕える料理人や食堂のあるじなどは大抵、魔法よりも己れの手先を活用して料理をするという。

 魔法が苦手な者でもできる仕事、という一面も持っている訳だ。


「卑賎な職と呼ばれることも多いのですよ」

「そんなのおかしいだろ。人間は食べなくちゃ生きていけないのに」


 郷に入っては郷に従え、ということわざが日本にはある。

 トールも異世界と日本の違いは理解しているので、いちいち文句を付けるつもりはない。


 が、食べ物に関しては別だ。


 おいしいものは正義。

 それを作ってくれる人にはーー農家のみならず、料理人にもーー最大の敬意(リスペクト)が不可欠である。


「……勇者様から、そのように言っていただけると励みになります。我々もあなたの領民。これはお役に立てる数少ない機会ですから、叶えていただけませんか」


 祖父のような年齢の料理長に頭を下げられてしまうと、断るのは難しい。

 非常に助かるのも事実だ。トールの屋敷は人がまだ少ないので、人海戦術が使えない。一方、この場には十名近い料理人が並んでいる。


「……ありがとう。じゃあ頼んでいいかな」

「はい。お任せください」


 穏やかな表情の料理長に、籾が詰まった袋を預ける。


「でも、魔法を使わずに料理しても良いものなんだな。絶対ダメかと思ってた」

「魔法使いの皆様はそうでしょうな。我々は魔法の不得手を補うために、小手先の技巧を凝らしておるようなものです」

「そっか。実は俺もだ。勇者のスキル以外はさっぱりだからな。故郷では料理だって、魔法無しでやってたけど」

「勇者様も料理をなさっていたと?」

「専門家じゃないし、簡単なものだけ」


 炒飯(チャーハン)もどきやカレーくらいはトールでも作れるが。仮に異世界でやろうとするとハードルは高い。

 なぜならーー。


「イクス……聖剣も、頼めば野菜の微塵切りくらいはやってくれるかな? ただ油断すると、まな板どころか城ごと斬れるから……」


 魔法以前の問題であった。

 イクスカリバーが包丁、すなわち聖剣(じぶん)以外の刃物を持たせてくれそうにない。そして野菜や肉は聖剣にとって全く手応えがないため、うっかり力加減を間違えると大変なことになる。


「勇者様……食べたい物がございましたら、必ず! 必ずですぞ、我々にご相談ください。どんな些細なことでも結構ですので」

「だよなー。そうするよ」

「くれぐれもお願いいたします」


 トールは料理長に、非常にしつこく念を押された。



 勇者に自炊は難しい。



✳︎✳︎✳︎



「ーーマズい」


 勇者その人に言われた意味が、ディーリには分からなかった。



 ディーリは一日遅れでイナサに到着し、勇者トールと、仲間である弓使いマーシェに会った。

 トールはニコニコと笑って、再会を喜んでくれた。勇者だというのに、相変わらず気さくな人だ。マーシェもきちんとした女性で、聖女セレストと同様に信頼できそうだった。

 ディーリのような、ありふれた平民にも丁寧に接してくれる。できないことをやれとも言わない。

 そういう相手だから、父レンネも未知のショーユ造りを引き受けたのだと思う。

 その後も紆余曲折はあったのだが、今日は試作品の出来を確かめてもらう機会だ。


 数点の試作品を並べたところで。

 マズい、と勇者に言われて、耳を疑った。

 おかしい。

 最初に一番酷い失敗作を出してしまった時でさえ、笑って許してくれたトールが。


「えっと、それはどういう……あれ?」


 ディーリは瞬きをした。


「えっ?」


 イナサの城館にある応接間で、向かいに座っていたはずのトールがいない。


 キイッと音を立てて窓枠が揺れた。

 窓は閉めてあったのに。


 なぜか開け放たれている窓へ弓使いマーシェが駆け寄り、そのまま猫科の獣のように躊躇いなく外へ飛び出す。


「うええっ?! マーシェさんんんん?!」


 ここは三階だ。

 だが、続いて金髪の女性剣士ーー護衛官の一人だったはずだーーが走り寄って、バタンと窓を閉め、厳しい表情でディーリを振り返った。


「割れ物は仕舞ってください!」

「は、は、はいぃ?!」


 ディーリは訳が分からないまま、言われた通りに試作品を箱へ戻す。

 その耳に、またしても信じがたいものが聞こえた。


 人ならぬモノが発する、鼓膜をつんざくような甲高い叫び。


「ええっ?! そんな馬鹿な」


 勇者によって魔王が倒された今、早々に聞くとは思っていなかった声だ。

 ようやく理解が追いついてくる。

 トールはこれを察知して、目にも止まらぬ速さで飛び出していったのだと。



 窓の外で、蒼い雷光が閃いた。

 一度だけではない。二度、三度ーー。



 魔物の群の襲撃だった。

次回イベント入ります。

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