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36.こぼれ話 彼方に在る、日本という国(中編)

「お前は基本、人前では喋るな」


 仮にも勇者であるトールに向かって、最初にそう言ったのはフェンだ。

 

 強引だとは思うが、何しろ召喚された直後のトールと来たら、発言する内容に問題があり過ぎた。

 勇者は女神の加護により、大陸共通語を話せるようになっている。

 にもかかわらず、トールの話にはちょいちょいと理解不能な言葉が含まれていたのだった。


『ロジオン師がさ、前に魔法でお茶を淹れてくれたんだけど。めちゃくちゃ難しい魔法らしいって本当?』


 例えば、大したことのない雑談でも。


『ああ、アレやったのか、師団長……』


 手を使わずに魔力の操作だけで茶を淹れるのは、師団長ロジオンの隠し芸……というには隠れていないが、とっておきには違いない。


『難しいというか手間が掛かる。オレもできなくはねえが面倒過ぎて絶対にやりたくねえ』

『へー。物理法則どうなってるんだろうな』

『……いま何つった』


 油断するとすぐ、これだ。


『魔法を使わないと、水やお茶っ葉が宙に浮いたり、動いたりしないじゃん』

『そりゃそうだが』

『俺の故郷では物が動くとか、水がお湯になるとか、法則があって数式で説明できるんだよね』

『何でそんなことを知ってやがる』

『ちょうど学校の物理の授業でやってるところだったから?』

『…………』


 学校の物理の授業。


 この単語の羅列だけ取っても、全く見当がつかない。

 トールはわざと、分かりにくい言い方をしているのではない。気を抜くとニホンの話が出てしまうだけのようだが。


 フェンことフェニックスは、ラクサ王国の上級魔術師だ。

 平民の中でも最下層と言える生まれだが、才能を見出されて魔術師団に入り、ラグリス大陸でも最高水準の教育を受けてきた。自分より上の魔術師は、そう何人も居ないと断言できる。

 その彼が全く聞いたこともなければ、理解も及ばないようなことを。

 トールは完全なる無意識のうちに、平気な顔で言い出す。


(師団長……異世界への好奇心を押さえ込むのが面倒になって、オレに押し付けたな)


 ガッコウやジュギョウとは何なのか、訊けばトールは答えてくれるだろうが、例の不文律に触れてしまう。


 勇者に故郷のことを尋ねてはならない。

 帰りたいと言わせないために。


 ところが、突っ込みを入れないと意味不明な内容が多過ぎて、うっかり雑談もできない。

 さらに悪いのが、詳しく知りたくなる話ばかりだということだ。

 世界の真理を追究する魔術師にとっては特に。

 いや、商売でも政治でも。

 恐らくトールの知識は有用なものが多い。


 フェンは溜息を吐き、そして、言わざるを得なかった。


「トール。お前は基本、人前では喋るな」

「うぇ?! 何で?!」

「何でもだ。いいか、どうしても答えなきゃならねえときはハイかイイエだけにしとけ」

「どうして有名ゲームの勇者みたいな真似しなきゃいけないんだよ」

「……そのげーむとかいう単語も禁止だ。とにかく黙ってろ」

「だから何でだよー」


 なかなか納得しないトールと、不毛な言い争いをする羽目になった。



 この時のフェンには、まだ分かっていなかったと言える。

 トールが日本という異世界から持って来たのは、異形の知識だけではなかった。



✳︎✳︎✳︎



「あ、トール様。こんにちはぁ」

「外出ですか?」


 トールが屋敷を出ようとしたところで、ランとネイに遭遇した。


「ああ、田んぼを見に行く。二人はそれ何?」


 兄妹は木箱や布袋に入った大荷物を抱えている。


「厨房に運ぶ食材です」

「ちょっと貸して」

「あっ」


 手を触れて収納スキルを発動し、異空間へしまい込んで歩き出した。


「トール様!」

「はわわわわ、申し訳ないですぅ!」


 手持ち無沙汰になった兄妹が慌てて着いてきた。


「どの辺に置く?」

「いえあの、ここで良いです。十分ですから!」


 厨房に到着してから、少々の押し問答があった。

 ネイは責任感が強い。屋敷の主人であるトールに、荷運びなんてさせてはいけないと思っているようだ。

 トールにしてみれば最初はセレストとフェンしかいなかったので、空間収納を持つ自分がやるのが当たり前、なのだが。

 兄妹は、ここへ来た時は痩せていた。まともな暮らしができていなかったためだ。

 ちゃんと食事がとれるようになり、ようやく年相応になってきたものの、まだ細っこい。

 その二人が一生懸命になって重い物を運んでいるのを見るとーー。

 何もしない選択肢はない。


「大して手間は変わらないよ」

「ですが」

「んー俺、早く出掛けたいなー。ネイー、どうしてもダメか?」


 トールは少々芝居がかった口調で言ってみる。


「す、すみません。では……」


 ネイが恐縮しながら、アレはここで、そっちはその棚に、と指示を出す。

 トールには手慣れた作業で、言われた通りに荷物を出せばすぐに片付いた。


「ん、終わり」

「ありがとうございますぅ!」

「たまには収納スキルも使わないと、なまりそうだから。ちょうど良かった」

「僕達が使用人失格になってしまいそうなんですが……」

「ネイは真面目だなー」


 つい苦笑が浮かぶ。


「今より役に立てるよう頑張りますので」

「最近、フェンやセレストに魔法を習ってるんだって?」

「はい。〈伝書〉だけでも使えるようになりたいので」


 先日まで屋敷に滞在していたシャダルムとクリスから、兄妹はさまざまなことを教わった。剣術や体術に限らず、魔法の能力を伸ばす道もある、と言われたそうだ。

 特にクリスが〈伝書〉を扱える杖持ちの騎士であったことから、ネイも熱心に勉強している。


「〈伝書〉か、確かに便利だよな。俺も挑戦したことある。全然ダメだったけど」


 トールは魔法を覚えるのが苦手だ。

 基礎中の基礎である〈水生成〉や〈発火〉、清浄魔法すら苦戦した。使えないと日常生活に支障が出るので、死ぬ気で最低限は習得したのだがーー未だ完全には制御できていない。

 もう少し高度な〈伝書〉や農業魔法は、言うに及ばず。試しにやってはみたが無駄な努力に終わった。

 大魔力を持っているのにーー否、魔力が多過ぎるがゆえに、制御に苦労する典型例だ。

 さらに。


『さすがに三年経ってコレじゃあな。勇者の固有スキルで、魔法的な才能がほぼ食い潰されてるんじゃねえかって気がしてきた。他の魔法を入れとく空きが無いのかもな』


 最近になってとうとう、フェンが呆れ顔でそんな推論を言い出した。


 勇者は必ず、魔法や魔力のない世界から召喚される。トールだけではなく、かつての勇者達も皆、そうだったという記録がある。

 勇者の固有スキルが、他の魔法やスキルと比べて異質であるためだと言われていた。

 生まれつき魔法の力を持っている人間は、勇者のスキルを併せ持つことができない。

 だから、彼方に在る異世界から連れてくる。


 特異な力を抱え込めるだけの容量(キャパシティ)を持ちながら、魔法に染まっていない存在を。


 そのようにして召喚される者を勇者と呼ぶ。

 歴代の彼等も得意、不得意はさまざまだったようだが、トールはその中でも特殊なのかもしれない。

 勇者的な能力にステータスを全振りされた、究極の特化型ではないかというのだ。


『誰が決めたんだ、その極端なスキル構成』

『常識で考えりゃ女神ってことになるだろうな』

『セレストに怒られそうだけど、もうちょい融通を効かせてほしかったよ女神様。勇者はもっと万能かと思ってた』

『勇者スキルでとんでもねえ馬鹿騒ぎをあんだけやっといて、まだ足りねえのか』

『ある物で何とかしなきゃいけないからだろ。農業魔法が使えたら、こんな苦労しなくて済んだのに』

『……卵とコカトリスのどっちが先なんだかな……』



 そういう訳で残念ながら、トールは今後も魔法を覚えられそうにない。



「ーートール様でも、できないことがあるんですね」


 勇者の癖に情けない、などとネイは言わなかった。善良な性格である。


「できないことの方が多いんじゃないかな」


 かつての勇者達がどうだったかは不明だが、少なくともトールはそうだ。

 先代勇者ラヴァエロは……女好きの悪癖は横に置くとして、勇者としては器用で有能だったと聞く。しかし百年単位で昔の人物であり、比べても仕方ない。

 日本のゲームだと「勇者」は何でも平均的にこなせるイメージだったのに、ままならないものだ。


「僕、もっと勉強します。トール様を手伝えるように」

「私も!」

「頑張り過ぎはダメだぞ。でも、ありがとな」

「大丈夫です。トール様こそ、いつも……ありがとうございます」


 ネイは深々とお辞儀をした。

 ランもぴょんと頭を下げ、兄にならう。


「別に荷物持ちぐらい、いつでもやるよ。そのくらいはできるから」


 トールは頭をかいてから、今度こそ田んぼへ向かうことにした。



✳︎✳︎✳︎



「お兄ちゃん、またトール様に手伝ってもらっちゃったね……」

「僕もちょっと、まだ慣れないよ」

「前のお屋敷だったら、目障りだからどけ、って言われてたよね」

「天地がひっくり返っても手伝うなんてないな」

「トール様の故郷には身分制度がないから、気にしないみたい……ってセレスト様が言ってたね」

「うん。最初は信じられなかったけど、きっと本当なんだと思う」

「どんな国なのかなぁ……」

「訊いたらダメだからね? ラン」

「知ってるよぅ。昔のことは訊かないっていう決まりなんでしょ? トール様がお話ししてくれるの待つってば」



✳︎✳︎✳︎



「ううーん! 待つ身はツラいですねえ! 勇者殿のせいで仕事があり過ぎるのが、一番いけないんですけども!!」


 イナサの町の城館で、補佐官ジョー・キラップは変わらず騒がしかった。


「執務の間くらい静かにできないんですか、ジョー」


 傍らに立つフロウは、いつも通り冷静に返す。


「黙って手だけ動かすなんて、ただの拷問でしょ! 僕は口も動かした方が早く終わるんです」


 ジョーは通常運行でやかましいが、実際に喋り倒しながらも手許は休みなく動いている。


「相変わらずよく分からない性能ですが。終わったのなら、こちらもどうぞ」

「さりげなーく仕事を増やしましたね、フロウ! 全く、才能ある副官が居て僕は幸せ者ですよ……おや、マーシェ殿からですか」


 ジョーは書類を摘み上げて眺めた。


「一部に数字の間違いがあったとのことです」

「ほう、早いですね」


 イナサの町と勇者の屋敷は距離がある。

 先日ようやく〈伝書〉を使える魔法使いがイナサに着任し、通信が始まった。

 魔法の性質上、無制限に連絡が取れる訳ではないが、ジョーと勇者屋敷にいる弓使いの仕事は速やかに進むようになった。

 作業量が増えたとも言うが。


「……随分と細かいところまで。というかコレは、うん、なるほど?」

「何かありましたか」

「どうも発端は勇者殿のようです」


 あっさりとジョーは看破した。


「あの方は平民出身では?」

「僕らの常識なんて通用しませんよ。勇者殿は滅多に貴族の前へ出ませんから、思いっきり誤解されてますけど。今回の件もですが、わずかながら漏れ聞こえてくる話を総合すると、ニホンとやらは魔法も無い未開の後進国じゃない。国力はラクサより上だろうと僕は思ってます」

「そうなのですか」

「うん、そうです。で、そんな国なのに身分制度がなく、貴族と平民の違いがない。そして勇者殿は読み書きも計算も不自由がない。つまり学がない平民が大勢いるのではなく、僕らの理解で言えば貴族だけで運営されているような国家と思った方がいいでしょう」

「我が国には読み書きや計算など、武威に欠ける軟弱者の足掻きだと公言する貴族も少なくありませんが」

「あっはっは、我が父上や兄上のようにね。ですから……より正確には、あらゆる人間に一定以上の知識が行き渡っているのかもしれない国、ですかねー」

「……私には想像もつきません」

「恐るべき話です! わざわざ、それを匂わせてくるマーシェ殿も実に油断なりません」

「ジョー、楽しそうですね?」

「化かし合いは僕の本領ですからね! さあて、どうやってニホンのお話を聞き出しましょうか……勇者殿ご本人は別に構わないと言ってましたが、お仲間の皆さんが結構怖いんですよね。下手なことをするとヨーバル家のように刺されますし」


 何でもないことのようにジョーは言い、見ていた書類にサインを入れて脇へよけた。


「そう言えばジョーはあの時、ユージェ様に何を吹き込んだんです」


 フロウが訊いた。

 ジョーは新しい書類を手に取り、器用に横目だけで彼女をにらんでみせる。


「フロウまで僕のせいにするんですか」

「日頃の行いです」

「清廉潔白の無関係だというのに!……おじょーさまが何かやらかすだろうなとは思ってましたよ?」

「でしょうね」

「でも、あの妹さんの件は本気で想定外です。庶子であること自体は特にね、貴族には珍しくもありませんが、魔術師の階級まで誤魔化してるなんて盲点です。連絡が来て初めて知りましたよ! よりによってフェニックス殿の前に出してしまったのが不味かったんです」

「親切心ばかりではなかったと?」

「勇者殿は根が善人ですから、単純に手を差し伸べたんだと思いますけども。魔法使いから無力化するというのは、どんな兵法書にも書いてある戦術の基本ですよ。真正面から叩き潰すだけが戦じゃありませんからね!」

「……私は、良かったと思っています。勇者殿なら断罪して終わらせることもできたはずです。それだけの力がお有りです。にもかかわらず手を差し出して……その結果として、彼女は自由を得たのですから」


 フロウが随分と長く喋った。


「おや? 優しいですね、フロウ?」

「似たような立場なので。ジョー、勇者殿を相手に悪巧みをするのは構いませんが、程々にすると約束してください」

「引き際は心得てますとも! 少しくらい僕を信用してほしいですね」

「自由を得ても使い切れない人間もいるのですよ。心配をするのは当然です」

「おやおや、勇者殿は愛されていますねえ」

「勇者殿の話ではありません」

「ほう?」

「従弟の心配をしてはいけませんか」

「可愛いことを言ってくれる……断れないじゃないですか」

「いけませんか」

「いけなくはないです。ええ。しょうがないですねえ、程々にします」


 無表情な従姉の、耳の先だけがほのかに紅い。

 ジョーは低く笑い、もう一枚書類をめくった。


「……僕は確かに、ニホンの話に興味がありますよ? でもただの好奇心だけではないです。ニホンの優れた点を、この地にも取り入れることができたら面白そうでしょ? 勇者殿もね、もう国に帰ることはできないんですから、ここが第二の故郷になれば良いんです。そうすれば長く我が国にとどまってくださるでしょう」


 かつての勇者達が魔王討伐ののち、どのように過ごしたかはさまざまだ。

 先代勇者は女性に囲まれてラクサで暮らしたが、さらに遡ると歴代には諸国を放浪した、あるいは消息を絶ってしまったという記録も見られる。

 異世界へ帰った、という逸話にしても真偽は不明である。送還の魔術が大変難しいものであることから、実際は亡くなったか、生死不明となったかーー。あまり考えたくないが、そちらの可能性が高い。


 魔王を討っても、勇者の能力や地位が失われる訳ではない。

 「勇者」という最強の手札を持っておけるかどうかは、ラクサ王国の今後を左右する。


「……とまあ、コレが建前ですね!」


 ジョーは再び手を動かして書類に書き込みを入れつつ、言ってのけた。


「僕とて一応は王国の臣民ですけど、自分の身が一番大事ですからねー? ちゃんとこの領の発展に尽力しておけば、勇者殿や仲間の皆さんから見捨てられずに済むでしょ? 代官でも補佐官でも何でも結構。イナサに残れるんなら問題ありません」


 騒々しい本音であった。

 それを聞いたフロウは静かに微笑み、念を押した。


「……ここに、いられるのですね?」

「そういうことです。君もですよ、フロウ」


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