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29.銀河のしずく、女王の進軍(中編)

 白の女王群は、既に移動を始めている。

 トレヴォン大湿原から出て、風に乗って北上。北部王国のあちこちで被害を出した後、さらに数を増やし、ラクサ王国へ向かう。


 かの国は迎撃準備を整えていた。

 やるべきことは決定されている。その通り実行する、ただそれだけのこと。

 国境に程近い野原に集まった、数人の男女もそうであった。


「ーー見えました!」


 魔術師のローブをまとった女が、声を上げる。

 トレヴォン方面の南の空に、うごめく雲のような何かが現れる。

 もやもやとしたそれは、しかし雲とは異なる挙動を見せ、刻々と形を変えていく。

 不気味な羽音が遠く聞こえた。


「白の女王群、確認。各自、行動開始するように」


 もう一人、これも魔術師の男が冷徹に告げる。

 女魔術師をはじめ、一団は速やかに動き出した。

 彼等は、王都から旅してきた魔術師と魔道具職人であった。

 職人達は、荷馬車から積荷を下ろす。一抱えほどある木箱を開け、中から取り出したのは小鳥のような形をしたものであった。数は五つ。


「失礼します……」


 女魔術師が断りを入れてから近寄り、その一つを手に載せる。

 魔力が流れ込み、魔道具は翼を震わせて宙へ浮いた。くるくると舞いながら、女魔術師の周囲を巡る。


「……問題はないようです」


 女魔術師がつぶやき、魔道具を停止させて元の位置に戻す。

 職人の中でも一際若い男が、得意気に鼻の横を擦った。


「当たり前っスよ。ウチの工房はこういう時、手抜きなんかしませんって」

「確認する決まりですので……」


 女魔術師は、少し気まずい声を出す。


「あ、いやスイマセン。続きどうぞッス!」

「次に進みます……副団長?」


 副団長。

 そう呼ばれた男は、無言で魔道具を手に取ると、小鳥の背の部分に小さな部品をはめ込んだ。

 魔法薬が詰められた小瓶である。

 慎重な取り扱いが求められるそれを、男は気負う風もなく淡々とした手つきで、五つとも取り付ける。

 女魔術師が、全ての魔道具に魔力を注いで宙に浮かべた。


 うなるような羽音は大きくなっていく。

 雲に見えていた魔物の群れが、次第に近づく。

 群れは大小の虫型で構成されていた。

 蝿に似たもの、蝶や蛾、蜻蛉(とんぼ)に似たもの、甲虫のようなもの。芋虫や蚯蚓(みみず)に無理矢理、(はね)を生やしたようなものもいる。

 体色は全て抜け落ち、雪に晒したようだ。その姿は虫らしさが薄い一方で、自然のものではない不気味さに満ちている。

 死せる鷲獅子(グリフィン)、白の女王。その強い瘴気を受けて変異し、生まれ出た証だった。


「うげえ、気色わるっ?!」

 顔を引きつらせる若者とは対照的に、魔術師二人はてきぱきと準備を終えた。


「行きます……!」


 女魔術師の声と共に、魔道具が一斉に上昇した。

 小鳥に似た翼が羽ばたき、上空で旋回を始める。

 背中の小瓶から、少量ずつ魔法薬が放出される。

 群れの先頭にいた数匹が反応し、速度を上げて襲い掛かった。

 だが魔道具は女魔術師の操作を受けて身をかわし、ぎりぎりのところで捕まらず舞い続ける。

 他の虫型も押し寄せてきたところで、女魔術師はすっと杖を動かした。

 魔道具の動きが変わる。

 さらに高度と速度を上げて、真っ直ぐに飛んだ。

 魔法薬に惹かれた魔物の群れが、続々と後を追う。

 そのさまは、空を白い川が流れていくようであった。


「魔道具による誘導、完了しました」

 女魔術師が息を吐いた。




 ーートールの発案した作戦は受け入れられた。魔法薬と魔道具を組み合わせ、白の女王群を勇者の元へ誘導していくことになったのだ。

 勇者を擁する魔術大国ならではの奇策と言える。



「魔道具は今のところ、稼働に問題はないっすよ。あとは自動で、勇者様の領地へ飛んでいくはず……ひぇ?!」


 若者が途中から、頓狂な悲鳴を上げた。

 地上の人族に気付いたらしき虫型が数匹、低い羽音と共に降下してきたのである。


「……風よ!」


 短い詠唱と共に女魔術師が術式を展開し、突風を起こして魔物を弾き飛ばした。

 だが致命傷ではない。

 魔術師の男が、ローブを翻して前へ出た。


 敵の全てが凍りついた。


 詠唱もなく一瞬だった。

 比喩ではなく、純白の虫の身体がさらに白く氷に覆われ、そのまま爆散したのだ。

 さらに何匹か魔物がやってくる。

 虫型の機動力を生かし、複雑な曲線を描きながら飛び掛かるが、氷魔術の方が早い。

 瞬く間に冷気が魔物を包み込み、霧氷に変えていく。


 魔術師団副団長、氷牢のトラスと呼ばれる男の技であった。


「職人さん、怪我はないですか……?」


 女魔術師は風の壁を作り、虫型の攻撃を防いでいる。

 戦闘に向いていない職人達や馬、荷馬車を守るのが彼女の役割だった。

 

「だ、大丈夫! 大丈夫っスよ!」


 若者の声は裏返っている。明らかに虚勢だが、闇雲に逃げ出したり混乱(パニック)を起こしたりはしていない。


「魔術師のお二人はさすがっすね……?!」


 魔物を凍てつかせ、処分して回っている副団長トラスは無論。

 女魔術師も見たところ若いが、落ち着いている。


「いいえ、私はこれしかできませんので……副団長のようにはとても」

「あんなのは普通、真似できないっしょ! 魔術は素人の俺にも分かるっすよ?!」


 倒された魔物が二十を超えたところで、ようやく襲撃は止んだ。


「大半は誘引できたようですが。やはり、はぐれ個体が出るのは避けられないといったところですか……」


 言いながら戻ってきたトラスは、息一つ乱していない。


「今回は、街から離れていて幸いでした」

「一応、飛行ルートは街や村、大街道を避けて設定してるっすよ。でも……」


 若者が表情を曇らせた。


「……確実ではない。それは認めざるを得ません」


 トラスもかすかにだが、眉を寄せる。

 虫型の魔物は、彼にとって大した敵ではなかったがーーそれはトラスの技量あってのことで、同様に対処できる者は限られる。


 ラクサ王国へ入った魔物のほとんどは、予定通りにイナサーク辺境伯領へ向かって飛行を始めた。

 だが、何しろ大群だ。

 必ず、はぐれる個体が出るだろう。

 地上に魔物の気を引くものがあれば、そちらへ行ってしまうこともあり得た。


「あのぅ、副団長。白の女王群ですが……当初の想定よりも、かなり数が多いような」


 女魔術師が空を見上げて、発言する。

 銀河(ミルキーウェイ)を思わせる大群は、未だ途切れることがない。


「トレヴォン側は、うまく間引きができなかったと見えます。同情の余地はありますが……」


 突如あふれ出た魔物を相手に、トレヴォン連合王国も総力を上げて戦ったはずだ。

 しかし、恐らく押さえ切れなかった。

 何でも喰う虫型は、大発生すると一番たちが悪い。

 トレヴォンの地はかなり荒らされ、白の女王群は暴食の結果、以前にも増して膨れ上がったものと思われた。


「勇者殿が救援に出たのは……結果的に正しかったとは言えますか」


 救援要請を勇者に打診するかどうか、ラクサ王国内でも議論はあったが。

 こうして事態が悪化しているさまを目の当たりにすれば、見栄も何も吹き飛ぶというものである。


「王国内の警戒レベルも引き上げるべきか……いや」


 眼鏡の奥で、トラスは目を伏せた。


「今更、ここで考えても意味は無いでしょうね。任務は完了、王都へ戻ることとします。イヴ」

「はい。皆様、準備をお願いします」


 イヴはうなずき、同行する職人達に声を掛けた。



 魔術師イヴ。

 彼女が貴族家の庶子という身分を捨て、魔術師団直属となったのは最近のことである。

 今回、トラスは魔法薬を運ぶ役目で、身動きが取りにくい。

 イヴは中級に成りたてではあるが、風魔術の扱いに関しては上級並みの腕を持っていること、加えて勇者パーティーもやっていた長距離かつ高速移動の術式を習得したことが決め手となり、同行者に抜擢されていた。


 一行は魔術の力を借りて、王都へ引き返す。

 往路は魔力の温存を余儀なくされたトラスも、帰りは身軽だ。

 二人掛かりの魔術が彼等を後押ししていた。


「ーー職人さん、大丈夫ですか? 水で良ければ飲みます?」


 休憩を取ることになり、ぐったりしている職人達をイヴが気遣う。


「あ、いただきます……うー、魔術師さんが女神様に見えるっス……」


 若者が青い顔をしつつ、冷たい水が入ったカップを受け取った。


「かー! 生き返るなあ!」

「ただの水が酒より美味え!」


 他の職人達も、飲み水を口にして明るく笑った。


「もうすぐ宿場町に入りますので、あと少し頑張ってください」

「ハハハ! 俺達だって体力勝負の職人だ、慣れれば大したこたねえさ! 若い癖に一番ひ弱なのがコイツだよ!」


 職人の一人が、若者の頭を小突く。


「痛えっス、馬が苦手なだけっすよ! これでも親父よりはマシだっての」


 はたかれた頭を押さえて、若者が喚いた。


「親方はドワーフ崩れだからなぁ。足が短けえんだ、馬に乗れねえのは仕方ないだろうさ」

「そうなんですね、先祖返りの方にはあまり会ったことがありません。ロジオン師団長くらいでしょうか」

「ダンツ工房でも親父だけッスね、先祖返りは。俺も全然似なかったし」


 若者はやや小柄だが、確かに外見はドワーフらしくなく、普通の人族である。


「親父も自分が行くって言って、最後までうるさかったっす。でも、そういう理由があって俺が代わったんで、今頃ヤキモキしてるんじゃないッスかねー?」


 イヴは小さく笑った。


「仲が良いんですね、お父様と」

「うへぁ……オトウサマなんてタマじゃないッす、ありゃ糞親父で十分っスよ?! 魔術師さんって、ひょっとして良いところのお嬢様だったりします?」

「え? いえ、あの、そんなことは……」


 否定も肯定もし切れず、視線を泳がせるイヴだった。



 そんな彼等の元へ、トラスが歩み寄る。


「副団長、何かありましたか?」

「残念ながら良くない知らせです」


 トラスの返答は短かった。


「王都からの〈伝書〉によれば、白の女王群は想定のおよそ二倍から三倍に数が増えているそうです」

「三倍って……ほんとっスか……」

「各地の目撃情報と魔力からの推計です。多少の誤差はあっても大きく違わないかと」

「副団長と私は、急いだ方が良いですね?」

「その通りです。ダンツ工房の方々には申し訳ないが、次の宿場町で別行動にさせてもらいます。街道は恐らく閉鎖されるでしょう、しばし滞在してもらうことになるかと」

「ふむ、分かりやした。国の一大事だ、とっとと出ましょうや」


 年配の職人が答え、彼等は休息を切り上げて出発した。


 魔術師二人は、無茶を承知で魔術を強く発動させ、先を急ぐ。

 街から離れた場所で別行動は取れない。白の女王群以外にも、魔物や盗賊が現れる危険がある。

 職人達もそのことは分かっている。強行軍で目を回しそうになりつつも、不平を言わずに着いていった。



「工房の皆様、師団への協力に感謝します。本当にありがとうございました」


 宿場町の入り口で、イヴは丁寧に礼を述べた。


「ウチの魔道具が役に立ったんなら嬉しいッスよ!」

「これからもご贔屓に、ってやつですな。ワシらはここで待たせてもらいやす。魔術師さんがた、お気を付けて」


 気の良い職人達とはここで別れる。

 トラスとイヴは馬を替えて進む予定だが、その前に少しだけ休憩を取った。

 宿場町の警備隊から詰所の一室を借り、茶をもらう。



「イヴ、魔力の残りは?」

「申し訳ありません、もう半分以下です……」


 トラスの問いに、イヴは肩を丸めて答えた。

 彼女の魔力量は豊富だが、魔道具の操作や女王群との戦闘、長距離の高速移動が続いて消耗している。

 魔力回復薬も持っているが、これは連続して服用できないなどの欠点も多く、使いどころの難しいアイテムであった。


「構いません。正確に申告してもらう方がいい。この後は代わります」

「はい……ですが、副団長。今から急いで間に合うでしょうか」

「勇者殿の領地に、という意味でしたら無理です」


 トラスはさらりと言った。


「距離と移動速度から言って、もう飛行型には追い付けません。〈伝書〉で警告はしてあります、勇者殿と師団最悪の火力馬鹿が何とかするでしょう」

「……本当にあの人と相性が悪いんですね……」


 溜息を吐くイヴ。

 トラスは、きれいに聞こえないふりをした。


「大変に不本意ながら、あちらの心配はするだけ無駄というものです。ただ我々には、我々のやるべきことがあるのでね」


 ーー休憩は終わりです、と付け加えてから、トラスは立ち上がった。


「そうですよね。きっと、大丈夫……」


 イヴはつぶやき、その後を追った。



✳︎✳︎✳︎



「最大三倍になってるって、増えるワカメや素麺じゃあるまいし……」


 一方、イナサーク辺境伯領。

 白の女王群が数を増やしている、という情報を聞かされたトールは、間抜けな感想を言ってしまった。


「……何だそいつは」


 連絡を持ってきたフェンが、不明瞭な顔をする。


「あ、悪い。俺の故郷の食べ物だから気にしないでくれ」

「食い物が増えるとか、不思議の国のオハナシはまた今度にしろ」

「別に不思議って訳じゃ」

「うるせぇぞ。状況が変わってきやがったから、気合入れとけってことだ」

「放っておかなくて正解だったな。もっと悪くなってから、どうにかしろって言われても無理だったと思う」


 例えば、ラクサ王国中に被害が拡大した後だったとしたらーートールでも手に負えない。


「お前の出撃に反対してたやつらもな、さすが勇者サマの慧眼だとか抜かして手のひら返しが始まってるみてえだぜ?」

「全然そういうつもりじゃなかったんだけど……」


 主に稲刈りとの兼ね合いで始めたはずなのに、何かおかしい。

 首をひねっているトールを見て、フェンが人の悪い笑い方をする。

 トールは思考を切り替えた。


「結局、群れはどこまで進んでるんだろうな。そろそろ見えても良さそうじゃないか?」

「辺境伯領には、もう先頭が来てもおかしくねえはずだが……」


 トールとフェンは、同時に彼方を見た。


 地上にはフロウ達が率いる軍勢がいる。

 けれど、空は青く晴れている。

 強い夏の陽射しが降ってくる。


 だが、トールは目を凝らして見つけた。

 雲にしては不自然な動きをするものを。


「多分あれだ。来た」


 トールが告げると、フェンは黙って狼煙(のろし)代わりの魔術を打ち上げた。

 紅い火の球がいくつか宙で弾けて、きらきらと散る。


「ちょっと行ってくる」

「待て。セレストを呼ぶから支援を受けておけ」


 フェンが〈伝書〉を使ったらしく、数分経つとセレストが急ぎ足で現れた。


「間に合いましたか、良かったです」


 トールを見て、セレストがにこりと笑う。それから杖を掲げて、次々と支援魔法を掛けてくれた。

 体力、攻撃力、防御力……セレストはさまざまな能力の底上げができる。


「ーー無事に帰ってきてくださいね」


 彼女の魔法は祈りだ。


「平気平気。数が多いけど、魔王より強くない」

「だから一番極端なのと比べるんじゃねえ。やり過ぎるなよ、トール」

「分かってる。フェンもセレストも無茶するなよー」


 トールは軽く手を振って、空を覆い始めた白の女王群を目指して歩き始めた。



✳︎✳︎✳︎



「いよいよだね」


 マーシェは弓矢を手にしていた。

 鍛錬は欠かしていないつもりだが、正直なところ、きちんと触るのは久しぶりだ。


 先程フェンの魔術が空に光り、セレストが走っていくのが見えた。

 敵がじきに到達する合図だ。

 魔道具が大群を誘導しているはずだが、そろそろ稼働時間の限界を迎える。

 今度は別の方法で、虫どもをこの地に惹きつけておく必要があった。


 その手段こそ、マーシェが持つ矢の先にくくり付けられている小瓶だった。


 内側からわずかに漏れてくる邪悪な魔力が、背筋を冷たくさせる。


「また、こいつを拝むことになるとはねェ……」


 駆け出しの冒険者だった頃に見た、魔法薬。

 あの時は遠目に眺めただけだった。

 こうして間近にしてみると、恐ろしい代物だということが嫌でも伝わってくる。

 本物の瘴気ではなく、似て非なるもの。頭では分かっていても、身体が勝手に身構えてしまう。

 この恐怖と忌避感は、物心つかない頃から刻み付けられているものであった。

 だが異世界から来たトールは違う。

 だから、瘴気を囮にしてはどうか、などと凄まじいことも言えてしまう。


(悪気は無いのが、また困ったもんさ)


 しかし。

 それがなぜか正解になっていることがあるから、とんでもない。


(女神様が後ろでこっそり、何かしてるのかって思うくらいなんだよね)


 今回の件にしても、もしトールの作戦がなかったらと思うと寒気がする。

 彼女の故郷どころか、ラクサという国そのものさえ危うかったかもしれない。



 神官服の裾をなびかせながら、セレストが戻ってきた。


「ーートールは行ったのかい?」

「ええ。農作業に出掛けるのと変わらない顔でした」

「あいつらしいね。フェンも?」

「トール様とは少し距離を取って待機するそうです。巻き込まれると大変ですので」

「自称農業とは比較にならないもんね。正しい判断だわ」

「フェンも大規模な魔術を使う時、周りに人がいない方が良いでしょうし……二人とも、わたくしにできる魔法は全て掛けてきましたから。あとはこちらに」

「そうかい、頼んだよ。あの二人なら心配いらないさ」


 セレストはうなずいてから、声を小さくしてささやいた。


「……ねえ、マーシェ。笑わないで聞いてくれますか?」

「ん? 良いとも、お姉さんに何でも言ってごらん」


 マーシェは冗談めかして促す。


「わたくし、聖女として勇者の補佐をすべきだと、ずっと言い続けてきたのですけれど」

「言ってるね、しょっちゅう」


「……それは嘘なんです」

 セレストの唇から、意外な言葉がこぼれた。


「どういうことだい?」

「いえ……最初は本当でした。ですが」


 視線を下げて、セレストは続ける。


「わたくし、今まで自分のものがほとんどありませんでした。神殿は何でも分かち合うところですので」


 セレストの手許にあっても、真の意味で彼女の所有物ではない。神殿から、あるいは女神から、貸し与えられているものに過ぎなかった。


「でも、ここにはわたくしの居場所ができていて……わたくしの部屋があって、菜園があって、みんながいて。だから、離れたくありませんでした。神官にあってはならない我が儘なんです」


「いやー、我が儘じゃないよ? そりゃ普通だよ、セレスト」

「……軽蔑しませんか?」

「する訳ないよ、あんたって娘はもう」


 できれば頭を撫でてあげたい。けれど両手は弓矢と、取り扱い厳重注意の魔法薬で塞がっている。

 マーシェはできるだけ優しく微笑んだ。


「あたしもね、実はちょっと反省してる。あたしの故郷は南の方にあるのに、あたしはトールにそれを言わずに済ませようとした。仲間にはちゃんと相談しろって説教した癖に、自分はやらなかったんだよね」


「マーシェ……」

「さっさと言えばよかったんだ、トールの力で助けてほしいって。あいつは結局、行くって言ってくれたし、一つも怒らなかったけど」

「……トール様は紛れもなく勇者です。たとえあの人が、ご自分のことをただの農家だと思っていても」

「ふふ。稲刈りの前に絶対終わらせるんだって、そっちを気にしてたよ、あいつ」


 マーシェが茶化すと、セレストもようやく、控えめな笑顔を見せた。


「……それは一大事です。全力を尽くさないといけませんね」

「そうだろう? 理由なんて、それで十分さ」

「はい。ありがとうございます、マーシェ」

「どういたしまして。さあ、そろそろ始めるよ」

「了解しました。いつでも」

 


 神官達の指揮へ戻るセレストを見送ってから、マーシェは表情を改めた。

 矢をつがえ、きりきりと弦を引き絞る。


「せっかく手間を掛けてお招きしたお客さんだ。せいぜい歓迎してあげようじゃないか」


 魔力を込めた手から、矢が放たれた。


 風を裂いて飛び、そしてマーシェが仕込んだ通りに、空中で爆ぜる。

 魔法薬が生み出した、瘴気にそっくりな魔力が撒き散らされていく。


 マーシェは方向を変え、数箇所へ同じように魔法薬付きの矢を送り込む。



 白の女王群の動きが変わった。



 虫型の魔物にしてみれば。

 おいしそうな料理の匂いだけ嗅がされながら、ずっと飛行してきたような状態である。

 彼等は空腹だった。

 そこへ一際強い瘴気(エサ)の臭いがして、地上に数多くの人族が集っていることに気付く。


 ーー食事ダ。

 ーー美味ソウダ。

 ーー喰イタイ。


 もっとも強い本能に従い、魔物は翅を震わせて舞い降りる。


 熾烈な戦闘が始まった。

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