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28.銀河のしずく、女王の進軍(前編)

「スピノエス、ルリヤ神殿より神官十名、着任いたしました。イナサ駐在となっておりました神官クレイス、サディ、ソーラ三名も合流しています」

「同じくスピノエス、領都警備隊から二十名。指揮は警備隊長レーバス。如何様にもお使いください」

「ヨーバル伯爵家、キラップ伯爵家の増援も既に到着しております。今回は私ことフロウ・キラップが指揮いたします。新鮮味はありませんが、よろしくお願いいたしますね、勇者殿」


「ああ。手間を掛けるけど、よろしく」

 トールは簡潔に返事をした。

 勇者としてここにいるからだ。

 偉そうに振る舞うのは苦手だが、仕事のうちだった。


(異世界の害虫防除って、半端ないなあ……)


 内心はいつもと同じ、農家仕様だったが。

 なぜ、こんなことになったかと言えばーー。



 ひと月ほど前に遡る。



 それはトール達四人がイナサの町の開拓を手伝い、屋敷へ帰ってきた直後のことであった。


「魔物の大群が現れた?」


 聞き返したトールの顔は、少し引きつっていたかもしれない。


 トールが魔族に出会った日から、二日も経っていない。

 早朝にイナサを出発し、屋敷へ帰ってきたのが昼過ぎで、まず田んぼの様子を見て回った。

 再び屋敷に戻ってから荷物を出したり片付けたりしているうちに、マーシェとフェンが凶報を告げに来たのである。


 トールが悪い想像をしたのも無理はない。


「安心しろ。多分この間の魔族は無関係だ」

「トレヴォン連合王国で発生したらしいからね。原因もほぼ特定できてるよ」


 二人が口々に言う。


 トールが話を聞き出した魔族メルギアスによれば、現在の魔族は、魔物を使役できないはずだ。

 しかし、もしメルギアスが嘘をついていたら。

 魔物を操り、人族を襲わせたのだとしたら。

 トールは再び、魔族と戦わなければならなくなる。


「違うなら良かっ……いや、ダメだよな」


 思わず本音が漏れ、口をつぐんだ。


「トレヴォンは魔族領とだいぶ離れてる。さすがに、魔族のせいにするのは無理があると思うよ」


 ーーもう百年ほども前から、トレヴォン連合王国には、ある魔物が棲みついていた。

 メスの鷲獅子(グリフィン)だが、通常と違って全身が真っ白で、白の女王(クイーン)という異名を取る特殊個体だったそうだ。


「ラクサの冒険者だったあたしでも知ってるくらい、悪名高い魔物ってやつだね。討伐が難しいことでも有名だった」

「飛行型は空に逃げるからな。それに、あの国は面倒くせえんだ」


 トレヴォン連合王国は、その名の通り二つの王国が並び立っている。

 元は一つの国だったが、これも百年ほど前に王位継承争いが起こり、二人の王族がそれぞれ王を名乗って国が南北で分かれた。

 その後、色々あって北部王朝と南部王朝が交互で両国を統べる王位に就くという、他に類を見ない連合王国になったのだが。


「北部と南部で、めちゃくちゃ仲が悪いんだよね。あたしら外の人間から見りゃ、おんなじトレヴォンなのにって感じだけどさ」


 北部王国と南部王国は、非常によく似た別の国、という状態にあった。南北の行き来はいちいち手続きが必要で、通貨は同じだが税率が微妙に異なったり、法律も細部が違ったりするらしい。


「で、そんな縄張り意識で腐ったような鬱陶しい国にだ。国境なんて考えもしねえ空飛ぶ魔物が居たって訳だな」

「うわあ……聞くだけで大変そうだ」


 魔物が、人族の都合など構うはずがない。

 例えば女王(クイーン)が北部で人を襲い、そのまま南部へ空を飛んで移動したとする。

 北部王国の騎士団や冒険者は当然、女王を追い掛けようとするが、彼等はそう簡単に南部王国へ入れない。

「魔物の討伐? そんなのただの口実で、本当は南部王朝を倒しに来たんじゃないのか? その武器は何だ? そっちは魔法使い? 駄目だ駄目だ! 南部のことは南部に任せてもらおう」

 こうなってしまうのである。


 そんなことをするうちに、女王はまた北部へ戻ってしまったり、再来して南部でも悪さをしたりする。愚かな人族を嘲笑うように。


「たかが魔物が女王なんて呼ばれてたのも、実は皮肉の一種なんだよね」


 ーートレヴォンには三王がいる。北の王、南の王、それから全ての空を治める白の女王だ、と。


 自由奔放に振る舞い、人族の上位種のごとく君臨する魔物。それが白の女王であった。

 ところが、魔王軍の侵攻で状況が変化する。

 魔王が有するスキルの一つ、〈狂化〉。

 女王もこの〈狂化〉を受けて、魔王の忠実な配下となった。

 トレヴォンは魔族領から遠く、現れた魔王軍の数は少なかった方だ。だが先頭に立った白の女王によって、人族側はかなりの被害を出している。


「あたしら、つまり勇者パーティーに救援要請を出すって話もあったみたいだけど。トレヴォン国内で反対意見が強くて、実現しなかったって聞いてる」


 トレヴォン国内の魔王軍は当時、主に北部へ侵攻していた。

 今代の国王は南部王朝の出身だが、穏健派である。公正を重んじ、連合王国として勇者に救援を要請しようと考えた。

 しかし、当の北部が反発した。南部の王の施しなど要らぬ、と突っぱねたのだ。

 すると南部側も良い気はしない。

『気を使ってやったのに、何だその態度は。そもそも北部の兵が生っ白い柔弱だから、魔物ごときに遅れを取るのだ。腰抜けめ』

『何だと! 南部の野蛮な豚どもが!』


「……てな具合で、国王陛下の御前だってのに、お偉いさん同士が掴み合いの喧嘩になったとか」

「グダグダじゃないか」

「そうやって下らん見栄を張ったせいで結局、手負いの女王を取り逃がしたらしいぜ。魔王の討伐後も行方不明のまま、追っ掛け回した癖に見つけられなかったんだとよ。迷惑な話だ」

「最悪のパターンだな……」

 手負いの魔物は危険な存在だ。

 単に凶暴化するだけではない。

 もしも傷が元で魔物が死ぬと、保有していた魔力が瘴気と化して拡散しーー新たな魔物を生み出すからである。


「それじゃ、女王が死んだせいで魔物の大群が出たってことか」

「場所も悪かったとは言えるだろうな。トレヴォンのど真ん中にある湿原地帯なんだが」

 北部と南部の境にあるトレヴォン大湿原は、底なし沼が多く、魔物が多数棲息する人族未踏の地であった。

 見た者はいないが、女王は大湿原のどこかで死に、死骸から放たれた瘴気が別の魔物を生んだものと推測される。

「現れた魔物は一匹残らず飛行型、しかも身体は不自然なくらい真っ白なんだってさ。これ以上の証拠はないよ。女王の影響しか考えられない」

「飛行型って鳥みたいなやつ?」

「いや。元は湿原の魔物だ、変異種だが虫型が近い」

「虫か……」


 トールは顔をしかめた。

 虫型の魔物の厄介さは知っている。

 見た目が地球の昆虫類よりグロテスクである上に、サイズも大きいと人の身長を超える。その割に動きは素早く、小回りが効く。飛行型ならば尚更だ。身体を覆う外骨格は硬く、攻撃しても刃が滑りやすい。魔法への耐性も高い。


「あんまり得意じゃないな、正直言って」

「得意なやつは滅多にいないさ。あたしだってできるだけ遠慮したいよ」

「オレもなるべく関わり合いにはなりたくねえが、な」

 マーシェとフェンも渋い表情をした。


「でも、救援要請が来てるんだろ?」


 現在のトールは辺境伯位にあり、本人も「俺は農家でいい」と公言してはいる。しかし勇者の役目を完全に降りた訳ではない。


 勇者でなければ対応できないような変事が起こった時は、力を貸してほしいーー。


 トールは形ばかりだが貴族になった際、ラクサ国王ネマトから、そのように依頼されている。

 今回はトレヴォン連合王国がついに重い腰を上げ、各国へ救援を求めた。特にラクサ王国には、勇者の力を借りたいという話が持ち込まれたのである。


「今から言われても、って感じがする」

「ほんとにね。正式な要請とは言え」

「それで、お前はどうするんだよ。受けるつもりか?」

 フェンが訊く。

「遠いんだよな。近くならちょっと行って、やっつけて帰ってくれば良いんだけど」

「そう簡単にゃ行かないよ、トール。距離もあるけど、空飛ぶ連中が相手だ。風向き次第で、どこに飛んでいくか分かったもんじゃない」

 魔物の大群は現在、トレヴォン国内にとどまって猛威を振るっているが、そのうちに国外へ飛び出す可能性が高い。

 どこへ行くかは天候や風による。

 各国が戦々恐々としている状態だという。

「この季節の風向きから言って、ラクサに飛んでくる確率もかなり高いんだよ」

「今は一箇所にまとまって群れているがな、分散するかもしれねえ。そうなると輪を掛けて面倒だ。叩くなら早い方がいい」

「長期戦は避けたいな」

「……大きい声じゃ言えないけど。この件、どうしても勇者じゃないと片付かないってほどでもないんだよね」


 マーシェが身も蓋もないことを言った。


「成功させれば勇者としての名声は高まって、褒賞も出る。でも、あんたはそーゆーもんが間に合ってるから農家をやってるんだし」


 トールが引き受けたからと言って必ずしも、うまく行くという保証はない。そして成功させたとしても、得られるものは少ない。

 だから断ってもいい、とマーシェは暗に言っていた。

「断るとどうなると思う?」

「そりゃ、うちの陛下や向こうは残念がるだろうね。でも反対にね、世の中には勇者が出てくるのを嫌う連中もいるよ? 手柄の横取りだとか、たかが虫退治に大袈裟だとか、みみっちい理由だけど。気にしてたらきりがない」

「うーん……」

 トールはうなった。

 別に名声も褒賞も要らないが、困っている人がいるなら協力してもいい。

 だがマイナスの条件がそろっているのも事実だ。


「一つだけ言っとくが、いいか?」

 フェンが口を開いた。

「虫型の魔物は何しろ人数が必要だからな、トールが行かねえならオレは師団から招集がかかるはずだ。セレストも今、神殿と〈伝書〉でやりとりしてるようだが、この件だと思うぜ」

「ああ、あんた達はそうなるよねえ」


 マーシェがイナサーク辺境伯の家臣という立場にある一方、魔法使い二人は違う。

 フェンはラクサ王国魔術師団、セレストはルリヤ神殿が本来の所属である。

 イナサーク辺境伯領の開拓に協力するため、派遣員となってここにいるがーー何かあれば本業を優先しなければならない。トールの決断によっては二人とも一時的に離脱し、それぞれ魔術師団と神殿の一員として関わることになる。

「オレはどっちでも構わねえが、セレストは多分、気にするぞ。長引くと特にな」

 勇者を補佐するのが聖女の役割、とセレストはいつも言っている。

 しかし、魔物の動きによっては一時的どころか長期間、イナサーク辺境伯領へ戻ってこられないかもしれない。


「そっか、分かった。やっぱり、俺だけ知らん顔はできないな」


 トレヴォン連合王国で発生した魔物の掃討に、勇者として参戦する。

 結論は決まった。



✳︎✳︎✳︎



 ーーそういう経緯があって、トールはこの場にいるのだが。



「出掛けるよりマシかと思ったんだけど。何か予想よりスケールがデカくなってるんだよな……」


 今、彼がいるのは、かの連合王国ではなかった。



✳︎✳︎✳︎



「本当によろしいのですか、トール様」

「自分で決めたんだから、ちゃんとやるよ。

長引くのは困るから、方法を考える」


 トールはセレストを部屋から呼び出し、フェン、マーシェと四人で作戦会議を始めた。


 セレストは〈伝書〉で神殿側とかなり激しくやり合っていた模様で、その名残か少し頬が赤い。

 イナサーク辺境伯領に留まりたい彼女と、魔物討伐に出てもらいたい神殿側とで平行線が続いていたらしい。

 トールが自ら行くと決めたので、ひとまず保留にしたようだが。


(フェンはよく見てるよなあ)


 フェン本人は、セレストをちらりと見たが何も言わない。


「それで、どうするかだけど。多分、俺達が今からトレヴォンへ行っても間に合わないと思うんだ」

 トレヴォン連合王国は遠い。しかも現在のイナサーク辺境伯領からは直通ルートがない。一度、スピノエス経由で王都ラクサミレスへ出てから街道に沿って南下することになるが、遠回りになる。急いでもひと月以上は掛かるだろう。

 その間、空飛ぶ魔物が大人しくしているとは考えられない。

 どこかへ移動するか、もしくはフェンが言ったように小さな群れに分裂するか。

 いずれにせよ事態はさらに悪化するだろう。


「追い掛けっこは埒が開かない。だから逆に、魔物を誘き寄せる方法がないかな?」

「理屈はそうかもしれませんが……誘き寄せると言っても、どこに?」

「だよねえ。受け入れ先がないと思うよ? 虫型、それも変異種は割と悪食でね。人間でも動物でも植物でも、とりあえず何でも噛んでくるやつが多いのさ」

「勇者の権限でどっかの領地に押し付けるのは可能だがな、お前が恨まれるぞ」

 仲間達の反応は今ひとつだが、トールはあっさり答えた。


「ここで良いじゃん。ちょっと距離あるけど」


 ーーつまりトールの領地、イナサーク辺境伯領だ。



✳︎✳︎✳︎



「勇者殿は大胆な作戦をお考えになりましたね。少し驚きました」

 挨拶を済ませたフロウが言う。だが彼女らしいことに、表情は常と変わらない。さして驚いているようには見えないのが面白い。

「そんなに意外かな」

「ええ。まさか、ご自分の領地を犠牲になさるとは」

「……被害が出ないと思ったから提案したんだけどね」


 イナサーク辺境伯領は、かつて魔王軍に荒らされた地である。

 トールの屋敷と水田、開拓地があり、イナサの町が建設中ではあるが、その他大半は草木の一本もない不毛の沙漠。領民もいない。虫型の魔物が何でも食べると言っても、かじられて困るものが存在しないのだ。

 屋敷の周りとイナサの町という、ごく狭い範囲だけ防衛すればいい。

 トールにしてみれば、単なる合理的判断である。ところが、周囲の考えは少々異なるようだった。


「あとは『白の女王群』が、ちゃんと来てくれるか、だな」

「ふふ……勇者殿の招待に応じない者など、この世にいないと思いますが?」

 フロウが珍しく冗談を口にした。

「虫型の魔物にそんなの通用しないだろ……マーシェが色々手配してくれたから、大丈夫だとは思うけど」


 トールは再び、作戦会議の内容を思い浮かべた。



✳︎✳︎✳︎

 


「トール様のお考えは理解しました。ですが、この領地には魔物の餌になるような物もありません。そこが欠点でしょうか」

「それはほら、肥料みたいなものをまいておくとか」

「ヒリョーですか?」

「前に田んぼでやろうとしたけど、セレストとフェンに大反対されたやつ」

「あー。あったな、そう言えば」


 それはトールが稲作を始める時に起こった騒動である。

 地球式農業の基本である土づくりに当たって、トールはセオリー通りに肥料を作り、田んぼにまこうとしたのだが。


『駄目です!! 絶対に!!!』


 血相を変えたセレストに阻止され、この異世界では禁忌の一つだと分かって諦めた経緯があった。

 腐敗に伴って魔力が瘴気に変質し、魔物を呼び寄せるからだ。

 魔物の餌場になるからやめろ、とフェンにも言われた記憶があった。


「あんたの国の農業は、ほんとに物騒だねえ……どういう人外魔境だい」


 当時はいなかったマーシェにそう説明すると、やはりトンデモな扱いをされた。

「魔力も瘴気もない世界だから、それが普通なんだって」

「んん、まあ、そうか。そうだったね。どうにも想像つかないんだよ」

「だからさ。瘴気を出すものがあれば魔物が寄ってくるかなと」

「うん、なるほど……? 瘴気をわざわざ作り出そうってのは、随分というかあり得ない感じでブッ飛んでるけども」

「女神を畏れぬ禁断の発想ですね……」

「間違っても他のやつには喋るんじゃねえぞ、トール」

「そこまでか?」

 トールとしては、方程式を逆にしたくらいの軽い感覚である。

 しかし三人の顔色を見るに、瘴気というのは地球における核兵器や放射能くらいの破壊力があるのかもしれない。


「大それた犯罪の臭いがし過ぎるから、やめとこう。もう少しだけマシなやつで、心当たりがあるよ」

 マーシェが対案を出す。

「そんな都合の良いものがありましたか?」

「セレストは知らないかもね。魔法薬の中で一番えげつないやつさ」

「よりによってアレなのを出しやがったな」

「禁忌に挑む羽目になるよりは、ねえ?」

「アレも似たようなもんだろうが。まず許可を取るのが面倒だぞ?」


 魔物を誘き寄せることができる魔法薬。

 そういう代物が、この異世界にはあるという。

 魔物が好む、つまり濃密な瘴気を模した魔力を放つのだが、使い方を一つでも間違えると大惨事になる。製造できるのはラクサ王国のみで厳重に管理されており、一般には出回らない。凶悪な魔物を狩る際など特別な場合でないと使用許可が下りないという、極め付きの危険物であった。

「オレも噂は聞いてるが、見たことはねえな」

「あたしはもう十年くらい前だったか、一度ね。大規模討伐に参加した時さ。こっちもまだヒヨッコで、おまけみたいな立場だったけど」


 ーーその時の魔物も、飛竜(ワイバーン)という飛行型の特殊個体だった。

 周りに人家のない岩場を選んで、マーシェが当時、所属していたギルドの冒険者数十人が密かに待ち伏せした。そして例の魔法薬を使い、飛竜を誘き寄せ、一斉に攻撃を加えることで討伐したそうだ。


「今回の虫型もね。『白の女王群』って呼ぶことになったらしいけど、危険度は飛竜と同じか、それ以上だから厳しい条件ってやつを満たしてると思う。とりあえずやってみるさ」



✳︎✳︎✳︎



「許可が下りてよかったよ。マーシェのおかげだな」

「それは勇者殿のご提案だったからだと思いますが?」

「いや。俺はマーシェに聞くまで、そんな魔法薬があることも知らなかった」

「私も、実物を目にするのは初めてです」


 トールが発案した作戦はシンプルだ。

 トレヴォンから飛来するであろう虫型の魔物、「白の女王群」を、例の魔法薬で釣ってイナサーク辺境伯領まで誘き寄せる。

 そこにトール本人を含めて戦力を集めておき、一気に叩く。

 言ってしまえば、それだけであった。


 誰にでも考えつきそうな内容ではあるが。

 トール以外の者が実行するのは、難しかっただろう。

 まず魔物を集める場所を、どこにするかで普通は揉める。

 効果は絶大だが危険度も高い魔法薬を、誰の責任で使うかでも揉める。

 そして最も深刻なのが、大量の魔物を誘き寄せたところで、果たして倒し切れるのかという問題である。


 これらを全て「勇者の名前でやる」という荒技で、トールは解決してしまった。

 勇者の功績と実力の裏打ちがあってこそ、なのだが。


「異世界の人って、みんなして勇者へのプラス補正が大き過ぎるんだよな……」

 トールにすれば、自分はたまたま魔王を倒しただけで農家志望の若造に過ぎずーーむしろ周囲からの信頼性の高さに、全力で引いている。


「俺はただーー」


 言い掛けて、トールは黙った。


「勇者殿? 何か気になることでも」

 フロウが目を細める。

「いや、別に」

 勇者の仕事中だったことを思い出し、首を横に振った。



✳︎✳︎✳︎



「色々あったけど、トールが引き受けてくれて助かったよ」


 打ち合わせを終えた後、マーシェが安堵の息をつく。


「そうか? マーシェはここから大変だろうから、悪いと思ってるけど」

「そいつがあたしの仕事だから、別に良いのさ。農家で十分だっていうトールを付き合わせてるのは、こっちの都合じゃないか」

「陛下とも約束してるからなあ。これで知らないふりすると飯がマズくなりそうだ」

「トール。あたしの故郷はね、南の方なんだよ。トレヴォン北部王国との国境から、そんなに離れてない町さ」

「え? 何だ、言ってくれれば良いのに」

 マーシェのためなら、迷わず引き受けていただろう。

「……こういう時に私情を挟んだらいけないんだよ。あたし達はあんたの近くにいるから、余計にね」

「フェンはさっき、ちょっと混じってたけどな。でも自分じゃなくてセレストのためで、マーシェだって故郷に家族や友達がいるからだろ、始めから俺は気にしないよ」

「それは知ってるけどさ……本当に良いのかい?」

「良いよ。だいたい、俺だって理由はあるんだ」

「おや、そうかい? どんな?」

「みんな、俺が農家だってことを忘れてるんじゃないか? 田んぼに害虫が来たら退治するに決まってる。それに、俺はただーー」


 トールは笑って、言ってみせた。


「ーーただ、面倒なことは稲刈りの前に終わらせようと思っただけだ。大変なんだぞ、稲の収穫って。こっちだと手で刈らないといけないし。全部、俺の都合だよ」


 農家としての本音であった。

 マーシェは目を丸くして聞いていたが、やがて声を上げて笑い出した。


「分かった、分かったよ、あんたはそういうやつだった。それじゃあ、とっとと片付けなくちゃいけないね。段取りはあたしに任せな」

「ああ、頼んだ」



✳︎✳︎✳︎



 「白の女王群」掃討戦。

 のちに魔王討伐その他と並び、勇者トールの功績として伝えられることになるのだがーー。


「来るなら早く来い……稲作農家の死活問題だ」


 地平線の彼方をにらむトールには、預かり知らぬことだったのである。

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