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20.結びの神は、悪戯がお好き(前編)

 子爵令嬢リンテ・サンテラには兄がいる。

 数年前になるが、この兄が、ある夜会でユージェ・ヨーバルに挨拶をする機会があった。

 ユージェは鷹揚に彼の礼を受け、最後にこう言った。

「ハンサムな方ね」

とーー。

 よくある社交辞令だ。だがユージェが言えば、そうではない。

 翌日には、リンテの兄はユージェの側仕えになることが決まっていた。本人の意思とは全く関係なく、彼には既に懇意にしている女性がいたにもかかわらず。

 だが子爵家の継嗣レベルで、伯爵家の意向に逆らうことなどできはしない。しかも相手は、王国最大の権勢を誇る侯爵家の縁戚だ。

 リンテの兄はリンテも連れて、ヨーバル伯爵家へ通うようになった。なぜリンテまで呼ばれるかと言えば、兄に対する人質のようなものであった。

 リンテは伯爵家の図書室で過ごすようになり、そして、こっそり図書室で魔術書を読んでいたイヴと知り合った。二人は気が合い、仲良くなったのである。

「お兄様の顔面が良過ぎるせいでこうなったのだけれど、そのおかげでお友達ができたのだから感謝すべきなのかしら」

 リンテはそう言っていたそうである。

 その兄の方は災難としか言えなかったが、じっと耐えてユージェの興味を引かぬように立ち回り、半年ほど掛けて側仕えから無事に解放された。

 イヴとリンテはその後、顔を合わせる機会はなくなってしまったが、文通を続けるなどして交流があったのだというーー。



「すごい話だな……?」

 聞いているトールの顔は、やや引きつっている。

「お、お嬢様は悪くないですよ? 周りの皆さんが気を使い過ぎてしまうんです。リンテさんのお兄さんにしても、お嬢様はそんなに興味があった訳ではないのに」

 一生懸命にユージェをかばうイヴであった。

「余計に悪質な気がするけど」

「まあ、過去のことさ。いったん置いとこう。そんな経緯で、イヴさんはリンテ嬢と友達だってことだね。じゃあ、知ってる内容を教えてもらえるかい?」

 マーシェも口調を穏やかにして、イヴに尋ねた。

「はい。リンテさんのお兄さんも一時期、騎士団にいたので、リンテさんも騎士団に出入りしていたそうです」

 その際にシャダルムを見掛けたのがきっかけらしい。

「このくまくましいデカブツにも、実は出会いがあったんだねぇ……」

「リンテさん、顔が良い方はお兄さんやお父さんや叔父さんや従兄弟の皆さんで見飽きてるらしいです」

「うらやましいくらい美形の一族じゃないか、サンテラ子爵家」

「それで伝手をたどって、お見合いまで行ったそうなんです」

「なるほど」

「でも緊張しちゃって、お見合い当日は朝から何も食べられなかったみたいで。シャダルムさんと顔を合わせただけで感動してしまって。声を聞いたら、もう駄目だったって」

「恋する乙女ってやつだねぇ……それが思いっきり裏目に出たか」

「リンテさんも、もちろん謝りたかったんですけど。お兄さんがすごく怒って、そんなところへ嫁に行くなんて許さんって兄妹げんかをしてるうちに、シャダルムさんは討伐の旅に出てしまって」

「あー。そりゃ、そんな個人的なことで連絡取れないよね。一応国家機密だったし、トールとあたしらの旅って。で、三年経っちゃった、と」

「そうみたいです」

「……だってよ、シャダルム?」

 マーシェはシャダルムに目を向けた。


「……に……にわかには信じられん……」


 シャダルムは頭を抱えてうなっている。


「ひょっとしてシャダルムのスキル、あんまり関係なくて声がイケメン過ぎただけなのかな?」

「どうでしょうか。全く関係ないとは言い切れませんが」

「最後の駄目押しくらいはしたかもしれねえな」

 ひそひそ話すトールとセレストとフェン。

 しかし原因がどうあれ、結果としてシャダルムは会話が苦手になるほど追い詰められてしまった訳でーー何とも言えない運命の皮肉であった。


「女神サマのご采配ってやつかよ?」

「不敬ですよフェン。そう言いたくなる気持ちは、まあ、分からないでもありませんが。せめて試練と言ってください」

 敬虔な神官であるセレストでさえ、この評価だ。

「そうするとシャダルムの伯母様が、再度のお見合いを推してきた理由も分かりますね」

「まあな。何かで事情を知ったんだろうよ」

「普通にいい伯母さんだったな」


「む……むぅぅぅ……」


 苦悩しているシャダルムに、トールは声を掛けた。

「なあシャダルム。とりあえず一度、王都に戻ったらどうだ? 確かめないといけないだろ」

「う、む……」

 シャダルムは考え込んだが、さほど掛からずに答えを出した。

「トールの言う通りだ。私が不甲斐ないせいで迷惑を掛けた」

「いや、迷惑じゃないよ。シャダルムが来てくれて楽しかったし助かった」

「代官殿の一行は、明日には帰るのだろう? 私も護衛がてらスピノエスまで同行させてもらい、そのまま王都へ戻るとしよう。イヴ殿、よろしいか?」

「は、は、はい。あの、ありがとうございます。私なんかのお願いを聞いていただいて。あ、でも……」

 イヴが恐縮しながら付け足したのは、リンテにはこのことを言わないでほしい、という内容であった。

「リンテさんと私だけの秘密だったのに、たくさん喋ってしまったので……」

 イヴは恥ずかしそうに言った。

「用事はそれだけかい?」

 マーシェが尋ねる。

「はい。皆さま、本当に迷惑をお掛けしました。明日にはお暇しますので、どうかもう少しだけお待ちください」


 イヴは何度も頭を下げながら戻っていった。



✳︎✳︎✳︎



「メイドの我等は役に立ったであろう、勇者よ?」

「ご主人様のためであるからな。カラダを張って、すなわち肉体的に頑張ったのであるぞ」

「うん、助かったけど。相変わらず言い方が酷い」


 聖剣と聖鎧装は得意げであった。

 イヴが去り、シャダルムは慌ただしく出発の準備をしに行き、マーシェとセレスト、フェンもそれぞれ部屋へ戻った。入れ替わるようにメイド姿の二人が現れ、褒めろという圧を掛けてきたのである。

「イクスさん、イースさん。本当にありがとうございました」

 ネイがやってきて、折り目正しく頭を下げた。

「僕達はまだまだです。解雇されても文句は言えませんが……」

「ネイもランも悪くないから、そんな心配しないでくれ。イクスとイースの手伝いは一時的なものだし、ネイ達がいないとやっぱり大変だよ」

「勇者。そのことなのだがな」

 イージィスが真面目な顔をつくった。

「イクスとも話し合ったが、我等は今しばらく、メイドを続けた方が良いように思うぞ」

「今回のようなことが、また起こらぬという保証は無い。あの代官はそう簡単に諦めぬであろう」

 イクスカリバーもうなずく。

「なお悪いのが、あのイヴという魔術師がおることだ」

「ああ、フェンが言ってたな。イヴさんはかなり強いって」

「つまり、汝等がスピノエスに行った時のような力技が、あの者にもできるかもしれぬ。代官の拠点は馬で三日という話だが」

「魔術を使えば、最短一日ほどで移動が可能ということぞ。警戒を怠ってはならぬ」

「そうだな。二人が居てくれれば俺と連絡がつく。相手が力づくで来ても、ある程度対処できる」


 問題は、農作業で勇者スキルを使いたい時だろうか。

 ネイとランのことを考えれば、二人は共に屋敷へ残しておきたいがーー。

 農業に聖なる武具を使っている時点でおかしいことに、トールは気付いていなかった。


 トールの悩みを見てとったイクスカリバーとイージィスが、目を合わせてうなずいた。

「勇者。貴公らしくないな」

「分ければ良かろう」

「え、どういうこと?」

「基本形態と人間形態を別々に、かつ並行して出せと言うておる」

「我とイースに宿る魔力をそれぞれ分けて……そうさな、半々から七対三というところか。剣と人、盾と人、双方を同時に顕現させるのは可能であるぞ。戦闘能力は劣るが魔王と戦う訳でも無し、支障は無かろう」

「全然知らなかったんだけど、そんなの。早く言ってくれよ」

「聞かれぬことまで教えるのは、我の流儀に反するのでな。そもそも勇者よ、汝は最近まで人型を使わなかったではないか」

 悪びれないイクスカリバーであった。


「人前に出せるか! あんなの!」

 こめかみを押さえてうなるトール。


「ふふん、こじらせおって。いずれにせよ、如何なる力も自らが求め、そして試行錯誤を重ねなければ、真におのれのものにならぬと我は思うておる。良い例が、あの代官の女であるぞ」

「ああ。ユージェさん」

「アレは本人もさることながら、周囲の者どもが溶けた飴菓子並みに甘やかすからであろうよ。あの者は、目の前に差し出されたモノをただ受け取っておるだけに過ぎぬ」

「ーー貴族はそんなものですよ、特に女性は」

 ネイの口から、思わぬ辛辣な言葉が飛び出した。

「ネイ達はもともと、貴族家の使用人なんだっけ?」

「亡くなった両親がそうでした」


 ネイとランの父母は、とある下級貴族に仕える使用人だった。兄妹も子供の頃から、使用人の見習いとして育った。

 だが数年前、両親が相次いで亡くなった。そしてランがその家の令嬢から、手酷くいじめられるようになった。

 仕方なく兄妹で使用人を辞め、冒険者になったのだが、そううまく行くものではない。食い詰めて困っていたところを、マーシェに拾われたのだという。


「いじめられたって、どうしてだ?」

「……その令嬢には婚約者がいました。そいつにランが目をつけられたんです」

 いわゆる婚前の遊び相手としてだった。

 ランは誘いを断ったのだが、令嬢にそのことを知られてしまった。令嬢は婚約者本人よりもランが悪いーー身の程知らずにもランの方から誘惑したに違いないと決めつけ、聞く耳を持ってくれなかった。

 婚約者の男も、ランは貴族である自分に好意を持っている、と思い込んでいた。令嬢にばれて懲りるどころか、陰で執拗に関係を迫ったいう。

「都合の悪いことは全部こっちのせいにされてしまって。最後はランが部屋に連れ込まれそうになって、もう辞めるしかありませんでした」

 紹介状ももらえずに退職せざるを得なかったので、使用人としての再就職はできなかったのだ。


「大変だったんだな……」

 ネイが、年の割に大人びている理由が分かる。

「すみません。喋り過ぎました」

「いや、いいよ。貴族って、ロクでもないのが多いのかな」

「勇者よ。貴公も今は貴族なのだぞ?」

「形だけのお飾りだけどね」

「ふん。貴族に限らぬ。求めずとも与えられ過ぎた者の末路であろう。勇者、汝とて周囲からチヤホヤされる身であることを忘れるでないぞ? 勇者が驕らぬようにするのも、我等の役割なのだ」

「与えられ過ぎた者か……それでイクス先生は案外スパルタなんだな」

「くふふ。我はぎゃっぷもえを追求しておるからのぅ。優しいだけではないのであるぞ。一番気に入っておるのはねこみみめいどであるが、何処ぞの勇者が許可してくれぬ」

「何でそんなに猫耳推しなんだよ?!」

「勤勉なるメイドと怠惰なる猫。これ以上のぎゃっぷもえがあろうか。存在の耐えられぬ矛盾に、好奇心が疼くではないか」

「意外と高尚というか哲学的……な理由なのか……?」

「ふふふ、今後はねこみみを着けたいが、どうであろうかな」


「メイドはいいけど猫耳は却下!」


 トールが即答したことにより、屋敷では猫耳メイド(ただし猫耳は抜き)の続投が決定したのであった。



✳︎✳︎✳︎



 翌朝。

 トールが菜園で野菜を収穫して戻ってくると、裏庭にイヴ、そしてフェンがいた。

 裏庭は、玄関側からは見えない屋敷の裏口と菜園の出入り口がある場所で、広さはあるものの殺風景だ。客人を通すような場所ではない。

 朝は大抵寝ているフェンが、この時間に起きているのも珍しい。

 不思議に思いながら近付いていくと、二人がトールに気付いた。

「お、おはようございます」

 イヴは今朝も腰が低かった。

「おはよう。何してるんだ二人とも」

「ちょっと気になることがあってな」

 フェンの態度はいつも通りだ。

「イヴさんのことで?」

「妙な勘繰りするなよ、魔術師としてだからな? 昨日の夜、〈伝書〉で師団に問い合わせたんだよ」

 その返事が来たので、イヴ本人に確認するため、人目につきにくい裏庭に呼び出したらしい。

「イヴの階級登録についてだ」

 ラクサ王国の魔術師は、全員が国に階級登録を行う義務がある。フェンのように魔術師団直属の者はもちろん、貴族に仕える者や民間で独立してやっていく者も例外ではない。

 魔術という特異な力を振るう者を把握し、また必要に応じて庇護するのも、魔術師団の役割なのだ。


「イヴが、やたらとチグハグなのが引っかかってな。力がある割に、術の使い方に癖があり過ぎる」


 伯爵家の者達に見下されていることと言い、隠れて魔術書を読んでいたことと言い、ちゃんとした師について魔術を学んだことがないのではないか。

 無登録(モグリ)の可能性すらあったためフェンも看過できず、師団に一報を入れた。

「で、登録はあるが初級だってのが分かった。無登録に比べりゃマシだが、これはこれでおかしい」

「い、いいえ、登録の時に試験は受けたんです。でも成績が悪かったので……フェニックスさんの勘違いかと」

 イヴが恐る恐る言う。

「あんた、オレが魔術に関して勘違いをすると思うのか?」

「そ、そうではないですが」

「どういう試験をして、どういう理由で成績が悪かったのか言ってみろ」

「それはそのぅ……」

 イヴはうつむいて、もそもそと語った。


 登録試験は、試験官として中級以上の魔術師二人が立ち会う決まりだ。試験の方法はいくつかある中から、彼等が話し合って選択する。

 イヴと、他数人が試験を受けた際は、ヨーバル伯爵家お抱えの中級魔術師二人が立ち会った。その二人が土魔術で作った的に向かって、イヴ達見習いが魔術を放ち、その威力をはかる形で判定が行われた。


 だが、イヴは気弱な性格のためか、攻撃するのが大の苦手だった。的にほとんど傷を付けられず、お情けで初級にしてもらったようなものであった。

 他のお抱え魔術師達からも馬鹿にされており、ろくに相手にしてもらえない。そのため彼女の魔術はほぼ独学であるという。


「で、ですから、妥当な評価です……」

「どこが妥当だ。問題大ありじゃねえか」

 フェンは苛々と赤毛をかき回した。

「判定するのは攻撃力じゃねえんだよ。魔力の強さと、そいつが制御できるかどうかだ。中級魔術師ならそんぐらい常識だろうに、雑な仕事しやがったな」

 魔術師にとって階級判定は、地味だが重要な職務である。厳正に、かつ公平にやらなければならないが、どうもイヴは試験官に恵まれなかったようだ。

「再判定だな」

 始めは初級でも、研鑽を積むなどしてから再判定を受け、昇級する魔術師は珍しくないという。

「それも試験官の立ち会いが必要なんじゃないのか?」

 トールが口を挟む。

「本来はそうだが、抜け道がある」


 ーー上級魔術師が推薦人となり、魔術師団幹部の承認を得ること。これが昇級の特例だ。言うまでもなくフェンは上級であるから、彼が推薦し、師団長ロジオンか副団長トラスが認めれば、イヴは中級以上に昇級できる。


「なるほどね」

「え、え、えええ……?」

 イヴが狼狽している。

「もちろん試験はやるけどな」

「む、無理ですよぅ!」

「攻撃しろとは言わねえよ。防ぐんならどうだ?」

 フェンはにやりと笑った。

 手を出すと、その上に紅い光が揺らめいて、小さな炎の玉が生まれる。

「あ……」

 垂れ下がった前髪の奥から、イヴはそれを見詰めたようだった。

 フェンが再び笑い、無造作に火球を放った。

「!」

 イヴの表情が変わった。

 正確に言えば前髪のせいで顔つきは分からないが、まとう空気が一変した。

 もたもたした様子も消え去って、杖を持ち上げる。

 彼女の周りでひゅうっと風が巻き起こり、フェンの火球を包むようにして相殺した。


「できるじゃねえか。じゃあ行けるな」

「や、やってみます……けど……」

「こいつら全部落とせたら、上級にしてやるよ」


 そう言った時には既に、フェンの手許から無数の魔術が飛び立っている。

 火属性もあるが、青みがかった氷、透明な風、鋭い石の飛礫(つぶて)、さまざまな色や形を持ったものがイヴを取り巻いた。


 一つ一つの攻撃力は低い。しかし、属性の違いや、飛んでくる速さを見極めて対処するのは、相応の技術が要求される。


「……!」

 イヴが無言で迎撃に入った。

 魔術が発動し、風が渦を巻く。


「大丈夫かな、これ」


 横で見ているトールがつぶやいた。

「火加減はしてるぜ」

とフェン。

「そこで『手加減』って言わない辺りがフェンらしいよな。いや、そうじゃなくて」

 群を成す魔術を必死に捌いているイヴを眺めて、トールは言った。

「見た目がさ、女の子をいじめてるみたいというか」

「魔術に男も女もあるか。オレだって自分から、こんな面倒くせえことはしねえ。副団長の陰険眼鏡野郎に押し付けられたんだ。どうせ暇だろうからやれ、ってな」

「副団長……ああ、召喚された時、ロジオン師の隣にいた人かな」

「多分そいつだ。まあ、農業魔法ばっかりじゃ腕が鈍るから良いんだが」

 言いながらもフェンは時々手や指を動かして、細かく魔術を制御している。

「イヴさん、得意なのは風属性っぽいな」

「特化型かもな」

 イヴの周囲には常に風の流れがある。

 彼女は風の膜で自身を守り、時に地面を蹴ってふわりと移動して距離を取り、少しずつだがフェンの魔術を撃ち落として減らしている。

「詠唱無しにあれだけ動ける時点で、初級じゃねえだろうが……」

 魔術に限らず、魔法は呪文を詠唱した方が安定して行使でき、威力も上がる。

 しかし魔力の操作に習熟してくると、詠唱がなくても問題なく使えるようになるのだ。

 フェンとセレストはほとんどの場合、詠唱無しで済ませることができる。

 実際フェンはこの瞬間も、複数の魔術を同時に使ってイヴの試験をしているが、全て詠唱無しでこなしている。

 スピノエスへ行く時は詠唱を行っていたが、あれは馬に乗りながら長時間にわたって発動し続けるという、中々に難易度の高い状況だったからだ。


 そしてイヴも、ごく自然に詠唱を省略している。

「ほんとは良い腕なのに、本人も含めて誰も気付かないなんてさ。あるのか?」

「イヴが自分から攻撃ができねえってのは、欠点ではあるんだが……。仮にも伯爵家のお抱えが、そこまで能無しぞろいなのかは微妙だな」

 フェンにも理由は分からないという。

「まあ、向こうの内部事情まで気にしてられん。オレの所属は魔術師団だ。階級に関して見て見ぬふりって訳に行かねえからな」


 イヴの試験は順調に進んでいる。


 ただしトールが言った通り、事情を知らないと気弱な女性が、攻撃魔術の数々に追い立てられているようにしか見えない訳でーー。


「ーーフェン! 何をしているのですか?!」


 外へ出てきたセレストに激怒された。


「何でセレストが来やがった」

「ああ、うん……」

 トールは手に持った籠を見た。

 取れたてのトマトやレタスに似た野菜が、山盛りになっている。

「この野菜、セレストに頼まれたやつだった」

 トールの戻りが遅いので、様子を見にきてしまったようだ。

「お前のせいか。この野郎」


 心優しき聖女の誤解をとくのに、しばらく時間が掛かった。



✳︎✳︎✳︎



「事情は分かりましたが。あんな荒っぽいことをせずとも、他に方法があったのではないですか?」

「時間がねえからな。それに、伯爵家の連中に知られると不味い。単に最初の試験が雑だっただけで済めばいいが、わざと初級に押し込んだ可能性もある」


 イヴの試験は無事に終わった。

 フェンが放った魔術に対し、取りこぼしはあったものの、八割ほどを撃墜している。


「中級でいいだろう。我流の癖を直せばだが、上級も狙えるってとこか」

というのが、フェンの見立てであった。


「な、何だか信じられないんですが……」

 試験を終えたイヴは、むしろ困惑している。

「伯爵家のお抱え魔術師が何様だか知らんし興味もねえが、オレはそこそこ本気でやったぞ?」

 フェンは腕組みをして、少し不機嫌そうに言う。

「何なら、そいつらをここに連れてこい。同じ内容で試験すりゃ分かるだろうよ。どのくらい保つと思う?」

「ええと……」

 イヴは考え込んだ。

「……両手で数をかぞえる間くらいでしょうか……あ、あれ?」

「うーん、十秒くらいなんだ……」

 地球感覚に換算して、微妙な顔をするトール。

「そんなもんだろうよ。分かったか」

「え、でも……あれ? ええっ?」

「大丈夫ですよイヴさん。今までがおかしかっただけですから」

 おろおろし始めたイヴの肩を、セレストがそっと叩いて励ました。

「あとはあんた次第だな。今まで通り伯爵家で生きていきたいかどうかだ。逃げたいなら手伝ってはやれるが、自分で決めろ」

「……考えたこともありませんでした、そんなこと……」


 少し時間が欲しいとイヴは言い、またしても頭を下げて恐縮しながら、ユージェの元へ戻っていった。

 そろそろユージェが目を覚ますので、護衛として側につかなければならないという。


 トール達三人も屋敷の中へ戻った。

 朝食を準備しているランに野菜を渡してから、小声で話し合いを再開する。


「イヴさん、どうするのでしょうね……」

 正義感の強いセレストは、イヴを心配しているようだった。

「そこまではなぁ。ガキじゃねえんだぞ」

 ユージェ一行の中で、イヴの扱いはよくはない。

 だが、死にそうな目に遭わされている、まではいかない。

 彼女が未成年(こども)ならまだしも、れっきとした成人女性で、初級ながら魔術師である。

 強引な介入は難しい。

「でもイヴさん、状況の変化についていけないようでしたから」

「搾取され過ぎて感覚が麻痺しちゃってるのかな」

「どっちにしろ時間がな。代官の一行は、今日追い出すんだったな?」

「その予定だよ。向こうも不満だらけみたいだし」


 ユージェは結局、何をしたかったのか分からない。

 美貌には自信があったようだから、トールに会いさえすれば、気に入られるはずとでも思っていたのかもしれない。

 だが彼等の「当たり前」は、非常識の塊であるイナサーク辺境伯領では通じない。


「『こんな酷い場所にお嬢様を置いておけません! 一刻も早く辞去しなければ!』って、侍女さん達が怒ってましたです」

 近くにいたランにも話し声が聞こえたようで、情報をくれた。

「とっても失礼だと思いますぅ! 私達を何だと思ってるんだか!」

 ランもランで怒っていた。


 ユージェ配下の使用人達は、イヴを除けば主人に似たのか、非常に上から目線だそうだ。彼等の無茶ぶりに、もっとも振り回されたのはランだと言える。

 イクスカリバーが言う通り、ユージェ本人もさりながら、彼女の使用人の方も問題なのだろう。虎の威を借る何とやら、という故郷の言葉を思い出すトールであった。


「ラン、すまないな」

 トールは謝罪したが、ランは平気な顔だった。

「こーいうのは使用人の役割ですから! トール様、代わろうとか言わないでくださいねっ」

 見透かされてしまった。

「トール様や皆さんがちゃんとしてるから、手は出してこないですもん。うるさいけど口先だけです。前いたところに比べたら、こんなの全然へっちゃらですぅ!」

 ランは思ったより頼もしかった。


「ーーまあ、こういうのもあってネイやランにも基本迷惑だから。イヴさんは心配だけど、やっぱり帰ってもらうよ。シャダルムも一緒に出発するから、見送りには行く」


 ひと月近く滞在していたシャダルムも、ついに王都へ帰る。

 本当はもう少しいるつもりだったが、イヴの爆弾発言を受け、予定を切り上げることになったのだ。

「もしかしたらシャダルムは、もうここへは来ないかもしれませんものね」

 セレストがしんみりと言った。

「シャダルムが幸せなら良いけどね」

「フラれてもう一回、家出してきてもオレは驚かねえ」

「またフェンはそういうこと言う」

「何せトールの押し掛け嫁候補が来たかと思ったら、コレだろう。何が起こっても不思議じゃねえぞ」

「縁起でもないからやめてくれ」


 トールは心底嫌そうな顔で手を振った。

 信仰心の篤いセレストには言えないが、トールは内心こう思っている。


 農家志望だったトールを勇者にしてみたり。

 加護の効果とやらで、おかずを増やしてみたり。

 別に欲しくもない嫁候補を押し付けてみたり。


 ーー女神様って、思ったより適当で気まぐれなんじゃないかな、と。

後編に続きます。

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