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19.紅衣の代官と、灰の心を持つ魔女と

 水田の稲は、既に分けつ期に入っている。

 (ケツ)ではなく、枝葉が増える時期で、分げつとも呼ぶ。

 縦にも伸びるが、枝葉そのものもどんどんと増え、株が大きくなっていくのだ。

 トールの異世界水田でも生育は進んでいる。稲は、度重なる勇者の総合防除やら追肥やらで飛び交う雷光にも耐えて、わさわさと巨大化しつつあった。


『順調に成長しているようではないか?』


 聖剣イクスカリバーの思念が響いた。


『まあね、順調そうだけど、他と比べようがないんだよな』


 異世界で唯一無二の稲。標準が無いので、これでいいのかが掴めない。


『栽培仲間がいればな。じいちゃんも仲間は大事だって言ってたけど』


 祖父は人付き合いが苦手だったようだが、周りに農家が多かったので、なんだかんだ協力して作業していた。

 日本の水田稲作において、水路の管理や病害虫の防除といったイベントは地域単位でやるものなのだ。

 トールには良くも悪くも、それが無い。

 勇者の孤軍奮闘は続くのである。


『代官が来るという話はどうなったのだ?』


 聖鎧装イージィスが訊いてくる。


『今、本人はスピノエスにいるらしい。住むところができてからじゃないかな、こっちに来るのは』


 魔道具で水量を増やす操作をしながら、トールは答えた。



 イナサーク辺境伯領代官、ユージェ・ヨーバル。

 彼女は現在、王都から拠点を移し、スピノ伯爵邸に滞在しているらしい。

 辺境伯領でも彼女の住まう館と、連れてくる入植者達の住居の建設が始まっているという。

 恐らく、小さな町くらいにはなるだろう。

 領内ではあるが、実態は自治領だ。屋敷から少し離れていることもあり、トールはまだ見に行ってもいなかった。


『ふむ。しかし、汝の嫁候補であろう? 押し掛けられたらどうする』

『どうするって……正直言って困るんだけど』


 ユージェは現バイエル侯爵フリードの妹の娘、つまり姪に当たる。

 波打つ黒髪とすみれ色の目、起伏に富んだ肢体を持っており、二十歳の若さに似合わぬ妖艶な雰囲気をまとう姫君であるというが。


『うちって名ばかり貴族で、本業は農家だからな。諦めて帰ってくれないかなと思ってる』

『ふむ。ならばーー』


 イクスカリバーが、にやりと笑う気配がした。


『このような時こそ、人型の我等を使うべきであるぞ、勇者よ?』

『ーートラブルが拡大する予感しかない! 却下!』


 先日のスピノエスでは実に酷い目に遭ったので、トールは即座に断った。


『二人とも旅の間は大人しかったのに。最近は本当にもう』

『使命が終わると、暇であるからのぅ。退屈しのぎではあるが、この度は汝にも利のある話であるよ』

『信用度マイナスなの分かってる?』

『フハハ、それはすまぬ。あの時は我等も久方ぶりであったので、つい、な。この話は聞くだけ聞いてみよ。汝と仲間等が考えた末、やはりならぬというならば断ってもよい』

『まあ聞くだけでもいいなら』


 トールは渋々うなずいた。


『うむ。ではーー』


 イージィスが言った。


『勇者よ。我等を「ねこみみめいど」にするがよいぞ』

『毎日ちゃんと「お帰りくださいご主人様」と言うてやろうぞ』

『何でそうなる?! しかも色々と根本的に間違ってる!』


 田んぼの傍らで、心で叫んだトールだった。



「ふぅん……いいんじゃない? 猫耳とやらはともかくとして」


 ところが、屋敷へ戻ってマーシェに一応相談してみると、意外にも反対しなかった。


「絶対ロクなことにならないから、断るつもりだった」

「トールの気持ちも分かるよ。でも実際問題としてね、この屋敷には人手が足りないんだ」

「そうか? ネイとランも来たのに」

「普段は別に構やしないんだけど、貴族のお客さんを迎えるにはね。かと言って、そんな簡単に増やせないし」


 その点で、聖なる武具達の提案は有りだ、とマーシェは言うのだった。

 必要な時だけ人型になってもらい、使用人の真似をしてもらえばいいのだから。


「あとはホラ、向こうのお姫サマへの牽制にもぴったりさ。そのお二人さんも、すごいお色気美女になれるんだろ? もう間に合ってますから、これ以上要りませんって言いやすくなる」


 マーシェは人型の二人を見たことはないが、スピノエスで何があったかは知っている。


「なんか不本意だな……まあ仕方がないか」

「手っ取り早く解決するんならね、あんたがとっとと身を固めちまう方が面倒はないんだよ? 野暮を承知で聞くけど、そこはどうする気なんだい」

「それなぁ……」


 トールは腕組みをしてうなった。


「俺は最初、日本に帰るつもりだったからさ」


 召喚された勇者が、元の世界に帰った事例はーー実は非常に少ない。

 その数少ない逸話(エピソード)もかなり昔の話で、真偽が怪しい。

 それでも可能性は皆無ではなかった。

 だからトールは、とりあえず魔王を倒すことだけを考えて行動し、可愛い女の子とどうこう、みたいな楽しい状況でもなかった。殺伐とした三年間だったのだ。

 結局、ロジオンが〈送還〉の魔術を発見し、帰る方法があるにはあると分かったのだがーーほぼ机上の空論であり、実行は限りなく不可能だった。

 それでトールは帰還を諦め、異世界で就農した。しかし彼は、日本ならまだ大学生の年齢だ。正直なところ、結婚なんて実感が湧いてこない。

 勇者という時の人であるから、女性の方から群がってくる良い身分なのだが、そうなると逆に逃げ出したくなる性格と来ている。


「そう簡単に切り替えられないんだよ……」


 トールがこぼすと、マーシェはやれやれと肩をすくめた。


「そうかい。じゃあ、諦めて『ねこみみめいど』の世話になるんだね」

「いや猫耳は要らない。俺の趣味だと思われる」

「おや、違うのかい?」

「違うよ?! これだから嫌なんだ!」

 

 こうしてトールの精神的ダメージと引き換えに、やけに態度やら何やらが大きい猫耳メイド(ただし猫耳は抜き)の二人が爆誕してしまったのだが。



「フフフ、何やら可愛いのがおるではないか。ん?」

「わぁぁああああ?! だだだ誰?!」

「貴公等の新しい同僚だ。よろしく頼むぞ。うむ、小さい人族は良いものだな」

「い、息できなひから、やめてくらはい?! お兄ひゃん助けて……むぎゅ?!」

「イクス! イース! 二人して新入りに抱きつくな!」


 早速ネイとランが被害に遭っていた。

 ぎゅうぎゅうと胸元に抱き込まれて目を回している兄妹を、トールが引き剥がしにかかる。


「邪魔をするな勇者よ」

「そうだとも。使用人同士、仲良くせねばならぬ」


 二大美女は全く反省していない。


「やり方が駄目だって! ネイとランが昇天しそうになってるだろ」

「ニホンの『おねしょた』もしくは『おねろり』なるものを試してみたいだけではないか。無粋な勇者め」

「くだらない理由で青少年を毒牙に掛けるんじゃない!」


 やっぱり止めておけば良かった、とトールは深く後悔した。


 この後も二人は「何かメイドの仕事をさせよ」「使用人の真似はハジメテなのでな。修練が必要であるぞ」などと言っては、さまざまな騒動を巻き起こすことになる。



 だが、いい加減に二人を異空間へ強制収容しようかとトールが思い始めた頃ーー。

 ある事件が起こる。



✳︎✳︎✳︎



『ーー勇者、今すぐ戻れ! 貴族の馬車が来ておるぞ』


 メイドぶりもようやく板についてきたイクスカリバー。その彼女からの警告が届いた時、トールは例によって水田に居た。


『え? そんな話は聞いてないけど……』

『嘘ではない。間の悪いことに、汝の友も皆して出払っておるのだ』


 続いてイージィスからも思念が送られてくる。


『これはネイとランでは止められぬ。我等も貴族相手に本気を出しては不味かろう。疾く帰ってこい』

『ーー分かった。あの二人を頼む!」


 トールはあぜ道へ出て、つないであった馬に乗る。


(ーー貴族の馬車……代官か?)


 他に心当たりがない。

 だが、それはおかしな話であった。貴族は礼儀作法にうるさいものだ。どこかを訪問するなら必ず事前に一報を入れ、先触れの使者を出すこともある。行く側も迎える側も、相応の準備が必要だからだ。

 代官ユージェ・ヨーバルは、名門貴族の令嬢である。そんな基本中の基本を知らないはずはない。

 では、どうしてーー。



✳︎✳︎✳︎



「ここは勇者トールこと、イナサーク辺境伯家の敷地であるぞ。汝等、誰の許可を得て入ってきた? 返答如何によっては、ただではおかぬぞ」


 美しい双眸に鋭い光を浮かべ、イクスカリバーは屋敷の玄関前に立っている。

 その隣にはイージィス。さらに背後にネイとランが、震えながらも立っていた。

 兄妹には家に入っているように言ったのだが「僕達はこの家の使用人ですから」と引き下がらなかったのだ。


「事前に一言の断りもなく、貴族ともあろうものが随分と粗末なことをするではないか」


 イクスカリバーは、庭先に続々と踏み入ってくる一行をにらみながら言った。

 十頭ほどの馬と荷車に続いて、大きな箱形の馬車まで勝手に通過してくる。馬車は豪華なもので、貴人が乗っているのだろう。


「使用人の分際で態度が大きいですな、弁えていただきたい」


 そう応じたのは、馬に乗った男である。

 下馬さえせずイクスカリバー等を見下ろすその顔には、はっきりと蔑みの色があった。


「だいたい貴族の屋敷とも思えぬあばらやに、使用人がこれだけとは。お嬢様に失礼極まりない。礼儀がどうのと言われたくはありませんなあ」

「ほう、ではそんな見すぼらしい農家同然のこの場所に、お偉い貴族とやらが何の用向きだ? 聞かせてもらおうではないか」


 イージィスも一歩も引かない。


「領主たる勇者殿にご挨拶したかったのだが、ご不在のようですな? ふん、比類なき力を持つ勇者と言えども、所詮は庶民ということかな。お嬢様がわざわざ参られたにもかかわらず、出迎えも無いとは」

「貴公等、死にたいのか?」


 イージィスは、むしろ呆れた口調で言った。


「その庶民がなぜ勇者となっておるのか忘れたか。代官の一行なぞ来なかったことにしても良いのだぞ?」


 イクスカリバーもイージィスも、既に理解していた。

 要するに舐められているのだ。

 相手は力ある貴族であることを嵩に着て、思い切りトールとイナサーク辺境伯家を見下している。


 事前の連絡がなかったのも、こちらを対等な相手と考えていないからだ。自分達の非は見なかったふりをして、ねちねちと難癖を付けたいのだろう。


 だが、勇者であるトールが持っている最大の力は、貴族としての権力ではない。余人と隔絶した武力である。彼に喧嘩を売るなど正気の沙汰ではないのだが、貴族の価値観にどっぷり浸かっていると、そんな単純なことも分からないものらしい。


「い、言わせておけば生意気な?!」


 男は、腰に付けた剣に手をかけた。


「何をするつもりであろうかな? そんななまくらでイースは無論、この我さえ傷一つ付けられぬ」


 イクスカリバーは一歩、前へ出ると、腰に手を当てて胸をそらした。


「だが、やるならば受けて立とう。我は聖剣イクスカリバー。今は最強のねこみみめいどであるぞ!」


 言っている内容はふざけているが、イクスカリバーは本気であった。

 男は気圧されて馬ごと後ろに下がった。そして顔を赤黒く染めて剣を抜こうとした。


「ーーお止めなさいな。あたくしは、勇者さまにご挨拶に伺っただけよぉ……こんなことでは嫌われてしまうわぁ……」


 とろりとした声がして、馬車から一人の令嬢が姿を現す。


「お嬢様! これはその」


 男は瞬く間に顔色を変え、馬を降りてひざまずいた。


「貴方は忠義者ですものねぇ。でも、やり過ぎはいけないわぁ……」

「はっ。申し訳ございません!」


 別人と化したように、男は深々と頭を下げる。


「お嬢様、勇者様がおいでになったようです」


 令嬢の側に控える別の女が、声を掛けた。


「まあ。では、お出迎えしなくてはね?」


 令嬢はしずしずと歩き始める。

 イクスカリバーやイージィス等のことは、一度も見ようとしなかった。


「き、きさまら。女神のようなお嬢様のお優しさに感謝するのだぞ!」


 男も捨てゼリフと共に去っていく。



「戻ってきたか、勇者……」


 イクスカリバーはふっと息をつく。


「うまくしのげれば良いがのぅ」

「我等に出来ることはした。後は見守るしかあるまい」


 イージィスもまた、厳しい眼差しでつぶやいた。



✳︎✳︎✳︎



「ーーご機嫌よう、勇者さま」


 屋敷の前にたどり着いたトールの前に、見知らぬ女性がいた。

 農家の軒先にまるでそぐわない、優雅な姿である。

 夜会のような絢爛たるドレスではないが、身体にぴったりした深紅の衣装を着付け、つばのある帽子をかぶっている。


「辺境伯領の代官、ユージェ・ヨーバルにございますわぁ……」


 女性は、なよやかに腰を落として礼をした。

 濡れたようなすみれ色の目が、じっとトールを見つめている。


「……悪いけど俺、貴族の顔とか知らないんだ。作法もさっぱりだから期待しないでくれ」


 一方のトールは農作業帰りのため、シャツとズボンの平服で、しかもあちこちに泥がはねている。

 今更、貴族的な体裁を繕っても無意味だろう。

 さらに勇者には、礼儀作法を知らなくても許される特例がある。とは言えトールも普段は、初対面の相手にこんな失礼な態度を取らないがーー。


「で、代官さんが俺に何の用? よっぽど急用なのかな」


 相手に悪意を感じる時は別である。

 自分が到着するまでに、ユージェ達がどんな振る舞いに及んだのか。

 聖なる武具達の目や耳を通して、トールは概ね把握している。


「冷たいことをおっしゃらないで……。一刻も早く、勇者さまにお会いしてみたかったのですわぁ……」


 ユージェは微笑み、愛らしく小首を傾げる。


「家臣達は、あたくしのお願いを一生懸命、叶えようとしただけですわぁ。許してくださらない?」


 あざとい言い方の見本のようであった。

 トールは無言でユージェを見た。

 庭先には入り込まれたが、何か奪われたり、イクスカリバー達が危害を加えられたりした訳ではない。

 ないのだが、さしものトールも「良いけど」で済ませる気にはなれなかった。


「お、お待ちください」


 不穏な気配を感じ取ったのか。

 トールの前へ、別の人物が進み出る。

 痩せ形の若い女性だが、もっさりした長い前髪が目許まで伸びていて、顔立ちが分からない。杖を持っているのと、服装や魔力の強さからみて魔術師であろう。


「さ、先触れを致しませんでしたのは、私どもの手落ちです。まことに申し訳ございません」


 こちらはユージェと違って、随分と腰が低い。

 女魔術師は続けて何か話そうとしたが、馬蹄の響きを聞いて口をつぐんだ。


「ーートール! 何があった……?!」


 シャダルムが、黒馬バロックに乗って駆け付けたのだ。


 これまではスキル修練で遠出していたシャダルムも、最近はひと段落ついたと言って、屋敷の周辺でバロックを走らせていることが多い。さりげなく屋敷を守り、新入りのネイやランを心配してのことだ。

 見知らぬ人間を鼻息で威嚇するバロックをなだめつつ、シャダルムは鞍から降りーー屋敷前にいる女性らとトールを見て、渋い顔をした。


「代官殿。王国の通行許可証を悪用なさるのは、感心しませんが」

「あらぁ……そんなつもりはありませんでしたわぁ……イヴが大丈夫だと言うから」

「そ、それはお嬢様が……い、いえ、申し訳ありません」


 イヴと呼ばれた女魔術師は、ぺこぺこと頭を下げる。


 トール達の屋敷は一見すると、簡単な塀があるだけで無防備なのだが、実は周りをぐるりと囲むようにフェンとセレスト、二人の精鋭による魔法的な防御が施されている。

 さらに離れた場所にも、触れると警報を発する仕組みが設けられており、侵入者の接近が分かるようになっていたはずだ。


 しかし、王国の通行許可証を持っている者ーーすなわち国からの正式な使者に対しては、強制的な排除まではしない。


 ユージェの一行はこの通行許可証と、女魔術師イヴの手練手管を組み合わせて、警戒網を突破してきたものと思われた。


 それでもフェンとセレストなら、異常を察知して帰ってくるはずだ。

 マーシェもあまり遠出をしないので、さほど遅れは取らないだろう。


「シャダルム、俺は家の方を見てくる」

「承知した」

「ぁん、勇者さまぁ……」


 ユージェが何か言っているのは無視し、トールは屋敷の門をくぐった。



 玄関の前に、メイド姿のイクスカリバーとイージィスが並んでいる。


「イクス、イース、無事か?」

「大事ない。庭先には入られたが、屋根の下には入れておらぬ」

「ネイとランも、この通りであるよ。安心せい」


 二人が身体をずらすと、後ろから小さな人影が現れた。


「トール様……」

「ごめんなさいっ、勝手にお庭に入られちゃいましたっ」


 兄妹は細い肩をさらに縮めて謝っている。


「いや、こっちこそ留守にしてごめんな。手荒なことはされてないな?」

「大丈夫です。イクスさんとイースさんが守ってくれて」

「でも、これじゃ使用人失格ですっ」

「アレは向こうが悪い。追い返してくる」


 振り返ったトールの視線の先には、庭先に鎮座する大きな箱形の馬車がある。

 周囲にはユージェの従者なのか、十人ほどの男女がいた。馬の世話をする者、荷物を下ろす者、こちらを油断なく見つめてくる護衛らしき者もいる。


 我が物顔、とはこういうことを指すのだろう。



「待つがよい、勇者よ」


 だが、歩き出そうとしたトールをイクスカリバーが止めた。


「その物騒に過ぎる気配を鎮めてからにせよ。弓使いが言うておったであろう、代官を敵にしてはならぬ、と」

「うむ。今の貴公を家へ入れることはできぬ。何を塵に変えるか分からぬからな。お帰りくださいご主人様、であるぞ」

「……そんなにひどいか?」


 イージィスにも言われて初めて、トールは自分が不機嫌だったことに気付いた。


「そうか……最近、怒るようなネタなかったもんな」


 トールはあまり怒ることがない。もともと、暢気な性格だ。

 加えて、勇者が持つ力は大きいので、感情のままに使うと冗談では済まない。それで散々、抑える訓練をした。

 その彼が、今回は久々に「切れた」ことになる。

 

「自覚も無いのは珍しいのぅ。あの代官とやらは合わなかったか」

「綺麗だとは思うけどね……あんなに気持ちが刺さって来ない人っているものなんだな」


 ユージェ・ヨーバルは確かに美人で、何とも言えない色香がある。スタイルだけなら目の前の二人も負けていない……どころか一部で凌駕しているが、向こうは仮想体(アバター)ではなく生身の女性。あの造形美は素直にすごい。

 だが、それ以外の部分がまるで駄目だ。

 自分が大事にしているものを、土足で踏み荒らされた。

 そういう気持ちしか湧いてこない。


「ふむ。怒りを見せるにしても、弓使いの許可が出るまで取っておけ」

「悪かったよ。ネイとランは家にいてくれ。イクスもだ。イースはここで見張りを頼む」

「よかろう。我等に任せよ」


 トールは四人に指示を出してから、再び表へ出ていった。



 門前には赤い髪をした男と、馬の姿が増えている。


「あ、フェン。戻ってきたんだな」


 フェンも魔術を駆使して速度を稼いだと見え、帰ってくるのは早かった。


「あの異常が分からねえなら、オレは魔術師団を辞めるべきだろうよ。で、どういう状況だ」

「見た通りだ。代官と、お付きの魔術師っぽい女の人がいるんだけど、俺もいきなりで全然把握できてない。とりあえずマーシェを待ってる」

「ふん、跡形もなく燃やしちまえばいいかと思ったが……面倒だな」


 フェンがちらりと視線を投げたのは、ユージェではなく、隣に控えるイヴだった。

 その様子から、どうやら未知の脅威はイヴの方であるらしい。魔術師はたった一人でも戦況を変える力を持っているので、警戒するのも当然ではあるが。

 ユージェはと言うと、気怠そうに髪をいじっている。


「お、お嬢様。お疲れでしたら休憩なさいますか?」


 おどおどとイヴが尋ねる。


「そうねぇ……でも勇者さまがお許しになるかしらぁ……?」


 上目遣いで、ユージェがトールを見つめた。


「さあね。もうすぐ俺の仲間が到着するから、彼女と話してくれないか。俺から言うことはない」


 トールはそっけなく答える。


「まぁ、意地悪なお方……」

「わ、私が椅子を持って参りますので、お嬢様、座っていただいてもよろしいでしょうか」

「うぅん……じゃあお願いするわねぇ、イヴ」

「……畏れ多いことでございます……」


 イヴはトール達に頭を下げながら走っていき、折り畳みの椅子を抱えて戻るとユージェを座らせた。


「何だろうアレは……」


 ぼそっとつぶやいてしまうトール。


「あんまりいい気分はしねえな」


 フェンも小声で話す。


「二人とも、人前であまりそういうことを喋らない方がいい。マーシェとセレストが戻ってきたようだ……」


 新たな騎影を眺めながら、シャダルムが低い声で言った。



 マーシェとセレストは別々の場所に赴いていたが、たまたま帰りが一緒になったという。

 代官ユージェが前触れもなく来訪したことを告げると、マーシェは一瞬だが顔を歪めた。


「そこまでとは思ってなかったよ。油断しちまったね」

「どうする?」

「来ちまったものは対応するしかないさ」

「残念ですが、もう夕方です。追い返すことはできませんから、客室を使ってもらいましょう。ネイやイクスさん達はどこに?」

「屋敷の中に戻した。イースが玄関の見張りをしてるはずだ」

「分かりました。シャダルム、馬の世話をお願いします。トール様はまず着替えをなさってください」


 セレストが手際よく指示を飛ばす。


「心得た」

「言われてみれば、そうだった」


 農作業が中断していたことを、ようやく思い出すトールである。


「田んぼが途中だったなぁ。後でもう一回行けばいいか」

「仕方ねえだろ。こっちを優先しとけよ」

「分かってる」



✳︎✳︎✳︎



 大人の対応というもので、トール達は代官ユージェ・ヨーバルと、従者等の一行を泊めることにした。

 と言っても、あまりに急で準備ができていない。本当の貴族ならば死にものぐるいで体裁を整えるそうだが、


「ここでそれを期待されてもね、無理なもんは無理。自分らで何とかするだろうさ」


と、マーシェでさえ諦め顔であった。

 客室を掃除して明け渡すくらいが限界で、もてなしなどはできない。する気も起きない。

 女魔術師イヴがその後も何度かやってきて、マーシェやセレストと打ち合わせをしていたようだ。


「イヴさんがものすごく恐縮されていて、こちらが気の毒になるくらいでしたね……」


と、セレストが言う。

 トール達は可能な範囲で受け入れ準備を終え、夕食を食べて休憩しているところだった。

 代官一行は食事の面倒まで見られないため、ここにはいない。自前で何とかするだろう。


「性格はともかく、敵に回すと一番やばいのはあのイヴって女だ。気を付けろ」


 フェンがそう警告する。


「あんたがそこまで言うなら、本物ってやつだねぇ」

「ああ、かなり使うだろうな。それがどうして、召使いごっこをさせられてんのかは分からねえが……な」


 一行の中でユージェの次に地位が高いのは、常識で考えればヨーバル伯爵家お抱えの魔術師であるイヴだ。

 ところが、そのイヴ本人が使い走りのようなことまでやっている。ユージェはもちろん、従者達もどうやら彼女を下に見ているようで、そこもトール達からすると腑に落ちない点であった。


「ん、噂をすればイヴさんが来た」


 足音で、トールが気付く。


「あの代官、また我が儘でも言いやがったか」

「フェン。高位の貴族女性はあれが普通だ」


 シャダルムが口を挟む。


「関わり合いになりたくねえもんだな」


 食後の片付けをしていたランがパタパタと駆けていき、ドアを開けてイヴを招き入れた。


「み、皆さま、休憩中に申し訳ありません」


 イヴはおどおどしたまま、背中を丸めるようにやってくる。


「あなたもお仕事が大変ですね。何かありましたか?」


 セレストが自分の隣の椅子を勧め、物柔らかに尋ねた。


「お、お嬢様……というか、侍女達はあれこれ言ってますが。皆さまには十分よくしていただいてますから、これ以上はいいのです」

「ですが、あなたの立場が悪くなってしまうのでは?」

「わ、私の立場なんて。最初から無いようなものですし……」

「そこが分からん。あんた、何であんな扱いをされて我慢してるんだ。全員ぶっ飛ばせばいいだろう」


 フェンの意見は極端だが、一面の事実ではある。

 しかし、イヴは顔の前でぶんぶんと手を振った。


「そんなことはできません。私はその……攻撃系の魔術が苦手で、魔術師を名乗るのも烏滸がましいほどで。美人でもありませんし、使えない女ですから仕方ないです」

「そうでしょうか? 髪を整えて化粧をすれば、かなり見違えると思いますけれど」

「ああ。この髪は、見苦しいでしょうが必要で……」


 セレストの言葉に、イヴは慌てて前髪を押さえた。


 イヴの髪はくすんだ灰銀(アッシュ)で、少し癖があり、ふわふわしている。その髪が顔の前にも垂れているのだ。


「イヴさん、ひょっとして視え過ぎる体質なのですか?」

「あー、師団にもいるな。そういうやつ」


 セレストとフェンは事情を察したようだ。


「視え過ぎって?」


 トールには理解できなかったので聞いてみると。

 魔力の視え方ーーというか感じ方には、個人差があるという答えが返ってきた。



 魔法使いは、魔力の強弱を察知する能力を持っている。だいたいは第六感ーーつまり視覚ではない別物の感覚だが、たまに色つきや、きらきらしい輝きとして魔力が視えてしまう者がいる。

 魔法や魔術を操る才能とはまた異なる体質的なもので、フェンとセレストも、魔力の感知についてはごく普通の感覚だそうだ。


 しかしイヴは、魔力が淡く光って視えるという。


「トールさんとフェニックスさんとセレストさん。三人がそろうと、もう目の前がちかちかします……」


 日常生活でも頻繁に眩しくなって困るので、わざと前髪を伸ばしているらしい。


「イヴさん、それでは前が見えにくいでしょう。眼鏡を掛けた方がいいのでは? 魔法使いにはそういう人もいますよ」

「普通に視力が悪いやつも多いがな。暗い研究室で読書する馬鹿とか」

「うっ。だ、だって、明かりを出すと、こっそり魔術書を読んでいるのがばれて怒られてしまいます」

「あんたもそのクチか。二重の意味で眼鏡を使えよ。魔術書だって、ちゃんと読めねえと意味ねえぞ」

「お、お金が掛かりますし、私ごときにそんな」

「どうして、そんなに自己評価が低いのですか。あなたほどの魔法使いが」


 いつの間にか、フェンとセレストによる叱咤激励のようになっている。


「話が脱線してるけどさ。イヴさんは何か用があったんじゃないのか」


 トールが声を掛けると、イヴはびくっとして背筋を伸ばした。

「も、申し訳ありません。あの、実はお嬢様のことではなくて。私のお願いを聞いてほしくて……」

「イヴさんの?」

「はい。そのぉ、そちらにいらっしゃるシャダルムさんに」

「む? 私か……?」


 不審な顔をするシャダルム。

 ここまで何の接点も無かったので、彼の疑問も当然であろう。


「だ、駄目でしょうか?」

「うーん、悪いんだけどね」


 マーシェも、少し目を細めてイヴを見た。


 現状でヨーバル伯爵家とは、良い関係を結んでいるとは言いがたい。しかも伯爵家が関係なく、イヴの個人的な願いなら尚更、聞き入れる必要はないのだが。


「聞くだけ聞いてあげたら?」


 イヴがおろおろしている様子を見て、トールはそう言ってみる。

「あんたは甘いよ、トール。全くもう」


 マーシェは呆れた声を出し、シャダルムを見やった。


「そうだな……。叶えられるかは分からないが……イヴ殿がそれでも良ければ、話は聞こう」


 シャダルムがうなずく。


「あ、ありがとうございます……」


 イヴは立ち上がると、ごくりと唾を飲み……それから、テーブルに額をこすり付けそうな勢いで頭を下げた。


「お願いです、リンテさんに会ってあげてください!」

「……な、何だと……?!」

「リ、リンテさんはあの時、すごく緊張してただけなんです! 初恋の人と一言も話せなかったって落ち込んじゃって可哀想だったんです! これで終わっちゃうなんて駄目です! だから、だから……」


 そこまで力説してから頬を赤くし、椅子にへたり込むイヴ。

 緊張のせいか、はあはあと肩で息をしている。


「ーーリンテさんって、シャダルムのお見合い相手だっけ? 挨拶だけで気絶させちゃった人」

「だねえ。ただ、あたしが知ってる話とかなり違うね」

「今、初恋っておっしゃってましたけれど……」

「いや待て。何でその話をイヴがするんだ? どうなってやがる」


 トール達は顔を見合わせてから、そろってシャダルムに目を向けた。



「…………?!?!」



 シャダルムは木彫りの熊のように固まっている。



 対照的な二人の女性、代官ユージェと魔術師イヴ。

 彼女等のアポ無し突撃に端を発した一連の騒動は、まだ終わりそうになかった。

米の名は…「紅衣」

 早生、短稈で芒が短く、脱粒しにくい赤米品種として開発。栽培適地は東北地方。

「はいごころ」

 低アミロース性米で胚が大きく、機能性成分であるγアミノ酪酸(GABA)を豊富に含む。

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