第九十六話 流れ弾です──誰得ですか?
ラトスは一歩前に踏み出すと、己を示すように胸元に手を当てながら言った。
「ローヴィスはもう一回戦っている。ここは順当に考えて、まだ模擬戦を行っていない僕と君でやるべきだ」
もっともらしいことを口にしているのだが、俺にはどうにもそれだけではないと思えて仕方が無い。俺としては二戦も三戦も問題ない。
当のテリアはどんな反応をするのかだな。
テリアは少しだけ考える素振りを見せてから、フッと笑う。
「良いだろう。相手をしてもらおうか、ガノアルクさん」
一つ頷いたテリアは、柔らかな笑みの中に小さく好戦的な色を含ませた。それを目にしたラトスはキッと歯を噛みしめた。ラトスの希望通りになったのに、不満げな様子も含まれていた。完全にテリアを目の敵にしているなこれ。
テリアの方も、その辺りは承知の上で受け容れた風に見える。
両者が同意したとなれば俺が口を挟んで良い道理はない。ただ、本音を言えば是が非でも口を出したいところだ。
ラトスとテリアの組み合わせの時点で、もう嫌な予感しかしない。
俺を含むジーニアス魔法学校の生徒が着ている制服は特別な素材で出来ており、魔法によるダメージをある程度防いでくれる。初級魔法なら直撃しても『それなりに痛い』で済んでしまう。
教師の監督もあり、初級魔法に限られたルールの上なら大怪我を負う心配は無い……が、どうにも不安をかき立てる。
「おいラトス」
「なんだよ、止める気?」
「止める気はねぇけどさ。万全の状態じゃねぇんだから、あんまり無理すんなよ」
「……余計なお世話だ。それに、昨日君に呑まされた薬のおかげで体調はすこぶる良好だよ」
そう言って、ラトスはテリアの前に歩み出てしまった。その後ろ姿は、今にも切れる寸前な糸を彷彿させる緊張感が感じられた。
──模擬戦が開始した。
初手は互いに水弾の撃ち合い。単なる的にならないよう互いに動き回りながら魔法を放つ。
だがラトスはそれまでに蓄積した疲労や集中力の乱れか動きや投影のキレがいまいち悪い。対してテリアは落ち着いた様子で走りながら投影を行い水弾を放っていく。
「ふぅ──っ」
命中こそしなかったが至近距離に水弾が着弾し、ラトスが歯を食いしばる。
お返しとばかりに同じく水弾を投影するがこちらも回避される。
テリアには悪いが、心情的にはラトスを応援したいところだ。
二人の表情を見るに、戦況はテリアに傾いている。徐々にだがテリアの魔法がラトスの動きを捉え始めている。直撃こそまだだが、それも時間の問題だろう。
勝ち目はラトスにもある。
ラトスの強みは己が放った魔法の残滓──自身の魔力が染みこんだ水溜まりを使った魔法の投影。言わば遠隔操作できる魔法の砲台だ。
既に疲労が重なっている上で普段通りの遠隔投影が可能なのかどうか。その辺りは本人も理解できているだろう。
己の『場』を作り出せるまでに魔力が保つか。それまでに有効打を与えられずに逃げ切れるかが勝負。
そして、この模擬戦のルールは、ラトスに有利に働くはず。
テリアの水城塞は中級魔法の水流牢を改良したもの。つまり、この模擬戦に限っては使用できない。全方位からの攻撃を受け流す防壁が無いのはラトスにとってありがたいはずだ。
ただ、懸念が無いわけでもなかった。
俺がこうしてラトスの勝ち目を予想できたのは、それだけラトスと一緒に訓練をしたり、決闘の様子を見てきたからだ。
けれども、テリアはまだ編入してから日も浅い。決闘を行ったのも、編入時の入れ替えだけであり闘っている姿を一度しか見たことが無い。それ故に、テリアの手札を俺はまだ把握し切れていなかった。
唯一分かっているのは、テリアの魔力制御の技量がずば抜けていることだ。それに限ればおそらくはノーブルクラスでもトップレベル。アルフィやカディナにも匹敵する。
そもそも、魔力制御というのは魔法を投影する為の技術ではない。魔法をどこまで精密に正確に操ることが出来るか。
すなわち、己の魔法をどれだけ支配できるかなのだ。
「まぁ、あれだけの制御力が無けりゃ、水城塞なんて改造魔法を投影するのは無理か」
おそらく、あの魔法には水鞭だけでは無く、水流走の魔法陣も改良して組み込んでいるのだろう。攻撃を受け流すための水流制御はおそらくこれだ。
……ちょっと待て。
水流走は初級魔法。本来は水上を走るための魔法。使える状況は限られているが、その限られた状況の中では非常に強みとなる魔法だ。
テリアは移動手段であるはずのこの魔法を、防御手段として使っている。
これが意味するところはつまり──。
だが、そこまで考えて俺は逆に疑問を抱いた。
だったら何故テリアはそれを未だに使わないのか。もし俺の読みが正しければこの模擬戦は既に決着がついている。
手札を出し惜しみしているのか、それとも決着をつけるを躊躇う何かがあるのか。
「うわぁぁっ!?」
その時だ。テリアとラトスの模擬戦を見守っていた一般クラスの生徒に運悪く、ラトスの放った流れ弾が命中してしまう。
俺は慌ててその生徒の元に駆け寄った。
「おい、大丈夫か?」
「あ、ああ。さすがにちょっと痛いけどな」
「ったく、狙い外したあいつも悪いけどよ」
「ああ、ちょっと気を抜きすぎたみたいだ」
十分な距離をとっているとはいえ、ここは安全な結界に囲まれた決闘場ではないのだ。その辺りを注意すると、男子生徒は申し訳なさそうに言った。
水弾が弾けたせいで、彼の制服は水浸しになっていた。制服が素肌にぴっちりと張り付いて凄く気持ちが悪そうだ。男子生徒は己の服を摘まんで辟易としていた。油断しすぎていた自業自得と思ってもらおう。
ったく、男子の水濡れ姿とか誰特だよ。どうせなら女子生徒の水濡れ姿とか見たかったよ。張り付いた服に吹き出るたわわなお胸さまのラインとかじっくり観察し──。
「──あっ!?」
俺はテリアがそうそうに勝負を決めなかった理由にとうとう気が付いた。
あり得ない話ではない。
テリアはガノアルク家の当主と面識がある。それが単なる伝書鳩の役割だけでは無く、それ以上の繋がりを持っていたとすれば──。
「おい、そろそろ終わりそうだぞ」
近くにいたノーブルクラスの生徒に言われて、俺は慌ててラトス達の方に目を向けた。
ラトスは片足を押さえて膝をついていた。その足は先程流れ弾をもらった生徒の服と同じで水に濡れている。テリアの水弾を避けきれずに足にもらってしまったのだろう。対してテリアは鋭い視線と掌をラトスに向けている。
剣士同士の闘いでは、相手の喉元に剣の切っ先を突きつけている状況だ。
「俺の勝ち……だな」
「……………………」
テリアの勝利宣言に、ラトスは答えずにそっと目を瞑った。それは他人からすれば諦めの仕草にも見えた。
しかし、俺は知っている──ラトスの負けん気の強さを。
ラトスの魔力が一気に膨れあがった。テリアがそれに驚く最中、ラトスはカット目を見開くと。
「水弾・砲台!」
コレまでの闘いで辺り一面にちりばめられたいくつもの水溜まり。その内、ラトスの魔法で作られたものから魔法陣が投影され、テリアに向かって放たれた。
「────っ!?」
驚愕するテリアに向けて水弾が迫る。どうやらラトスが遠隔で魔法を投影できることは知らなかったようだ。驚きで躯が僅かに硬直し、回避するタイミングを逸してしまう。
けれども、テリアは驚きの中にあっても躯は行動をとっていた。
「水流走!」
テリアは両手それぞれに回転する水球を生み出すと、迫り来る水弾に衝突させた。
すると、水弾はテリアの掌にある水球の表面を滑るように走り、標的とは別のあらぬ方向へと跳んでいってしまった。
「やっぱりか!」
俺は思わず声を上げていた。
あの水城塞の『受け流す防御』が水流走によるものであるのならば、水流走だけを利用してそのまま防御をすることが可能のはず。そんな俺の予想はがまさに的中してしまった。
水流走は初級魔法だ。この模擬戦のルールも違反していない。
「そんな……っ」
今度驚愕するのはラトスの番だった、己の魔法が思いもよらぬ方法で防がれたことに大きく動揺する。
テリアは飛来した全ての水弾を受け流す。動きそのものは見事であり、普段から防御に関して肉体的な訓練も行っているのが窺える。
「ってラトス! まだ終わってねぇぞ!!」
俺の声に呆然から我に返ったラトスだが、正気に戻るのが遅すぎた。
テリアの動きは見事であったが、己の身を守ること以外には気が回っていなかった。受け流し、弾き飛ばした水弾の一つがラトスへと向けられる。
「しまっ──!?」
それが意図した事で無いのはテリアの焦りの表情から読み取れた。
そして──。
「きゃぁぁぁぁっっ!?」
足を引きずりその場から逃げ切れなかったラトスに、水弾が直撃した。
第1巻が発売されるまでになるべく進めていきたいところです。
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