第九十二話 偶然通りかかったようです──チクリとしています
ローヴィスを見送った後、僕は未だベンチから腰を上げること無く、逆に俯き気味に深い溜息を吐いていた。
「……僕は何をやっているんだ」
彼に強く当たってしまったことに、僕は深い自己嫌悪に陥っていた。ローヴィスは僕を気遣ってくれていたのに、コレでは恩を仇で返したようなものだ。
それだけでは無い。ローヴィスとの会話は、どうしてか僕の心をかき乱す。彼の口から『友達』という言葉が出てくるたびに、胸の奥がちくりと痛む。
ローヴィスが、アルファイアやウッドロウと話しているのを見たときと同じような痛みだ。
「もうこれ以上の悩みは御免被るよ……」
僕は嘆息しながら、くしゃくしゃになった一枚の手紙を取り出した。
ウォルアクトから渡された父さんからの手紙。僕の頭を悩ませている元凶だ。くしゃくしゃになっているのは、渡された後に自室に戻って読んだ際、その内容の衝撃に思わず握りつぶしてしまったからだ。
本音を言えば、破り捨てて見なかったことにしたい。けれども、そんなことをしたとて状況が変わるはずも無いの分かっている。
ローヴィスが察していた手紙の内容は、まさにその通り。テリア・ウォルアクトに関わる事だった。
「なんで今更になって……」
彼に飲まされた丸薬のおかげで、躯の調子はすこぶる良い。先程までの全身を支配していた倦怠感が嘘のように無くなり、寝不足で靄が掛かっていた思考も今ははっきりとしている。
おかげで……改めて『現実』を直視してしまった。
ローヴィスの気遣いは嬉しく思うものの、再びこの手紙の内容を考えられるだけの精神状態に戻ってしまったことに小さいだが後悔してしまった。そんな自分が嫌になってまたまた気持ちが落ち込んでしまう。
今日だけでもう何度目になるか分からない溜息を、もう一つ重ねた。無意味と分かっていても、胸の中に堪った重いものを吐き出そうと深く息を零す。
「随分とお悩みようで」
その声を聞いた途端、憂鬱に支配されていた頭が瞬時に加熱した。勢い任せに立ち上がり、声の元に目を向ければ僕の予想通りの人物がそこにいた。
「こんばんわ、ガノアルクさん。俺が編入した日ぶりだな」
「テリア・ウォルアクト──ッ!」
柔らかい笑みを浮かべているウォルアクトがこちらに近付いてくる。その後ろには、僕らよりも歳が上であろう男性。おそらくウォルアクトの護衛だろう。
僕の鋭い視線を受けながらも、ウォルアクトは困ったような表情で頬を掻いた。
「コレはまた随分と嫌われている。リースに向けていた表情とは大違いだ」
ローヴィスの名前を出され、僕は己の頬が熱を帯びるのを感じた。どうしてそうなったか、僕自身も理解できなかったが、言いしれぬ羞恥心が沸き上がる。
「──覗き見とは随分とマナー違反じゃ無いか」
衝動的に叫びたくなるのをどうにか堪え、僕は努めて冷静な声で皮肉を口にした。
「たまたま君たち二人を見つけたけたけど、割り込める雰囲気では無かったからな。意図したものでは無い」
「どうだか……」
僕の皮肉をさらりと受け流し肩を竦めるウォルアクト。その表情からは、何を考えているか読み取れない。ローヴィスの言うとおり、ウッドロウとは違った意味で摑みづらい。
「偶然とは言えこうして顔を合わせたんだ。改めて君と話したいんだが、どうだ?」
「……良いだろう」
「おや、意外。俺の顔を見たくもないって顔をしてるのに」
「正直に言えばまさにその通りだ」
僕がここ最近、ローヴィスを……ノーブルクラスの友人たちを避けていたのは、今目の前にいるこの男に会いたくなかったからだ。
だが、いい加減に逃げてばかりもいられない。目を背けても解決する問題で無いのは、当事者である僕自身が一番よく知っている。
「……まず最初に聞かせてくれ。君はあの手紙の内容を──」
「手紙を受け取る際に、ガノアルク家の御当主と直に話している。今後の事についていろいろとな」
「つまり……」
「手紙を直接は見ていないが、内容の大凡は把握している」
僕の質問を先回りして、ウォルアクトが答えた。
「……こちらの事情なんて全く無視して一方的に話を決める。あの男はいつだってそうだ」
「聞いていたとおり、ガノアルク家当主──お父上とはあまり上手くいっていないようだな」
「他人の家庭事情に口を出さないでくれ」
「そうはいかないさ。遠くないうちに他人事では無くなるからな」
その言葉に反射的に噛みつく。
「──っ、僕は全てに納得したわけじゃない!!」
「それは、ここ最近の君の対応を見れば分かる。君の〝境遇〟も聞いてはいるからね。同情するよ」
ありきたりな言葉に、怒りでザワリと肌が粟立った。
「ふざけるな! お前に何が分かる!!」
我を忘れかけた僕は反射的に魔力を発し──途端に怒りとは別に背筋が震えた。
ウォルアクトの背後に控えていた男が、鋭い視線をこちらに向けていた。ほんの僅かな切っ掛けさえあれば、その鋭さが実態を帯びて僕に突き刺さる。そんな確信めいたものがあった。
「止めろキムス」
「…………」
ウォルアクトは今にも動き出そうとする従者を手で制した。主の言葉に従い、男は頷いてから一歩下がる。だが視線は相変わらず鋭く僕を射貫いていた。
「俺の従者が失礼した」
従者は僕が反射的に発した魔力に対応しようと動いただけ。非があるのはこちらだ。ただ、それを素直に受け容れ難く、後ろめたさも相まって僕の口は動かなかった。
「上辺だけで理解したつもりになって、軽々しく口にしていいものでもなかったな」
「止めてくれ」
こちらが感情的になったのに、ウォルアクトはどこまでも冷静に対応してくれている。それがまるで彼と僕の『差』のように思えてしまい、自分が惨めになってくる。
「君は……納得しているのか?」
「納得も何も、貴族とはそう言うものだ。互いのお家のことを考えれば、悪くない話だと思う。君も本当は分かっているのではないのか?」
僕は何も答えずに顔を逸らした。けれども、否定的な言葉が出てこない沈黙は既に答えているようなものだ。
ウォルアクトを介して父さんから送られた手紙。
そこには、ガノアルク家長女とウォルアクト家次男の『縁談』が決まったという知らせ。
そうなのだ。
目の前にいるこの男──テリア・ウォルアクトは。
この僕──ラトス・ガノアルクと親同士が決めた許嫁だったのだ。




