第二百五十二話 魔獣狩りのお時間
逸れた学生を二人を空から捜索。深層に届く一歩手前の辺りに差し掛かった頃に、どうにか見つけることができた。
その時点で、既にあと瞬き一つほどで魔獣に生徒が殺されるというタイミングであった。即座に魔力翼の推力を最大まで噴かし、墜落する勢いで急降下。盛大に土埃と草木を舞い上げながら両者の間に割って入った次第だ。
「間一髪ってのはまさしくこの事だよなぁ……危なかった」
吸魔装腕で覆われた左手で動悸が早る胸元を抑えながら、右手を掲げて防壁を投影。半透明の壁の向こう側には、弾き飛ばされてもんどりをうつ魔獣が一つ。巨大な虎に酷似した形状ではあるものの、牙と爪は異様に長く、身体の節々からも鋭い角が飛び出している。
この森で出没する魔獣については、課外授業の範囲外である深層部を含めて記憶しているものの、あの虎の魔獣はどれにも属さない個体だ。
一方で俺の背後では学生が二人。ゼスト先生から知らされた通り、班から逸れた問題児──エディとジルコに他ならなかった。今は気を失って無様に白目を剥いている。あとズボンの全部と接している地面にシミが広がっている。色々と限界が突破して堤防が決壊したらしい。
無理もないか、とさらに視界を巡らせれば、至る所に散らばっている魔獣の死骸。そして、その中に埋もれるように存在している人の形をした肉塊。
胴体から真っ二つになっている者。押しつぶされて地面の染みになっている者。そして、頭を失って転がっている者。付近に散らばっている装備から、かろうじて狩人であると識別できたが、それだけだ。
人の死体を見たのはこれが初めてではない。俺自身、『経験』は未だにないものの、瞬間を目の当たりにしたことはある。やはり気分はよろしくないが、沈んでいる暇はない。
この辺りに近づいた頃から鼻に触れる刺激臭から、俺はこの異常事態の原因に察しがついた。
「どこの馬鹿だ。誘導香なんて禁製品を持ち込んだのは」
使用者については分かっている。匂いは明らかに失神してる二人から漂ってきていた。大方、使用法を知らされず間近で使って、香りが染みついているのだろう。となると、おそらくは誰かから渡されたと考えられるが、考察するのは後にしておこう。
見れば、虎型の魔獣が四肢で地を踏みしめてこちらを睨みつけている。目は血走り、口からは唾液が溢れ出している。様子が尋常ではないのは誘導香の興奮作用のせいだ。
「……こいつは、他の狩人たちじゃ荷が重いな」
教師たちが雇った者たちは、腕利きと呼んでも差し支えない実力者に違いない。ただ、そうした者たちであれば、目の前の魔獣と遭遇した時点でまず撤退を考えるだろう。
端的に言えば、『黄泉の森』に出没する魔獣に匹敵する危険な気配が、先ほどからビリビリと肌に突き刺さっている。大賢者から課せられる鍛錬の一環でなければ、俺も無難にやり過ごす程度には警戒が必要な相手である。
「『余計な荷物』がなきゃ、さっさと逃げてるんだけど」
別にあの二人を抱えて空を移動する事自体は可能だ。救助活動で幾度か繰り返したおかげでコツは掴んだ。問題は、抱えて空へ逃れる間にあの魔獣が大人しく待ってくれるかだ。まず間違いなく、背中を見せた瞬間に美味しく頂かれそうだ。
「やるしかないか」と、腹を括ったところで、奇しくも痺れを切らした魔獣が飛びかかってくる。変わらず防壁は投影したままだが、構わずに体当たりをぶちかましてきた。
「──ッ、下手な上級魔法よりもヤベェなこれっ」
魔力の盾に伝わる衝撃は、後ろで伸びてる馬鹿どもが決闘の時に投影した魔法より遥かに上等だ。もっとも、それで揺るぐほどに俺の防壁は柔ではない。真正面から壊すには、同程度の威力があと十発は欲しいところ。
理性なき魔獣はなおも体当たりをしようと構えるが、それを悠長に待ってやるほど俺も人はよろしくない。魔獣が距離を取り踏ん張ろうと身構えるところで防壁を解除。密かに回転翼で充填していた魔力を推力として翼から噴射し、半ば滑空する勢いで肉薄。魔獣の鼻面に手甲を打ち込んだ。
「おぅ──らぁっ!!」
魔力翼の推力と腕力が掛け合わさった一撃で、魔獣の体躯が後方へ投げ出される。進路上の樹木に激突するが、まだまだ元気は有り余っているようだ。雄叫びを上げながら俺に向けて飛びかかってくる。
「そうだ、掛かってこい!」
言葉の意味は伝わらなくとも挑発の意思は届く。俺が横に避けながら大声を発すると、魔獣は続け様に襲ってくる。これで魔獣の注意は俺に集中し、ジルコたちから引き剥がすことに成功した。
誘導香の匂いはまだ残っているが、それに釣られる魔獣は既に集まりきってそこらに積み重なっている。あとはエディとジルコに運が残っているのを願うばかり。これ以上はあの馬鹿どもに思考を割いている余裕は無い。
俺は吸魔装腕の回転翼を唸らせ、爪と牙を剥き出しに襲いくる魔獣と相対する。
──『それ』は森の深淵にて首をもたげた。
心地よく怠惰に身を委ねていたそれは、いつになく森がざわめいている事に気が付く。
加えて、鼻につくのは妙な匂い。
惰眠をもう一度貪る気など失せる、嫌な臭気。
別に外から何某らが入ってこようが、構わない。
森の表層を小賢しく彷徨ったところで、それは大して気にもしない。
けれども、『それ』が鎮座する奥までの騒ぎともなれば話は別だ。
虫が遠間で飛び回るのを許しても、近場で羽音を立て視界にチラつくのは許せないのと同じ。
己の健やかな堕落を害するものを、それは許さない。
深淵に座していた『それ』は徐に立ち上がった。
幸いかは不明だが目指す場所は明白。
今も鼻に付く匂いを辿れば良いだけだ。
それは『尻尾』を大きく揺らめかせながら、慮外者の元へと向かう。




