第二百五十一話 自然を舐めてると、大概は碌でもない末路を辿るという話
「ま、マット……ダカル。ど、どこにいったんだ?」
震える声で仲間の名前を呼ぶが、返答は無い。本当はわかっているのに、その現実を認めたく無い一心であっただけであった。
俊敏自慢のマット。木々の間を獣の如く飛び交い、その素早さで魔獣を追い詰め鋭い短剣で的確に急所を穿つ。
巨漢のダカルは魔獣に負けぬ膂力で大剣を奮い、分厚い筋肉であろうが硬い攻殻であろうがまとめて両断する。
繰り返しになるが、知恵は劣ろうともその能力は第一線で活躍する狩人に引けを取らない優れたものを有していたのだ。
無知な学生二人が使用した『誘導香』によって、大量の魔獣が森の奥から姿を現したのまでは既定路線。腰を抜かして震える若者らを尻目に、稼ぎ時だと意気揚々に狩りを始めた狩人三人。香の影響により普段よりも魔獣らは興奮状態にあったが、三人の実力があれば問題なかった。
『あの魔獣』が現れるまでは。
まず最初にマットが殺された。斥候としていち早く異様な魔獣の存在に気がついたがそれまで。警戒を発したところで、森の奥から突如として現れた魔獣に下半身を持っていかれた。身体の下半分が忽然と消え去り、遅れて上半分が地面に落ちると血と臓腑を撒き散らしながら息絶えた。その俊敏さを生かす機会も無く。
次にダカルだ。仲間の死に激情し、大剣を振り上げながら襲いかかる。あれでも長く組んでいただけありそれなりの情もあったのだろう。けれども遠目で気が付かなかったが、魔獣の体躯は仲間の中で一番の巨漢である彼を遥かに上回っていた。マットを仕留めた俊敏さで接近され、そのことに気がついたのは巨躯に見合う鋭く大きな爪が振り上がった時点。咄嗟にダカルは大剣で防ごうとするが、その爪ごと容易く叩き潰され地面に血に塗れた肉のシミが出来上がるだけであった。
マットどダカルが死んだ。
その事実が脳に染み渡るようやく染み渡る頃には、魔獣は次の『獲物』に狙いを定めていた。
果たして何をどう間違えたのか。どこで選択を誤ったのか。
素行は荒く限りなく灰色な稼ぎをしていながらも三人がこれまで問題なくやってこれたのは、イアンが事前の準備を怠らずマットとダカルもそれに従って動いていたからだ。行動する付近やその一つ外側まで出没する魔獣をイアンが調べ、万が一に備えていたからに他ならない。
──イアンを含めて、彼らは知らなかった。
いや、完全に失念していたのだ。
そもそも魔獣という存在──『自然』というものは、人間の常識で測り切れるものでは無いのだと。時として、人の思惑の至らぬ領域を知らしめると。
確かにイアンは下調べを怠ってはいなかったのかもしれない。けれどもそれは結局のところ、過去の人間が持ち帰った情報から導き出されたもの。
逆を言えば、今まで一度も目撃されたことのない脅威については何ら対処が及んでいなかったということ。そして、仮に既知であろうとも、現れればどうしようもないという事。
イアンの思考がその答えを導き出すよりも前に、魔獣の顎が彼の頭を噛み砕いていた。
エディとジルコは混乱と絶望の極みに追いやられていた。
狩人三人の言葉通りに『道具』を使い、放たれた強烈なニオイに顔を顰めていれば突如として大量の魔獣に追い立てられた。これまでほとんど無縁であった野生の殺意を一挙に浴びせられて、もはや魔法を使うどころでは無い。
死に物狂いで逃げたところで腰を抜かし、絶望を味わったところで狩人三人が現れる。そこでようやく自分らがハメられたのだと気がついた。
だからといって即座に文句を飛ばせるほど、学生らには人生経験も胆力も持ち合わせてはいなかった。魔獣たちがこちらに牙を向けないように祈りつつ、狩人たちが獲物を狩っていく様子を黙って見ていることしかできなかった。
狩人三人も、学生らに特別に思い入れもなく、また相手が貴族の子息であることも留意しており、最低限は守ろうという考えは一応持ち合わせていた。もちろんその辺りは伝えず、恐怖に縮こまっている姿を見て愉悦に入っていたのもまた確かではあったが。
しかし、どこからともなく現れた魔獣により、狩人たちは瞬く間に殺されてしまった。魔獣に囲まれた時点で既に恐怖で動けなかったというのに、たとえ憎かろうとも人が死ぬ瞬間を目の当たりにし、二人の精神は既に限界に達していた。
そして──イアンの血で口元を赤く染めた魔獣が、ついに学生らに向く。
もはや『逃げる』という思考すら消し飛び、エディとジルコの頭の中にあったのは、漠然とした『死』の確信。
魔獣が駆け出し、その鋭い爪が肉を抉り臓腑を切り裂く瞬間までを妙に長く感じ・
──けれども、その寸前に魔獣と学生の間で衝撃が爆ぜた。
一人の少年の背中を視界に収めたのを最後に、ついには彼らは意識を手放した。




