第二百十二十話 無駄なく徹底的に絞り切られている肉
円形机を挟んで俺たち向き合ったところで、ライドが取り出したのは小ぶりな水晶玉だ。
「後から文句が出ても困るからな。公平を期するために、組合が使用している検知の魔法具を使用する。魔法的な変化が生じればこれが反応する仕組みだ」
──これは後からライドから教わった話だが。
この水晶玉にはジーニアスの授業で、内素魔力を測定したものと似たような性質がある。こちらは外素の動きに強い反応を示すようだ。
魔法の中には、相手の視界を阻害したり認識を歪めたりするものも存在する。依頼の契約書を誤魔化して不正を働こうとする事例が少ないながらも発生しており、それを防止するためのものである。
とはいえ、滅多には使用されず、主に高難易度かつ高報酬の際に使用されるのだとか。本来であれば貴重なもので扱いも注意しなければならなが、組合の重鎮たるライドの一声があってこそだ。
俺と男は円形机に肘を置くと、互いの手を組み合う。
「────?」
男は眉を顰める。
常日頃から魔獣を相手にしているようで、勘そのものは致命的に鈍くないようだ。素行は悪くとも腕は良い方だと聞いているし、組んだ手から伝わる感触から、頭よりも先に体の方が警戒心を抱いたのか。
だとしても、もう遅い。
「お互いに力を抜いて──」
ライドが組まれた拳の上に手を置き、俺たちの腕に力が入っていないことを確認。観客と成り果てた狩人たちもわずかばかりに緊張し空気が静まる。
男も呼吸を整え、俺も大きく息を吸い込む。
そして──
「勝負!」
「ぬんっっっ!」
──バゴンッ!
ライドが合図と共に手を離した刹那に、俺は男の手をテーブルに叩きつけていた。
カディナの希望通り「さっさと終わらせる」を実行したのである。
「は? ──え……は?」
あまりにも一瞬の出来事に、男は自分側に倒れた自身の腕を見て目を瞬かせていた。負けることなど、つゆ程にも頭になかったらしい。後ろで見守っていた巨漢は呆然とし、痩身は額に手を当てて頭を振っている。
「これで、白黒はっきりついたようだな」
腕相撲を持ちかけてから──というかそれ以前から勝敗の行方を確信していたライドが、あっさりとした声色で呆然としている男に告げる。
「お見事」
「そりゃどうも」
こちらも同じく俺の勝利を確信し切っていたカディナが味気のない台詞を投げかけてくる。あっさりとした終わり方に俺も勝ち誇る気も起きず短く返した。
あれだけ盛り上がっていた周囲のハンター達も、雰囲気が微妙だ。接戦を期待していたのに、勝敗が一瞬の出来事すぎてついていけてない感じだ。
と、ここで思考の回転が再始動したのか、男が慌てたように叫ぶ。
「ま、待て! こんなの何かの間違いだろ! もう一回勝負しろ! 今度はズルは無しだ!」
「俺が小細工したような言い回しはやめてくれねぇか。純粋に風評被害だ」
「テメェみたいなヒョロい小僧に、魔獣相手に渡り合ってるハンターの俺が負けるなんぞ何かの間違い以外のなんだってんだ!」
言うことに欠いて俺が反則をしたと指摘をしてくる始末だ。あまりにも往生際が悪い。
「ま、魔法! そうだ、魔法を使ったに違いねぇ!」
「失礼な。純粋十割十全に腕力限定だよ」
俺はライドに目を向けるも、彼は手元の水晶玉を一瞥してから首を横に振った。
「残念ながら、水晶玉に反応は見られなかった」
魔法は使われていなかったと断言を受けて唸るが、それでもなお男は納得できていないようだ。
仕方がないので、俺が口を開いた。
「まどろっこしいのは無しだ。そこの巨漢とやらせろ。そいつに勝てば文句は無いだろ」
指名を受けた巨漢の男は最初キョトンとした顔になるが、すぐさま不機嫌そうに顔を歪める。
「舐めやがって、小僧が」
「その手の台詞はもう聞き飽きて、お腹一杯いっぱいだよ。もうちょい言葉の種類を増やしてくれると助かる」
売り言葉に買い言葉で返すと、巨漢は分かりやすいほどに額に血管を浮き上がらせる。
今度は少しばかりは不安が残るのか、ライドが目を向けてくるが俺の落ち着いた様子に要らぬ心配だったかと首を横に振った。
先ほどと同じ配置で、俺と巨漢が向き合い、円形机に肘を付く。
巨漢が見せる腕はご立派な体躯に相応しく、木の幹のように太く逞しい。
「その細い腕、へし折ってやる」
手を組んだところで巨漢が凄む、俺は黙り込む。
そのまま、合図と共にライドが手を離した。
「んぐっ!?」
一気に勝負を決めようと巨漢が意気込むが、すぐに大きく目を見開き息を呑んだ。
腕は勝負が開始した時点からピクリとも動いていなかった。
なるほど、ガタイの良さは見てくれだけでは無い。中肉の男よりかは遥かに腕力があるのは確実だ。同程度の力を入れただけでは流石に倒せない。
ただし、それだけである。
「どうした。そのご立派な筋肉は見てくれか?」
「ぐぎっ──!! ぐぎぎぎぎぎぎっっっっ────ッッッ!!」
俺の煽りを受け、歯を食いしばり顔を真っ赤にしながら、巨漢は机の端を掴み踠くも、組んだ腕はびくともしない。
俺は確かに筋骨隆々と呼べるガタイではない。だが、大賢者ご謹製の地獄のようなトレーニングメニューと、黄泉の森で採れる栄養満点の材料から作られた特製料理によって、全身から無駄という無駄が削ぎ落とされている。
目の前で悶えている巨漢に比べてば、身長や肩幅は劣っている。けれども体重──つまりは|密度』に関しては、同等か俺の方が上だ。
余談ではあるが、ジーニアスの食堂で出てくる料理や王都にある各種スイーツでは栄養が足りていないので、収納箱には補填のための魔獣食が大量に治められており、暇を見ては食べているのはここだけの話。
巨漢の俺を見据える目が、徐々に『異様』を見るそれへと変ずるのがよくわかった。もしかすると今のこいつには俺の体が元の数倍以上にも見えていたのかもしれない。あるいは人の皮を被った魔獣か何かか。




