第百五話 超疲れました──悪い奴ではなさそうです
愛用のポメラがぶっ壊れたので、しばらくはパソコン執筆。
「あ~~ちょっと辛い」
学校の教室に来てからというもの、俺は机の上に突っ伏していた。
昨晩は大賢者の家に泊まり、早朝に来た時と同じように飛天加速を連発して大急ぎで学生寮に戻る。その後、最低限の準備をしてどうにかギリギリ始業には間に合った。
だが……体力の消耗が凄まじい。睡眠時間こそ十分に確保していたが、それ以降がかなりの突貫行動。全身を支配する疲労感で、ペンを動かすことすら億劫だ。よく考えると、ばあさんの家に行くときにも飛天加速を連発している。本来は長距離移動用の魔法ではないのだ。昨晩の無理が尾を引き、今にまとめてのし掛かっている状態だ。
それでも、この疲労感も無駄ではなかった。
大賢者の言葉を思い返す。
──理論的に順序良く、そして素直に考えてみてみぃ。
一晩をかけて、俺なりの考えを導き出すことはできた。
しかし、だからと言ってそれが直接に問題解決につながるかはまた別だ。
これからまたそれについて数多を悩ませなければならない。
それも、まずは今日の授業を終えてからだ。
ゼストのやる気の全く感じられない始業から授業が開始される。
幸いなことに、今日の授業は座学が中心で実技系の授業は行われない。体力がカスカスの俺にとってはありがたい話だ。
実のところ──授業内容の大半は、大賢者の英才教育によって予習済みの状態。殊更に新たなら知識を仕入れる意味はあまりなかった。
とはいえ、授業を受ける意味が皆無かどうかと聞かれれば、答えは否だ。
婆さんの英才教育の弊害である。
大賢者の名に恥じず、婆さんはあれで魔法の研究に余念がない。その成果の中には、現行の魔法理論の一段か二段上のレベルにまで到達している分野も存在していた。
ゆえに、授業で学ぶ知識と俺の元々の知識に齟齬が生じる。
でもって、学校の試験というのは基本的に『授業で学んだ成果の確認』だ。つまり、大賢者の教えをそのまま書いても不正解にされる確率が高いのだ。
よって、試験用の答えを知るためには真面目に授業を受けなければいけないのだ。
これでも勉学においては学年トップの地位にいるし、これからも維持し続ける所存だ。全身の疲労感が凄まじく、寝入って体力回復に努めたい気持ちはあっても授業を疎かにはできないのだ。
「zzzzzzz……」
俺が気合を入れて机に突っ伏したい欲に争っている隣の席では、大鉄球おっぱいの持ち主であるミュリエルが、それはそれは気持ちよさそうに寝息を立てて机に突っ伏していた。
大方、昨晩にまた徹夜で調べ物をしていたのだろう。こいつは今日がたまたまというわけではなく、基本的に授業中はいつも寝ている。その証拠に、授業を担当している教師も他の生徒であれば注意しているところを、ミュリエルを一瞥するだけで何も言わない。
最初の頃こそ、授業中に堂々と眠りこけるミュリエルを注意する教師は多くいた。だが、何度注意してもミュリエルの授業態度は変わらない。教育者としてのプライドを持っている教師達としてはたまったものではないのだろう。
ましてやここはノーブルクラス。俺を含めて日々研鑽に努めている生徒達の中でにあって、不真面目極まりない生徒が混ざっていれば業腹ものだ。
ところが、ミュリエルはただの不真面目生徒ではなかった。
ある時、とうとう業を煮やした教師が、己の授業中に寝息を立てていたミュリエルを指名し、今しがた自分が出題した問題を解かせようとしたのだ。
ミュリエルは眠たい目をこすりながらノロノロと黒板の前まで来ると、ノロノロと出された問題の答えを記していく。
教師側の目論見としては、問題を解けないミュリエルに今まで以上に強く注意を言いつけ、授業態度を改めさせようという魂胆だったのだろう。
ところが……ミュリエルは出された問題を完璧に答えてしまったのだ。それまでの授業内容を全く聞いていなかったはずなのに。これにはさすがに教師も唖然としていた。
これ以降も、ミュリエルがいきなり教師に名指しで指名され、出された問題を彼女は見事に解いてしまう、という光景が何度も繰り広げられた。
俺としてはそれほど不思議ではなかった。
ミュリエルは国内で三指に入る魔法使いである学校長の弟子だ。俺と同じで、授業で学ぶおおよその内容は既に習得済みなのだろう。
座学はほとんど寝ているミュリエルだが、実技系ではさすがに起きて授業を受けている。とは言っても、こちらはこちらでやる気の欠片もない状態で、積極的に授業に参加しようとはしなかった。それでも、授業中に出された課題に対しては求められる水準以上の結果を残しているあたりはさすがだろう。
それらの結果、教師陣はとうとう諦めてしまった。注意しても意味がないし、それ以前に注意する必要もなかったのだ。何せ、教えることが何もないのだから。
他の生徒達も堂々と授業中に寝るミュリエルに厳しい目を向けていたが、彼女の能力の高さを目の当たりにしてそれらも緩まった。なんだかんだでノーブルクラスは実力主義。実力さえ伴っていれば大方のことは許される。元々、彼女の魔法使いとしての実力は俺との決闘で知れ渡っていたしな。
──だが、今の俺にとっては非常に腹が立つ。
こちとら疲れ果てている中で真面目に授業を受けているのに、隣ではこちらの気も知らずに気持ちよさそうに寝ている。これが許されることなのか。
断じて否だ!
あまりに腹が立った俺は、極小の防壁で円球を投影すると、周囲の生徒にばれないように、指弾の要領でそれを勢いよく弾き飛ばした。照準はわずかに覗くミュリエルのおでこだ。
──バチュンッ!
「はぅぁっ!?」
突然に生じた額の痛みに、眠りこけていたミュリエルは一気に覚醒。気の抜けた悲鳴をあげながらガバリと顔をあげた。
唐突な悲鳴に、教室中の視線がミュリエルに集まる。一方ミュリエルも、何が起こったのかいまいち理解できず、痛む額に手を当て涙目になりながらキョロキョロと辺りを見渡す。
そんな中、溜飲の下がった俺は黙々と黒板の内容を書き記して行ったのだった。
午前の授業が終わればいよいよお昼休みの時間。
ここまで来るとある程度は体力も持ち直してきていた。あとは昼飯に美味いものでも腹に入れて万全を喫したい。
──ところなのだが、そうもいかなかった。
「リース、少し時間を貰ってもいいだろうか。二人で話がしたい」
食堂に向かおうとしたところで声をかけてきたのはテリアだ。いつもの気さくな様子は鳴りを潜め、真剣みを帯びた表情を浮かべている。
実は、こうなるとは思っていたのだ。
朝から授業中に至るまで、テリアがチラチラとこちらに視線を向けてきていた。そして、彼が何を気にしているのか、予想がつかないほど俺も馬鹿ではなかった。
「……リース、俺達は先に行ってるぞ」
「ああ、こっちは適当にすませるからそっちもそうしてくれ」
「わかった」
空気を読んでくれたアルフィはそう言って、カディナとミュリエルを連れて食堂へと向かった。
「……ほら、ミュリエルさんも行きますよ」
「え、リースと一緒に行っちゃ駄目なの?」
「駄目に決まってるでしょう。邪魔しないであげてください」
訂正、ミュリエルはカディナに引きずられていった。あとでカディナには甘いものでもあげようか。
三人を見送ってから、俺とテリアは教室をでる。
向かった先は、学校の敷地内。校舎の側にある林の奥だ。
昼休みの喧騒は多少なりとも伝わってくる。だがそれが逆に、林の中の静寂さを醸し出していた。
そんな中で、俺はテリアと対面する。
「それで、話ってなんだよ」
「俺が言うまでもなく分かってるんじゃないか?」
「ま、そりゃぁ昨日の今日だからな。けど、その上であえて聞いてんだよ」
テリアは少しの間をおいてから、意を決したように言った。
「だったら単刀直入に聞く。君はラトス・ガノアルクが『女性』であることを知っていたのか?」
「……ああ、知ってたよ」
俺の答えに、テリアはホッと胸をなでおろした次には緊張するという、器用な表情の変化を見せた。
己の予想が的外れでなかったことに双方の感情を抱いたのだ。
なにせ、もし仮に俺がラトスの性別を知らなかったら、テリアは大きな秘密を自分から暴露した形になる。一方で自身の予想が当たっていたとしてもそれはそれで問題があるしな。
「やっぱりそうだったのか。でなければ、昨日の対応は無理だしな」
昨日の授業で行われた模擬戦。ラトスが最後に放った水属性魔法をテリアが受け流し、彼女にぶつけてしまった。いくらサラシできつく締め上げているとは言え、着ている服が濡れて肌に吸い付けば、女性らしい躰の線が浮かび上がってしまう。それが教師や生徒にバレる前に、俺は自身の制服をラトスに被せ、その上で大急ぎであの場を離れたのだ。
「ありゃさすがに俺も肝を冷やしたよ」
「……本当に感謝している。咄嗟の事とは言え、手元を誤った俺のミスだ」
テリアは律儀に俺へと頭を下げた。
込み入った事情は間違いなくあれど、やはりテリアは悪い奴じゃない。
むしろ、手の付けられない悪党であれば『問答無用にぶっ飛ばしてはい終わり』ともっと簡単に話は済んだんだろうけど。
俺はテリアにバレないように、ほんの小さな溜息を吐いた。
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みんな楽しみ、あの子の『ポロリ』がありますから。




