19
――いったいどんな手を使ったのかは知らぬが、よくやった。エスクームにさらなる利をもたらすためにも、引き続き励め。
叔父からの手紙は予想通り簡潔なものだった。
それでも〝よくやった″と褒めていることから機嫌の良さがうかがえる。
だが詳しい援助内容を知れば、あっという間に怒りに変わるだろう。
また〝役立たず″と喚き散らすに違いない。
そう考えて、ふとローズは不安になった。
北の城に残してきた女性達は大丈夫だろうか。怒りの矛先を向けられることはないだろうか。
しかし、すぐに大丈夫だと思い直す。
あの地に関しては、ルバートが早急に手を打つと請け負ってくれたのだ。
ローズは深呼吸をして気持ちを切り替え、鏡に映る自分の姿に目を向けた。
「本当に……とても素敵です」
マリタがうっとりと呟いて、ローズが身に纏った濃紺色のドレスの裾を直した。
ドレスはあの日にサイクス侯爵家でセシリアから譲り受けたものだ。
一度しか袖を通していないのに体系が変わってしまったのでもらってくれないかと、何枚ものドレスを差し出された時には、ローズも丁重に辞退した。
生地も仕立てもあきらかに最高級のものを頂くのは気が引けてしまう。
その思いからだったのだが、セシリアに「やっぱり一度着たものを差し上げるなんて、失礼よね。嫁いだ娘のマリベルもサイズが合わないし、だからって処分するのも忍びないし。残念だわ……」と嘆かれて、結局頂くことになったのだった。
「ローズ様はやはり淡いお色よりも、はっきりとしたお色の方がお似合いになりますわね」
ジェンが最終チェックをしながら誇らしげに言う。
従妹のお下がりだったドレスはどれも淡い色で、デザインも少し子供っぽいものだった。
それがセシリアから譲られたドレスは地味な髪と瞳にもよく映え、落ち着いた大人の女性としてローズを魅力的に見せている。
(なかなか良い感じよね?……ちょっと素敵に見えるかも?)
髪型とお化粧、それにドレスまで変わると、なんだか別人になったようだ。
浮かれた気分でそう考えていると、エムが不満そうに呟いた。
「でも、完璧ではありませんね」
「まあ、エム! なんてことを!」
マリタが腹立たしそうにたしなめたが、エムは納得のいかない顔で続けた。
「もちろん、ローズ様はとても素敵です。ですが、足りないものがあるのではないでしょうか?」
「足りないもの?」
マリタは訝しみ、ジェンはあっと声を上げた。
「宝石ね!」
嬉々としたジェンの答えに、エムは正解とばかりににっこりして頷く。
だがローズは表情を曇らせた。
「残念だけど、このドレスに似合うようなものは持っていないの」
正確にはまったく持っていない。
一応は一揃えの宝石を叔母である王妃から借りて来てはいるが、それも恥をかかない程度のものだった。
母のものだった宝石も亡くなってからどうなったのかはわからない。唯一の形見の品だった宝石ももうずっと前に手放してしまったのだ。
せっかくみんなが頑張ってくれたのにと申し訳なく思うローズに、エムは首を振った。
「それについては、ご心配いりませんわ」
自信に満ちたエムの言葉を不思議に思い、ローズはどういうことか問いかけようと口を開いた。
しかし、そこへルバートが迎えに現れ、何も言わずに口を閉じる。
「やはり、青はあなたに良く似合う」
「……ありがとうございます」
温かく微笑むルバートの言葉に、ローズはもごもごとお礼を口にした。
お世辞だとわかっているのに何度言われても慣れない。
しかも正装したルバートはいつも以上に清廉で気高く近寄りがたかった。
今日はこれから二人の婚約を祝う晩餐会が開かれるというのに、ルバートと顔を合わせた途端に緊張してしまう。
また失敗してしまわないだろうかと不安に顔色を悪くするローズを励ますように、ルバートは穏やかに話し始めた。
「すっかり遅くなってしまったのだが、あなたに贈りたいものがあるんだ」
「……わたしに?」
「ああ」
ルバートは応えて後ろに控える侍従からベルベットの小箱を二つ受け取った。
平らで少し大きめのものと、手のひらに収まる大きさのものだ。
侍従は深く頭を下げてから踵を返し、部屋を出て行った。
気がつけばマリタ達も姿を消し、部屋には二人きりになっている。
小さな箱の方を手近なテーブルの上に置き、ルバートがもう一方の箱を開けると、ローズは驚きに目を丸くした。
箱の中にはいくつもの碧玉が連ねられたネックレスとおそろいのイヤリングが、光に反射して美しい輝きを放っている。
「これはブライトン王家に伝わる品だ。今夜、是非あなたにつけてもらいたい」
「ですが……」
ためらうローズを半ば無視し、ルバートはネックレスを取り出して彼女の後ろに回り込んだ。
温かな吐息がうなじにかかり、ローズの体にかすかな震えが走る。
「イヤリングは……難しいな。だからその前に……」
ルバートは呟きながら、今度は小さな箱を開けた。
そして、ネックレスとよく似た碧玉の指輪を取り出すと、首まで真っ赤になったローズの左手をそっと持ち上げ中指にはめる。
それまで熱に浮かされたようにぼうっとしていたローズは、そこでようやく我に返った。
「陛下、これは――」
「母のものだった指輪だ。父がこのネックレスとイヤリングに合わせて作らせたんだ」
「わたしには……このような貴重なものを頂くわけにはいきません」
「なぜ? あなたは私の妃となるのだ。これらは当然あなたのものになる。他の宝石類ももちろん」
ルバートの言葉にローズは困惑していた。
考えればわかりそうなことだったが、それでも受け入れがたい。
肌荒れはずいぶん良くなったが、日に焼け節の目立つ自分の指に、緻密な細工の施された台座に光る碧玉は酷く不釣り合いに見える。
呆然と指輪を見ていたローズは、未だルバートに手を握られたままであることに気付いた。
「あの、陛下……」
ローズは動揺を隠せないまま顔を上げて、動きを止めた。
まるで深い藍色の瞳にとらわれてしまったように、呼吸さえも止まりそうになる。
二人はしばらく手を握り合ったまま見つめ合っていた。
「……そろそろ行かなければ」
ふいにルバートが視線をそらし、手を離して呟いた。
瞬間、止まっていた時間が動きだし、ローズは詰めていた息を吐き出した。
真っ赤になった顔を鏡に映し、震える手でイヤリングをつける。
鏡越しにちらりとうかがうと、ルバートは棚に並んだカトレアとアジサイを見ていた。
――キスされる。
そう思った自分の馬鹿さ加減が情けなくて恥ずかしかった。
ルバートは別にローズ自身を望んで婚約したわけではないのだ。
普通の婚約のように期待するのは間違っている。
ローズは鏡に映る指輪に視線をやった。
ブライトンの前国王は王妃を熱愛していたと聞く。
この指輪はきっと、愛の証なのだ。
肖像画の中で慈愛に満ちた笑みを浮かべる美しい女性――ルバートの母は、このネックレスとイヤリング、そして指輪をしていた。
(わたしには、この宝石を受け継ぐ資格なんてないわ……)
そう考えて、あることに気付き思わず息をのんだ。
その気配を察してか、ルバートが振り返り眉を寄せる。
「どうかしたのか?」
「い、いえ……。お待たせいたしました」
「とても綺麗だ」
再び温かな笑みを浮かべたルバートのお世辞に、ローズはもはや何も返せず、やっとのことでぎこちなく微笑んだだけだった。
訝しく思ったとしてもルバートは何も言わず、ローズの手を取って扉へと向かう。
ローズは反射的に足を動かしながらも、頭の中はあることでいっぱいだった。
(この指輪……ネックレスも、イヤリングも、メルヴィナ様が……)
名前しか知らないルバートの前妃。
彼女もこの宝石類を贈られたのだろうか。もちろん、そうに決まっている。
心から想い合っていたという二人の間では、きっとプロポーズも指輪のやり取りも愛に満ちたものだったに違いない。
今までに何度か彼女の肖像画を探したこともあったが、当然のことながら見つからなかった。
淡い金色の髪に碧色の瞳をしたとても可愛らしい人だったらしい。
この碧玉も瞳の色と相まってよく似合っていただろう。
これから彼女を知る人達の前に出なければならないと思うと酷く怖かった。
だがそれも、自分の選んだ道なのだ。
会場の入り口となる扉に辿りついた時、ローズは勇気を奮い起して微笑みを浮かべた。
隣に並んだルバートはそんなローズを励ますように、自分の腕に添えられた彼女の手を軽く叩く。
「そんなに気を張らなくても大丈夫だ」
会場に足を踏み入れた時にはそうは思わなかった。
しかし、終わった時にはわずかながらの自信が芽生えていた。
数日前に婚約を正式に発表するにあたって、ルバートは〝ロザーリエ″が相手だとはっきり名言していたにもかかわらず、ローズは皆に温かく受け入れられたのだ。
ちょっとした変身もお世辞を抜きに好評だった。
たとえもし何か裏で言われていたとしても、直接は言われない。
それはかなりローズの心を軽くした。
だからきっと大丈夫。モンテルオ国王夫妻ともちゃんと顔を合わせられる。
そう自分に言い聞かせ、慌ただしい数日を過ごした。
そしていよいよ当日、モンテルオ国王夫妻を乗せた馬車が間もなく到着するとの知らせを受け、ローズは震える足を叱咤して、出迎えのために広場へと向かった。




