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 翌日は朝から雨が降っていた。

 王宮内はどんよりとした空気に包まれ、子猫のルーもどことなく機嫌が悪い。

 ローズはルーをあやしながら、深いため息を吐いた。


「ローズ様、そろそろ参りませんと」

「ええ、そうね」


 遠慮がちにマリタから声をかけられたローズは立ち上がると、部屋を出る前にもう一度鏡の前に立った。

 相変わらず冴えない姿だが、特に今日は酷い。

 ルバートとは夕刻前に会えることになっており、不安がどうしても顔に出てしまっているのだ。

 本当ならばこれから始まる昼食会も欠席したかったのだが、約束したのだからと自分を鼓舞し、ローズは部屋を出た。

 もちろん食事は喉を通らないだろう。

 それでもせめて最後くらいは印象を良くしたい。

 その思いで会場になっているサロンに向かう間、ローズはどことなく違和感を覚えた。


(何かしら……?)


 はっきりとはわからない、妙な気配にローズは首を傾げた。

 雨のせいではない、重く不快な空気を感じる。

 どんどん大きくなる不安をローズは必死に押し隠し、笑みを浮かべてサロンに入った。

 だが、その笑みはすぐに凍りつく。

 ローズがサロンへと足を踏み入れた途端に、皆から冷たく蔑みに満ちた視線を向けられたのだ。

 それは初めて謁見の間で浴びた視線よりも厳しい。


「あの……今日はお招き頂き――」


 それでもローズは怯みそうになる自分を叱咤して、昼食会の主催者である伯爵夫人に謝辞を述べようとした。

 しかし、夫人は持っていた扇子を手の平にぴしりと打ちつけて遮る。


「わたくしは、あなたなど招いてはおりません」

「あの……?」

「わたくしがお招きしたのは、エスクームの王女殿下であって、にせものの詐欺師ではありませんわ」


 冷やかに真実を暴かれて、ローズははっと息をのんだ。

 周囲では、夫人達がローズへの軽蔑もあらわにひそひそと話し合っている。

 若い令嬢達は優越を含んだ笑い声を上げ、思わずそちらへ目を向けたローズは悲痛な声を洩らした。


「……キャロル?」


 名前を呼ばれたキャロルはちらりとローズを一瞥したたけで、側にいる友人達と顔を寄せ合い再びくすくす笑う。

 信じられない思いで呆然と立ち尽くすローズのもとへ、別の夫人が近づき早口にまくし立て始めた。


「これはブライトン王国に対するとんだ裏切り行為ね。あなただけではないわ。エスクーム国王はいったいどういうおつもりなのかしら? もちろんこのことについてはきちんと説明なさって下さるのよね? それにしたって、なぜよりによってあなたなの? こんなに酷い侮辱はありえないわ! たとえ陛下がお許しになっても、わたくし達は絶対に許しませんからね!」


 主催者の伯爵夫人も、昨日のお茶会でにこやかに話しかけてきた夫人達も、皆が同意して頷く。

 返す言葉もなくローズが黙り込んでいると、キャロルの友人らしき一人が顎をそらして進み出てきた。


「ちょっと、何か言ったらどうなの? 自分がどれほど卑しい人間かわかっているんでしょうね? 元・王女様?」


 嫌味で高慢な言い方を咎める者はなく、皆がローズを取り囲んで笑う。

 ローズは逃げ出すわけにもいかず、その場に立って侮辱に耐えるしかなかった。

 そこに突然、穏やかな低い声が割り込む。


「ああ、殿下。やはりこちらにいらっしゃいましたか」


 音もなく現れたエリオットに夫人達は動揺したようだ。

 しかしすぐに取り繕い、温かな歓迎の笑みを浮かべる。


「まあ、サイクス侯爵。いかがなさいましたの?」

「突然お邪魔してしまって、申し訳ありません。殿下にご用がありまして。このままお連れしてもかまわないでしょうか?」

「それは……ええ、もちろんですが……」


 実力者であるサイクス侯爵に反対できるわけもなく、伯爵夫人はしぶしぶ頷いた。

 他の夫人達も不服そうではあったが、口には出さずおとなしく引き下がる。

 だがキャロルだけは嬉しそうに顔を輝かせ、エリオットの腕をつかんで小さく首を傾げてみせた。


「侯爵様はまだご存じではないのですか? この人は王女殿下などではありませんのよ? とんでもない詐欺師ですわ」


 猫なで声で訴えるキャロルを見下ろして、エリオットは微笑んだ。


「そのことについては、またあとでお聞きします。今は殿下を陛下のもとへとお連れしなければなりませんので。陛下は殿下とお話なさりたいそうですよ」


 さりげなくキャロルの手を腕から離したエリオットの最後の言葉はローズへと向けられていた。

 ――きっと陛下はお怒りなのだ。

 皆がそう期待して意地悪く見守る中、ローズはエリオットと共に、静かにサロンを去って行った。



 サロンを出てから黙ったまま、しばらく回廊を進んでいた時、ローズはようやく先ほどの違和感の正体に気付いた。

 すれ違う人々の視線が酷く冷たいのだ。

 これまでも好意を持たれていたわけではないが、今はあきらかに嫌悪されている。

 それはとても居心地が悪く、ローズをたまらない気持ちにさせた。


「よくもまあ、半日でここまで広げたものだ」


 ため息混じりのエリオットの呟きも、ローズの耳には届かない。

 ただ泣き出してしまわないように、逃げ出してしまわないように、必死に前を向いて歩いた。

 その顔は青ざめ、体はかすかに震えている。

 エリオットはそんなローズを安心させるように、温かな眼差しを向けて微笑んだ。


「大丈夫ですよ。陛下はお怒りになっているわけではありませんから。とって食われたりなどはしません。あ、ですが身の危険を感じられたら、どうぞご遠慮なさらず大声で助けをお呼び下さい。乙女の危機には、すぐさま騎士が駆けつけますからね」

「そんなことは……」


 冗談を言うエリオットの顔は楽しげに輝いている。

 しかし、緊張するローズは笑うこともできず、言葉に詰まってしまった。

 そうこうしているうちにルバートの執務室に到着し、エリオットが扉を軽くノックする。が、返事も待たずに開けると、驚くローズの背をそっと押して入るように促した。


「それでは、私はこれで失礼いたします」


 どこか笑みを含んだ声で告げると、エリオットは一礼して去って行った。

 ぱたりと閉じられた扉の音が、静かな室内に無情に響く。

 ローズは入り口から一歩も動けないまま、それでも伏せていた顔を上げ、真っ直ぐに前を見据えた。




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